何が別の名義がほしくてウロウロするのです。 Wikipedeiaで12月24日の項を開いて、高山樗牛が死んだの、リビアが独立したの、福島瑞穂が生まれたのとなんらか理由をつけて耶蘇の大将の誕生日から逃げようとする。なにも前の日まで祝わなくていいじゃねえかと思うんだけどね。それじゃあなにかい、潅仏会の前日は祝うかお前ら。甘茶浴びあって蟻でも寄らすか君たちゃ。 三船の命日ったらいいじゃない。娘もかわいいし。
今年一年の総決算のような日でした。最近出来た友人のライブが渋谷でありまして、てくてくと夕刻出かけていった。いつものようにライブハウスのウェブサイトで地図をなんとなく確認して(西口から出て歩道橋を渡って云々)そこまでいけばあとは歩いてくるうちに出てくると思うじゃない。それが、見えてこない。だいたいこのへん。歩くのは好きですからいいんですが、でもうろうろしているうちに時間はたちますよ。 6時開始で、ああ、7時半になったなぁ、と思ったので諦めました。ずっと歩いていた。バンド4つ出て、まぁ持ち時間40分としても、もう終わってるよね。ここで携帯電話なんかあれば会場にいるであろう人に電話したり、モバイル機能で地図を呼び出したり(最近アテにならないけど)できるんですが、ふらっとでてしまうと携帯なんぞポーンと忘れてしまいますな。それだけ緊張感がないのか。ないんでしょうな。 で、まぁ、論理的にここしかないだろう、というところでハタと店の名前を忘れている。こうなると手も足も出ません。で、帰っちゃった。ライブチャージが浮いたので、その足ですき屋行って豚丼大盛り食べちゃった。
人の「縁」というのは大事です。今年も少なくない人に出会いました。けっこう別れもありました。お世話になった人ともずいぶん疎遠になりました。 でもなんかなぁ、あんまりその執着というものがないのよね。新しく人と会うのは嬉しいけれども、別れるのもあんまり辛くない感じ。でもそれって、自分の中でのその人と逢うか逢わないか(好みの問題)と自分にって役に立つか立たないか(実利の問題)を秤にかけてどっちが重いかという取捨選択でしかないのよね。かっこういいことをいっても駄目です。けっきょくいい人ってのは、自分に都合のいい人です。 その辺、非常に正直に生きてきてしまったので、ライブ会場にたどり着かなくて夜間の渋谷散歩になってしまったのも、まぁそれはそれで悪くない気がするのです。豚丼もおいしかったしね。 縁があればまたどこかで見ることも出来るだろうし、そういうのも否定しません。いや、見たい気持ちはあるんだけれども、でも、案外、必然的に出遇う時期ってあるかもしれないなって思ったりするのです。 今は縁がないんだなぁ、という。
そういや今年一年、そう云う感じだった。 それだけは感慨深い。
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