DAVID BOWIEについて(1)2001年12月13日

自分が何故DAVID BOWIEが好きなのか・・というよりも
本当に好きなのか?と自問自答することがある。

私はただひたすら、その後ろ姿を見ながらDAVID BOWIEのあとを
追っている感がする。聴衆として。
彼は待っているし、時代には滅多に振り返らないけど
聴衆には時々振り返ってくれる、あまつさえ
あ〜も〜ほら、よいしょ!とばかりに
手を伸ばしてさえくれるときもある。
が、そんな時でさえ、私にとってのDAVID BOWIEは
追っているものが見る厳然とした後ろ姿なのである。

私は絵を描くので、自分でもDAVID BOWIEが好きであると言うことが
非常に解りやすい。他人にとっても多分解りやすいだろうと思う。
個展にふらりと立ち寄った海外のお客様に、「DAVID BOWIEがすきだろう」
と言われて、「尊敬しているし、おそらく多大な影響下にある」と応えた。

自分が、ものすごくDAVID BOWIEを好きらしいと言うことは何となく知っているが
他者にはっきりこうであるとある程度の厳密さを以て表現すると
この、尊敬と自分が受けた影響が、いちばん語意が近い。

今年の9月11日に、我々の感性の前に引かれた一本のDEADLINEを
あれ程までに繊細な言葉で明確にしたアーティスト。
もちろん、他にもあの出来事について語った芸術家は多いと思う
だが、私はDAVID BOWIEのいるこの世界を未だ信じることが出来るほどに
あのコメントに共感した。

DAVID BOWIEの後ろ姿は追いつきがたいほどに厳しいが
それがあって、幸福だと、心底思えた瞬間だった。


http://www5a.biglobe.ne.jp/~belne/63433837/index.html
BOWIENET 11月26日(月)20時15分28秒


bowienetは、小さな変更を繰り返している。
一つ一つはささやかなものだが、なかなか穿った変更だ。

主な変更箇所はdiscourseと呼ばれるネットユーザー達のための
解放区だ。
discusと呼ばれる巨大BBSには、登録したメンバー名以外の書き込みの出来ない
ID制が採用された。
GALLERYと呼ばれる投稿頁は細分化され、オリジナルの絵画と、
ファンショットのbowieの写真が混在していたimagesは
絵画、写真、と分けられ、投稿されるものはdavid bowieについて以外は
全てオリジナルでなければならないという、但し書きがついた。
投稿されたものについて、他のメンバーユーザーがコメントを入れられるような
アートな双方向制を保とうという試みもされている。

巨大有料サイトである、bowienetが早くも斜陽を迎えようとしている
インターネットWEBの世界にどのような形でその魅力を
損なわぬまま存在し続けるか。
インターネットという巨大な蜘蛛の巣(WEB)の中に今、漂っている
david bowieファンにとっても、
この偉大なスターとの新しいライブな関係を持つチャンスとして
bowienetは、いつまでも魅力的に息づく場であって欲しい。

TRASHではbowienetメンバー加入頁の日本語訳を掲載しています。

http://www.davidbowie.com
2001,11,26月
イマジン(2)
2001年9月11日の夜に
台風の去った後のラジオから、その第一報が聞こえてきた。
その夜から始まった坩堝が第2次世界大戦以降嘗て無いほどの
混沌にあらゆる人々を巻き込もうとしている。
戦渦の災厄は平和を望む者の上にも等しく訪れる。
それは突然の死のように無慈悲なものだ。
テロへの闘いであろうと、そこに、無辜の者の死がある時、
正義は一方的な響きの中にその言葉の意味を失う。
何故パレスチナの争いが続くのか
大国の利害とのもと紀元前の昔から蹂躙されてきたその二つの民族が
嘗ては一つであったはずだとは、誰も思わないのだろうか。
命を賭して闘いに身を投じている一人一人の命は
本当に彼が戦うべき敵と戦っているのだろうか。
どの神への信仰が、あのビルで働く人々一人の命より
重いと言えるのか。
今世界が直面しているこの憎悪に充ちている闘いの、本当の原因は、何処にあるのか。

