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彼岸録

ときどき、12歳以上推奨。心して御覧下さい。


今年のまとめ! 2003年12月31日(水)

 あと6分で年が明けちゃうよ! チクショウ!

 今年はジェットコースターみたいな一年だった!

 以上! みなさまよいお年をお迎えください!
 じゃ!

+++++
 ↓あとで、のんびりしたら書くスペース。

 書く。よくよく考えてみれば、皇紀2663年は(今年ですョ)未曾有のアップダウンを迎えた年だった。
 研究の方で賞とったし(今年はこれの賞金で食いつないで生き延びたようなもの)、会社辞めたし(關係者各位、いまだにトラウマになっています)長期アルバイトで小銭を稼ごうにもバイト30件応募、全部落ちるし、二度の関西遠征はあったし、よりによって詩でチャンピオンとれちゃうし、秘書は出来るわ、バアさんは倒れるわ、六〇〇スタッフは倍増するわ……いや、今の稼業を考えた上で、平穏な暮らしを望むのが無理な相談かもしれない。でも、来年こそは、もっと実入りのある仕事をしたいじゃないか兄さん(誰だ)。ライブも今年二回出来た。これはこれで、いい。
 べつに忙しいのは全然かまわないけど、作業した時間分くらいのお金は欲しいなぁ、と思う昨今であります。

 来年どうなるかなんて五里霧中。さてはて。

晦日 2003年12月30日(火)

35,593 byte

↑意味もなくデスクトップをあげてみる。テキストデータだらけだ。

 最近の日記、書きたいコトは山積みなのだが、いかんせんいつもの悪い癖で長文になったり、趣向を凝らしたかったりで、いろいろ。その一方で、明日までの原稿一本、なのである。六〇〇の更新もあるし、大忙しだ。
 今日は大掃除。にしてもあれだよな。これだけ土埃と綿埃に溢れる家もめずらしいんだろうな。玄関には苔が生えてるし。

 以上、取り急ぎ更新遅延阻止。

個人的にヒロスエ婚約を遥かに超える衝撃の婚約 2003年12月27日(土)

 こんな検索をかけてやってきた御仁がおったげな、そういや姫様はどうしとるかいの、と見に行ったわけじゃ。公式サイトの更新はさっぱりじゃったが、でも、ファンサイトであるTHE・フクマニア(仮)に出かけていったわけじゃ。

 フクマニアさんから恐れ多くも抜粋。

 福間さんは2002年11月に結婚し、先月11月29日午後5時25分に3058グラムの元気な男の子を出産されました。
しばらくは子育てで忙しくなるので、ライブはお休みするそうです。


 なんと!

 いや、ヒロスエもすこぶる好きなんだけれども。精神的な支えとしては未紗姫に支えられるほうが俺としては大きかったものな。ヒロスエに対する欲望が「やりて〜」だとすれば未紗姫は、まさにアイドルだったと。
 創作における「自助」からユイスマンスを教えてくれたのも彼女だっけか。自身、四枚目のアルバムを作るまでが苦痛で苦痛で、自分自身を救うことで周りも救える、という5thアルバムの「Drop will kiss」略してドロキスなんかすごいぞー。ギター二本と声だけ。

 癒しなんて生あったかいものじゃない。あれは、まさに、浄化。自分自身の浄化アルバムありますか。おいらはこのドロキスと友部正人の「にんじん」にたまの「ひるね」かな。さねよしいさ子の「GOLD」もいいぞう。
 閑話休題。

 「福間未紗への100の質問」でニューハーフ疑惑(自称)もあったけどなぁ。でも、結婚してたのかぁ。お子さんもいるのかぁ。

 ……くっそー。ヒロスエのときより、くやしい。これは、くやしい。

平賀源内展 2003年12月26日(金)

 両国の江戸東京博物館特別展示である。横尾忠則のポスターがなかなかに粋である。

 実際にエレキテルのレプリカで発電実験が出来たり、博物学者としての源内の多趣味ぶりが出ていて、企画としてはかなりよかったのであるが。
 でも、やんぬるかな、源内自身の作品はそれほど残っていないようで、源内がインスパイアされたであろうモノやコト、ひいてはみなもと太郎の漫画までひっぱりだされて、企画側の努力は見えるのだが、タイヤキの六割ぐらいしかあんこの入っていないような、残念な感じだったといえる。
 博物館のレストランでは、うなぎ柳川丼・源内の味なんていう特別料理が出ていたので頼んでみたが、やっぱりうなぎはうなぎだよな。ゴボウとセットじゃないほうがいいなぁと。940円。以上、クリスマスディナー。
 オニイサンノでぃなーハ楽ディィナー(減点3)。

精霊ヨサブソン(これ、曲作ってみるか。) 2003年12月24日(水)

