▲戻る / タイトル一覧 / 最新の10件 / ログ検索 / 過去ログ / 管理者用//

彼岸録

ときどき、12歳以上推奨。心して御覧下さい。


包丁 2006年06月30日(金)

 隣のインド人ことながしろです。

 包丁ねぇ。談春師匠の「包丁」はすごいよ。昨今近辺の映画とか小説とか、ホント、どうでもよくなる。
 最後に聞いたのは国立演芸場の花形演芸会か。

 あのレベルの噺家が幾人も出てくれば、本当の落語ブームは、来る。

 包丁。年上の妻に飽きたやくざ者がいて、別れたいとは思えど、妻は妻で貞淑に尽くしている。ただ別れてくれと言っても聞くような女じゃあない。
 一計を案じて、弟分の寅次に妻と浮気をするように持ちかける。浮気の現場を押さえて、それを証拠に三行半を突きつけよう、という。

 で、寅次はイヤとは云えず奥さんを誘うんだけれども、あんまりにも身持ちの固い、一本気な奥さんなので寅次がまいっちゃう。洗い浚い事情を話しちゃう。そうすると奥さんも察しがよくて、逆に寅次に結婚しないかと持ちかける。とんとん拍子でまとまっちゃう。
 芝居がうまくいったと見えたやくざ者が庖丁を持って長屋に飛び込む、ところが寅次と妻はよろしくやってる。奥さんには塩をまかれて、やくざ者、すごすご逃げ帰っちまう。

 いちゃいちゃしているところにやくざ者が帰ってきて、庖丁を出せと言う。気の大きくなった寅次が「やるんなら、俺が相手になってやる」と啖呵を切ると
「横町の魚屋に庖丁を返さなくちゃいけないんだ」
 と返して、オチ。

……なぁ。
 でも、あたしはやくざ者のほうが感情移入できる。

 夏らしくなったので生えに生えたうちの蔦を見上げておると、一角でなんかぶんぶん飛んでいるのでよく見ると、どうも蜂の巣が出来てしまったようである。
 からだの縞模様など見るとミツバチだが、どうしたもんかいなぁ。

 色々の仕事がひと段落ついて、すこしほっとしています。
 今日こそは、8時間くらい、寝よう。

寿限無(追記) 2006年06月29日(木)

 10ゲーム10ゲームあわせて20ゲーム会社のナベツネすっぽんすぽぽんうんざりざんす踏んだり蹴ったりヤマモトコージのブラコージ、取った取ったよアリアスとってどうするアリアス解雇解雇解雇の怪我主力 怪我主力が戻って来ーても来ーなくたっても窮状未だでどーすべえ。

 現在の、巨人軍。

 月末ですし暑いので、こもってばかりいます。


ほへと数秘占術
 小夏さんから教えてもらいました。
……自分も含め知り合いを何人か試してみましたが、10人中8人の結果を見て吹きました。マチュピチュせんべい吹きました。
 世の中には、不思議が、ある。たしかにある。

堀の内(追記) 2006年06月28日(水)

 真夏日に花摘み。ながしろです。
#すでに元気が無い

『モンティパイソン正伝』(白夜書房)読了。
 A5版上下二段460ページの大物を一ヶ月必死にかかって読もうとしたが貸し出し期限の今日になっても読みきれず、図書館に行って返すまでに必死に読んだ。二時間かかった。

 いわゆるパイソンズが当時を振り返っての回顧録みたいなつくりになっている。グレアム・チャップマンは83年に咽頭癌で亡くなっているので、今までの他でした発言や、兄や姪、パートナー(ゲイだったので)の証言なんかで構成されている。
 イギリス人だから、ってワケではないだろうけれども、お互いがお互いのことをよく覚えていて、それぞれ、どう仲がよくてどう仲が悪かったか、この辺りを極限まで語っている。極限まで語っている、というのは、パイソンズのスケッチというのが、パイソンズ同士が人の批判や気に入らないところまで言い尽くすだけ言い切って、幾度もの調整を経て完成しているものであり、それぞれのメンバーに対して云い惜しむところがないからである。世界的な大ヒットメーカーが、ここまでメンバー内の紛糾や仲違いをがっつり書いている本もなかなか無いんじゃないか。趣味や趣向、了見もばらばら。パイソンズの中でも「こいつとは気が合わなかった」と云っているメンバーがなんで集まってパイソンのスケッチや映画を作りえたかといえば、結局は客に受けるにはどうしたらいいか、という目的が一緒だったからに他ならない。何故笑いが止まったのか。面白くなかったのはどこか。では、それはどうすれば面白くなるか……。いわゆるあたしのようなパイソンオタクはもちろんハフハフ読んだけど、小説を書く側の人間が心理描写のテキストとして「どっちも正しいことを云っているがすれ違う」という意味合いのテクストとしても秀逸であります。

 エリック・アイドルの言葉を持って〆。
「悪い出来の作品などありえない。未完成なだけだ」

 ほんと、すンばらしいドキュメント。93点。


 で、「堀の内」はパイソン的で面白いよ、と。


(追記)
 急に降って湧いた追加仕事のため徹夜ケテーイ。

 そうか、東京国際ブックフェアか。
 DM来てたけど一人で行くのはアレだし、買っても置く場所ないしとか某宗教団体の音楽バンバン掛け流しもきっついのー、とか思うんじゃが。
 行こうかな。
 ロハで行きたい人はチケット取れますのでお早めに。

ひょっとこそば 2006年06月27日(火)

 Time is 金ー。ながちろです。

 これもまた、CDに出来ない噺。
 これは説明しちゃう。

「新しく角に『ひょっとこそば』って出来たね」
「おかめそばは知ってるけどひょっとこはわかんないね」「ひょっとこは豆絞りを頭に巻いているから、豆腐が切って入れてあるのではないんだろうか」「いやいや、竹輪が口で頬には田螺って、ひょっとこみたいにあつらえてんだよ」
 なんてわいわい云いながら店に入ると熱気がムンムン。なぜか鏡張りの店内(この辺、人によって演出が違うようです)。暑いので手ぬぐいを頭に巻き、きた熱々の蕎麦をフウフウ云いながら食べ、ようとして鏡に自分の顔が写る。「ああ、ひょっとこだ!」

 とかなんとか。
 噺の紹介で終わるのは、特にめづらしいことをしていないからです。
 仕事に対する温度差の違いに胃をいためつつ、こつこつとやっております。
 もう月末だなぁ。

菎蒻問答 2006年06月26日(月)

「ご胸中は?」「大海のごとし」
「十方世界は?」「五戒で保つ」
「三尊の弥陀は?」「目の下にあり」


 この噺、CDに出来ないことで有名です。
 なぜかというと、喋りで無くパントマイムにて作されるからです。ラジオ電波に乗せたら放送事故だし、TV電波に乗せたらネタの意味がわからない。昔の人は仏教的な知識が我々より確実にあったんだなー、と思うのです。あたしなど趣味で仏教かじってましたから、とりあえずはわかるのですが。
 ネタ本でしか読んだことはないけれども、好きな噺であります。最近だと談春師匠が掛けている、くらいのことしか知りませんが、7月の一之輔さんの会で挑戦するようですので、もし御用とお急ぎで無い方は是非。
 いまからワクワクしています。

 今日は缶詰。
 仕事をしていると、リコーダーの音が聞こえてくる。ああ、時間的に小学生でも通るのかしらん、と思っていたら
「瀬戸はっ、ひぐれてっ♪」
 とか吹いている。どうすんだよ。小学生かよ。しかも二人だし、ハモってるし、うまいし。
 思わず隣の公園を見ると、たしかに二人でベンチに座って吹いてます、リコーダー。30代後半くらいの女性二人。
 普通に雨なんですが。

