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彼岸録

ときどき、12歳以上推奨。心して御覧下さい。


本当の、夏の、終わり。 2006年10月07日(土)

 だっふんだ! ながちろです。

 いや、あれですよ。
 ようやく最後のスイカを食べおわりまして。
 今年はスイカの当たり年だったのか、拙宅に来るわ来るわスイカばかり。当方スイカ大好物ですので気も狂わんばかりだったのですが、まぁ、なんとか食べ終わりまして。これで今年も冷蔵庫の隙間算段の時期が終わったなぁと、そういうわけでして。

 パ・リーグプレーオフは西武 5 - 3 ソフトバンクという予想をしていたら、1 - 0 で西武でしたな。大一番なので松坂がグダグダかと思ったらそうでもなく。斉藤も崩れなかったね。

 第二戦は 3 - 2 でソフトバンクじゃないかな。西武先発が松永じゃなあ。流石に打てると思うよ。

 しかし長雨のあとはいい天気になった。が、鼻が乾いてしょうがない。犬なら病気だよ病気。

日々無日 2006年10月06日(金)

 髭剃ったら方向感覚が無くなったのよさうにゃーん。Mです。

・何にも無い日々を送っています。何にもないちゅのは、つまり、書くべきような面白おかしいことも無く、ただ黙々と、励んでおります。お仕事に。
 まぁ、こういう時期もあるんじゃなかろうか、とも思うんですが、なんだか毎日見てくださるどっくちゃんのみなさま、もとい読者の皆様にゃモーシワケナイ(もう仕分けない!)と思いつつも。だってそうでしょ。アタシも、「まだこいつは更新しねえのかよったく」と思って見てますもん。まぁ、急かしたところでなんにも出ないんですが。

 なにか有用なことが書きたい。
 ねえな。

 カメハメハーーーーー!
 出ねぇー。

 きんとうーーーん!
 来ねぇー。


「なんだなんだ」
「呼ばれた!」
「ばれた!」
「た!」

 なんか面白いことやんなさい。

「都合のいいときにだけ呼ぶな!」
「呼ぶな!」
「そうだ!」
「だ!」

 帰ってしまわれた。
 皆さん気づかないだろうけど、5匹いるのよ、彼らは。

コントラが行く 2006年10月02日(月)

 今日の腰にくる掛け声。

 「野郎ども! 合体だ!」

 やましいのはアタシだけか。ながしろです。

 昨日は氷月そら女史の所属するエウテルペ楽奏団の定期公演会にご招待されたのでいってまいりました。大体クラシック、呼ばれても行く気がしないんだけどここだけは別で、なにしろ楽しいのです。クラシックが楽しいというのはなかなかない経験よ。特に聞く側がですね。
 演るがわが楽しくなくてまともな演奏が出来るか!
 や、あ、たしかに、完璧ではない。バイオリンの線は細いし、金管の連中もエッジが利いてない。ソプラノのゲストの人もあと10kgは太ったほうがいいように思う。。でも、完全なる調和を求めるんだったらN響でも都響でも何でも聴けばいいじゃない。

 まぁ、クラシックなんぞ特にそうだと念うのですが、今でも作品が生き残っている作曲家というのは一つの完璧を目指す傾向にあります。4拍子だったら4拍子以上の♪は小節内に入ってこないし、すべてが調和するように作ってくる。ゆえに、正確であればあるほど、正確さの上に感情がほとばしるからこそ素晴らしい、という向きが正統な鑑賞なのだろう。楽譜どおりに出来て、更にそこから持ち味を出す、というのが醍醐味なんだろーが、だいたいは、その完璧さを理解ってて喜んでるかっていうと、決してそうじゃないように思う。

 そもそも、「月は隈なきを見るものかは」というメンタリティーからすれば、クラシックというのは対極にあるのではないだろうかね。この辺はもっと事情に詳しい人がいるのだろうから深追いはしないけれども、調和と計算と、そんなようなパーフェクトを求めるクラシックに対して、結局今評価されているクラシックというのは、いわば欧米人の感覚なのです。虫の音が雑音にしか聞こえない耳での判断。だとすれば、だ。日本人としては、正直、エウテルペの方が面白いと思うのです。よかったら、人気が出る前に(笑)、チケットが一枚2万も3万もする前に行った方がいいかもしれない。
 まだ、日本人、感覚を押し付けらていることを考えないようにしていないか、と思うのよ。エウテルペを聞いてるとね。
 学生オケというのは、どうしても、俺が俺がになっちゃうから、またこれは別の話なんです。