世界がそれを動かす政治の力が、或いは宗教が、
何処へ行くのか私には、予測できない。

だが、私達には、思考する余地が残されている。
たとえ、答えが出ないことであれ、
どんな絶望の前に立ちつくす以上の術を持たなくとも
如何に無力であっても
思考することを放棄するべきではないと信じる。

絶望は信仰を持たない者の祈りと言ったのは大江健三郎氏であっただろうか
私は絶望の味を知っていると言える。そしてその味は
david bowieから、学んだものだ。
その深い淵から、私はやって来た。信じるために。
今この時にも、私は信じている。
人間と、この世界を。

2001年10月19日
イマジン 10月19日(金)00時54分

1980年の名盤「スケアリー・モンスターズ」中の「ASHES TO ASHES」は、198
3年の世界ツアーでも重要な楽曲として歌われた。DAVID BOWIE は自身の伝説的な歌
「SPACE ODDITY」の主人公トム少佐はジャンキーだと歌う。「一つの閃光が瞬く し
かし銃撃の煙ではなく」挿入された不吉な一節。この歌で私にはBOWIE がかつての幻
影を脱ぎ捨て、無防備に素足で地上に降り立ったように思えた。
−閃光は瞬く−しかし撃たれたのはBOWIE ではなかった。

史上最高のソングライターの一人であるジョン・レノンは、1980年の12月8
日ニューヨークの自宅のアパートメントの外でファンを名乗る男に射殺された。
BOWIE は1975年に彼の初の全米ナンバー1になる曲「FAME」をレノンと共作している。

「人間は悪い」と思わせられた…とBOWIE は語っている。
「彼の死によって私の人生の全ての平和は失われ、シンガーソングライターとして
の存在理由もなくなってしまったような気がした。…レノンの死はこんな状況に対し
て私たちが何とかすべきであると言う警告だったのだ。」

この後の2年の間、彼はオリジナルアルバムを発表しなかった。発表されたのは、
重々しい悲痛な印象を持つ映画の為の楽曲「CAT PEOPLE」と、クイーンとのコラボレー
ション「UNDER PRESSURE」一縷の愛に取りすがる抑圧を担う人類を描いた歌である。
          だが、BOWIE は音楽に戻ってきた。

1983年の4月に発表されたアルバム「LET? DANCE」は、ミリオンセラーになり、
アルバム発表後の「シリアス・ムーンライト・ツアー」と銘打たれたワールドツアー
は世界16ヵ国57都市97公演に及んだ大規模ツアーとなった。主演した大島渚の
映画「戦場のメリークリスマス」の成功とあいまってツアーは絶大なうねりとなって
世界を蛇行した。

極東ツアーの最終公演はツアーそのものの最終公演になった。

香港で12月8日。

アンコールで彼はこう語って歌い出す。
「今日、1980年の12月8日に、ジョン・レノンが、ニューヨークのアパート
の外で銃で撃たれ殺されました。」

歌われたのは、ジョンの不朽の名作「イマジン」
アーティストの存在意義は世界を変えることにある。
彼は信じる。自分にも何かをもたらすことができ得ると。かつて自身にもたらされ
たように、だれか、それは聴衆のだれか一人にでも、(すなわちそれはあなたであっ
てもよいのだが、)芸術が何かをもたらすことができ得るのではないかと。
彼は歌う。

銃撃による死にさえ、この歌の真実を空虚なものとする力はないのだと信じる為に。



思い描いて見たまえ 天国など無いと
やってみれば簡単なことだ

我々の足もとにどんな地獄もなく
我々の頭上にはただ空だけが
思い描いて見たまえ
すべての人々が今日のために生きているのだと

思い描いてみたまえ 国々もないと
難しいことではない
何一つ殺したり、死ぬような理由はなく
信仰もなく
思い描いて見たまえ
すべての人々が平和に生きていると

君は私を夢見がちな男と言ってもいい
だが 私だけではない
  私の望みは  いつか君が私の仲間になる
  そして世界は一つになるのだ
(大意 ジョンレノン イマジンより)

◆〜◆
trashメール版  volume1  1983let's dance
より抜粋。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~belne/43389892/index.html

