変。 |
潮風が髪を撫でる。 いい天気。今日は降り注ぐ太陽に、キラキラ水面が輝いてる。 もうすぐ夏が終わるんだな。 今年の夏は寒かった。気温が上がらなくて。 おかげでこの浜辺は、まだ日も高いというのに、普段にも増して人影がない。 元々それを知ってて、付き合ってる頃からたまにこうやって二人できてた場所なんだから、当たり前だけど。 別れてから、3回目の夏。 あれから初めてだった。こうして二人で出かけるのは。 「よく午前中に起きられたじゃん」 夕方になる前に、ここまで来られるほどの時間に俺を迎えに来たことを讃えると、吉井は目尻に皺を刻んで笑いながら 「割とね、最近は規則正しく生きてるんだよ」 そう言って、コーヒーの空き缶に、灰を落とした。 だったら、奥さんも喜んでるでしょ、って言いかけて、止める。 いいや。今、そんなこと言わなくて。 吉井の運転で遠出して、こんなふうに海辺に並んでるっていうのが、なんだか昔を思い出させて、懐かしいのと同時に少し切ないから、今だけこの感傷のままに、あの頃の気持ちに戻ってみたくなっていた。 吉井が足元の砂を靴の先でザラザラかき回して、乾いた表面の白っぽい色と、下から出てきた湿った、ダーク・ブラウンを混ぜ合わせる。 そんなことしながら、時々顔を上げて俺を見る吉井の瞳の色が、なんとなく昔みたいに甘えて見えたから、きっとこいつも同じ気持ちなんだな、と思った。 会ってから、あまり話してない。 日常生活に関する話題は、お互いに悉く避けてる。 ここに来るまでの車中では、歌入れもしていない曲がずっと流れてて、その曲が俺はすごく気に入ったから、きっとこれは、今吉井が新しく作ってるヤツなんだろうと考えてた。 「さっきのさ、曲、どう思った?」 「さっきの?車で聞いてたやつ?」 「そう」 タイムリーに振られた話題。 なるほど。やっぱりそれを聞きたかったわけね。 「好きだよ。・・・俺だったら、最後のリフとか、もうちょっと鳴かせるけど」 俺に聞くんだから、ギター部分だろうな、と思って言ってみる。 「だよね。俺もそうしたいと思った。でも鳴いてくんないんだよ、俺のギター」 「あはは」 「だからね。人に弾いてもらおうかと思って」 ――――――――――・・・・。 なんだ。 そういうことだったのか。 話って・・・それなんだ。 「いいんじゃない?自分ひとりでやり続けて半端なものになるより、本職に弾いてもらって納得いく形にしたほうがいいよ」 なんでもない風を装って、俺はわざと笑う。 そんなことは、今更わざわざ言ってくれなくても覚悟してたのに。 イエローモンキーを休止したときに。 吉井がソロを始めるって聞いたときに。 俺じゃない奴のギターで歌うんだってことは。 ・・・あら。でも意外とショックだな。変なの。あはは。 別にさ・・・こいつはもう俺のものってんじゃないんだから、平気になんなきゃいけないのに。 「もう見つけたの?ギタリスト」 「・・・・・・・・・うん」 頷いて、吉井は遠く水平線の彼方を見遣った。 「すごくいいギタリストでさ。俺、迷ったんだけど、そのギタリストだけは絶対ほしいと思って。俺の声に合うんだよ、すごく」 「へぇ・・・」 吉井が見てないのをいいことに、俺は深く俯いて、足元を歩くちっちゃな蟹にひどく興味を惹かれたフリをした。 心臓が、痛い。 聞きたくない。 これ以上聞きたくない。 誰がお前の後ろで弾いたっていい。それはもう覚悟してる。 でも、他のギタリストのことを、そんなに熱っぽく俺に語らないで。 流石に、もう恋は諦めた。 でも、その場所だけは。 オマエのナンバーワンギタリストという場所だけは。 ・・・せめて、ずっと俺のものにしておきたかった。 ヤバいな。 泣くかも。 ダメだぞ、泣いたりしたら。みっともない。 きっと吉井が次に言う言葉は「だからエマももう安心してなんか活動しなよ」とかそんなことなんだろうな、と、半ば自虐的に予測する。そこで笑って頷けるように。 「エマ、依頼が来てたサポートの話、断ったって本当?」 