ドラッグ



吉井は、俺がここにいるのを忘れたかのように、何度も調整しながら、そのまま3曲歌った。
そして長い時間をかけてやがて出てくると、スタッフの「力みすぎだよ」っていう指摘に「わぁってるよ!つい、ついねー」と笑いながら、また煙草に手を伸ばしつつ、
「今の3曲以外の、できてるやつ通してかけて」
と頼み、キーボードの奥の椅子にかけて目を閉じ、時折口ずさみながら全曲俺に聞かせた。

曲の間、誰も口をきかない。
おかげで、何人かは知らない顔の混じったスタッフの中でも、俺は周囲に気を取られることなく曲に集中することができた。

ああ・・・なんだろう、コレ。
演奏はなんだかヘタクソなのに、この何ともいえない心地よさは。
聴き手はまるで吉井と話してるみたいだ。これは、こういうのはコイツにしか作れないな、って思った。
朝目が覚めて、喉に流し込んだ水が欲しかったも温度より冷たすぎたりして、潤った筈が満足していなくて、暫く経ってからぬるめのお茶を飲んで『ああ、俺、喉渇いてたんだな』って思い出したような。あまりにも微かな痛みがずっとあって、けれど微かすぎてあまり意識していなかったのに、その痛みがすっと引いたあと『あ、さっきまで俺、痛かったんだ』って改めて意識したみたいな。
そういう自分の中でぴったりと親和していなかったものが、ふとあるべき形に収まって、改めてその気分の良さを味わってるのに気付いて、実質的に吉井から離れたあと、自分が聞いてた音のどこにも、一番心地いい居場所を見つけられなかったのが癒されたような気がした。

「吉井、俺、これすごく好き!」

曲が終わって静かになって、俺は吉井が何か聞いてくる前に、思わずそう告げた。
いつの間にか閉じていた目を開いて吉井のほうを向くと、吉井が驚くほど真剣に俺を見つめていたのを知って、ちょっと驚く。

「好き?」

けれどその目はすぐに穏やかな表情に戻った。
俺はそれに安心しながら、さっきの一瞬交わった視線が、あの頃の・・・二人が恋をしていた頃の色を湛えていたように感じたことを反省する。

馬鹿だな。
今更もう、そんなことある筈ないのに。

「うん。なんていうんだろ・・・バンドの時のとは違うんだよ。全然違うの。
でもなんかすごく吉井和哉だなって思う。ああ、吉井和哉の音楽だって素直に納得すんの」

「ははは。だって究極の吉井和哉だよ?全部俺が弾いてんだもん」

「え、全部?」

「そう。ドラムだけはねぇ、無理だったけど」

「ああ・・・どおりで」

「ん?」

「ヘタクソだと・・・」

「エーマぁ・・・・」

今度は周囲のスタッフたちも爆笑した。
本当に、久しぶりだ。こんな雰囲気。活動してた頃から、こういう空気とは遠ざかってたんだな。休止前って本当にしんどくて、俺も吉井も・・・みんなも・・・。

笑いながら、また吉井と目が合う。

すごく楽しそうに笑ってる。
いいね。こういう吉井と一緒に音楽やってるのが、俺だったら嬉しかったのに。
丁度、俺がそう思った途端、吉井の目がまたさっきの色に変わった。

あわてて目をそらす。
ダメだな。俺、考えてることがすぐ顔に出てるのかもしれない。



それとも、本当は俺、まだ何かを期待してるんだろうか・・・?



本当は、俺がまだ、あの恋の続きさえも諦めきっていないんだとしたら。
それはあまり、いい状態じゃない。


「あのさ、エマ」

「なに?」

つとめて平静を装う。
けれど吉井は、何か言いかけた言葉を長いこと飲み込んだ。
そして明らかに『言うのをやめた』っていう顔で、微笑んだ。

「いや、今日はそれが聞けただけで充分だよ。ありがと。コイツを世に出す自信がついた」

当たり障りがないともとれる言葉に、俺は多少の落胆と安堵を感じる。
お互い、まだ何の遠慮もなく本音を曝け出せるようにはなってないってことか。

「いえいえ。じっくり聞き込めるの、楽しみにしてるよ」

笑って、それとなく帰り支度を始める。少しだけこの場に居づらいと感じた。


「エマ!」

スタッフたちに挨拶して、スタジオを出ようとしたら、仕事してた筈の吉井が追いかけてきた。

「なに?」
「あのさ、近いうちに会えない?」
「話だったら今聞けるけど?・・・あ、お前が無理か」
「いや…ここじゃダメなんだ。もう一回会って、ゆっくり話したいんだよ」
「いいけど?今んとこ、取材の日くらいしか拘束されてないし」

吉井が話したいことっていうのが何なのか気になりながらもそう答えると、吉井は嬉しそうに笑った。

「じゃあ・・・そうだな、2、3日中に電話する!」
「うん」

「居留守しちゃ嫌だわよ!」なんて無意味なオネェ言葉になりながら仕事に戻っていく吉井を見送って、俺は自分に、「何か知らないけど、期待とかしてちゃダメだぞ」と言い聞かせた。


音楽を共にする期待も。
あの恋の続きも。



end



40.テレビジョンに続く。

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