Believing the Strangest Things♪ 9月24日(月)15時18分45秒

tomosukeさんのDAVID BOWIEの会議室への投稿を許可を得て
ログ保存しました
ご参照下さい

◆タイトル◆Believing the Strangest Things♪
◆投稿日 2001年9月16日(日)08時20分 投稿者 tomo助

皆様お久し振りです♪

NYの事件は↓皆様の意見読ませて頂きました。
世界中を揺さぶる大事件でした。

私もニュースを観ながら心の中が言いたいことで一杯になるとともに,望まない
方向へ世界が動いて行くのをただ見つめているだけの自分に怒りを覚えています。

↓Eriさんのチャット訳はボウイさんの心の中に溜まり溜まったものを仲間に(判っ
てくれるであろう)伝えようとしたものの様に思えます。

大多数が支持する,信じている考えへのせめてもの反抗。

でも残念ながらボウイさんの望みとは相反して「怒り」と復讐心からの行動を抑えようと
いう意見は少数派のようです。悲しいです。

(でも少しは反報復派いらっしゃるようです。)

私もちょっとココロのもやもやをここで言わせて下さい...

あのテロはブッシュ大統領の言うように「アメリカに対する」ものです。では何故
「アメリカが狙われるのか」そこを考えて欲しい。犠牲者の皆様もそうではない皆
さんもイスラム過激派をここまで追い詰めた「アメリカ」に本当に間違いが無かったのか考えて欲しい。
彼等はその間違いの犠牲になったとも言えると思います。

殺人者を殺すのは犯罪。法で裁かれるべきもの...
報復攻撃で1人でも事件と無関係な犠牲者が出ればこの報復攻撃はNY多発テロと同じ
罪を被ることだと思います。覚悟はあるのでしょうか。

またそのことが波及し,今まで進んできた他の和平交渉やその為の事前交渉が決裂し,
それこそテロリストの望む世界対立構造に手を貸すだけになりかねません。

湾岸戦争後,数ヶ月目から一般人への被害が明らかになり,空爆への批判は出尽くしたの
にそこからは何も学んでいないかのような米国議会全会一致,同盟国の支持,大統領支持率
84%,国際社会参加を目指す国々への強気の協力依頼...。

早く気が付いて欲しい。この有無を言わせぬ力がテロを招いたと。
悲しみに支配されず,怒りに支配されず,報復では何も解決しないと気が付いて欲しい。

あの空から写した「映像」を報復の正統化に使わないでほしい。地上からの痛ましい映像
被害者の悲しみの声。ここから学んでほしい。空爆はこれと同じ痛みを広げるだけだと。

望みはただそこに,NYにアメリカが初めて体験する「空爆の空しさ」があるということ。

悲しみに負けないで。敵はココロの中。何がこの悲劇を生んだのか考えて欲しい。
アメリカが変わるチャンスを掴んで欲しい。

うるさい奴でごめんなさい。
でも今日はLoving the Alien♪

http://www.davidbowie.com/users/tomosk/lalien.htm

DAVID BOWIEさんのメッセージ頁は下記へ

http://www5a.biglobe.ne.jp/~belne/64602661/index.html
解らなくたってかまわない 8月23日(木)00時39分12秒


副題 誤謬に充ちたDAVID BOWIEファンTRASH(屑)の足跡

17才の私は、間違いだらけの文法で72年発行の三省堂の辞書を頼りに、
世界を売った男の--聞き取り不能--だらけの歌詞カードに、
えんぴつで、和訳を書き込んでいました。

英国ロック文化も、その時のBOWIEの状況や、社会情勢も、勿論スラングも知らず
17の自分の狭いせっぱ詰まった現在の中で、
大音量で聴くヘッドホーンの中の、「円軌道の幅」だけを以て、
私は、あの時代に確かにロックを聴く子供として、今にしては片腹痛いような、
しかしながらその時の私にとっては、まさに「死線」だったものを「越えた」のです。

解らなくっても全然平気。
間違いだらけでも、自分の言葉が欲しかった。自分の言葉にする事が必要だった。
言葉なんかただの言葉でしかないと、実感していた子供だったからこそ。

(だからこそここで、一念発起して語学の道に進まれたDAVID BOWIEファンを尊敬します。
TOMOSUKEさんの頁私も大好きです。・・・私はマンガの道に入ってしまいました)