 うーん。
 なにかのっぴきならない事情がアルト(洒落)。

……仕事しよう。

真田小僧 2006年06月25日(日)

 日本橋・一之輔の会

一左「真田小僧」
一之輔「くしゃみ講釈」
一之輔「七段目」
市馬「青菜」

 -中入-

ロケット団
一之輔「へっつい幽霊」

 樽平寄席でお世話になっている一之輔さんの会にお邪魔してきました。
 で、一方鳥野(ピチピチ戦隊)新さんにも「いい落語ないか」と云われていたので、迷わず勧めておりました。
 だいたいこうやって自分の勧めたものが相手に受けるかどうか、というのは非常に肝を冷やすものであります。で、なんとか、10時過ぎに起きて、出かけました。大エロ二本足態、もとい、お江戸日本橋亭。ここの小屋ァはじめてで、一度行こうとは思っていたわけで。

 鳥野新婚妻の隣が空いていたので座る。旦那さん、ロマンスグレーのダンディーでいい男でしたワン。なんかこう、草刈正雄をがっちりさせたような。
……まぁ、あたしの●●に似ている! ほど当てにならないものは無いらしいので、話半分で聞いていただければと思いますが。

 で、会ね。えがった。えがったよう。
 三時間という時間を感じさせない舞台、というのは久しぶりだったかもしれない。時間を感じさせる、ということはつまり話にのめっていない、ということでして。そうするとやっぱり「足りない」ちゅことになってしまうんだぁなぁ。一之輔、市馬、ロケット団ときたら面白くないはずは無くて、こういういいものを見たときに、自分の感覚がざっと洗われます。「いい」ってこれだ、と思い出します。

 さて、「真田小僧」なんだけれども。
 なんだかずっと前に書いた気がするんだが。調べたらどうも他の処で書いたらしいのでここにも書くけど。

 「真田小僧」本来のオチは別にある。

「じゃあ遊びィ行ってくらァ」
「その六文でどうすんだ」
「これで焼きイモでも買わぁ」
「あぁ、真田も薩摩へおちた」

 ほら、わかんない、わかんないでしょ。
 まず、今の真田小僧は子供が60円貰うことになってる。でもあれも元々は6文で、六文銭と言えば真田家の旗印、なのです。真田昌幸、幸村、知ってますかね。真田十勇士。六文銭の旗を掲げて戦中に赴くの。
 で、六文もらって「薩摩」芋を買いに行く、というオチなのです。で、真田小僧。
 ほら、現在のシチーの市井のシチズンどもに説明するのはこれだけ手間がかかる。いまの「聞きたかったら10円出せ」ぢゃ真田小僧の意味がわからない。

 「青菜」もそうです。
 植木屋がサボってると旦那がなんか喰わす。「直し」、関西じゃ柳陰、これは酒ちゅよりも「みりん」であります。みりんをどうにかして冷やして飲ませるてな具合で、こういうときは無理せずインナーネットリで調べますが、Wikipediaあたりがちゃんとカバーしてくれてるのが偉い。好色エロい。こういうのをスキモノと云います。いわいでか!

 意外と今でもあるようです。あたしも飲んだことないや。

 とにかく、なんかこう、現在にそぐわない部分ってあるんだけど、これはそぐわないんぢゃ無くて、日本人の基礎教養に「真田十勇士」が脱けている、というのがひとつのポイントだと思います。ある一定の年齢以上だったら基礎教養だと思うわけです。ヒーローだもの。
 でも、脱けてしまう。
 時代の流れ、と片付けてしまうのは簡単だけれども、やはり戦後の実業偏向も大きく問題だったんぢゃないかと思ってしまうよ。あまりにも過去の日本を引き継がないまま、時代が流れてしまった。

 と、大爆笑しながら、寂しいものも、あったのだった。

妾馬 2006年06月24日(土)

【今までのあらすじ】
 早くトイレに行きたい。

 さて、そんなオールディーズの演奏の時にはユリゲラーズの面々、……居ねぇー。
 でまぁ、ようやく演奏が終わったところでトイレに飛び込む。本当に便器に飛び込んだらキチャナイがな。さすがのながちろもそこまでは、しません。……で、いくら出すゥ?

 そもそもカラオケスナックの常連だかなんだか知らないけど、結構好き勝手やってるんだ。演奏していてもギターの脇を押し退けて用たしに行くジジイとか、延々と林家パー子の声で喋り続けるばばあ、もといおばさまとか。もしかするとパー子師匠本人だったかもしらんね。でもピンクぢゃ無いから違うね。
……まぁ、いいぢゃん。

 とにかくもアウェー。ユリゲラーズはアウェー。
 「朝日の当たる家」でのんびり終わった後にユリゲラーズ。すごいよね。「君のあえぎ声が三島由紀夫みたい」だもの。なんだかこれ。カラオケスナックにドイツのSSが乗り込んできたような、オモシレェ。

 前のほうにいた面々がどんどんと帰っていく。その中には前のバンドの62歳sもいる。こらー聞いてけー、とか思うが、62sの時にはユリゲラーズの面々はいなかっわけだし、コレでいいのだろうと思う。いい。お互いにロックだ。ロクでもねえ。NANAだ。
#こういうのを、「引っ張りすぎ」と云う。

 「共産主義の声が聞こえる」「憂ウツ玩具」「user unknown」「body gulu」「完璧なキャンディー」「Jonny B fuck」で締め。なんかもっとやってた気がする。セットリストも覚えてない。
 メンバーのブログや打ち上げではお互いの音が聞こえていない、という話をしていたけど、んなこともなくて、特にはずしたような部分も無かったように思う。強いて云えば、きっきのドラムは音が潰れていたかもしれない。なんとなく力が入りすぎで、重い。ユリゲラーズで重いのだから、よっぽど重いに違いない。王さんは正確。ぼやきながらも正確。
 飛ばしてた。ステージとしては上々だったんで無いかね。惜しむらくは観客が沈みこんでいたぐらいだ。途中から入って一番前に座った80過ぎくらいの婆さんは、演奏終了後ピクリともしなかった。
 いまごろマーキーの背中にどんよりと張り付いているかもしれない。
#王さんに憑いたかもしれない

 で、途中でギターを置いたマーキーはまた音のエコーが残る中を出口へ。あああ、行っちゃったよ。
 慌てて追う。そしてそのまま打ち上げに直行なり。

 他の2バンドなんかどーでもいい。ロックだ。
 マキルさんのお姉さんなどもいらっしゃったが、打ち上げはメンバー+拙者という按配。下で次のバンドが準備していても放っておく。ロックだ。妾馬である。こうでなくては。

 客の反応が全く無かったかっちゅうとそうでもない。
 「うまれて、がっこうへいってはたらいてしぬんだよ、そうだね」なんていっているオバハンは二名くらいた。
 翌日台所にぶら下がっていないことを祈る。

 で、打ち上げ。
 一駅歩いて、バンドの溜まり場である居酒屋。売れ残りサービス品ワタリガニ300円とか、なんかそういうのを喰ったり飲んだりした。
 白楽の駅前は不思議なアーケードがいくつも続いていて、非常に面白かった。
 落語会のお知らせがあって、「柳家初花」とあった。
 こう云うところで知り合いの名前を見ると嬉しい。

 飲み会の内容は各自のブログをみればいいんでね?
 なんで投げやりかというと、ものすごい情報量だったためです。こゆのはそのまま胸に秘めておくに限る。今日の話からまた次の出来事が引き出されることだったあるし。

 11時半くらいに帰宅開始。
 昔は井の頭腺に乗ると12時半には富士見が丘で追い出されたものだが、いまはちゃんと吉祥寺までつながっている。
 偉いね鉄道各社。

 そんなところで。

寝床 2006年06月24日(土)

