やっぱり広末はいい、いいんだ。ながちろです。
なんかこう、最近書いてないでもうしわけない。 そもそもまともに日本語を吟味してどうにかしようという余裕や気持ちが失われている。ないのです。ちゅのも忙しいから、と一言で済ましてしまうのはアレですが、なんというか、土砂崩れがあって、どこから処理して行けば一番効率がいいか、というのに似ている。闇雲に掘っていったらどんどん頽れてくし。上から処理していくには足場を作らねばならないとか、そんなところです。
丹波哲郎さんが亡くなって、なんだか非常に不思議な気持ちになったのです。和気藹々とした遺族の会見。ずいぶん亡くなった父には触られました、なんて息子の嫁。何か非常に気持ちがいいのは、まったく死を恐れる様子がないのがいいのです。宗教が、うまいこと機能している。
だから、宗教家というのはこれでいい。なんで宗教があるか、それは結局死だとか、不幸だとか、事故だとか、自分ではどうにもならない不安を軽減するためにあるのです。これはどんな宗教でも同じようです。アッラーと契約する、阿弥陀仏が救ってくれる。そういう信仰がバックボーンになるから、人は不安から解消される。 だから、科学でもいいんだよね。僕の未来は大きな生ゴミ、海の漂流物。これでもいい。とにかく、自分の中で、未知のものについて納得できれば、いいわけです。これをまあ、悟りという向きもあります。完全に信仰して死を恐れない兵隊になった一向一揆とか、 そういう意味では、丹波さんはよかったのだな。さすが大霊界だわ。と思ったわけです。 為念、べつに丹波さんの「大霊界」が好きなわけじゃないですぜ。最近よくわからねえ読者がいるから、一応書いておく。
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