カズオ・イシグロの「白熱教室」をようやっと観られた。本人は長崎に生まれて5歳でイギリスに渡り、以降イギリスで暮らす。家の中では日本的な生活があり、家を一歩出るとイギリスの生活が待っている。
デビュー作で書いたのは自分の記憶にあった「日本」で、本来の日本ではない。個人的な記憶に基づいた日本像で、これを小説の形で書き残して保存して、遺しておきたいというのがそもそもの執筆動機だった、と。
この辺りがアタシにとって非常にクリティカルな部分で、「小説を何故書くのか」それは、各個人が記憶や感覚に残している「あの感じ」を安全なところに遺しておくためだ、という回答が非常に腑に落ちた。 ゆえに、誰もに小説を書く動機は存在する。
んで、第一作品を書いて欧米で読まれた時に「個人の中にある『日本』」だったはずのものが、読者によってはステロタイプな日本だと誤解され始めたことが厭だという話になる。 ここから先が発見で、第一作品で書いたものを舞台をイギリスに、主人公を画家から執事にシフトすることによっても同じテーマで小説が書けてしまうことに気づく。この執事小説が出世作となる『日の名残り』で、主題さえ固定していれば話の筋や舞台設定はどうシフトしても書けるのだ、と話は展開する。
後半のメタファーの話はそんなに惹かれず。
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