41,124 byte

 汗だくで一日三回はシャツを替えたいMです。

・おしえればんりっく久々に更新。

・これからマキルさんのライブ、見てきます。
 そいじゃまた。

・帰ってきたら午前2時前だった!
 大変というよりもえらいねJR。

 えーと。時間をさかのぼるよ船頭さんやっつくんなぎぃこぎぃこ。

 三鷹発新宿経由渋谷乗り換え菊名乗り換え東白楽。おそらくこう云うイベントが無かったら一生降りなかったろうな東白楽。各駅しか泊まらないぜ東白楽。楽が發だったらなんか麻雀っぽいぜ[東][白][發]。
#どれ切る?
 歩道橋を渡ろうとするとぺしゃんこの鳥がいる。普通鳥というのは車のタイヤなど重いものが無いとぺしゃんこにならない気がするのですが、それが歩道橋の上にいます。変です。
 駅前ももうすこし活気があるといいんでしょうが駅を太い道路が突き刺しているのであんまり賑やかになりません。でも中古本やCD、飲み屋には事欠かないようです。変です。

 今回の函はカラオケスナック「いいぢゃん」。

 いいぢゃんと深酒の果て夏至過ぎぬ

 飲み屋で「いいぢゃん」と云われると「いいかもー!」と云ってしまいます。そうでなくては酒の席はよくありません。財布、空にしてもいいぢゃん! カラオケで音痴でもいいぢゃん! とゆるゆるなのです。

 冷酒や終電までのシンデレラ

【宗匠鑑賞】
 いいぢゃないの。終電が気になるのはわかってる。でも、今くらい飲ませて、酔わせて、かぼちゃの煮つけ。


昨晩は、めそめそ仕事をしていた。。
夕食はなんだっけ、覚えてないや。

 などと宗匠の真似をしている場合じゃなく。

 写真だそうか。

 ばばん。

 出演が全部で4バンド、ユリゲラーズが二番手で、一番目は全員62歳という高校の同級生によるバンド。ベンチャーズ? アニマルズ? なんかそういう。ギター、リードギター、ベース、ドラム。ベースのおっさんが
非常にMC慣れしている。よく喋る。がんばる。最後の方息切れしてたけど、もつれてたけど、それもまた味であります。ふだんは老人ホームを訪問したりしてるんだそうな。もっとふだんは会社員とか医者だと。なんかそういうシロート、いやちがうな。人生のクロートだから様になる。最後力尽きても様になる。しかしあたし個人としては早く終わってもらって放尿したい。トイレはステージの裏だよガッデム。

「お前はなにを震えているんだい。そうかいいまの四人組の演奏がそんなによかったのかね。よかったのはダイヤモンドヘッドかね」
「違わい」
「じゃああれか、パイプラインかね」
「ちがわい、あそこだい」
「あそこって、ステージの裏手じゃないか」
「あそこがあたしの天国への扉ヘブンズ・ドアでございます」

 おあとがよろしくないうえに長くなっちゃったので後半へ続く。

居残り佐平次 2006年06月23日(金)

 夏服冬服の入れ替え完了。ながちろです。

 まぁ、昨日今日のニュースの事件、ですが。
 ニュースなど信用してもしょうがないので事実関係だけ。医者の息子で、なにもかもいやんなって、家に火ィつけたはいいけれども問題の父親は生きているし、後みんな死んじゃって、じゃあその、憎々しい父親と二人だ。頬かに親族がいるかもしれないけど、でも、一緒に暮らしていたのは、二人だ。

 この二人で、どうやって生活するよ。

 どうもなんかなぁ、なにするにしても、「その後、どうするよ?」という想像力が働かないのだろうかね。
 その後どうするか。火ィつけて逃げて、おなかは減ったしW杯じは見たいしで、結局他所の家に上がりこむ。で、どうるよ。その先がない。

 まぁ、その前に、なんか自分がピンチになって、立場が悪くなって、いやなことがあって、そう云うときの逃げ方とか対処用とかやり過ごし方だとかを小さいときに一切学んでこなかったんだろうな。
 優等生だから。
 人とぶつからなくても、勉強だけしてれば済んだから。学校から塾にそのまま護送されて、帰って飯喰って予習して寝るだけだから。

 だいたい、遊び方を知らない。
 遊び方の基本はやっぱり親が教えるしかない。
 応用させるのも、親のやり方を見て覚えるコトだと思うし。
 で、応用して行くうちに他人の流儀とぶつかって、喧嘩して、対処やピンチの切り抜け方を覚えて行く。理不尽に立ち向かう方法を覚えていく。

 要は、そこが、ねえんだ。
 いたたまれない。

 居残り佐平次を見習えッ。

 そもそもにおいて、「いいヤツ」とは、「都合のいいヤツ」以外にゃないよ。ないね。で、お互いに「都合のいいヤツ」だからうまくいく。何も恥じることぁない。
 佐平次は詐欺師だが、了見は「いい」ヤツである。

 この了見を、われわれは思い出さねばなるまい。

紙屑屋 2006年06月22日(木)

 白紙は白紙、反古は反古、陳皮は陳皮――

 あいかわらず仕事中。暇なときはとことん暇だけんども、いそがしい時はどえりゃーこってよう、ちゅのがフリーの醍醐味でもあるんだが。あるんだが。

 ピンポンラッシュのようなメールのやり取りをしておりまして、うまく返しきると「にゃー!」とか卓球の愛ちゃんばりに叫んだりなんかして、一方おいおい、その件については返事したぢゃねーかよ、というものにかんしては「さぁー?」というメールを一言だけ返したくなって、でもやらない。そこは辛うじての、理性であります。

「紙屑屋」といえばたい平師匠の花火のマイムが斬新でいいんだこれが。いっかいNHKの演芸番組でやってたよなぁ。全身を使って、本当に花火の音が、する。

だくだく 2006年06月21日(水)

 金庫はちょっと開いていて札束がちらっと見えるようだといいねぇ……そう、鉄瓶がチンチン煮立って湯気を出してて、脇で猫があくびをしている、ああ、いい、これで人心地つく――

 人間、何が足りなくても気が狂う。Mです。

 金がない、金があるので遺産が心配、仕事がないから暇だ、忙しくて暇がナイ……まぁ、なにか一個欠けても不安だし、つまらないし、だんだん気が狂ってきます。

 あとは自分で足りてると思うほかナイ。そうぢゃないと自分が潰れちゃうんだが、でもなんか中途半端のまま、仕事のメールを矢継ぎ早に打ち返しつつ、返事を待ちながら、絨毯爆撃バトンなどやり(裏に出しました)、グダグダの、ヘロヘロで、仕事を待っているという。本来ならば月末までに書かねばならぬものもいくつかあるのだが、なんかこう、脳を切り替えられないのです。

 自分で「空白恐怖症」というふうに命名していますが、こうなると、常にタスクがないと不安になります。そりゃあ、眠れないわな。
 ここでスイッチ切って、脳から何もかも、なくさないと、眠りはこない。でも、メールの返事が気にかかる。

 ああ下手くそ。いろいろと、下手くそ。

 あんまりにも暗い話題ですので、ゲームを一つ。

NINJA RINSEOUT

 上下左右のカーソルキー、そして刀はsキー。
 上を押すと壁際では壁を駆け上がり、通常は斜め上に飛び上がります。

 この作品のキモはクリアには無く、いかに相手に気づかれずに暗殺をするか、というところです。
 やっと一回クリアしたけど"Awful"ですって。きっつー。

 血がだくだくと、出ますので、お気をつけあれ。

猫の皿 2006年06月20日(火)