 12月25日には、皆様御存知の通り、

 蕪村忌

 である。与謝蕪村(1716〜1783、江戸時代中期の俳人・画家)の没後、今年で折りよく220年を迎える。街では蕪村カラーである赤を基調にした装飾で(※1)溢れ、彼の好きだったかしわをみんなで頬張る、と。
 そんな特別な日に、家のものが風邪で倒れておりまして、致し方なし冬の空。まぁ、なんかするかいということで年賀状を郵便局に放り込みつつ、寿司を買ってビールでも飲もうかと。ワインでもたしなもうかと。もらい物のケーキもあるし。
 仕事場からフラフラっと出ようとして、なにやら全身に違和感があるのです。湯沸しやかん。ヘイベイブ、今年の風邪はゲロだのゲリだのに來るんだってな。うねる大腸に負けて一旦帰宅。もう一回出直して、駅前のトイレで沈没。ヤバい。寒い。でも、ここで倒れたらもっとヤバい。便所で気合を入れる。肛門が痛い。それにしてもアレだね、持ち込まれたウィルスにこんなに簡単に引っかかるって、免疫力が落ちているに相違ない。
 おさまってきたので、蠕動を脅かさないように店を出る。寿司屋で寿司を二皿頼む。また催してきて、同じトイレに逃げ込む。駅ビルの、本屋の脇の、ああ、なんかみっともねー。便意はないのに胃と腸が痛む。やだねったらやだね。這って帰る。横になるとそのまま意識が飛ぶ。

 目覚める。胃腸の違和感をトイレで沈めて後、(※2)また駅前に出かける。寿司を受け取る。ケンタッキーも食べるかな、と思って出向くと長蛇の列なので、蓮向かいで店頭販売されているマックナゲットをわし掴む。這って帰る。かなり楽になっている。

 ビールを飲む。そっと寿司を食う。
 回転寿司屋なのに、うまいんだ。これが。

 適当に食って後また横になる。10時過ぎに目覚める。コーヒーを煎れて呑む。ああ、よくできた。

 現在(23:58)に至る。……なんだ、健康じゃん。
 変なのは文章ばかりなり。

 +付録+

 蕪村に関してはこちら。
http://www.nime.ac.jp/~saga/busonj.html
 ハイデガーとの比較論もあるし、楽しみに読むことにする。

※1:嘘です。
※2:いちょう、で変換したら鴨脚樹、ですって。妙に感動する。確かに違ぇねえ。

第2回QMUSIC、だとー。【R指定】 2003年12月23日(火)

 第2回QMUSICSバトル! (←リンクをはつています)

 庭 VS ながしろばんり(第1回QMUSICSバトル勝者)

会期:12月22日より1月15日まで
投票:12月22日より1月15日〆切り
結果発表:1月17日

 なのです。庭さんは「BUDDAH RAPED ME」を、オイラは「うさぐるみちゃん」で参戦しております。

 そう、うさぐるみ。
 だって、クリスマスだし。
 だって、季節柄、これしかなかったし。
 本当は「ドンガラ」も「雨」も「在東京少女」も「聖歌・愛ヲクダサヒ」もあったけど、冬だし、温かいのを選びました。

 「うさぐるみ」と聞いて「あらきあきら!」と答えられる人は相当なものです。元ネタを知らない人は、是非是非検索をかけないで下さい……って、ググルで検索かけたら5件だよ! ベフ〜というかなんというか。

 えーと、セルフ解説を入れますってぇと、この作品、あらきあきらの『いけないおねだり』(海王社、1998年7月10日)というエッチ漫画の一編である「うさぐるみちゃん」という短編から出来ております。まぁ、うさぎの着ぐるみを着た少女とエッチしてしまう話ですが、最後のコマで「のらのら〜のらうさぎ〜」と歌っているコマがあって「ああ、これに節をつけたら可愛いかんべぇ」という思惑で、一気に書きました。一方、淺川マキっぽい曲を作りたかったんです。アホか!

 ……なので、

 本当は女性に歌ってほしい。

 音をいじるソフトを入手したので、後ろにパーカッションを入れたり。スナップを入れたりと、多分今まででもっとも豪華な録音になってます。
 是非是非、男声のむささにめげず、聞いていただければ。投票締め切りは1月15日です。どうぞよろしく。

現代文学会2003年大会 2003年12月20日(土)

  現代文学会2003年大会のために専修大学。今週行っても専修大学、なんつて。今回のメインは小林恭二と佐藤亜紀のお二方。

 ちと気になったり色々なヒントになった部分だけ抄録。

・ 数多くの人間が俳句に流れたため、俳句を主宰する側としては万人向けに敷居を下げなければならなくなった。結果、飽和した人間のために俳句という機構自体のレベルが、ことごとく崩壊した。

・ テレビゲームという筐が物語を受けとめるものとして適当かどうか、というと、ビジュアルとしての性能はものすごく高いが、ストーリーテリングとしての機能については、開発者が棚上げしてきた分、たいしたことはない。

・ 小説は、芸術というジャンルで最も、観賞に時間のかかる分野である。

・ やる気なさそうにずっと朴杖をついている佐藤亜紀はもう呼ぶな。いや、無愛想だったり歯に絹を着せなかったりするのはキャラクターとしてありだとは思うが。

・ 文学賞というジャンルにおいて、少しでもクセがあったり重かったりするものは、どうせ二次選考で落ちるので、一次選考でも通らない。

・ 小説家になってしまえば、いかに小説冬の時代といえども、何とか食っていける。

・ というのも、20年前からとっくに冬の時代だからだ。

・ 視界は青山学院大の助教授らしいが、ようやくはミスるは、よくわからないフォローを入れるは、司会としてはろくでもなかった。

・ 執筆にワープロを導入したのは、阿部公房が最初で、小林恭二が二番目。なお、阿部公房のワープロは4000万円。(当時)

