痛風だと診断されたのが五日だから、あれから五日たったことになる。炎症もずいぶん治まったので近所の医者に行ったが(初診である)、やはり腫れが完全に治まらない限り、次の段階の治療にはいけないということである。 だとしたら仕方ない限りで、安静にしておくほか無い。 皮肉にも閑居の身ゆえ、黙々とキーボードを叩くことはできる。
讀賣新聞の日曜版の星占いに「自分磨きと癒しに投資を」とある。別のところでは「自分が楽しいと思うものを追求して吉」とあった。 悩んでいる。 なにが、楽しいのだろうね。今。 楽しいということは、心が元気な状態であります。実は世にいう癒し系というのは癒しなのではなくて、単にボーっとできることを指している気がする。 問題の本質はそこじゃないよね。癒しによって培った元気を、どうその後の生活の活力にしていくか、でしょう。単にボーっとするんだったらベンチでぐったりしていればよろしい。
とした時に、自分は一体、何が楽しくて今の生活をしているんだろうね、というところに行き着くわけだ。 横になりながら、3時過ぎまで考えていた。
なにも、どこも、たのしく、ない。
楽しいものを淡々とあげていく。 My favorite thingだねどーも。
・セックス(ここ一ヶ月無い)。 ・組曲「ニコニコ動画」で職人の才能の無駄遣いを見る。 #この時点で無駄遣いじゃないんだよね、彼らも。 ・人と喋る(特に、喋っている内容に進展がある場合)。 ・働いているとき(そして、作業が停滞しないとき)。
でもあんまり、これらも「夢中」とは程遠い。 小説も面白くない。
これの理由はわかる。 書き手と読み手の温度差という言い分が通るとしたら、この「温度差」に寒気がする。
まぁ、アタシがここで何を書こうがたいしたことはないと思うので書きますが。根本的にネット小説の書き手ちゅのは、いい読者にめぐり合わないよね。 いい読者というのは、読書を暇つぶしにしない人たち。 芸術というのは暇つぶしかもしれないけど、そこにマジな人々。通称、馬鹿。 芸術を日々の養分として吸収して、一食抜ける人たち。
馬鹿が創作について真剣に喋ったり盛り上がったりするから、始末が悪いし、楽しいし、救いようがない。
そうそう『デスノート』読んだの。4巻まで読んで「ん?」と思って、最終巻を読んで、もういいやと思ってしまった。 あれは、「ハブとマングース」ショーよね。 興行主が、ハブとマングース戦わしたら客が誘致できるんじゃないか。ついでにお土産も買うんじゃないか、という魂胆で興行している、から、観客もウワ−とかキャーとかいいながらも、でもそこまでしかない。 メディアミックスはしやすいよね。
でも、あれはエンターティメントとしてアタシゃ認めない。 アレを持ち上げるメディア各社が、心底みっともないんじゃないか。 ああいうのを書いたら、クリエイター魂としては、オシマイ。なように思う。
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