刹那 |
将来のことを、考えない訳ではない。 それでも、今が良ければいいと思う。 やめてた酒をまた飲み始めたから、久しぶりにエマと二人で飲みにいくことができた。 そこで交わした、いつもよりもほんの少し真面目な会話。 「吉井は不安にならないの?」 せっかくやめた酒を復活させたり、軽くはしたものの減る気配の無い煙草で、時折喉を傷めてみたり、そんな俺にエマがそういうふうに疑問を投げたから、俺は右手のグラスを置いて、少し考えて、「なる」と、答えた。 「なるけど、それって傲慢だと思う」 「傲慢?」 思いがけない返答に、エマの目が丸くなる。 「だって、将来があるって、勝手に決めてるだけじゃない」 「・・・・・・・・・?」 ときどき、そんなことを考えるんだ。 人間っていう生き物が、事実上この地球上を制覇してるように・・・人間の目から見れば、そういうふうに見えてるから、明日も明後日も、10年後も20年後も自分が生きてるように思えるだけで。 だけどそれは人間の主観にしかすぎないんだから、地球という星が、例えば一個の生命体だとすれば、俺たちは単にその上に生息している雑菌程度の存在に過ぎない。 勝手に地球を汚して、勝手に殺し合い、勝手に繁殖する。 だったら地球の意思ひとつで、今にも駆逐されるかもしれない・・・って、思うこと、ない? 「毎日風呂に入ってさ、飛んできた蚊を殺して、俺たち、毎日そういう殺戮してるじゃない」 「・・・ってことを、最近考えたんでしょ?」 「あ、判った?」 二人で声を合わせて、少し笑った。 まぁね。そんなこと毎日毎日、何十年も考えてたら単なるパラノイアなんだけどさ。 「この間、釣り行ったときに、虫除けスプレーかけてて思ったの」 「そんなことだと思った」 エマには全部お見通し。 くだらない俺の思想に引きずられることもなく、それでもちゃんと聞いて同調してくれる。 「でも判る気がするよ、吉井の言うこと」 「そう?」 「あれでしょ?もし地球にとっての一日が、4億年くらいのスパンだとしたらさ、今にも地球が風呂に入る気になったっておかしくないってことだよね」 「そうそう。だから後悔しないようにしておこう、と」 「根の深い刹那主義だなぁ」 くすくすと、エマが笑って茶化す。 「刹那主義とは、ちょっと違うよ」 少しばかり口を尖らせた俺に、エマの笑顔がすっと近づいてきた。 薄暗いバーの隅っこで。 そんなに人目はないけれど、それでもこういう、『外』で。 ほんの数秒、エマの唇が俺の唇に重なった。 「え・・・えっ?」 咄嗟のことに驚く俺。エマは平然とまたグラスを傾けた。 「ひ、人が見てたらどうすんの!」 幸い、誰の目にも留まってなかったみたいだけど。 「別に?今がよければいい」 「エマのがよっぽど刹那主義じゃん」 うろたえてしまう。 こんなこと、初めてだから。ステージ以外でキスしたのも、それがエマからってのも。 エマは「違うよ」って、また笑う。少し、目元を赤くして。 「地球が風呂に入る気になる前に、俺も後悔しないようにしとこうと思って」 さらっと言ってのけてるけど、それって・・・この言動って・・・。 もしかして、やっとその気になってくれたってこと? 知り合って、二十年ちかくかかって口説き続けて、やっとその気になってくれたってこと!? 「こんなに長く考えて結論出したんだから、全然刹那主義じゃないでしょ」 地球上にこんな展開が待ち受けてることもあるなら。 この先、何億年でも、地球が風呂に入る気にならなければいい、と。 初めて思った、持論がすぐに変わってしまう、俺は刹那主義? end |
まだ付き合って無かった二人!この話は 80.イノセンス に続きます。 |