 ふーむ。
 ネット文芸なんてものが興隆するようになって、この「敷居」というものが常に意識としてある。某Qなんかだと「難しい事はヌキにして、紙と鉛筆があればいいじゃん」みたいなことを前面に押し出しているわけだが、それじゃあなにか。例えば詩のバトルにしろ小説のバトルにしろ、才能と運だけで勝負を決めてもいいことになってはしまわないだろうか。でも、アイデア勝負だとか才能に頼るってのはつまり、自分自身にたいしての根拠のない自信みたいなもので、まーなんだ。少々手間のかかる福引みたいなものでさ、そんなんで楽しいのか、と。もっと離れてみれば、自分の切り売りなんだから、いつかは潰えるぞと。しかもだ。金を払ってまで自分を死に追い詰めることもねえんじゃないかな、と。

 ま、花が咲くのはいつかわかんないけども。
 鍛錬しやうぜ。まぁ、現状を知るってな意味では面白かったが、だからって感服するかっていうと、ちーともせんかったな。うむ。

まぁ、そりゃそーだわな 2003年12月18日(木)

 柳。猊下からもらった靖国神社の御神酒を飲んでみる。恐る恐る。
 そもそも、300ml入り日本酒ってのは、どうも信用がならなかったんである。思い出すのは、石和温泉のホテルである。部屋の冷蔵庫から取り出した日本酒が、これがあんた、煮詰めたら砂糖が出来るんじゃないか、というざりざり感。うえっぷ。口直しの水割りも全然相手にならず、そのまま、日本酒の小瓶は鬼門! だつたのである。熱海で買った美少年(語弊があるなぁ)も微妙だったし。基本的に甘口の日本酒は駄目なんだろうな。ので、おそるおそる。一応作ってるの兵庫だし。日本酒の名産だし。

 ……ふぅ。

 いや、甘口だけど意外や意外、旨かったです。口当たりがいいのでサクサク呑めてしまう感じ。つまみのサバ缶との相性も、悪くない。
 まぁ、そりゃそーだわな。靖国神社で出している日本酒が、不味いわけが、ない。やっぱりこの辺、神社の威信とかなんとか、かかってくるだろうし。

 お神酒の飲み比べ、なんてどうだろう。

 ふと、そんなことを思ったり。
 猊下、ごちそうさまでした。

亥烙祭文・超訳 杜甫「兵車行」 2003年12月17日(水)

 戦車ズンズン馬ヒンヒン 腰にバルカン携えて 爺婆妻子に旗振られ 舞った埃か別れの涙 横須賀港が滲んで見えて はためく袖の涙も癒えず 糾声昇りて天路に至る 路行く人は憑かれ顔 ちっちゃな頃から悪ガキで 十五で北方ダム作り 四十で西胡の屯田兵 ピチピチピッチの黒髪も 帰りにゃ乾いた灰のごと 槁木死灰を埋めるべく アクリル砂漠に突っ込んだ 砂漠に小泉あったなら 喉の癒しになろうけど 繁み(※)の脇の泉なら 血しか湧かないことだろう

 次回は<君不聞漢家山東二百州〜>より。



 ※ Bush.

いくつになっても 2003年12月16日(火)

 高校の連中と忘年会。まー、忘れたいこと多かりき。いい年をして、まともに会社勤めをしているのが1/12というのはいまの日本の現状を以下略。もうなんでもいいやね。生きていれば。五体満足で幸せ。大して変わりもしないであろう面々を見送りつつ、ウルフなどとちょっと呑んで帰宅。あー、がっつり呑んだ。

極私的ヒロスエ 2003年12月15日(月)

 山の手線に備え付けのちっちゃいテレビが好きだ。なんだか得をした気分なのである。(みみっちいねどうも)
 シャベリオーネなんちゅう英会話クイズをぼうっと見ていると、画面に見慣れた名前がある。慶應大学の唐須教授が監修。へぇ。オイラはこの人に言語学を習った事があるぞ大学で。慶応の英文科の先生に"Finnegans Wake"のレポートを出すという大それたこともしたものだが、へぇー。
 そういや、「笑っていいとも!」の出演オファーを断ったという話もしてたな。そういう、犬が大好きの、いい先生である。うむ。

 三鷹から新宿経由品川経由新子安。年明けから作り始める新雑誌の打ち合わせ。どうかな。元々が論説系のものが多かっただけに、今回打ち出した「あくまでも娯楽読み物」という目算がとこまで維持できるか、が焦点となろう。帰りは鶴見駅前で寿司食って帰宅。お米が美味しいってのは、いいことだ。(ムグムグ)

 お神酒二本もらう。オオキニィ!