 あ、で、前のほうの席が空いていて、三列目に座ってニコニコしていたら、後ろのほうのそら女史は見えませんでした。魂斗羅ファゴットというから、どんな破壊兵器が出てくるのだ! とも思いましたが、残念無念、鳩胸ン。
 でも、満開の桜の隅田川が、見えた。一台の緑色のヘリコプターが飛んでいくのがみえた。
 爛漫な感じ。非常に、いいのです。明るくて。

 次回、来年2月25日は晴海のトリトンスクエア。プーランクの「ピアノ協奏曲FP.146」はかなりエロいそうですので、愉しみに、いくことにします。

宗教の効用 2006年09月30日(土)

 やっぱり広末はいい、いいんだ。ながちろです。

 なんかこう、最近書いてないでもうしわけない。
 そもそもまともに日本語を吟味してどうにかしようという余裕や気持ちが失われている。ないのです。ちゅのも忙しいから、と一言で済ましてしまうのはアレですが、なんというか、土砂崩れがあって、どこから処理して行けば一番効率がいいか、というのに似ている。闇雲に掘っていったらどんどん頽れてくし。上から処理していくには足場を作らねばならないとか、そんなところです。

 丹波哲郎さんが亡くなって、なんだか非常に不思議な気持ちになったのです。和気藹々とした遺族の会見。ずいぶん亡くなった父には触られました、なんて息子の嫁。何か非常に気持ちがいいのは、まったく死を恐れる様子がないのがいいのです。宗教が、うまいこと機能している。

 だから、宗教家というのはこれでいい。なんで宗教があるか、それは結局死だとか、不幸だとか、事故だとか、自分ではどうにもならない不安を軽減するためにあるのです。これはどんな宗教でも同じようです。アッラーと契約する、阿弥陀仏が救ってくれる。そういう信仰がバックボーンになるから、人は不安から解消される。
 だから、科学でもいいんだよね。僕の未来は大きな生ゴミ、海の漂流物。これでもいい。とにかく、自分の中で、未知のものについて納得できれば、いいわけです。これをまあ、悟りという向きもあります。完全に信仰して死を恐れない兵隊になった一向一揆とか、
 そういう意味では、丹波さんはよかったのだな。さすが大霊界だわ。と思ったわけです。
 為念、べつに丹波さんの「大霊界」が好きなわけじゃないですぜ。最近よくわからねえ読者がいるから、一応書いておく。

風の兆候 2006年09月26日(火)

 風に兆候なんてあるのかね。
 わからないかね、あの一瞬に吹きすさぶ風にだって兆候はある。だがしかし、我々人的なるものの感覚では捉えられない。瞬間の、風吹く直前の1/2000の閾値によってのみ捉えうる現象なのだから。
 虫の声に耳を傾けよ。風切羽の旋律に耳を峙てよ。



……とかまぁ、なんでもなくて風邪の兆候。
 のどの奥が痒い。毎年恒例。
 急に寒くなりはべりしに、でも雨の中ふらふらと出かけたりする。しかたなく。で、やっぱり寒い。

 最近黙々と仕事か野球か大神のため、本当に書くべきこと、ないのです。逆に言えば仕事で四六時中書いてる。ゆえに、エネルギーを分散させたくない、というのもある。楽しいことばっかりではないよね執筆も。

 ようやく「締め切りに追われて大変なんすよー」ということをほざけるようになったらしい。
 えらい進歩だ。そのわりには遊んでるけど。

よせてあつめて・46 2006年09月23日(土)