私は飢えも戦も無く、神も無く、金銭の禍福もない、過たぬ世界を幻想しています。
それは、DAVID BOWIEがその歌で私に見せた大いなる幻影であり、
私の未だ知らぬ叡智を求める渇望はその大いなる幻影によって、もたらされたものに他なりません。
それこそが私の誤謬の根源であり、この過ちのために私は生きていると言っても過言ではないのです。
7月1日(日)DAVID BOWIEの歌  7月 1日(日)21時07分51秒


prettythings going to hellがCDプレイヤーに乗っている。
ふと聴き始めたら止まらなくなってしまった。

何が土で、何が砂か・・(prettythings going to hell)

時々思う。DAVID BOWIEの音楽を聴くときに

声でもなく、音でもなく、詞でもなく、私は音楽を掛けたときに
部屋に充満する、この圧力が好きなのだと。
DAVID BOWIEの音楽から波濤のようにうち寄せる
烈しい、重い圧力。

DAVID BOWIEから、発せられるこの圧力が、明日を待つ為の
魂の力になっていることを感じている。
同じ言葉が、他のものから発せられたとしても、
おそらく、私に対してこれほどの圧力を感じさせはしないだろう。
これほどの圧力を、そして、この圧力を感じているのは、
もちろん私だけではないだろう。

映画ベルベットゴールドマイン  6月19日(火)00時58分24秒


映画の、ベルベットゴールドマイン
belneの名前で、パンフレットの仕事をしたので
その為に一度見た。

この先は非常に憶測に充ちているので眉唾半分に読んでいただきたいのだが・・・

あの映画を見るとDAVID BOWIEと言う存在が存在であるだけで
如何に挑発的であったかが判る。
あの映画の下地になったのは元夫人の著書と、元マネージメントの著書だと思う。
DAVID BOWIEファンが知りたいことはそこにはあまり
書かれていないように思うのは私の独り合点で、
それはある色を帯びたある時代から切り取られた事実が
浮き彫りになっているのかもしれない。

私はベルベットゴールドマインの年若いグラムスターが
ジギー時代のDAVID BOWIEには見えなかったし
その幕引きのトリックに、真実味を感じなかった。
まして、83年のDAVID BOWIEを揶揄したように見える
変転には軽い怒りのようなものさえ覚えたものだ。
ベルベットゴールドマインには、私が1973年から
追ってきたDAVID BOWIEの影は欠片も見えなかった。

だが、私はこの監督の心持ちは実はとてもよく分かる気がする。
彼がどうDAVID BOWIEを追ってそして、どう失望したか。
彼のジギーがどんなだったか。彼を時代がどう変えたか。
時代の中で誰よりも時代らしい男が、その時代を脱ぎ捨てるとき、
彼が如何に取り残された気がしたのか。

映画ベルベッドゴールドマインに対して、私はある種の苦さを感じる。
それはある一人の人が描いた「DAVID BOWIE」の絵姿なのだ。
私がそれを好きか否かは別にして、私はそれを否定することはできない。

DAVID BOWIEとDAVID BOWIEのもたらすものとは違う。
DAVID BOWIEが個人の聴衆にもたらすものは画一的ではない。
DAVID BOWIEから注がれる黄金の雨は、受ける器によってその姿を変えるのだ。

ベルベッドゴールドマインは、就中、監督トッドヘインズ氏自身の物語である。
映画は、好きではないが、私は、この監督を否定することは出来ないのだ。
私の中にも歪んだ金鉱脈が秘匿されていることを否定することが出来ないように。


快晴 もうすぐ夏至  6月 4日(月)20時09分37秒


Moulin Rougeのサントラを手に入れた

このDAVID BOWIEの声は凄い。絶句した。
声だけで、こんなに圧力を持ってるんだ。
サントラの中で、声が凄すぎて浮いてるような気がする。

ところで、雑誌CUTが、著名人の新世紀に向けてのコメントを掲載していた。
DAVID BOWIEは、インターネットについて、「何だショップばかりじゃないか
と言っている人がいるが自分で探さなきゃダメだよ。」と言ってたりする。
DAVID BOWIEのコメントは、遠大だった。(やっぱり各著名人の中でもちょっと浮き気味)