「なんだってえ猫にそんな高い皿使ってんだ」
「へえ、こうしていると猫が三両で売れるもので」

 カメムシや雀に好かれる色男、ながしろです。
 今日は小銭稼ぎのためにでかいプリンタを背負って新宿のキ●ノンの工場にいってきました。普通に修理ならば郵送すりゃあ済むんですが、急ぎの用だってんだから仕方無いね、新宿に行けば即日直してくれる、ありがたいね、ぢゃあお前いってくれるかい、ということでBjF6600を持って。A3ノビの印刷機がでかいから、仕方無く家電屋の袋に納れて、行きました。フリーはなんにでも借り出されます。いいご身分でありんす。
 で、どうせ.comだろうからてんで10時の開店目指して突撃、運良く4番目、あれこれ話して、じゃあ、13時に取りに来てください、って、13時? マジ? 麻字? 麻縄のような文字! ということで。
 まぁ予想はしていたけれども、ドトールで仕事のゲラ刷りにドトーのごとくチェックを入れ、飽きて新宿西口をぶらぶら。住友ビルのパン屋でパン買って喰った。コロッケパンもメロンパンも絶品で、ベンチに座ってゲラチェック再開。で、飽きて、じゃあ野エロ公園こと新宿中央公園、いってみようか、って行ってみた。
 先住民族多いなぁ。ここでお弁当、とか無理ー。

 とかまぁ、なんかいろえろあったんですが。
 本題に入る前にくたびれたので、一回宮刑。
 ちんこ切ってどうするよ。

 復帰。また眠れねえや。
 でまぁ、「猫の皿」からは若干遠いんだけども。
 店員「プリンタの故障の原因は、純正品のインクをつかってねえからヘッドが劣化したんですねえ」と。
 簡単に状況説明すると、最近の印刷機というのは、本体の値段をバカに安くして、その分消耗品であるインクの値段を上げることで利益を上げようとしているわけです。たしかに、消耗品だから買わないわけに行かないものなぁ。商売だから仕方無いんですが、そこに付け入る他の会社もあるわけで、純正品より200円くらい安いインクを出してくる、当然消費者としては安いほうがいいから(だって、1000円×4色どすえ?)とびつく。ところが品が悪いからインクの粒子が印刷部分に詰まる、という寸法だ。で、だから悪いんです。純正品だけ使ってください、とくる。家電の量販店はどっちにしろ売り物だから、他の会社のインクを使うと詰まります、とは口が裂けても云わないんだぁな。
 ナニが悪いんだろうな。結局、純正品のレベルにまで廉価版のグレードがアップすれば問題は解決するんだろうけれども、かといって今日のキ●ノンの店員の立場から云えば「うちの製品買わないからこうなるのよ愚民ども」という言い分な気もするし。
 むづかしい。
 で、「プリンタは縦にしないでください」というので「ビニール袋一つ出来てるのにアンタも非現実的なコトを云うね」と咀みつくと綺麗に梱包してくれた。
 客への対応としては申し分無ぇんだけどなぁ……

強情灸 2006年06月19日(月)

 娑婆だわ娑婆だわ娑婆だわ娑婆だわ娑婆だったー仏陀! Mです。

 噺家のSさんと落語会をやる会場をあちこち見て回った。でもしかしこらえ性が無くなったよね。なにがって時間が、です。昼の12時待ち合わせで、10分前について、ああくそう遅いなあと思ってと駅を見ると54分。で、ああ、忍耐力が失くなっているなあ、としばらく待ったつもりで携帯の時計を見ると57分。しかも実際の時計と2分ずれてて、さらにキィー、てなったり。
 Sさんは定刻どおりいらっしゃいましたが。

 で、なんで、スーツ被て外に出る日に限って炎天下ですかど畜生。しかも天気雨だし。

 で、炎天下をぐるぐるしつつ、数カ所回って帰宅。汗だくなのでシャワー。こういうときにフリーはありがたいのであります。これもまた我慢の聞かないカラダ。
 とても灸でなんぞ強情張れません。

 明日は新宿ゥ。

干物箱 2006年06月18日(日)

 睡眠量と小言の長さが反比例するながしろです。

 落語の「干物箱」は口実ですが、だいたい、箱がつくとソレっぽくなります。
 北澤輝明ボスは「わたしね、なんでも食べ物が箱に入ると美味しそうに見えるんですよ! そぉーなんですよっ! それで、東海道新幹線に乗ると、駅弁を三つも買っちゃうんですよ! 電車を降りるころには全部平らげちゃうんですよ! 困るんですよ!」
 と、仰せでした。形態模写としては小生の十八番ですが、音声でお聞かせできないのが残念です。

 さて、箱に入ると何でもソレっぽく見えてしまう、というお話でして、伊藤園の充実野菜、アレを1ダース、業者の箱というのはようございますな。あれに熨斗の一つもかければ十分な贈物になる。で、それを、
 父の日に贈っちゃったぃ。

 喜んだんだか喜んでないんだか。
 一口飲んで、ダンボールごと茶の間ィ置いてある。

手紙無筆 2006年06月17日(土)

 MAOです。今日中野のブロードウェイで婦人ものの靴下をあさっていたでかい男はアタシです。

 「手紙無筆」フルになると結構長い話だけれども、あたしゃ冒頭の短いジョークが好きだ。なごむ。

「なにしてんだい」
「あ? 弟に手紙ィ書いてるんだ」
「手紙ッたって、おめえ字が書けねえじゃねえか」
「構うこたァない、やっこさんも字が読めねんだ」

 大好き。

 で、当方も手紙無筆でして。

「なにしてんだい」
「あ? NASAに手紙ィ書いてるんだ」
「手紙ッたって、おめえ英語なんか大してできねえじゃねえか」
「だがやらねばならぬ!」

 というわけで、仕事で、NASAの外郭団体に、手紙を打ちました。や、出版用に天体写真を貸してけろー、という手紙を書くのに七転八倒。運悪く電話をかけてきた未卯に聞き、夜中までかかって草稿を書き、不眠症の桔梗タンにメッセンジャーで添削してもらい、書きました。駄目だねやっぱりアタシ。英語はドライです。表現が。すごいなこれで失礼ぢゃねえのかな、と思ってしまう。
 で、送りましたよ。帰ってきましたよ。

You may use those photos. Please see
http://www.(とあるアドレス).html


 二行!
(゜д゜)

#こっち見んな


・CURVE BALL
 SWFファイルへの直リンクは気が引けるので、
ttp://shinjuku.cool.ne.jp/umanet/curveball.swf
 これ。
 面白いです。地味ですが燃えます。
 向こうから来るボールをマウスで跳ね返すだけですが、作品タイトルどおりカーブします。いけてます。

浮世床 2006年06月16日(金)

 髪が三センチでキーーッとなるながちろです。

 いや、駄目なのよ。新陳代謝がすごい上に、髪の毛が密集してるんだかなんだか、出た汗が残留するのよさ。するってえと頭の表面と頭皮の間に汗の膜が出来るってえ按配。あたまに手ぬぐいを巻いても汗を吸ってくれない。
 こいつはたまらない、ってんで床屋に行きました。雨です。それなりに涼しくて、湿気てて、生活にはおあつらえ向きの気候であります。歩みも弾みます。アスファルトの上で歩みが弾むかアホンダラ!
 あ、あたま、いつもどおりです。あんしん。

 何か書くことがあると思ったら、これ以上なにもなかった。

粗忽長屋 2006年06月15日(木)

 抱かれているのは確かに俺なんだが、抱いている俺はいったい誰だろう? ながちろです。

 家元の「主観長屋」論をwikipediaから引きます。
 主観性が余りに強すぎたが為に自分自身が死亡していたか否かと言う事すらも、正しく判断できなかったのだとしている。客観性が全く無かったが為に、目の前で生きている本人を死亡していたと思い込み、横たわる他人の死体を見て自分の死体だと思い込んだと考えられるのだ。