 追記。これを忘れていた。
 鶴見駅前の古本屋にフラットはいると、映画「恋愛冩眞」のときのヒロスエの写真集発見。1900円なんだけれども、店員に値段を聞くと100円だという。ヒィ! いただきますいただきます。『New York RH Avenue 2003』(enterbrain)なり。家宝にしまつ。
 ヒロスエのアイドル性をとやかく云うのだったらはじめっから問題じゃなかったように思う。どうかな。これは結果論でしかないけど、写真集『No Make』にしてもアルバムのジャケットにしても、やはり表情や視線に「妖しさ」がある女性だと思う。まぁ、オイラの事を知っている人間ならここまで来てピンと来るのだろうが、よーするに、「ポスト戸川純」としてのヒロスエなんである。うっふっふ。駄目かねぇ。駄目だろうねぇ。
 ので、ヒロスエの本領はプッツンと呼ばれて以降だと思いますがどうか。あのなんだ、田村正和が蕎麦屋やってるドラマのときがいちばん酷かった。うむ。
「びーびーしよっ♪」でeAccessから真剣に乗換えを考えたのもいい思い出です。お幸せに。ぎゃふん。

 私信>ミムラ、でしたっけ。あの子いいねぇ。

対CoC・公開作品推敲(5・追記) 2003年12月14日(日)

ねずみ色新宿迷路閃いて浴びるほどにも百年の孤独
オレンジの腫れぼったさで瞼にもキスした後の燃え上がる痕
八咫烏夕日の赤よまばたきに石段降りる二人留(とど)めて
あこがれはかなしや現一点の鋲留もなく冬の空色

 宇多田のCOLORSぽくなってきたな。コンセプトが。

 やっぱりこれはアレだ。基本に返ろう。
 タイトルはダジャレ。で、情けない男、アイテム一つ。アイテムは……うむ。電線の鉄塔。電線の鉄塔……うーむ。

 おお。


 後藤を待ちながら

ぼくは 鉄塔の下で
後藤を待っている
みよ子なんて、呼べないもんだから
後藤
さんを待っている

ニットキャップの下は汗ばんで
一月の空の下で汗ばんで
指先はすっかり凍っているのに
頬の火照りは、おさまらなくて

鉄塔の遠く、遠くはるかまで
いっせいに、いっせいに鐘がこだまする
早く、初詣に行かないと
後藤さんは、じつは鳥目なのだ

丘の下の、二つ先の鉄塔の
赤いフードの後藤さんに気が付いた
あ、
待ち合わせ場所をまちがえた
怒られる
後藤……さんに。


 どうかな。

対CoC・公開作品推敲(4) 2003年12月13日(土)

 連作短歌、か。
壁越しに肉色ブルースかなしくてまた目の前の乳房に縋る
心臓に青い破片を縫いこんで高田馬場のカレー屋に居る


 六〇〇詩板、より。

やい、ネズこうめおまへのシッポなんか何の役にもたたず禿げちょろげてゐる。
高天原の野原の松の木の下の根本の根ッ切り虫さえ卵が五十もあるのに
君は餃子の詰めものでびちゃびちゃと遊んでいるだけぢゃあないか。
君なぞ市場のぶた売り場の横の
紅いもをすこしでも洗っておくといいのに
ああほいほい


<指先がもう来ないよと云う代わりキーボード打つ夜中のこだま

積み上げた履歴のあぴゃぴゃしみちょびれもう二度ともう二度と逢わない

夜の色に染まる心を待ってゐるあの子が欲しい電子メールの

恋と変は両立しないのあまつさえ愛と受けなんかなおさらに

くちびるは予想以上にやわらかい好きという言葉さえも出ないほど


言葉は花びら
世界は砂の上
水道橋の上で
木の管を枕に
眠る
轟々と流れる
水の音は多分
どこかの井戸
底奥深くまで
沈む
夜の明けない
予感さえある
独りは辛いよ
肺のノイズを
聞く


うーむ。

ぎゃー 2003年12月13日(土)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031213-00000030-nks-ent

 ……しばらく、再起不能。

のこいのこいのこいのこ。 2003年12月12日(金)

 私信:オイラはデパートなどに入るとき、もうすでに誰かが使用済みのビ二ールを拾って傘にかぶせてつかうことが多いです。複雑な心境。
それにしても、パタパタママだの、まる・さんかく・しかくだの、周辺はポンキッキブームか、もしくはのこいのこブームか。以上私信。

 おつかい。床に敷く用のコルクボード30枚を求めて自転車でズーコラズーコラ片道50分。長っ! これだから三鷹は東京唯一の共(中略)と呼ばれるんだよ。もう。
 売られている柿の苗やらイチジクの苗やらにモノ欲しそうな顔をしつつ、要件を済ませて――工具売り場で真ちゅう製のハンマーがいたく気になる。ゴールデンハンマー!柄の部分を廻すとプラスドライバー1本にマイナスドライバー3本が出てくる! 先っぽのとんがり具合も気になる。ほしい。ハンマーブロス、でも、トンカチだぜ? 買うのか。買ったけど。嬉しいよね、こういうのが手元にあるだけで、なんだか元気なのである。なんなんだお前は。

 午後は中野。
 ブロードウェイのまんだらけマニア館に突進して吾妻ひでお『妖精の森』を探すも、とっとと売れてしまった模様。5000円じゃあ、そりゃあ出るよなぁ。いや、漫画の単行本(A5版)一冊に5000円出す感覚が異常だという突っ込みは甘んじて受けよう。
 でも、だ。神田の中野書店価格が10000円であった。
 5000円。初めて見ていたときに財布に紙幣が入っていたら、迷わず買っていただろうに。

 ガッデム。とぼとぼ帰宅。小雨に空気が冷たい。

海外のニュースより/ギュンターグラスの詩論(メモ) 2003年12月11日(木)

http://tw.news.yahoo.com/fc/fc_earthquake.html
 台湾で震度6だか7だか。
 もとカノがいる。えらく心配になる。

 あれだ、台湾のホットメールに送るのって、日本語じゃ無理かしらん。

 追記:小骨姐さんから突っ込みを頂いた。マグニチュードが6か7で、震度は5か6なのだと。ホットメールの件についてもアドバイスを頂いて、祝着至極でやんした。<03/12/11/23:28>