 電話番号は0120、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや、やずや。ながしろです。

<21日>
 通販生活で買った「メディカル枕」を使って寝ているのだが、この枕は真っ白であるため、ナガシロバンリが寝るたびに汗が吸収されてだんだんと茶色っぽくなってきます。まだらです。で、まぁ、枕カバー(同じく純白)は洗濯しやすいのですが、枕本体はなかなか洗濯しづらい。でも、気になってきたので一念発起して洗面台に押し込みました。ぬるま湯と洗剤でぎゅうぎゅう押すと灰色だが茶色だかのばんり液が出るわ出るわ。
 で、適当に色が落ちたので(疲れたので)、天気もいいし、ベランダで干した、が、二日たってもまだ乾かない。まだぐっちょんぐっちょん云ってはるので、いたしかたなく、洗濯機に枕だけ回して、近所のランドリーに放り込みました。で、なんとかなった、と思いきや、今現在(三日後)もなんとなくじっとりしてる。枕は恐ろしいね。わけのわからない吸湿力。


<22日>
 床屋で頭を刈った。
 帰りに井の頭公園に寄ると、なんだか子供(3歳くらい?)と遊ぶお母さんが、何かに似ている。中学校のときに好きだった人に似ている、とおもったら、おそらく本人だったと思います。おそらくなので遠くから見るだけですが。確実であったとしても絶対に声をかけないでしょうが。
 でも、ショック。ショックじゃない。なんか、感慨、いやちがうな。あの当時から鑑みて「俺の目は間違っていなかった!」というか、うーん、へごもご。
 仮になんだったって、こっちには話すことなんざなんにもないんだからして。家族にだって言うことがない。


<23日>
 彼岸なので墓参りに行った。夏は拙宅の祖母が倒れたりでいかないでいたら、案の定植えた柘植も松も枇杷も金柑もにょきにょきよく生えている。ばっさり馘る。10pくらいの大きなコオロギやげじげじの群などが慌てて逃げていく。なかなかスペクタクルなり。


あーーーーー!
 不覚! 不覚! 不覚!


・桑田、巨人軍退団か
 いい、それでもいい。
 楽天で見たい。ノムさん拾ってくれないもんか。

ぴよぴよ 2006年09月20日(水)

 道端を歩いていて、なんかピヨピヨいってやがるなあと思ったら、小学生女子の三人組が下校途中だった。手にはホレあれです。変なおっさんオバハンやレディースアンド珍走団に襲われたときの防犯ベル。これを、小刻みにつけたり消したりしてる。そのために、ピヨ、ピヨ、と、まぁ、ヒヨコっぽいですが。
 でもそれじゃあ、役にたたんだろう。

 ああいうのはぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよと鳴るから「あ、もしかして異常なのでは?」と思うわけであって、普通にヒヨコじゃ可愛いだけだものなぁ。

 あああと、多分授業中に急に鳴らす子供も少なからずいるように思う。かまってもらいたくて。
 自分のことをかまってもらいたくて授業をつぶすスカタンというのは、世の中にはたんといるものであります。

華燭の典 2006年09月17日(日)

 あなたの街の世界遺産(失笑)ことながしろです。
 ここ最近の動向をまとめると、

・土曜→緊急の打合せがあって師匠のライブ行けず。
 「川端/雪国論」は惜しい。死ぬほど惜しい。
 往来座さんあたりがまとめてくれていないか。……なかった!

・色々と企画は動いている。
 でも、浮かれちゃあかんのやね。出来上がってからでないと不可ない。わかっちゃいても、あれもやるんだ、これもやるんだ、で喜んでしまう。
 まぁ、やらんことには、できんのやしなぁ。