そう、この流れで宣告されるんだ。お前はお前で歩け、と。 でも本当にそう言われたら腹立つかもな。「お前に言われなくたってそのつもりだよ」って。 けど、傍目にも、まだ俺は踏み出せていない。それが事実。 「本当だよ」 「どうして?」 「どうしてって・・・、だって、俺の音が活かせる場所じゃなかった」 「エマは・・・どうしたいの?これから」 「・・・・・・・・・探してかなきゃって思ってる。でも納得できないところで弾くのは嫌だ。でもソロっていうのもなんか違う気がする。俺は自分がきちんと活かせる場所を探すつもりだよ。・・・もう一度、みんなで演る時にはレベル上げときたいしね。惰性で退化したりしたくない」 本当だよ。これが飾らない本音だ。 さあ、だから吉井、早く宣告してしまえ。 今の自分が求めるギタリストは俺ではない、と。 じゃないと、俺はいつまでも生ぬるい夢想から抜けられない。 お前に一番合うギターは、俺だっていう思い込みから。 二人とも黙り込んだ。 沈黙は長く、太陽が少しずつその輝度を弱め始める。 けれど、やっと口を開いた吉井の言葉は、意外なものだった。 「――――-エマ、俺んとこで弾かないか?」 「・・・・・・・・・・・・え?」 今、 今・・・何を言った? 「今作ってるアルバムが完成したら、ライブやろうかと思ってる。エマ、一緒に来ないか?」 「な・・・何言ってんの!?」 思案するよりも先に声が出た。 「何言ってんだよ、吉井。それじゃ休止してる意味ないじゃん。第一、お前、ついさっきギタリスト見つけたって言ったばかりだろ?」 「―――だから!」 吉井が体ごと向き直って、俺の両肩を掴んだ。 逆光になって、その表情は見えない。 「俺のギタリストだよ!すごくいいギタリスト。エマだけはどうしても手放したくないんだ!」 待ってくれ。 そんな話は予想もしていなかった。 「エマは今言ったじゃないか。自分のギターをきちんと活かせる場所でやりたいって。それは俺の隣だろ?」 「―――――・・・・!」 都合のいい夢じゃないのか? そりゃ、俺は吉井の音楽が好きだ。 吉井が歌う隣で弾けるのが最高だとは思ってる。 でも、だけど、それは・・・。 「そんなことしたら、お前のソロが台無しになるよ。 そりゃ、そうすれば音楽的にはいいものにできる自信は、俺にだってある。でも、それだけじゃないだろ?吉井和哉のソロツアーに俺がいたら変だよ。ファンは何て思う?マスコミは?もっと冷静に・・・」 「俺は冷静だ!」 吉井は俺の言葉を遮って叫んだ。 「休止して2年、俺たちが別れてから3年だ。その間、ずっと考えてた。本当にそれで良かったのか?俺もエマも、それで幸せになれたのか?」 「今は俺たちが別れた話はしてないだろ?」 「同じだよ!エマは感情を切り離してプレイできるのか? その両手で弾く音は、エマの感情とは別次元か? ありえないよ、そんなこと。そんなふうに音を出すだけなら、間違わないぶんコンピューターのほうがよっぽどマシだ。俺たち、あのとき別れて、その所為で何もかも有耶無耶にした!」 「そうじゃない!俺たち、あのままじゃいけなかったんだ!」 「何がいけない?散々傷つけあったこと?それの何処がいけないんだよ? 嫌いになって別れたんじゃないだろ?嫌いじゃないなら、別れちゃいけないんだよ。自分に嘘をついて平穏のために別れるなんて、傷つけあうよりよっぽど酷い行為だ」 「それだけじゃないよ。俺は・・・俺もお前も、自分たちの関係に甘んじてた。俺は、その所為でお前に本当に必要なフォローもできないままにしてきたことを後悔してるんだよ。この先後悔しないためには、どうしてもリセットしなきゃいけなかったんだ」 「だったら別れた今、エマは俺に必要なフォローを完璧にしてくれてるって言えるの?」 「・・・・・・・・・・・・・・」 「俺には、エマっていうギタリストの音が必要だ。けどエマがそれを了承してくれないのは、単に俺たちがメンバー同士だからか?