***

 それはさておき。ネタに困ったナガチロは詩の本を部屋から探してみることに。ああ、ギュンター・グラスの詩集(小沢書店)があるじゃないか。

 ぴぽーん。

 最初の断言は――良い詩は全て機会詩である。悪い詩はすべて機会詩である。ただ、いわゆる実験室の詩にだけ、安全な宙ぶらりん状態が、つまり、最良では無いが、最悪というのでもない、ひととおり才知だけはあって面白くなくはないという状態が保留されている。
 以上のことを口にし、主張しているのは、一人の機会詩人である。彼の怒りの対象は、機会が来るのを待つことができない詩人、夢の実験室に閉じこもってしまう人士、辞書からの引用をたっぷりやらかす人士、朝から晩まで言葉を、言葉という原料を相手にして仕事し、饒舌で、沈黙とやらのそばにいつまでもぐずぐずと間借人のように住みこんでいつも言うに言われぬものを追求している人士、自分の詩をテキストと呼んで、自分が詩人と呼ばれるのは嫌いで、それではなんと呼ばれたいのか判然としない、要するに機会も詩神(ミューズ)も持たない連中――御婦人のこともあるが――に向けられている。
 自分の方法について何頁にもわたって述べることができる実験室詩人がエッセイストとしてなみなみならぬ手腕を発揮することが多いのに反して、機会詩人はおそらく自分の詩の書きかたにまともな説明を加えるのが苦手な詩人である。(後略)    (※1994、飯吉光男・編訳)


 ……ハァハァ。(1〜3)で云ったことに、見事ぶち当たった。
 この後「実験室詩人は、機会詩人のことを『古風な秘密主義だ』と揶揄する」とあるが。

 いや、そうじゃないだろう。機会を待てないだけなのである。うううう。

対CoC・公開作品推敲(3) 2003年12月10日(水)

 天使の兵隊。文庫版『パタリロ!』の十巻目のサブタイトルがこれだ。よし、これをすえてみよう。
 で、単純に純愛路線を放り込んで攪拌。

 天使の兵隊
                 ながしろばんり
 もういくつ寝ると   空高く
 うさぎのいる月まで ただ高く

 ねえ 鉛の兵隊は どこまでいくつもりなの
 ねえ 天使の兵隊は 足並みそろえて峠越え
 あぁあ。


 天使って云った時点でイスラームか、キリスト教のニュアンスが出てくる。兵隊、アメリカ? いやいや、今反戦をやるほど馬鹿っぽい事はない。意味が無い。
 (1)で出すと、このあと彼岸花が出てくるが、統一感が無いので、なんか、違う。却下。
 BGM:たま「そんなぼくがすき」
12月1月はたまの「そんなぼくがすき」がみんなのうたでながれるらしいです。火木のお昼。いい曲なので是非是非、効いてみてほしい。

 あ、「そんなぼくがすき」からそれっぽい素材を。
♪ロケット花火のふりをして そのまま空に消えてった
あの子の残したこの星で 一番素敵なお話さ


 うーむ、ロケットつながりで平沢進の「ロケット」。

 ♪ヘイホー 君よまたいつか
  遥か二人生きた日の 虚空へロケット


 うー。あー。根本的に、駄目かも。

対CoC・公開作品推敲(2) 2003年12月10日(水)

 D賞の原稿郵送完了ー。青野姐さんもR−18通ったようでおめでとうございました。「コロッケ」読んでます。印刷までして編集者らしく赤ペンでチェックまで入れる始末。

 さて。

 大体、QBOOKSでうける詩の傾向って、むしろ形式的な何かよりも、気持ちの優先したものが勝利を収める傾向、というのがある。それはナニカって言うと、変に小手先で調理したものよりも、もー、自分の呼吸のリズムで、自分の気持ちだけで押し切っちゃったやつの勝ち、みたいな傾向である。
 作家と読者による投票形式で勝者が決まる。これは一般でいうアマチュア文藝集団だからしょうがないのかもしれないな。ものすごく口の悪い言い方をしてしまえば、詩や小説なんかロクに読みもしないような読者が、ものすごく薄いところで判断をしている、というところがある。批評は誰のためだ、何のためだなんていう視野狭窄ぶりをひけらかしている場合ではなく、ただ、作家側の作品への砕心まで読んでくれるかというと、そうではない。
 口の悪いついでに云ってしまえば詩に関してだけ言えば、「たまたま調子がよかった」ことが理由で充分票がもらえる土壌だ、といっても過言ではない。たまたま書きたい熱があって、言葉がこぼれ出てきたら「いいじゃん」てことになっちゃう。Qの某スタッフも日記で<詩人バトルもそういえば上位にあがるメンバーは偏ってきているような気がします>なんてかいてたけど(文体でバレバレだね)所詮センスにのみ寄りかかって書いてるから、波長の合う人間が詰まれば票だって集まるだろう、とは思う。初めにセンスありき。でも、次はまだない。だからこそ、運がよけりゃ、勝てる。