 主観と客観の問題など大学のころ胸糞が悪くなるくらいやったのですが、主観、主観、主観。ああもう、これしかない。これしかないゆえに、人は主観しかない故に、その心棒が狂うと、狂うのです。
 ネットで文芸評論などやっていますが、あれだって結局はてめえが好きか嫌いかというところから始まってしまう。興味を惹かれるから評論欲が湧くわけだし、それ以上でも、それ以下でもない。
 『MONSTER』なんつー漫画がありましたが、ルンゲ警部、あの人のやりかたは近いところがあります。データを、情報を、客観をできるだけ集めて、さて、そのデータをもとに他人の主観を描き出す。あの手法、よくやります。つまり、客観としてのデータを創造することで、それはそのまま創作に使えるというのはこれは実例でやっております。
 例えば、どのくらいの身長なのか、今いるところの天井の高さはどのくらいか。腹は減っているのか。トイレに行きたくないか、周りの散乱り具合はどんなもんか。登場人物の「主観」に影響するであろうと思われる客観のデータをできるだけ得ることで、そこから他人の主観を導き出す。もちろんデータ量の多さで主観の精度は決まってきます。細部を作るというのは、そういうこと、だったりするわけで。

 何の話をしようとしてたんだっけか。

 そうだ、で、主観の心棒が狂っている、という話だった。
 どうも最近色々あって、主観がぐじゃぐじゃです。
 あんまり愉快な話でもないので、やっぱりやめ。

死ぬなら今 2006年06月14日(水)

 この噺のオチは「死ぬなら今」でやんして。ながちろです。

 最近酔っ払って夜道を帰ることがあるのですが。
 大体住宅地ですので、誰もいない、車も通らない、街灯ばっかりある中をぺたぺた帰ります。夜なので眠いです。うらうらして、そのまま世界に同化する感触、あります。意識が拡散して、このまま、消えて失くなるならそれはそれでいいなぁ、と思ったりします。

 だいたい死後の世界については侃々諤々いろいろの人がいろいろ言いますが結局わかりません。死んでも、死んでしまっても意識だけはしっかりしていて、火葬場でだんだん焼かれてお骨になって、砕かれて、壺に入って墓に埋められても、実は意識だけはしっかりと残っていて、ずっと暇なのかもしれません。結局のところ、よくわかんないのです。孔子の「怪力乱心を語らず」だって「わかんないから話題にしたないねん」ということですし、天国地獄など結局はそう想定した方が理屈がついて安心する、といった手合いのものです。突き詰めればわかんないのですから、あとは各自で理由を作って納得するしかない。
 でもなんだか、この状況で、うっすらと自分が消えるという感覚が最近気に入っています。でも、そういった心持とは別に、車に轢かれれば痛いでしょうし、物取りに遭ってどすでどすりとやられれば血がいっぱい出るでしょうし、こういうときに「肉体は魂の牢獄である」といった昔のローマ人の意見もあながち間違いではないかなという気もします。

 なんかこう、親知らずを抜くのも、予防注射も、親戚の葬式も、童貞を棄てるのも、結局イベントとして過ぎてしまえばあんまりたいしたことではないようです。だから、もしかすると、死んでしまうのも実は非常に簡単なことなんではないかな、と最近は思っています。
 でも、簡単だと知れたらきっと山ほど人が死んでしまうでしょうし、あんまりわかんないならわかんないままのほうがいい部類の話かもしれません。

 というわけで、死ぬなら、今。

新聞記事 2006年06月13日(火)

 楽天イイヨォー。ながしろです。

 江古田駅前樽平寄席・第拾夜
初花「新聞記事」
司 「干物箱」
初花「大工調べ」

 今回のゲストは落語界の貴公子こと三遊亭司さん。アレだねぇ、一之輔さんやキウイさんを見ていると、あきらかに地方の違う落語でした。城北と城南、というか。
 初花さんの「大工調べ」の啖呵はこなせてはいるけど、でも、啖呵ぢゃ無い。「やかん」の講談とか、「金明竹」の口上とか、そういった感じだ。


 ひさびさに深酒してぐでんぐでんで帰宅。
 それにしても16人? 10回目記念だか、大入りで大満足でした。ちゃんと面白がって来てくださるみなさんのおかげだなぁ、といった次第です。

 みなさまいつもありがとうございます。
 次回もお楽しみに。

鮫講釈 2006年06月12日(月)

 Sunday Schoo;l vs ながしろばんり!

 第三回QMUSICの投票が明日までとなっております。

 投票と感想、お待ちしております。
 マキルさんのライブも6/24、横浜とかそっちのほうであるみたいだわよ。

 鮫講釈……は談春師匠のでもういっかい聞いてみたいなぁ。いや、単にそれだけなのですが。

姫騙り 2006年06月12日(月)

「医者負けた、医者負けた、姫かかたりか」
 東庵思わず、
「大胆な」


 たった110円で中野区に喧嘩を売る男、Mです。
#10日の日記参照
#「(参考)市やまけた、市やまけた、しめか飾りかだいだいか」

 「姫騙り」なんかもう、関連性も薄いけれども、あの出会い系の宣伝メールねぇ。たまぁに気がむいて開けるのはいいんだけど、送り主が「あやこ」で中身が「ひろみ」ってアリエナイデショウ。本当にあった話。笑える人だけ笑ってちょうだい。
 でもさぁ、一応宣伝業務だってんだったら統一性を持たせるとか、しないのかね。やっつけしごとなのかね。脚気で見事なのかね。ただの語呂合わせだけど。
#でも「なんでもするのでご飯おごってください」にはかなりキュンとしたのは正直な話。

 あとなんだっけ。一日引きこもってたからワカンナイ。引きこもっていながらも知らない人と電話で書籍資料を要求したり、図版の借受を約束したりと精神的にはしごくアクティブでした。そのわりに外に出られないの。
 苛々たまりまくり田丸真紀。
 ビールが美味しいや。もっと飲もう。

 そろそろ疲れてきたから気分転換に小説を書こう! わー! (内容が違うだけでやっていることは同じだ!)

 明日は樽平寄席です。夜八時開演です。
http://bew.fc2web.com/taruhey-yose/
 お待ちしてますよ。
 もうとにかく、今は馬鹿酒が、したい。飲みたい。
 色々忘れたい。

井戸の茶碗 2006年06月11日(日)

[大噴火予定地]

 と、思ったけどなにぶん大噴火するだけのエネルギーが無いからぶすぶすといぶってお茶を濁す。

 さて。
G 2-3 M
 上原を出して負け、って上原なんぞあんなもんですが。なんかこう、勝てる気がしないよね、ロッテには。
 じゃあなんで勝てる気がしないかったら、ここは時代錯誤アナクロ、とのそしり覚悟で書くけれども、結局野球選手ってなんだ、というところに一切の意識が無いからです。ここ10年の巨人にはない。一切ない。最後に長嶋さんがやっていた辺りの巨人にもなかった。で、それがロッテにはある。あるんです。野球というショウの演者プロとしての意識が、です。
 じゃあ、つまるところ野球選手って、何よ。毎晩のように公共の電波に乗って、野球をしてる。心技体あって、勝って、優勝して。阪神は強いですが彼らだって今年は駄目です。JFKが完璧じゃないから。

 だいたい毎日のように彼岸録をご覧の皆様ならこの後どういう展開になるかはお分かりかと思いますが、つまりは観戦されるプロのスポーツというのは、アスリートたちの戦いである以前に見世物です。例えば「巨人軍選手は紳士たれ」とはよく云われます。でも、それは巨人軍のチームカラーとして形作られた、キャラクターなのです。一生生え抜きのままで、フェアプレー精神を崇び、苦難にも耐え忍んで最後には勝利をつかむ。そういう性格の球団、だからこそ人気を博していたと云えるのです。だから、ダイビングキャッチでとっとと怪我していなくなるなんて言語道断だと思うのです。そこで怪我してもだれもファンはよろこばねえし、取れないなら取れないでバットでお返しすればいい。

