残った物



平穏な気持ちになって日常を送ってみようと、最初はそう思った。
呼吸みたいに慣れた動作に身を任せて、たとえば映画とか見たり、買い物とかしたりして気を紛らわせようかと。

最初の日の昼間は、割と上手くいった。
久しぶりに飲んだ所為もあって都合よく二日酔いだったし、ぬるめに淹れたカフェオレも、熱いシャワーも、裸でくるまったシーツの中のまどろみも、トロトロと俺を溶かして思考を追い払ってくれた。

ぼんやりとした目覚めの夕方、携帯が着信を告げるまでは。

『吉井和哉』

ディスプレイに浮かんだ文字に、キリリと心臓が痛んで、俺はそのまま電話を無視した。



この空気はなんだ?
まるで現実感がない。
おなかも空かない。
目覚めても眠気がとれない。
ただ、頭の奥がじくじくと痛い。



夜になって、早々に俺は諦めた。
考えない、ということを。
数時間ごとに携帯が鳴って、その度に中途半端な睡魔を邪魔するヤツがいるから、どうしたって現実世界に戻らざるを得なくなったから。

でも、電話は取らない。
何を話していいか判らない。



『考えないこと』を諦めた俺は、部屋にいるのも諦めて外に出た。

酷暑といわれる今年の夏は、何故か妙に夜になると涼しくて、その気温の差がなんだか不思議な感じ。

別に行くあてもなく車に乗る。

考えないでいられないなら、いっそとことん考えてしまおう・・・。
そう思いついたから、部屋から俺たちのアルバムを全部持ち出した。

簡単に手に持てる程度の数。
オリジナルアルバムは、インディーズ版を含めて、たったの9枚。
ベスト版とかシングルコレクションとか、まぁああいうのは、オマケみたいなもんだし、俺らが命を削って生み出したアルバムは、たったこれだけ。

――――変なの。あんなにずっとレコーディングしてたような気がするのに。

結成から解散まで、15年足らず。
そのうち3年は正味『死んじゃってた』んだから仕方ないか。

懐かしい『Bunched Birth』をカーステにつっこみながら少し笑った。

安っぽい音。
吉井のヴォーカルも、今となっては驚くほどヘタクソ。

そういえば、welcome to my doghouseって、バンドで最後に演奏した曲じゃないか。
このアルバム録ってた頃は、まさか立つ日がくるとは思ってもいなかった東京ドームで。

想像もできないほど遠くまで来たのに、結局これが最後になったなんて。

「あはは・・・」

この曲がライブのラストなのはもうお決まりだったけど。
なんか出来すぎじゃん?
狙ってたのかよ、吉井。

「あの時・・・もう、終わらせるつもりだったのかよ・・・」

独り言に涙がこぼれる。
あの時は感慨に浸りもしなかったよ。
そして今更思い出して切なくなろうにも、3年半も前のことじゃ、もうなんだか他人事だ。

「ばっか・・・みたい」

俺たちの最初の子供だったアルバムは、30分ほどですぐに終わってしまった。


みっともなく涙でぼろぼろになりながら、次々と再生して、思い出に浸った。


初めて俺が吉井に渡した曲。
吉井と俺を特別な関係にした曲。
コンセプトに浸りすぎて、吉井のことをヤバイと思ったアルバム。
―――――吉井と、初めて寝た夜。
合宿して、みんなで必死で作ったアルバム。
―――――別れた朝。
海外レコーディング。
―――――もう一度繋がった心。
スタジアムツアー。
―――――喧嘩と嫉妬で狂いそうだった日々。
100本を超す過酷なツアー。
―――――倒れた吉井を見て息が止まりそうになった日。
最後のアルバム。
―――――・・・・あの、苦しい別れ。


