デジャヴ



出会った頃、お前はまだどこか少年めいた気配を残していて、それでいてステージに立つと、ギラギラと鋭利に光っていた。それなのに、一旦素に戻ってしまえば、妙に気の小さい可愛さがあって、そのアンバランスが最初から俺を惹きつけ、そして警戒させたのかもしれない。

こいつと運命を共にすれば、きっと深みに嵌る、と。








2001年の初め、バンド活動を休止してから、俺に最初に突きつけられた仕事というのは、まず「忘れる」ということだった。それは夏に俺が身体を壊して、吉井が泣いて泣いて、泣きつくしたあと、二人で決めた約束だった。

「このままじゃいけない」

言い出したのは俺だった。

「このままじゃ、俺たち、ダメになる」

俺たち二人だけじゃなく、音楽もバンドもダメになる。
大事なライブを飛ばしてしまったことじゃない。それはまた今後の活動如何で、いくらでも取り返せる話だ。そうじゃなく、俺も吉井も、明らかにもう限界だった。

秘めた恋愛を続ける、ということが。

いつからなんだろう、お互いを特別だと思い始めたのは。お互いに「好きになっちゃいけない」って思ってたのは明らかだったのに、ここまでならまだ大丈夫、なんて自分を誤魔化しながら、二人ともどんどん深みに嵌っていった。そうなってしまえばいつか苦しむことになると判っていながら、求められる快感に溺れ、そして確かに俺自身もこの男を単なる友達なんて視点で見られなくなっているという事実を認めない訳にはいかない心をどうしようもなかった。
それでも身体を重ねるまでは、まだ『行き過ぎた友情』とでも形容してられたのに。

どんな恋でも、障害があるほうが燃えるのは一般常識。
同性で、有名人で、不倫で・・・。俺たちの場合、その材料には事欠かなかった。

けれど吉井は手に入れた俺に寄りかかるよりも、むしろ俺を甘やかすことに情熱を覚え、そうすることで自分を強くもしていった。

でも、俺には判ってた。それは多分、永く続く幸福ではない、と。

吉井は最初からそんなに強い男なんかじゃなくて、本当は誰かが強く背中を支えてやらなきゃいけなかったのに、吉井の愛情に甘えてしまったのは、むしろ、俺。
それでなくても可哀想なほど色んなものを背負い込んでしまってるというのに、そこへ俺とのアンモラルな恋愛まで抱え込んだ吉井は、年月が経つにつれて、揺れはじめてた。

いっそ、俺たち、一途になれたら良かったんだけどね。
でもそれを覚悟することはできないお前の弱さが、お前を苦しめる。俺はそんなお前の負担にはこれ以上なりたくなくて、絶対に一途にお前を愛するなんてことはしなかった。

そしてたくさん傷つけ合って。
挙句に身体を壊すほどストレス溜めて。

馬鹿だね。俺たち。
ここまで馬鹿だと、もうこうするしかないでしょ。

「別れよ?」

敢えて微笑みながら告げた俺の言葉に、吉井は大きく目を見開いて驚嘆し、このまま世界が終わるんじゃないかというように泣き崩れた。その背中を撫でて抱きしめてあげたい衝動をこらえるのは、並大抵の苦労じゃなかった。


縛りつけて。
縛り付けて。
その腕で。
この腕で。
自由になんかしないで。
俺がお前の付属物になってしまればいい。
だけどお前は自由でいて。
苦しまないで。
俺から自由になって。


なんて、できもしない相談。
恋は一人でするもんじゃない。


だから『さよなら』


その選択は、やっぱり間違っていたのか?





そして、世界は本当に崩壊する。






活動休止を言い出したのは吉井の方。
結局余計に苦しむことになった俺たちが、お互いを開放してやるには、もう実質的に会わないことしかできなかった。
誰にも告げられないことだけど。
大事なヒーセや英二にさえ、事実を教えてやることはできないけど。

ごめんね。
俺たちが馬鹿だった所為で、みんなに迷惑かけた。

だから二人で約束した。

この冬を最期に、本当にもうこんな、誰にも言えないような後ろめたい恋を、心の中からさえも抹殺しよう。
次に一緒に演る時は、お互いに自由になっていよう。
それだけが、俺たちが唯一、決別しなくてもいい方法だから。



馬鹿すぎた恋の追悼。




忘れよう。
もう、忘れてしまおう。
痛みを享受して消化するなんて、そんな勇気、俺にはない。
吉井は前を向いて歩いていく。

それでいい。
それでいい。
吉井も俺を忘れればいい。そのほうがいい。






2年近くも経てば、やがて痛みは磨耗する。
いくつか新しい恋もして、そしてそれらも終わったり、違うことで泣いたり。
吉井を思い出さない夜はだんだん増えていって、ああ、このまま他人になるんだな、と思い始めたから、再会することができた。

『ソロのアルバム、だいぶ録れたんだ。意見聞かせてよ』

そんなふうにかかってきた電話は、昔の恋人に対する温度ではなく、ひとりの信頼できるミュージシャンに対する温度だったから。




久しぶりにスタジオで会った吉井は、俺たちが馬鹿な恋をする前のような、屈託ない笑顔で俺を迎え入れてくれた。
ふと、「ああ、俺この顔好きだったな」って思ったけれど、それは自分でも不思議なほど穏やかな気持ちで、切なさに胸が疼くような種類の感情ではなかった。

「どうしてたの、最近」

俺にコーヒーを勧めてから、吉井が少し離れた椅子に座った。

「どうしてたって、聞いてるでしょ、事務所から。エマが働かないって」
「あははは。うん、聞いてるよ?エマは連載の取材だけでばっちり仕事してる気になってます、ってさ」
「ほらねー。いや、もう大忙し」
「弾いてる?」
「まあね。そこそこ」

俺の返事に少し曖昧に笑って、吉井はスタッフに「俺、じゃあ入るから」と告げて煙草を揉み消すと、「ばっちり聞いててよ?」と言い残して録音ブースに入っていった。



ガラスの向こうの吉井を、昔みたいに見つめる。俺だってプロだから、勿論聞き流したりはしない。
久しぶりに、表現者の吉井をこの目で見られるんだと思うと、なんだか純粋に嬉しかった。



話していると、何故かまだお前はどこか少年めいた気配を残していて、それでいて一旦音楽に向き合うと、やっぱり今もその目は、ギラギラと鋭利に光っていた。



――――――あ。


この感じ。
これは、初めて会った頃、吉井に抱いた感覚。

デジャヴ。


別に何かを言われた訳ではない。けれど俺は直感した。
やっぱり、こいつともう一度やるのかもしれない、と。

この表現者と深みに嵌るのが、俺の運命なのかもしれない、と。



end



39.ドラッグに続く。

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