キズナ



8月になって、解散が公になった。
ファンの子達はすごく動揺したみたいで、インターネットなんかでは、ウチのオフィシャルサイトやファンの子たちの作るサイトが大混乱してる。

流石に気になって、そういう書き込みをチェックしてて、「あれ?」と思った。

――――なんか、吉井のこと悪く言ってる人が多いかも・・・。

まあ、無理もないかもしれない。
苦笑交じりに、俺はファンクラブ会員に送付したコメントを捲った。





THE YELLOW MONKEY 解散のお知らせ

活動休止という状態のまま放っておくことが、メンバー全員、スタッフそして待っていてくれるファンのみなさんにとって、健全なことかどうかずっと悩んでいました。
2004年の7月7日にメンバー全員が集まり、休止中の約4年間何をしていたか、今後どうしたいかを話しました。やはりメンバー4人4様でした。結論としてその日をもって解散することになりました。
こういう言い方は変ですが、別れ際にみんなと笑顔で握手をしました。
覚えてないだけかもしれませんが、そういう風にメンバー全員と心の底からの笑顔で握手をしたのは結成以来、初めてだったと思います。なんか凄く清々しい気持ちでみんなと別れました。
某雑誌のインタビューで『自分はイエローモンキーの4分の1でしかなかった。』と答えたように、何から何まで僕は、人間的に素晴しいメンバーに助けてもらっていたと思っています。
メカラ ウロコ ライヴの時、オープニングSEでいつも流していた「愛の賛歌」のオルゴールが家にあり、そのネジを回したら吐きそうになるくらい切なく、言葉では言い表せない気持ちになります。それだけはわかってほしいです。惰性で続けることより、無くすことのほうがどれほど辛いかを。
期待を裏切ってしまったことを許してください。
廣瀬洋一、菊地英昭、菊地英二、そして沢山のファンのみなさんに出会えて、本当に素敵な半生でした。
―――吉井和哉


この四人で音を出せば唯一無二のTHE YELLOW MONKEYであると今でも自分は信じています。それだけでは十分とはいいませんが、あの時よりパワーアップするだとか、上をいくだとかいうことは、時代的に音楽上あまり重要なことではないと今の自分は思いますし、何をしてそうなのか難しいところです。
気持ちや意識、守るべきもの、より大切なものが他にあると・・・。
しかし、その思いと現実には大きな隔たりと擦れ違いがありました。
また話し合う中で、逆に今は「この四人」だから無理なのかな?とも感じさせられました。
活動を休止した挙句、解散という安易で少々時代遅れな結論に至ってしまったことを遺憾に思うと同時に深く反省をしております。
そしてそして何より、休止中、再活動を待っていてくれたファンの方々、スタッフの方々に大変申しわけない気持ちでいっぱいです。
でもお礼は言わせて下さい。
長い間、THE YELLOW MONKEYとそのメンバー個々を愛してくれてどうもありがとうございました。
―――菊地英昭


THE YELLOW MONKEYは、いつまでも僕の誇りであり、このバンドで得た経験や感動は一生忘れられないものとなるでしょう。
再始動を熱望してくれていた皆さん、こういう結果になり誠に申し訳ありませんでした。
でもメンバー全員で出した結論です。どうか受け入れてください。
ファンの皆さん、スタッフの皆さん、今まで本当にどうもありがとうございました。
ROCK AND ROLL!!
―――廣瀬洋一


再活動を心待ちにしていた方々の期待に添う事が出来ず、申し訳ありませんでした。
最終的に解散という結果にはなりましたが、私自身はメンバーそれぞれのこれからの活動にとって、前向きな解散であったと思っています。
THE YELLOW MONKEYの音楽を愛してくれた皆様、それから、今までお世話になったすべての方々に感謝します。ありがとうございました。  
―――菊地英二





改めて読み返すと、なんか俺と吉井のコメントはいやに感情的で、俺のに至っては客観的に見れば、まるで吉井を責めてるみたいだ。
俺と吉井は本当に正直な気持ちでぶつかりあったから、一見これは、解散の原因は吉井と俺の対立と取られても仕方ないかもしれない。
これじゃ、ファンの子達は吉井を責めるよな・・・。

――――凹んでるだろうなぁ・・・。

ふと吉井が沈みまくってる表情が脳裏に浮かんで、ちらりと傍らの携帯に目をやった。

解散から1ヶ月、結局吉井からの電話は全部不在着信。吉井のソロの件でどうしても必要な要件だけは、事務所を通じで連絡するという徹底したシカトを決め込んでいた。
それでも懲りもせず、毎日ほど電話してくるもんだから、俺の携帯はものすごいことになってる。
着信履歴はほとんど吉井になってしまった。
メールは最初のほうは『会って話したい』とか『俺の気持ちは変わらない』とか書いてあったけど、途中から『エマさーん?』とか『電話出てよー』とか、そんなのになってて、今となっては『今日は新しい曲を書きました』とか『この前買ったギターが壊れて修理に出しています』とか、半ば吉井の日記と化してきてて、これはこれで笑える。
挙句の果てに、今朝に至っては『こんないい天気に、エマがもしも傍にいてくれたら・・・』なんて、まるで俺は故人か?っていうような記述になってて、こいつが何のためにメールしてるのかわからなくなってきた。


毎日ほどの一方通行なメールでも、吉井は解散のことについて一度も触れない。
そしてくだらないことばかり書いて、俺を笑わせる。


・・・笑わせる・・・?