夢と。
憧れと。
野望と。
栄光と。
挫折と。
絶望と。


光。
影。
雨。
唄。
音。
波。
嵐。


『エマだよ。あんたしかいない。俺のギターは』

『4人でだったら、どこまでも行けそうな気がするんだ。あの、高いとこまで』

『そっか・・・。じゃあ、別れる?』

『家族かな。俺にとって。エマと、ヒーセと、アニーと』

『やっぱりさ、ダメなんだ。愛してるって、それしかねぇの。エマさんに触れたくて・・・』

『紹介します。私の恋人です!ギター、エマ!』

『逃げよう。全部捨てて逃げてしまおう。二人で、今すぐ』

『・・・怖いんだ・・・。もうすぐ、この幸福は終わってしまうんだ』

『嫌だ、エマ!お前と別れたら、俺・・・』

『休止して、少し距離を置こう。俺たち、このままじゃダメだ』

『たくさんの希望と・・・絶望を、ありがとう』


消えてしまう。
たった数時間の再生で、朝が来る前に俺たちの15年は、あっと言う間に消えてしまう。
たった9枚の俺たちの子供。

なんであのままじゃいられなかったんだろう。
みんな苦しんでも、希望がそれ以上にいっぱいあって、ひたすら走ってた。
擦れ違いも諍いも、無かったわけじゃないのに、何故かみんなで笑ってたことばかり思い出す。
あんなに素晴らしい絆を捨て去って、それでも目指さなきゃいけないところって、一体どこなんだろう?
ウチらの音は、ウチらでしか作れないっていうのに!
世界中どこを探しても、ウチらの音はあの4人の中でしか成立しないというのに!

重かったら、俺も持つ。
二人で重かったら、4人で持てばいいじゃないか。
なんでだよ、吉井!
みんなが自立してないっていうんなら、それを投げかけて、答えを出すまでの時間がもっとあっても良かったじゃないか。

―――――それができないから、解散したんだってことは、充分判ってるんだけど。

答えを出してしまった吉井と。
吉井の意見になら従ってしまう、ヒーセと英二と。
結局押し切れなかった俺と。

今はもう、バラバラの欠片。
4人は音を生まない。

あの苦痛に満ちた極上の日々が過ぎて。
苦しみぬいた恋さえも殺して。

今、ひとりぼっちになって、俺に残ったものは。




車を停めて、朝焼けの空を見上げた。
太陽は先週と同じように昇るのに、ここに立つ俺は、THE YELLOW MONKEYのEMMAじゃないんだ。
あの大きな傘から追放されて、土砂降りの雨は、これからどんなふうに俺を濡らすんだろう。


「歩いていかなきゃ・・・延々・・・か」


口ずさみながら、辿りついた海辺の堤防沿いの道を歩く。


何もかもを手に入れようとするには、15年という月日はあまりに長くて、その間にもう若くはなくなってしまった。
けれど、思い出だけで生きて行くには、まだ若すぎる。
歩きたくもない道だって、歩いて行かなきゃいけない。

ただ、今まで包んでくれていた、大きな毛布は、今はもう無いということ。


両手に馴染んだ曲の記憶と。
愛しくてたまらない楽曲たちを俺の中に、それだけを残して。
俺は。
ここから、旅立たなきゃ。


ポケットの中で、また携帯が鳴った。

ディスプレイを見もしないで、俺は眉を顰めた。

「何だって言うんだよ、あいつは。こういうときくらい浸らせてよ・・・」

呟きながら、もう何度目かのシカト。

溜息が、まだ涼しい朝の風に溶ける。



でも本当は、多分、今一番俺が話したいのは、吉井となんだ、ってことは判ってる。




混乱の中にいる。
焦燥の中にいる。
『絶望』って、あいつは結構お気に入りの言葉みたいだけど、俺としては大嫌いなその状態が、今とても身に沁みている。

そういうのを、一番ぶつけたいのは、吉井にだった。

でも、それはできない。

吉井が悪いんじゃないってことは誰よりも判ってるはずなのに、この気持ちをぶつけるとしたら吉井しかいないと思う。
けど、何度も電話してくる吉井が、俺以上に苦しんでいることは明らかだから、今はできない。
・・・っていうか、したくない。

今、吉井と話したらまた責めてしまいそうだったから。

話したら楽になりそうな気はするんだ。それでも、お互い。
けど、だからこそ今は、二人ともこうやって現実と一人ずつで向き合ってみるべきだと思う。


「だから、もうちょっと待てって」


俺は俺で、もう一度きちんと立つから。
お前の苦しい気持ち、ちゃんと理解してるから。

でも、今のこの感傷のままに、何かを決断したりしたらいけないんだ。

たとえばしつこいほどの吉井の電話の用件が
「やっぱり二人で組もう」だったとしても、「やっぱりもうサポートでも一緒にはやらないでおこう」だったとしても、それは今決めてはいけいない。


もう少し待って。
自分がどうしたいか、きちんと整理してから、お前と向き合うから。


一ヶ月ほど、そんな日々を過ごした。

事務所に言われて、公式コメントを提出して、本当に終わったと思った。

流石にもうちょっと冷静でいられるかと思ったけど、ダメージはホント、吉井と別れたとき以上の凄さで俺を苛めたみたいで、なかなか涙が途切れることはなかった。


end



連作最終回 46.キズナに続く

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