 あたしに言わせりゃあほとんどみんな駄目です。松井なんぞもともと阪神ファンだったんだから巨人になんか要らないし、すぐに怪我で引っ込む高橋も駄目です。メジャーを狙う上原も絶対いけません。もっと極論を云えば、巨人の四番を日本人以外が打つな! とも云ってしまいますアタシ。これは心の拠り所の問題ですので、反論は聞きません。
 そんなもの、ないでしょ。今。
 今の阪神ファンには悪いけど、巨人阪神の伝統の一戦、というときに阪神がきっちり敵役だからこそもりあがったのです。彼らなら彼らなりに「阪神名物JFK!」があるからキャラクターとして成り立ちます。昔の西武で言えば秋山、清原、デストラーデ、でしょう。この球団にはコレがある! という生き様を見せられねえでなにが球団だド畜生! と思うのです。
 そういう意味では、なかなか勝てない「楽天」は今非常に楽しみなのです。

 もうなんかさぁ巨人、今年最下位でもいいから全部生え抜きで戦っては呉れないか。メジャーに行きたいやつは行かせりゃいいし、元木も後藤も河相も小田も岡島も福井も、みんな他から連れ戻してほしいし。

 そう思います。巨人ファンは喪失感を背負っております。

 で、あ、「井戸の茶碗」は各自聞いてみてください。なんで今日「井戸の茶碗」なのか? わかります。ぴったりだからであります。

悋気の独楽 2006年06月10日(土)

 座標せかいじゃそれをyと呼ぶんだぜ!
 というわけでサッカー日本代表の大黒と生年月日がまったく同じのながちろです。えらい境遇の違いだ。

 今日はQ誌編集部のYさん主宰の「野方珈琲寄席」に行ってきました。
 がYさんに非常に気に入られているので、仕事帰りの打ち上げにだけ寄ろうという魂胆でしたが、でも明大前から野方ッたらけっこう面倒臭いものな。

 平素ならば高円寺から地歩25分、というルートを通るのですが、雨が降りそうだしバスも仕方無い、と思いつつも。バス高いなぁ(みみっちい)、と思っていると、総入歯、中野の区営のバスがなんか出ていたよなぁ、というのがふと脳裏にありまして。公営のバスならば安かろう、ムーバスのように良心的に相違ない双子葉(植物)ということで、急に行き先を変えて中野で降りる。交番で聞くと中野サンプラザの脇だというので向かうも、なんだかぞっとしない汚な臭い脂臭がするのです。みれば夕間暮れのサンプラザ中野(ハゲ)前におっきなおにいちゃんがごっそりいるぢゃありませんか。まあなにかしらハンバーガーの試食会? ブロッコリーの株主総会? 精肉市?などとおもっていたらメロン記念日のコンサートってハロプロかよ。サタデーナイトはゴイスーな姉ちゃん見てウハウハかよ! まぁこっちも坊主頭の落語家見てハァハァってんですからいい勝負だけど。アホか。

 で、区営バスきたよ。「なかのん」ってお前はフジのアナウンサーか! しかも210円って関東バス御中と変わんないじゃん! 駄目だ中野区! さすがに歳入の6割がサンプラザとブロードウェイと越冬こあら(年収2兆円)でまかなわれているだけのことはある!
 私営バスと値段が変わらなくて何の意味があるよー。
 乗るけど。時間ないから。
 そういう意味では武蔵野市はえらいねえ。バス100円だものねえ。そりゃあ市長も比例代表で自民党の一位行くわ。去年の衆議院選挙の話だけど。

 でまぁ、珈琲寄席です。
 初花「寿限無」
 初花「悋気の独楽」

 よく笑う小学生がいて、一番前で何を聞いても、初花さんがなにしても大爆笑。九歳だってっけど「悋気の独楽」で大爆笑しているものなぁ。いやでも、本当に意味がわかって無くても、その場の空間だったり、ちょっとした為種だったりで、わかんないならわかんないなりに面白いものなのです。
 それが、ライブだとも重牛。ヘビーブル。

 「悋気の独楽」の下げは「ああ、旦那の独楽は心棒が狂ってる」上方だと「心棒が曲がってる」。でも、「心棒が狂っている」ちゅのはどうなんかね。「辛抱が狂っている」「辛抱が曲がっている」、もしくは「性根が狂っている」「性根が曲がっている」どれだろう。ぢゃあ、妾を囲うことは「性根が曲がっている」ということになるのか。それは定吉が小僧だからか。
 あれだけ妾の人に可愛がってもらってかい? 小遣い貰ってかい?

 どうもこのあたり、解せない。
 終演後、なんとか間に合ったもまじえて晩御飯。まぁー、みんな楽しそうで、よかった、よかった。
 帰りは高円寺迄歩いて電車。を武蔵境まで送ってから徒歩で帰る段、非常に不思議な気持ちになったのだが、それはまた別の話。
 一項目にネタをつめすぎても、読者だって大変だモノなぁ。というわけで、いづれ。

権助提灯 2006年06月09日(金)

「提灯にはおよばねぇ」
「なんで」
「もう夜が明けちまっただ」

 夜の死球王ことながしろです。
 つか誤字なんですけど。等価の麻の護持なんですけど。
 どっかのすっとこどっこいが中途半端な時間にけっこうなメールを下さったので、おかげで眠らなくて済むようにしてくださいました。(敬語)夜が明けております。

 昨日……なんだっけか。
 結構な雨で、ちょっと出かけて、山本有三『無事の人』(新潮文庫)が50円だったので買い、佐渡川準『無敵看板娘』(17、秋田書店)が最終巻だったので買って読み。まぁー、週刊誌連載にしては無難なオチだったんぢゃないの、といいつつもなんだこの絵の荒れっぷり。

 なんか、そんなところだ。
 仕事は、いまのところ忙しくやってる。

おかふい 2006年06月08日(木)

 ずっと「すずかぜはるひ」でインプットされたたよ! ながしろです。

・今日はザムザ阿佐ヶ谷で劇団greatful-lifeの「SCHOOL OF THE DEAD」見た。見てしまった。

 えーと、なんだっけ。ダミアン? 2006年6月6日は悪魔がどーのこーの。まぁ、よく知らないんですが、定時制高校に通う色々な人が一人の自閉症の少年によって地獄絵図になっていくという、タイトルどおりの芝居でありました。どうも最近、演劇を見るたびに人の悪意をピックアップしたような作品に会うのは仕様かね。そういう運命なのかね。
 大体こう云う作品にあってフラッシュバックするのは「なぁに、厄介な絵なんぞ腕が未熟な証拠だ」という北斎センセ(杉浦日向子『百日紅』)の言葉なんですが、どんなテーマを取り扱うにしても、方法論として悪意をぶつけてくるんぢゃなくて、もっとスマートに出来ねぇのかなぁ、というのが一番の感想。なんにせよ、そのままぶつけてしまうと精神衛生上よくないし、これをホラーだとするならば、よいホラーを見た後の爽快感もない。ホラー見ないけど。でも、見た以上は観客にとってプラスになる、というのはショウビジネスの最低条件じゃあないだろうかね。チガイマッカァ?
 これで2800円は、ない。ありえない。
 下手で面白いのは許せるが、うまいのに面白くないのは始末に畢えない。まさにその典型、といったところか。

 なんかなぁ、「この舞台をやることで、何が面白いと思っているの?」と、役者に聞いてみたい舞台ではある。
 で、ちゃんとした答えが返ってくるとしたらそれはそれで楽しみなのである。

 落語「おかふい」に関しては当彼岸録で前に書いた気がしますが(今年の2月25日だ)、今あの噺を噺家さんににふってもあんまりいい顔しないんです。やるところないし、けっこうグロっちゃあグロだし。
 でも、江戸時代人のおおらかさが、あの噺の救いになってる。
 救いが無くちゃあ、いけません。救いが。