21世紀を、DAVID BOWIEと一緒に踏み出すことの出来た幸運を呪いながら
ふと、インターネットの波の向こうをみると、
足下に絶望を踏みしだいた20世紀の少年が、
未だ秘密を隠した左手を握って、にやりと笑っているような気がした。

ところで、私が聴衆の中でもっとも畏れ敬う尊きミーハー大権現の筆頭サイト
DAVID BOWIEandILLUSTRATIONが、10万ヒットを迎えている。
こっちは、あっちこっちに張りだしているtrashからのおめでとうページです。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~belne/30853271/index.html
註:DAVID BOWIEandILLUSTRATIONは現在休止中
言葉  5月31日(木)13時02分12秒


私はDAVID BOWIEの、インタビュー記事を読むのが好きだ。

インタビューからは非常に独自な彼自身だけの言葉を強く感じる。
そのインタビューの数々と彼の歌とが
私の10代を形成したと言っても過言ではない。

彼から学んだ多くのことの一つは
「自分の言葉を持ち、自分の言葉で語るべきだ」ということ。
それは、とても難しい困難な道標だったけれども、
もう一つ大事なおまけが付いていた。

私は非常に独断偏見の人だったのだが(今でも殆どそう)
自分の言葉を持つということは、即ち、他者のそれも
同等に大切にすることだということ。
そして、他者の言葉を尊重することはけして、
自分の言葉を卑しめることにはならないということも・・・
(ついでに、私の愛しい独断と偏見も損なわないということも。・・こらこら!)
そうして、蛇蝎のように嫌っているものも、
自分の魂に受け入れてみてはじめて論ずることが
出来るのだということも。

しかし、こうして、言葉で彼を語ることには著しい焦燥感を感じてもいる。
それは自分の頭上を掠めて飛び去る翼に追いすがるような作業である。

例えば、彼は使命感や、正義感をも、常人の如く持っていると思う。
けれど、彼の芸術が、使命感も正義感をも振り切って、
この世の者とも思われぬ飛翔を試みる瞬間には、
どんな、批評も評論も、その芸術に追いつくことは適わない。

その時には、どんな主観もロジックも追いすがることの
出来ない向こう岸に、彼は、彼の歌と声は、そして、その言葉は、
彼の聴衆を連れて軽々と渡りきるのだ。ハメルンの笛吹のように。

私がロックンロールに求めているのは
ただひたすらその一瞬であり、その一瞬をもたらすことの出来うる
数少ないアーティストの一人が
DAVID BOWIEであることを知っている。

BOWIEのファンになって良かったなあと、
今更ながらに、しみじみと思っております。
Pictures of Lily 5月19日(土)10時26分32秒

DAVID BOWIEが、ザ・フーの
Pictures of Lilyを歌っている。
フーのトリビュートアルバムの為である。

この歌は、私に深い共感をもたらす。

「壁に掛かる一枚の写真に、深い情愛を抱くこと。
その、愛(うつく)しき者が既に1927年にこの世を去ったと知ること。
あなたと同じ時代に生まれていたなら。

だが、知る事の何という素晴らしさ。
一枚の写真が何もかもを変えることがある。
あなたは、「Pictures of Lily」を、見たことがあるか?」

一つは、自分の魂を信じること。甘受することの重さ。
そしてもう一つは
私にとって、この人生に出会った、一枚の写真がDAVID BOWIEであったこと。
同じ時代を生きることの奇跡。

私に一番最初にDAVID BOWIEとの出会いは、1973年渋谷のレコード店に通ずる踊り場に貼られた鋤田正義氏による、一枚のポスターだった。
あの出会いが、私の全てを変えたと言っても佳い。

Pictures of Lily made my life so wonderful
Pictures of Lily helped me sleep at night
Pitcures of Lily solved my childhood problems
Pictures of Lily helped me feel alright

これは、当に私自身に起こったことだったのだ。

下記のサイトで、DAVID BOWIEのPictures of Lily について
詳しく紹介されています。

http://www.davidbowie.de/
小話 5月16日(水)19時28分01秒


ゴルチェの革製品を購入すると
お財布やパッケージの中に
革製品取り扱いのメッセージカードが入ってくる。
これを遠目に見るといつもどっきりするんだな。
ただ会社の名前が書いてあるだけなんだけどね。