 と、以上のコトを踏まえて。

 だからこそ、オイラみたいな小手先変化球野郎は、ヒジョーに不利なんである。明後日は海、どうやって書いたかなぁ。あれはそうだ。近所のコンビニに牛乳を買いに行って、本当に遠くから花火の音が聞こえてきて(昭和の森かな)、で、ふと思い出したのである。わが親愛なる先輩である宇田川豪大さんの「明後日は、海」という舞台を。
 舞台については結構みっちり書いたのであるが、花火の音と潮騒の音がシンクロする。で、なんだか知らないけど、このワクワク感。ああ、これをなんとかわかりやすいかたちにしよう、というコトで同棲中のカップルになる。薄い胸に耳を当てて、二人でワクワクを共有する。いっちょあがり。ふぅ。

 勝つためにはあれ、だ。そう、詩にしたい強い気持ち。ワクワク感って奇跡みたいなもので、1月11日の締め切りに間に合わなかったら、アウトなんだわな。

 なんとかせな。降りてくるのを待つ堪え性は、オイラには、ない。

対CoC・公開作品推敲(1) 2003年12月10日(水)

 現在某D賞の校正中。お昼なのでちょっと一休みだ。

 去年の今頃からQBOOKSというサイトにお世話になっているが(執筆者としての参加は4月からだけど)。つい9月のこと、チャンピオンをとってしまった。

 よりにもよって、詩で。

 Σ(°д°

 昔は当サイトの詩を単なる怨恨から叩かれ、サゲズマレ、掲示板を荒らされ、うちのアドレスがホモ関係のお友達募集やら喧嘩上等BBSやら30過ぎてまだ童貞ですスレッドに張られるやら(俺のリビドーの盛りはもう過ぎたっつーの)さーんざんな目にあってきた詩で、非常に詩をネットに出すことに恐怖心があったわけなのだが。

 QBOOKS第30回詩人バトルで「明後日は、海」というタイトルで一等賞。人間、耐えてれば何とかなるものなんである。いや、コレホント。
 で、その功績を経て今回は名人戦、CoCバトルなんである。ジャジャーン。(ドラ一回150万円)以上今までのあらすじ。

 さて、どうしようかねぇ。

 やるからには、勝ちたいじゃないか。

 まぁ、大体いつものスタンスですと、浮かんだ言葉をメモしておいて、そこからひょろひょろ芽が出るのを待つ、というのと、そういった目の出たジャガイモみたいなのをカット&ペースト(和名・きったはった)して整合させていく、のである。

 ↓とりあえず今ある材料。

車内即興曲[天窓]

もういくつ寝ると
空高く
兎のいる月まで
ただ高く
冥王星の上に
傘開く

ねぇ 鉛の兵隊は
どこまでいくつもり、な、の?
ねぇ、キボコの軍隊は
足並み揃えて峠越え
あぁあ。

明日 曼壽沙華
花開く
朝(あした)目覚めり
夜は寝る

暁高く 火星――


 うーむ、いつものパターン。「もーいーくつねーるとー」というあのセンテンスから違う言葉を引っ張り出す。これを球根にひょろひょろと芽を出していく。「キボコ」に関しては、ちょうどQメンバーでもあり六〇〇メンバーでもあるヒヨリさんの「キボコ幻想」という小説から。キボコとはカバのことでありまして、ああ、カバの兵隊が足並みそろえて峠越え、いいじゃん! と、とりあえず入れてみた。『足並みそろえ 峠越え』はゲルニカである。わかる人にはわかるだろうが、発想自体がecho-U-niteの"Ding Dong Circus"なんだけれども。まぁいいや。こういう色々な素材を元に、料理していく、と。

 さて、昼飯でも食ってこよう。

ぷしゅー。 2003年12月09日(火)

 ただいま、日付が変わって10日の3時21分である。
 本日締め切りの太宰治賞への作品が脱稿。まー、ここまで書ければ、いいだろう。(多分、年齢の所為で)書ききれない部分もあるが、これは20年後に書き直すつもりで、もうちょっと寝かせておきたい。

 ともあれ、印刷だ。ぷしゅー。

 これはいけるんでないかい。うふ。

わたしが・すてた・おんな 2003年12月08日(月)

↑遠藤周作のアレである。
 ハンセン病元患者の宿泊拒否事件に関連して、この作品をふと思い出した。これも確かアレだよな。田舎娘を騙した学生がさんざんにもてあそんだ跡で、娘がハンセン病なんじゃないか、という疑いからとっとと捨てちまう。でも、実はハンセン病じゃないことがわかって、娘は騙されたことに気づくけれども男を許してしまって、それでまた娘はひどい事になるわけだが、「イエス様がいるなら、何で救ってくれないのか」みたいなオチである。遠藤周作お決まりのパターンといえばそれまでだが、でもなお、宗教の無力が感じられる昨今、課題図書にしたいくらいのお話、でありんす。