死神 2006年06月07日(水)

 今日はじいさんの命日。ながしろです。

 上野の古本屋横丁をぶらぶらする。ここは魔窟な上に珍本の類もたーんとあるが、いかんせん他の店より値段が高めなのである。無茶苦茶広い店で売り場の2割はエロの山ですが、昔の資料やらなんやら探すにはいいかもしらんね。でも、普通の本だったら他の店で買ったほうが安いんだ。間違いない。
 場所は上野の公園口からぐっと下ったところ。映画館と同じ建物なり。

・最近読んだ本、といいつつも最近は「モンティパイソン正伝」(白夜書房)を読んでいるためにほぼソレに取られてる。なにしろアータ、A5版450ページの巨漢本がオモチロウテはふはふ読めてしまう。まだ読んでる。
 読み終わったらなんか書く。

 文庫本は外に持っていけるので、宮内勝典『火の降る日』(河出文庫)読了。いわゆる青春小説ッたら青春小説なんだけれども、そこに人間が成熟するためのイニシエーション的な要素もありながら、なんか色々な思想やモチーフやなんやかやがくっついてきていて、単純に単線でないところが作者の力量でもあり、読者にとってややこしい点でもある。読むに体力を要する小説であった。付属の解説は蛇足すぎてどーも。
 よく出来ているちゅ意味では85点、面白いかどうかったら70点ちゅところかしらん。平均77.5点でB判定であります。

 で、『火の降る日』の終わらせ方ってのかな。気になったのはその辺で、親の重圧だとか、性的な欲望とか色々なものが高まるだけ高まって、さて、残り数ページでどうやってオチをつけるのだろう、ということで落語の「死神」をふと思い出すわけです。ネタバレを気にしつつ書いておりますが、盛り上げるだけ盛り上げておいて、さてどうする? という処理に仕方について、自分が書く側としても迷う部分。

 「死神」の場合、最後、「裏技」によって死ぬはずの富豪が生き返る、でも、その代わりに富豪の寿命を引き受けねばならない。最後の最後に予備のローソクを死神が渡す、点けようとするが手が震えて、ああ、消える、消える……(ガクッ)というのがスタンダード。
 これが噺家のアレンジによって結構変わるわけです。

 志の輔師匠の場合は、消える……消える……で、点いちゃう。おめでとう! よかった! さぁ帰ろう! ってんで帰ってお日様の下。
「なあ、もう明るいんだからロウソク、もったいないぜ」
「ああそうか」(フッ)

 枝雀師匠(だったはず)は「さあ、新たな人生の恥始まりだ! バースデーケーキを用意したんやけど」「わぁ、うれしなぁ、ハッピバースデーツーユー」(フッ)

 あと、面倒くさくなって死神が吹いちゃう、ってのは誰だったかなぁ……。

 なんかこう、終わらせ方、というものを考えた。

黄金餅 2006年06月06日(火)

 取りたてて書くこともなく。
 もくもくと仕事にいそしんでいました。
 夕方ぷらっと出かけたくらい。

 一杯稼ぐとか、こうすれば大もうけです、という輩がいて、それがブームだって云うけど、でもそういう成金の人々は自分の金を守る方法を知らないのであります。
 彼らの云うとおり、何が何でも金をかき集める一方で、その金に嫉妬する人間がぞろぞろ現れるという構図があって、たとえばその嫉妬が国家権力を動かしている、という可能性もないわけではない。
 なんかこう、大人しく、こっそりとしていれば捕まらないで済んだんじゃないかなぁ、と思うのです。
 そういう意味では、古くからお金を沢山扱っている人はしたたかなものです。
 だからブームでもなんでもないし、ホリエモンも村上ファンドも小悪党であります。もっとブンガクやったほうがいいと思うよ。彼らは。

「黄金餅」ちゅと、似非坊主が溜め込んだ金を、餅に包んでみんな丸呑みにしちゃうが窒息死しちゃう、みたいな話です。誰かにあづけるのが怖ければ自分で持っているしかないし、盗まれないためには体内にしまうしかない。エライ。でも、死んぢゃあ仕方無いけれども。
 噺では焼き場から小判を拾った男が「黄金餅」なる店を開いて繁盛します。まぁだいたい、まわりとうまくやれないと、駄目なのです。ついには殺されます。
 色々な意味で。もちろん性的な意味でも。

花筏 2006年06月05日(月)

 本日から願掛のため、一ヶ月タイトル落語縛り。

 「花筏」ッたら、多分数多くある落語の中でも、ストーリー性といい、エンターティメント性といい、完成度が一番高い部類にはいると思うんだ。なにしろ、だれも被害をこうむらないし、傷つかないし、オチがしょうも無い。もともと上方落語だけど、いいよ。あれは。
 マイナーなのは、なんでだろう。相撲話だからかね。

 「寄席の日」ということで、木戸銭が半額になるんです。すごいよね。毎月やらないかね。三月にいっぺんでもいい。で、行ってきた。三文ライターじゃけえ。
 で、どこにいこうか迷って池袋に行ってきた。池袋で定席というのは記憶に無いし、なんとなく末広亭まで歩くのが面倒だったためであります。

 2006.6.5 池袋演芸場昼の部

こみち「狸の札」

初花「寿限無」
にゃんこ・金魚(漫才)
時松「粗忽の釘」
扇治「壺算」
アサダ二世(奇術)
さん喬「 」
馬桜「たが屋」
小菊(俗曲)
喜多八「(新作)」

 仲入

菊之丞「酢豆腐」
歌之助「 」
小雪(太神楽)
扇遊「妾馬」

 やだなぁ。8時間前のことも記憶から抜けてる。若年地方だ。モルツハイマーだ。モルツもってこい。
 時松/扇治さんのあたりで「粗忽の釘」「壺算」逆だったかも。あと、喜多八師匠の新作落語は面白かった。

 明治だか大正だかの富豪がいて、家に帰るとしょっちゅう奥さんや使用人を怒鳴り散らす。とにかく怒鳴り散らす。茶の出が遅い、額縁の釘が曲がっている、帽子が曲がっている、しまいには来客までおびえて帰っちゃう。で、耐えかねて奥さんが家を出てしまうんだけれども、出戻った実家で父親に諭されて「お前一人でやろうとしないでまわりと分担しなさい」なんて云われて家に戻る。
 さぁ、今度は車で家に帰ると家中で出迎える、庭に水は撒いてある、額縁の釘は全部取換えてある。お茶が遅い! と云われる前にアイスクリームが出てくる。日の打ち所が無い。旦那耐えかねて
「オイ!」
「な、なんでしょう」
「これじゃあ俺が怒鳴れない」

 コレだけの話なんだけれども、演者によって抱腹絶倒の噺になる。
 だから、いいんだ。

 全体的にいい雰囲気の寄席。客もよく笑うし、噺家さんも気合いが入っていた。
 満足。夜までいようとも思ったが、尾骶骨の痛みと、頭のぐらんぐらんするのであきらめて帰宅。

 しかし、知り合いが寄席に出てしゃべっているというのは不思議な気持ちであります。
 初花さん「寿限無」は初聴。最近の中では上の出来。

根釧とレーション 2006年06月04日(日)

 けっこうな宇田川清江ファン。ながしろです。

 根釧とレーションとかもじるために意味を後付で調べてたらレーションってこう云うことですか。で、面白いのでがっちり読んでしまう。

 ふむ。

 本題。
 このごろ、コンセントレーションが取れなくなっています。飽きっぽいというかなんというか(それは昔からですが)、なにかが気になる。ささくれだっている。心が。デュナミスの一本くらい弐時間で書くぐらいの(もちろん、そのあと推敲もしますが)気迫が無い。どうしよう。致命的。主体性も、問題発見力も、状況分析力も失ってしまったわ。
 で、このままでは仕方が無いので「集中力を高める」とかなんとかインターネットリで検索しちゃったよ。やることがダサいね。イモだね。いいんですイモですから。多摩産ですから。
 それで「集中力を高める七か条!」なんてのがあって。