      株式会社ホワイ
 美貌  5月15日(火)14時42分21秒

心的外傷(TRAUMA)というのは、
ネガティブなことのみで負うものではないと私は思っている。
喩えればDAVID BOWIEの美貌も人を傷つけるに充分だ。

地球に落ちてきた男の、TRY TO REMEMBERのシーンでの
僅かに伏せた顔(かんばせ)のあの透明な眼差し
唇に幽かに消えゆく微笑。
そのシーンは、現在でも私の魂に鋭く刺さった刃のように
深い傷をつけている。
(いや、端的に私のツボだったのではあるのですが。)
この表情のなかにある、翳りある美貌には
何かが秘匿されているように思えてならないのだ。

象徴主義の画家である、モローが、短絡的な芸術至上主義者では、無いことは
明らかなことだが、そのモローが描こうとした、宗教も神話も超えた
人の魂の深淵に触れる「フォルム」
それは、もはや、「美貌」と呼ぶべきものでもないのかも知れない。

その「フォルム」を、DAVID BOWIEのその「顔容」は想起させる。
DAVID BOWIEから教わったこと  5月14日(月)11時43分53秒


DAVID BOWIEさんの、最近の長髪の、ライブ映像とかで
髪が、ばさっと顔に掛かると
簡単にノックアウトされちゃうんですけど。
(全く我ながら、不甲斐ないことでございます。)

男の前髪が目などに掛かるのは花なる風情である。ということを、
この圧倒的な「美貌」から学びましたね。くらくら・・・・

通り一遍のハンサムではない、違和感さえ感じるような美貌
というものが、この世にあると言うことを
17才の春に学んだのでありました。
絶望 5月12日(土)11時51分46秒


私は、DAVID BOWIEから「絶望」を学んだ。
歌々に秘められるその深淵。人であることの
この地上に生きることの苦しみを。死の絶対を。
ロマンティシズムや美貌の欠片もない虚無を湛えた「絶望」の意味を。

そして、その上に立ちあがることを。
1973年からの短い間に私は多大な影響をDAVID BOWIEから受けたと思う。
そして、もっとも大きな影響は、
余りにもの絶望と、その上に立つアーティストの姿だった。

私は、この地上にとどまり、現実の中に生きている、生まれてから死ぬまでの間、自分の生を生き、自分の死を死ぬであろう、この人を信ずる。

「そして、それは、特別なことではない」

言語化していようが、いまいが、多くのファンは魂の奥津城で
そのことを、DAVID BOWIEの歌から体得しているように思えるのだ。
そこにDAVID BOWIEと言うアーティストの圧倒的な普遍性が実存する。

DAVID BOWIEから教わったことその2 5月11日(金)23時31分08秒

路上 ケラウォックの路上は私にディーンモーリアティという
男の圧倒的な存在の魅力と、アメリカ現代文学への扉を与えた。

そして、ジョージ・オーウェル。このリアリストの冷徹な
目で見た戦場と、時代と、貧しき地上。

私はDAVID BOWIEからもっとも重い人生の一つのキーワードを学んだのだ。

それは「絶望」だった。
DAVID BOWIEから教わった事その1 5月10日(木)21時45分58秒

LOU REED

トランスフォーマー
そして、ベルリン

若輩だった私にとって、この2枚は
人生における大きく重い、そして新しい扉だった。
DAVID BOWIEから促され、私はその扉を押したのだ。
(DAVID BOWIEは、トランスフォーマーを、世に送り出した
プロデューサーであり、また、インタビューでベルリンの
脚本力−物語性を、非常に評価していた。当時私は
DAVID BOWIEのインタビューで言及された曲や本を探し回っていた。
あまりに若輩だったため、手に入れられなかったものも多いが・・)