・日曜→宇田川劇団見にII高。直雲と板東がいる。
 出し物は中学部「辛酸と炭酸」、高校部「華燭の典」。中学部を見て、あんまりにも脚本ホンがぐずぐずなので心配になる。稽古だけはそれなりにきっちりやっているので、生徒諸君の基本的な出来に救われたような作品だった。あれはひどい、ひどい、などと言い合う。中学生はいい。けなげに見える。
 結局だんだんとキャリアを積むごとに、やらねばならないことがどんどん増えてきて、充実した脚本が提供できなくなってくる、というジレンマがあると思う。今回も、中学部と高校部の脚本、それに学校の催しとしての脚本を仕上げていたようだ。なんかこう、ヤクルトの古田を見るようでありました。プレイング・マネジャーもやはり限界があるわけですわな。
 そんな空気の中で見たのか、それとも高校部に渾身の力を込めたのか、高校部「華燭の典」はえがった。29になった女性の結婚式直前の話。女性の父親は聾唖者で、女性が生まれる前に亡くなっているが、ちゃんと結婚式には喪服姿で、亡霊として控え室に座って、娘の様子、母親(妻)の様子、娘の友達との掛け合いの様子をじっと見ている。この父親役の表情がなんともいえなく、いいんだ。頼りないようで、影が薄いようで、でも、ずっと30年近く家族を見守り続けてきた強さというものがしっかり舞台上で現れている。30年前にいなくなった父親でも、ちゃんと家族の一員として家族の柄を彩っているのだ。もう、それを見るにつけ、泣けます。泣きました。だーかーらー。これが書けるんだよ。宇田川豪大は。それゆえに、高校演劇で終わって欲しくない、のです。でも、これだけ統率の取れた高校演劇を見続けたい気持ちもある。複雑な、感情。
 ただ、今回面白かったのは、いままで宇田川作品におんぶにだっこだった部員たちが、ちょっとずつ脚本から乖離していくようなところがあったことだ。例えば、宇田川脚本最大の持ち味だった長台詞が、今回に関しては決して有効なだけではなかった、ということだ。芸達者ぞろいの部員の中で、もっと部員が見たい、そのためにもっとセリフを絞って、「云わせる」のではなくて、役者を「見せて」欲しい、という感覚が芽生えたのであるよ。
 あきらかにかわりつつ、ある。もちろんよい意味で。

モドキ氏の帰還 2006年09月15日(金)

 ストローでホルマリンをぼこぼこするのはやめなさーい。ながつろです。

 家の者からはボツボツ聞いていたんだけれども、モドキ氏が帰宅しているらしい、というので車庫に見に行くと、いましたいました。いままで以上に不機嫌そうな顔で。
 どうも、暑かったから避暑してました、みたいな按配らしく。

 なんか、そんな感じだ。
 精神的にはなんとか再構築できそうだ。
 そう、自分は短期決戦型。
 無駄に仕事を引き伸ばしては、ならぬのだ。

 3ヶ月ぶりくらいに調子を取り戻しつつある。
 今の状態で、8月のライブをやり直したい。

断線寸前 2006年09月13日(水)

 見るものすべてが笑いに直結するそんな朝。ながしろです。なんだこのテンション。
 というわけで仕事にいってくる。

 やー。
 変な一日だった。なんだかしらんが動いたり止まったり。アタシのことです。JRのことではないですじょ?
 どうも最近、作業中に脳の動きが止まることがあるようです。で、手も止まってる。動きも止まってる。人と会話しているときはつながっていますが、ちょっとした瞬間に止まってる。信号が入り続けないと動かなくなるみたい。なんなんだろーね。
 今日もKO電鉄にのって行ったり来たりしたわけですが、といっても新宿から八王子までワーイとか云ってぎっこんばったんしてたわけではないです。日本語ってムズカシイ。ムズカシイのはお前の頭じゃこのヴォジャノイ! なんでロシアの水の精が出てくるの。
 帰り道にはにゃーん上水、もとい桜上水から(そのボケには限界があるだろう)慌てて乗り込むと、車両の中に「女性専用車両」とでかでかと書いてあって、見ると全員女性なのです。ヒィッ! 女の園怖いッ! などと思って20秒くらい固まったでしょうか。まー、なんつーか、女性らもこっちを訝しげに見ている(気がする)。で、慌てて反り見すれば(万葉集だね)、野郎の乗客様も普通にいらっしゃりやがって、安心したんですが。女性専用車両って、痛金ラッシュの時だけよね。だからいいの。あたしも今だけ女。もうわけわからんわオッチャン!

 なんかあの、使い古されたACアダプタのようです。ファミコンとかの。無茶な線の抜き方するから。
 そりゃあ、じーっと止まってたら、訝しまれても、仕方無い、よ、なぁ。

 古本センターで『柳宗悦 民藝紀行』松原岩五郎『最暗黒の東京』(ともに岩波)購入。明治時代の最下層の人々のルポルタージュとのこと、楽しみなり。

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