じゃあ、エマはたとえばヒーセやアニーがコラボしようぜって言っても、俺と同じ温度で断るって言える?――――・・・違う、俺だからだ!」 「そんなこと・・・」 「俺だから、なんだよ!俺が別れた恋人だからっていうしこりがあるから! でも俺は違う。俺の中ではエマに関しては何も変ってない。俺にとってエマは誰より大事な人で、愛してる人で、同時に一番のギタリストなんだよ!」 打ち寄せる波のように、吉井の言葉が乾いた砂の心を潤す。 変だ・・・俺。吉井のこの言葉を渇望してたんだ、こんなにも。 でも、本当は判ってる。別れたあのときも、「別れよう」って言った俺を、本音ではこいつが強引に奪ってくれることを望んでた。 俺だって何も変わってない。 今も、吉井って男を誰より愛したままで、あのあといくつも通り過ぎた恋はそのまま置き去りにして、ずっと吉井に固執し続けたままだ。 そして、吉井和哉こそ、俺のヴォーカリストだと思ってる。 本当は、この男の隣で弾きたいのに、それ以外の場所を探さなきゃいけない今の現実に苦しんでる。 けど、ここでお前と組んだらどうなる? せっかく俺だって一人で立とうとしてるんだ。 それをまたお前と組んで・・・関係まで戻して、元に返してどうするんだ? 上手く言葉にできない感情を、「でも俺は」とか「俺だって一人で立たなきゃ」とか、曖昧な呟きにしか出来ずに唇を噛んだ。 吉井は、そんな俺の方から手を離して、寄り添うように隣に立ち、新しい煙草に火をつけた。 煙が風に流れて散ってゆく。 「俺だって、もしもエマが、俺がいないと何もできないような男なら、こんなこと言わない。 第一、こんなに愛さなかったと思う。そのギターも、エマっていう人も。 でも俺たちが離れてから、エマはちゃんと自分にとってのベストを探そうと必死になってるってこと、会ってなくても知ってたよ。だからこそ俺もそれに負けちゃいけないと思った。 あんたと離れて、それでも走れるって示そうと思った。それをエマが望むなら。 ・・・でも判ったんだ。俺たち、離れちゃいけないって判ったんだ。 ここに、すぐそこにお互いの一番欲しいものがあるっていうのに、なんで他を探さなきゃいけない? 他にもっと欲しいものがあるならいいさ。だからイエローモンキー自体は休止したんだ。あれじゃダメだって俺は思うから。なんでダメだと思うか、エマは判る?」 激情は、既に穏やかな声音に宥められていた。 俺は一旦さっきまでの混乱は切り離して考える。 「・・・譲り合ってるよね、お互いに。それがなんか、噛みあわなくて・・・なのに必要な喧嘩しないっていうか」 「そういうこと」 言葉を選んだ、俺の返答。 本当はそれらの大部分が、メインコンポーザーの吉井への遠慮だっていうことははっきりしてる。 でも、そんなことは敢えて言わなくても、吉井は俺の本心を見抜いたみたいに目を細めた。 「でもエマは違う。もう、ちゃんと一人で立ってる。立とうとしてる。ただ、それを発揮する場所に巡り合えてないだけなんだよ。だから今んとこ具体的な活動してないとか、そんなことはどうでもいい。そういう体面に拘るような仲じゃないでしょ、俺たち」 「・・・・・・・・・ん」 「エマとは本気で喧嘩できる。傷つけあうことさえできる。そういうエマが、ミュージシャンとしても、人間としても、俺には必要なんだ」 「吉井・・・・・・」 風の音と、波の音と。 暮れようとする夏日の温度と。 3年ぶりに本気で交わした吉井との会話が、俺を変にしていく。 変だ。 変だってば。 長いことかけて忘れようとしていた心が、こんなに簡単に流されていいのか? 鼓動が高くなる。 やめてくれ。これ以上、そういう言葉を聞かされると、俺は・・・ お前を忘れてしまえていない、俺は・・・。 「エマ。愛してるよ、今も。心から」 吉井の囁きは、耳元から聞こえた。 俺の指先は、無意識にすぐ隣の袖口を掴んでいた。 「考えさせて」 と。 せめて冷静に言えたその言葉に、吉井は穏やかに頷いた。 end |
41.○○さまに続く。 |