圧力 5月 9日(水)13時25分54秒


そこに存在しているだけで、圧倒的な圧力を送ってくる。
ステージの上のDAVID BOWIEが椅子から立ち上がるだけで
空気までが揺らぐような気がする。

歌い出すと何倍も大きく見えるほどだ。

それは、「何か」を感じさせる。圧倒的な、絶対的な
あてどのない確信が自分自身の中に充ちるのを感じる。

その、確信の本質を探るために、その「何か」を知るために
私は明日を待つことが出来るのだが、

その圧力にさらされている瞬間には
その意味を探ることなどに余り重要性はないのかも知れないとも思う。
その意味を知るものの上にも。その意味を知らないものの上にも
均等にその「何か」は降り注ぐ。その瞬間だけが重要なのだと。
「バタフライナイト」には・・・・・・。
DAVID BOWIEさんてどんな人? 5月 7日(月)20時52分48秒
と、DAVID BOWIEさんの、名前だけ知っているという人から聴かれたときに答えた答。

日本の多くの人が名前は知っているけれどもその曲を殆ど知らない人。
1970年代から主にロック音楽の分野で重要な仕事を成し遂げている人。
現在までにロック音楽の歴史の流れに、重要なインパクトを何回か与えている。
インターネットに早くから着目して、自分自身の大きなHPを持っている。
日本では大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」の主演俳優の一人として知られている。
来日公演が、バンドも併せて、6回。
そのうち1990年には東京ドームで公演した。
現在でも、ヨーロッパやアメリカで、雑誌のフロントを何度も飾っているように、活躍中。

そんなこんなと、答えているうちに、DAVID BOWIEって、こんな人だったんだなあと、自分で改めて感心してしまった。
でも、どうも、自分では答えたような人物だとは、余り思っていないようなのだ。では、どんな人だと思ってるんだろう。

とりあえず、
「私の美意識というものの限界を拡げた芸術家の一人。その上地獄のように美しい。」
・・・・・・・・・全然言い足り無いなあ。
アートクライム(芸術犯罪?)5月 6日(日)10時03分22秒

outsideで、直面したのは、アートクライムと言う詞である。
犯罪的芸術。それは、芸術がインパクトを与える代物であるという意味以上の何かを持つ、と言うことだ。

例に出されているアーティストの、例えば、
牛の輪切りや、羊のアクリルコーティングの持つ意味は「アウシュビッツ以来人類は芸術を失った」という言葉の意味までを、考えさせる。
芸術とはいったい何か?表現とは?と言うことまで。
基本的に、もしも「だって、おまえら、食うだろ?」と言われると一言もないのだが。
聴衆として、私はアートクライムに否定的である。
そこには底知れぬ負のアイロニーを感じるのだ。
そして生きてゆく獣である人としての領域に分け入ったとき。そこにはあまり印象として以上の新しさを感じないし、なにかの、隘路のように見えてしまうからだ。
だが、もし、outside無しで自分がこの思考に至っったとは考えにくい。そして、このアルバムはアートクライムについて語っているがそれ自身は暴力的でもなければ陰画的でもない。
夢見るもののように、常に「時代」が内包する恐怖を前に立ちつくす一人の男を歌っているように感じるのだ。何もかも承知で辛抱強く。
古代の詩人達のように彼もまた。
outside 5月 3日(木)21時13分03秒

実はものすごく、このアルバムが好きだったりする。
ツアーも最高だった。
歌詞を自分なりに訳してみたりした。
凄く佳い詩で構成されている。
私は no controlや、i have not been to oxford town
が大好きだ。
the hearts filthy lessonの、前奏が聞こえて来ただけで
冷静ではいられないほどだ。
hallo spaceboyに、ペットショップボーイズが
スペイスオデティの暗喩的韻律を入れてたけれど
むしろ2001年宇宙の旅に通ずる孤独とアートの位置のようなものを
感じて好きだった。
最初の一曲目から完全にカッコイイアルバムだった。
strangers when we meetの、outsideversionも、美しい
美しくエロティックで愛情深い。
続編が、在ってもなくてもかまわない。
大好きな曲-  5月 2日(水)11時04分23秒

私のランニングガンズブルースは弟がモジュラーステレオの
コードに足を引っかけて落としたので、致命的な針飛びがする。
それでも、盤がすり切れるほど聴いたので、CD再発で
ランニングガンズブルースを聴くと、針飛びしないので
違和感を感じるほどである。