・環境をととのえよう
・優先順位をつけよう
・不安や迷いを絶とう
・達成できる目標を立てよう
・緊張感はほどよく
・ゲーム感覚を利用しよう
・集中を繰り返そう


 だって、結局は自律の一言でまとめられますな。なんかもっとすごいことを書いているかと思ったら、そうでもなかった。がっかりだ。
 それができなくなってるっちゅーねん。
 できたらやってるっちゅーねん。
 にじっせいきちゅーねん。

 だが、せにゃならーん。
 曠野を開拓せ、にゃ、な、らーん。
 とりあえず、迷いを断つか。

噴火日記 2006年06月03日(土)

 ここは「噴火日記」ではありませんが、
 本日はながしろが噴火します。しますよ。
 じゃ。

盗作疑惑 和田氏「プロなら違い分かる」

 盗作行為について問題にしたいのではない。むしろ、和田とか云うじいさんが「プロならわかる」と宣べた点にある。
 もちろん、新聞記事というのは「切った」「貼った」が身上なので和田氏の発言意図が多少変化している部分も加味しての話だけれども、そこまでして、彼の信じる「プロ」というのが彼の楯となっていることがどうしても、許せない。画壇かよ。芸術院かよ。
 明治大正における文壇や画壇といったものは、非常に社会的にも大きな影響力を持っていました。今でもたとえば日本ペンクラブの名前で以てイラク戦争に反対したり、自衛隊の派遣に反対したりということをしていますが、その影響力は昔に比べれば雲泥の差です。
 じゃ、もともと文壇画壇というものがなんであったかといえば、世のアーティストをその内部で育てて、ある一定の実力や身のこなしを身につけたときに堂々とデビューさせることができるような、そういうアーティストを育む場所であったわけです。
 が、もうすでに、画壇で評価を受けて、とか云われても、同業者の間ではすごくても、社会一般的にはどうってことぁないのです。群像二次通過! なんつて驚くのは作家志望者だけよ。あんなものどうしようもない。日本人口の大半は「で、いくらもらえたの?」って話になると思うんだ。一作、障子にちんこ立てる小説書いて都知事になったほうが偉いものね。そういうものなんです。それほどまでにこの国は戦争を境に、文化をほっぽって高度経済成長にかけてしまったわけでしょ。
 それがなにか。プロか。画壇が、芸術院がプロか?
 ちゃんちゃらおかしいや。

 あと巨人についても最近大噴火していますが、最近勝ってるからやめとく。
 今の巨人にもガッカリだが負ける巨人はもっと厭や。

おしゃべりなたまごやき 2006年06月02日(金)

 ナホトカのクーラー屋ことながしろです。
#寒い地域でもさらに寒い洒落

・ガセネッタこと米原万里さんが亡くなり、ファンファンこと岡田真澄さんが亡くなり、圓彌師匠が亡くなり、そして寺村輝夫さんが亡くなり。
『おしゃべりなたまごやき』ですよ。いまだにトラウマになっている。あの悲劇、悲劇です。あの作品を思い出すたびに悲しい気持ちになる。王様シリーズ。
 王様がなんだかの理由でピクニックに出かける。城の料理人がご馳走をいっぱい、たんと作っていざ出かける段、なにかで窓から出ようとするのよね。気球だったかで飛ぼうとする、が、落っこちちゃう。バラバラになるお弁当。せっかく作ったのに、みんなもう、台無し。
 この「せっかくこしらえたのに、何もかも、台無し」というシチュエーションが厭で厭でしょうがない。いまだにそう。せっかくこしらえたものを、めちゃくちゃにしてしまう存在に殺意を覚える。コックさん泣いたと思うよ。あーあ、じゃないよ。仕事とはいえ朝早くからがんばったろうに。文句を言いながらも、腕を振るったろうに。もう、やりきれない。
 案外こういうところに、己のコアがある。
 で、もう少し調べていたら、寺村さんは「わかったさんのホットケーキ」とか、わかったさんシリーズやこまったさんシリーズも書いてらしたのね。読んだよ。読みましたよ。小学校のとき、図書室で全館穴があく位読んだ。泥棒が入っても一緒に料理しちゃうあの気軽さがよかった。でも、気軽で自由と言うことは、その先の闇もあるってことだ。や、絵本なので多角的な視点、とか野暮なことは云わないけれども。

 村上春樹、何が面白いのかわからない。まだ村上龍のほうが、わかるが好きではない。だいたい文学屋はこのどっちかの派閥に行くらしいですが(現に、N芸もどっちかで割れていたように思う)、面白いかったら、面白いとは思わんのです。でも、人に云われて結構読んでます。「羊をめぐる冒険」『ノルウェイの森』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『トパーズ』『コインロッカー・ベイビーズ』もっとあるはず。でお、印象はほとんど喪失してる。並か、それ以下に思う。
 ただ、まぁ、春樹も龍もよく読まれていますよ、と言うことを云われると悩むわけです。どっかに欠陥があるんぢゃないかしら、とか。でもエロだったら山口椿の方がうまいし、村上春樹を読むんだったら高井有一のほうがうまいです。
 最終的には「まぁいいか」なんだけれども。

 文章書きが面白いと思ったのは椎名誠さんが最初です。つらうら鑑みるに、文章におけるライブ感、というのが、最大公約数としてある気がします。これが殿山泰司でも、漱石の一部でも、あの躍動感が欲しくて本を読むし、古典を読むし(江戸の黄表紙はステキです)、自分で書くのだと思うのです。

 話はヨコにそれまくり、でもまあいいじゃんそれもライブだし、というところで本日はチョン。

On/Off 2006年06月01日(木)

 宿のINNのことを考えたらONもONNでいいんぢゃねえの? ながしろです。
 そうすると、NHK教育付近でonnがoffになるアニメを一本作るくらいのことはしそうですなあウシシシシ。

 インターネットというのはおそろしいもので、気がつくとうだうだうだとじっとり汗をかきつつ見ちゃう。なんで見ちゃうかといったら、いままでにない情報がどどどずずずと動きもせず入ってくるからで、Yahooニュースを15分間隔でチェックし、アンテナを見ては誰か愉快ポンチな文章を書いていないかと探し、そういうして居るうちにぐったりと疲れて、集中力が途切れるは部屋が暑いわ、ときどきいたたまれないニュースを見て鬱々とするわ、で。
 見なきゃいいんです。情報のほとんどは、知る必要もない問題なんだからして。誰が殺されようが、どの芸能人が離婚しようが、再婚しようが、いいの、どうでも。
 むかし某カルト宗教のニョショウと話をしたときも「全世界の人を救うためには」なんつ話、馬っ鹿ぢゃなかろうか。アフリカの国がどんなだなぞ、メディアやインターネットなくしては知りえない話で、知りえない、知る意味のない話題を聞いて同情したり、善意を勝手に芽生えさせたり、勝手に彼らを「途上国」にしてしまったりしている。
 途上国呼ばわりをされるのが厭で無理をした結果であるわが国ハポンよ、知るべきは他人の病状ではないのである! と、こういう生真面目なところも洒落ですから。笑ってください。笑う角でようやっと服を着てください。つかまるから。顔がわいせつでも服を来ていればなんとかなります。

 じゃ、とりあえず書けたのでPCのスイッチをoffとす。そしてネットにつながっていないPCを立ち上げて原稿を書くんですから、もうなにがなんだかわからない。じゃ。OFF!


Web Diary UpVersion ver 1.27