 さて、コトがコトだけにコトバを選ぶ必要があるが(三連コンボ)、でもなお、オイラはホテル側の姿勢を支持したい。問題は、ハンセン病であるという病状に関わらず、あくまでも「外見」の問題でしかない。じゃあ、ホテル側は宿泊客が外見からHIV感染だとわかるのか。外見から殺人者だとわかるのか。外見からホテルの備品を盗む泥棒だとわかるのか。
 たとえば、SPAリゾートなんてのがありますが、あそこは暴力団風の男、刺青者禁止なんて表示が出ているわけでさ、これを「差別だ」と云ってもいいのだろうか。
 または、自分で望んでハンセン病になったわけでは無い、という反論があるかもしれないが、そういうならば、例えば黒人の人々が長く差別をされてきたことに比べての時間の経過はどうだ。そもそも気に食わないのは、障害者だからって、周りの健常者(あえて、こう言わせていただきたい)が「便宜を図って当然」だと思っているところが見え隠れするところだ。不慮の病気? 差別解消の努力はすべきだと思うが、でも、そこで己の状況を把握した上で受け止めるのも、これまた解消の通過地点じゃあないのか。
 そこのホテル組合も、わざわざ揃ってホテルを悪者にすることぁ、ない。なにしろこういった外見差別の問題は否応なく続くものなのだから、とりあえずホテル側の主張も認めてやればいい、と思うのだが。

 なぁ、なにが腹立たしいって、周りでホテルを悪者扱いにする野次馬なんだけれども。それぞれの立場があるだけに、こういう一方的な「善悪」で騒ぎ立ててしまうのは、なんともな。

なにやら 2003年12月07日(日)

 仕事場の外では引越しをしているようだ。まぁ、今まで工事が入っていたんだから当然か。そうだよな。いい天気だったが切羽詰っているので外出なし。ヒーン。

 一昨日見に行った全日本プロレスに出ていたギガンテスというレスラーが昨日亡くなったらしい。外人レスラー。
 そういや、ブッチャーもそうだけれども、異国の地で営業をしたりなんだり、そうやってその営業先で死ぬ、というのはどんな気分だろうか。あいにくオイラは国境を越えたことが無いのであるが、ああそうだ。前提として、メジャーリーグに挑む日本人、大相撲に挑むモンゴル人の感覚と考えていただきたい。骨をうずめる覚悟で、という言い回しがあるが、どうなんだろうな、ブッチャー。おいらはプロレスには明るくないが、アメリカでも有名人なのだろうか。

えーと、とりあえず、だ。 2003年12月06日(土)

http://www.sugikoto.com/sirifurifs.htm

 ↑年明け、本当に行こうか。


 さて、「エンタの神様」を見ている。このタイトルでさるところから苦情が来なかったのか。考えすぎのヒューマニズムから怨恨のメールは来なかったか。今度関係者に聞いておこう。いないけど。

 さて、若いヤングに人気のお笑いであるが。
 やーっぱり、詰まんないんだわ。

 前提として、小生の笑いの根源は、漫才だったら上方のボケ突っ込み、コントだったらモンティパイソンなのである。もうねぇ、これらにくらべたら、今「人気」だといわれているお笑いはでんでんトモロクねぇんである。
 なんというかな。コントの脚本家が舞台にのこのこ現れて、「はいはい、こんな面白いネタ考えたけれどもどうですかー、面白いですよねー」なんてやって見せている感じ。少なくとも、その芸人のキャラクターや「味」が面白みにならない以上、それは加工する前の「ネタ」でしかない。シチュエーションのあるショートコメディーであっても、どの芸人がやったって同じではしょうがないんだわな。これはコントだって同じで、別に路上販売員が毒舌だったとしても、トモロクもなんともないんである。毒舌が人柄ではなくて、単なるネタになってしまっている時点で面白くもなんともない。ガンダムの装置を舞台上で作って他人のナレーションでネタをやったって、ピンの芸人なら一人の力で何とかしろよ、と言いたくて仕方が無いのである。
 だからアレだよな。何の芸があるのかわからないようだけれどもいやにテレビに長く出ている芸能人って、あれは芸能人から見事芸人に化けたんだ、と思うわけですな。ので、ダチョウ倶楽部やせんだみつおの方が、あたしゃダーンゼン好きなんであるな。
 それともなにかな。やっぱり視聴者のほうが(以下略)

 ※ でも、中川家とますだおかだは正統派で好きなんだ。これが。

検査に行ってきた。 2003年12月05日(金)

 3日の記述どおり、大きな病院に行ってきた。10時予約の診療が、あれよあれよと言う間に11時になり、12時になり、12時過ぎに診察開始、である。

 病院よ、出来ない予約は受け付けるな。(−−#

 まぁ、具体的には頚動脈付近に妙なシコリがあるわけなんだけれども。左右で明らかな違和感がある。軟骨が触ってこりこりいう感じ。それじゃあ、というので超音波検査。ああー、リアルタイムで黒い影があるのがわかる。11ミリ位。血流が色で表示されるので、大きな静脈や動脈とは離れたところにあるみたいだ。

 まぁ、結局はリンパ節の肥大だったということで。
 原因もわからないし、どうなるかもワカラナイ。
 まぁ、何か変化があるまで様子を見ましょう、というので診療はオシマイ。その間、10分強。
 治療費、2250円。(保健による割引負担)