あ。





やっと気がついた。

涙がちに過ごしてた俺が、最近ちょっとずつ笑えるようになったのは、この吉井のメールからだってこと。
大好きなエアロスミスのライブに行ってさえ、「もう俺にはバンド無いんだ・・・」とか思って寂しくて仕方無かった俺なのに、吉井のメールで、笑うことが出来てる。

・・・・・・・・お見通しってこと・・・か?



適わないな、やっぱり、吉井和哉には。
自分こそ散々落ち込んでるくせに、つれなくしたままの俺を笑わせようとするなんて。

でもはっきりしてるのは、吉井だって平気じゃないってこと。
それはまるで手に取るように判る。
吉井がこうまで諦めずに繋がろうとするのは、それだけコイツが参ってるってことだ。
自信に溢れてるときはやっぱりこうして積極的で、ちょっとした揺らぎの時期にはすごく悲観的になって、でも更に心が弱ってるときは、まるで母親を求める子供のように追いかけてくる。

今は少なからずマイナス思考な筈だから、ここまで追いかけてくるということは、吉井も相当苦しんでるということ。


「そろそろ、フォローしてあげるとしますか」

そんなふうに、ちょっとだけ周りが見えるようになって、俺はすこし自分が落ち着き始めてることを自覚した。
だからやっと自分から携帯を手にした。

でもその瞬間、また着信音が流れた。

「・・・って、これもお見通しなの?」

ちょっと怖くなってディスプレイを凝視すると、予想に反した名前がそこで光ってた。

・・・ヒーセ?
なんだ?

電話を取ると、久しぶりの、元気なヒーセの声が大音量で耳に響いた。

『ああっ!やっぱり電話に出れるんじゃねぇかよ、オメエよぉ!
もういい加減にしてくれよぉ・・・・。オメエがずっとシカトしてっからよ、ロビンのヤツが泣きついてきて困ってんだよぉ。エマが口聞いてくれないとかって、めそめそしてやがんのよ。
解散する前はずっと会ってなかったのに、おかげであれからこっち、二回もロビンが泣きつきにきたって!』


・・・・・・・・・く。
あはは・・・っ。



なんなの、こいつら。
なんなの、俺ら。
世間はこんなに気を揉んで大騒ぎしてんのに、当のウチらって、なんて・・・相変わらず。


『笑いごとじゃねぇよ、もう・・・。俺だって仕事してんのによぉ。
なぁ、エマ、もう許してやれよ。
俺さ、ロビンが泣きつきにきてよ、ちょっとだけだけど、解散ってやっぱ無駄じゃなかったんだなって思えたんだよ。だってさ、今までだったらあいつ、こんなことで俺に泣きついたりできなかっただろ。
全部自分で背負っちまってさ。・・・って、それはオメエもか』

え?

「ヒーセ、もしかして・・・知ってる?」

『あ?何をだよ』

「や・・・違うならいいんだけど・・・。英二がなんか言ったのかなって・・・」

『ああ?ああ、オメエらのことか?おいおい、俺をあの弟と一緒にすんなよ?とっくに気付いてたって!』


ヒーセは明るく笑って、『次は出てやれよ?』と言って電話を切った。



残ったもの。
それは、記憶の中のイエローモンキーだけじゃない。

俺たちは、こうやって今も繋がって・・・・今までよりも、繋がっている。


歩き出す道はそれぞれバラバラでも、繋がってることに変わりはないんだ・・・。

いずれ、こんな些細な連絡さえ途絶えたとしても、それでも。







数日後、一人で取材を受けた。
俺はそこでやっと
「みんなが吉井に対して風当たりが強いのって、違うと思うんですよ。俺たちがやってきたことに、こういう結果になったことに対して、無意味なものなんか無いと思うから」
と、素直に言えた。



明日、また吉井から電話がかかってきたら。
今度はちゃんと出てみようと思う。

今度こそ、もう逃げないと決めたから。

お前と本当に対等になろうと思うから。


お前は言ってた。

―――――君のすることに無意味なものなどないって
風に流れる髪にも 運命は宿っていて  徐々に。


その言葉に、背中を押してもらった。




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