 ――ああ。
 昼からの仕事(阿佐ヶ谷→品川→大井町→大井競馬場→浜松町→高田馬場。ふー)を経て、8時過ぎにほうほうの体で日本武道館に辿り着く。全日本プロレスのチケットを頂いたので見に行ったのである。生のプロレス観戦は初めてだったが、ブッチャーが見られたのでよしとする。何故かセコンドで来ていたボブサップが最後は乱入して、相手のレスラーを投げ飛ばして失神させるなどのおいしいハプニングもあったが。
 これは、格闘技というよりもむしろ、紳士協定がある上での芸能だよな。とふと思った。みんな紳士だ。
 日本全国のプロレスファンの皆様、気を悪くされたら、申し訳ない。でも、ここで細かく書きたくないぐらいには、なかなかに楽しんだ。面白かった。

トリビアのパンダ(封印解除の派兵ネタ) 2003年12月03日(水)

 いや、政治ネタは辞めようという軽い縛りがあったのです。オイラの中でな。

 でも、これを見て、ちょっと中立であることをやめようかなと思った。この記事が本当ならば、日本政府のやってる事は、一体なんなのだろう、と。

 ※ 記事のデリートがあるかもなので、早めにお召し上がりください。

 さて。
 ちょっと病院へ。もっと大きな病院を紹介されてとぼとぼと帰る。金曜日に検査。死ぬかも。(大げさ)
 行き帰りの道のゲームセンターで、「トリビアのパンダ」なるものがUFOキャッチャーで発見される。いや、生茶パンダ人気と(オイラも最近入手したのだ)トリビアの「へえ〜」ボタンが合体して景品になるとは。

「口をパクパクさせるとへぇ〜と啼きます」てオイ。

矮星賞関連 2003年12月02日(火)


 今日、矮星賞の賞金を受賞者のマニエリストQさんに振り込んできた。本当は授賞式なり受賞パーティーなりするのが筋なのであろうが、予定があわなかったり金が無かったりというわけで生憎、もろもろの特典を郵送することにしたわけである。郵送物に関しては、明日送付のこと。
 矮星賞って、やってることはメセナなんである。ただ、別にメセナが出来るほどの資金的な余裕があるわけでも、別にそれでなにか名誉を得ようとか、全くそういうことではない。例えば文藝がもうすでに没落していくメディアであるとかそういうこととか、自分で動きもしないくせにグダグダ議論百出させてもそりゃ仕方あんめえ、ということなんである。まぁ、悩むのが趣味みたいな文藝サイトやら、自己顕示欲のために内々で酷評して自己嫌悪に陥る人なんてのをそこそこ見受けるが(嘲笑)そもそも、作品を取り扱うってのはその背後の人間と対峙するってことなんだぜ? 作品の粗探しばっかりで読者面している面々に問いたい。 小説家は芸人じゃねぇ。だいたい、粗探しして「クズばっか」ていう奴に限って自分でもなんか作ってるんだよね。それは読者の提言ではなくて、同業者批判だ。
 ただし、オイラは芸人を自称しているからのう。この辺は何を言われても謹んでお伺いいたしますが。へぇ。

 でだ。

 矮星賞。ちゃんと賞状も用意しました。
 何を書こうかねぇ。少なくとも、「ナニサマ?」とは思われたくない。テンプレートにある「貴作を優秀であると認めたため」だなんて、そんなこと云えるわけがない。優劣ってあるのかよ。個人的な好みを優劣にしたくはない。悩む。たった数十字に、悩む。もらう側にとっては一生残る(かもしれない)ものなんだから。

 で。

 賞状

 第一回矮星賞 マニエリストQ様

あなたは小説「いつでもなく、どこでもなく」で文藝の力をいかんなく発揮されたので、選考委員は大いに楽しみました。
その栄誉と今後の活躍を期待し、これを賞します。

 平成十五年十二月一日

 文藝越人六〇〇 主宰 ながしろばんり


 さて、これで矮星賞も終わりだ。

メリークリ正月あけましてあのよろし 2003年12月01日(月)

 明け方、ようやっと年賀状のデザインが決まる。プリントアウトしたものとデータフロッピーを製作して、ふらりと印刷発注へ吉祥寺。
 今年は都合により年賀状を出さなかったが、去年の年賀状で頼んだ業者が勝手にデザインをいじるという無作法をやらかしたために、次のお店を探す魂胆。この場合の「良かれと思って」ほど迷惑なものは無いわけで、いじったことについてさえ一切の説明が無かった印刷会社を未だに憎しと思っている。ぷんすか。
 一軒目は結構大きな店で、フロッピーを元に印刷をしてみてくれたが「線が細いので印刷が掠れる。フィルム製版にするといいのだが、それだと6000円追加される」という。あわわわ、タダでさえ「高いかなぁ」と思っていた矢先でその態度は何だ!(商いですがなニイチャン!)とは云わなかったが、すごすごと退散。
 なおも雨の吉祥寺をウロウロしていると、矮星賞の記念品のプレートを頼んだ表札屋である。ビンゴ! いつぞやのオバハンに版下を渡すと「出来る」と一言。すげえ! なんか色々な心配とか何とかじゃなくて一言で済ませてしまうのが凄い。オバハンの心意気に打たれて、ここのお店に頼むことにする。さっきの印刷屋が葉書代込みで7000円だったが、こちとら5000円強で引き受けてくれたヨ!

 ――さて、吉と出るか凶と出るか。完成品をお楽しみに。なお、万里園特製年賀状は、今年中になにかしらの関わりがあって、住所の割れている方にはもれなくお送りするつもりです。なお、不幸などがおありで年賀状は断る、という方はBBSででもメールででもお知らせください。自粛いたします。


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