これらは略式の年表です。
参考画像は参考資料として自分の棚に保存してあるもののフロントカバーのみに留めてあります。
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年 | 月他 | DAVID BOWIE 略年表 なにもかもが起きた!70年代 |
備考 |
1947 | 1月8日 | ロンドン ブリクストンに生まれる 本名David robert Jones |
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1967 |
DAVID BOWIEの名でデラムからソロデビュー | ||
1969 | 07月 | シングル“SPACE ODDITY”が,UKチャート5位. | |
11月 | アルバム“SPACE ODDITY”発表. | ||
1970 | 03月 | アンジーと結婚 | |
1971 | 04月 | アルバム“THE MAN WHO SOLD THE WORLD”発表. | |
05月 | 息子ジョー(当時ゾウイと名付けられた)誕生 | ||
09月 | 米RCAと契約の為渡米 | ||
12月 | アルバム“HUNKY DORY”発表 | ||
1972 | 06月 |
アルバム“THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND THE SPIDERS FROM MARS ”を発表. 世界を席捲する.ギタリストはミック・ロンソン. |
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モット・ザ・フープル,ルー・リードなどをプロデュースし成功 |
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1973 | 04月 | アルバム“ALADDIN SANE”発表来日公演 | |
7月3日 |
ロンドン・ハマースミス・オデオンでZIGGYのラストショウ このとき収録された映像が「ziggy stardust motion picture」 |
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10月 | アルバム“PIN- UPS”発表.全曲カバー曲 | ||
1974 | 活動拠点をN.Yに移す. |
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04月 |
アルバム“DIAMOND DOGS”発表. ジョージ・オーウェル1984にインスパイアされた. 全米ツアー |
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10月 | ライブアルバム“DAVID LIVE”発表 |
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1975 | 03月 |
アルバム“YOUNG AMERICANS ”発表 ジョン.レノンとの共作「FAME」が初の全米チャート宸P. |
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この年ニコラス・ローグ監督の「地球に落ちてきた男」に主演. |
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1976 | 01月 | アルバム“STATION TO STATION”発表.ヨーロッパ回帰の傾向. | |
友人イギー・ポップと共に西ベルリンに拠点をおく | |||
1977 | 01月 | ベルリンで録音されたアルバム“LOW ”発表.ブライアンイーノとの共作 | |
04月 | プロモーション来日. この時の鋤田正義とのセッションが,次作“HEROES”のジャケットを飾る. |
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10月 | アルバム“HEROES”発表. |
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1978 | デビッドヘミングス監督の映画「just a gigolo」に主演 | ||
09月 | ライブアルバム“STAGE ”発表 | ||
12月 | “LOW-HEROES”ツアー来日公演 | ||
1979 | アルバム“LODGER”発表 | ||
絶望の底から希望を見いだして ・・80年代 | |||
1980 | 春 | 宝焼酎“純”のCM撮影のため来日. イメージソングのシングル“CRYSTAL JAPAN ”発表. |
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07月 | デンバーの劇場で舞台「エレファントマン」に主演. |
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09月 | 舞台「エレファントマン」ブロードウェイで上演. このころ戦場のメリークリスマスの出演依頼を受ける. |
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アルバム“SCARY MONSTERS”発表.ロック史上に残る傑作. | |||
前夫人と正式に離婚成立 | |||
1981 | 11月 | クイーンとの共作シングル“UNDER PRESSURE”発表. | |
1982 | 映画「戦場のメリークリスマス」撮影 | ||
1983 | 01月 |
EMIと契約. アルバム“LET'S DANCE ”発表.3ヵ月でミリオンセラーを記録 3枚の宸Pシングルを放つ.世界的成功作になる |
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ワールドツアー | |||
10月 | 日本公演.「戦場のメリークリスマス」のヒットと共に日本中に大センセーションを巻き起こす | ||
1984 | 09月 | アルバム“TONIGHT ”発表. | |
12月 | アフリカ難民救済のためのチャリティーアルバム“BAND AID”にメッセージで参加 | ||
1985 | 07月 | ライブ・エイドコンサートに参加. ミック・ジャガーとデュエットした“DANCING IN THE STREET”のビデオが放映された |
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1986 | ジュリアン・テンプル監督の映画「ビギナーズ」公開. テーマ曲“ABSOLUTE BEGINNERS”発表. ジム・ヘンソン監督の映画「ラビリンス」に主演.音楽も担当. |
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1987 | 04月 | アルバム“NEVER LET ME DOWN ”発表. ワールドツアー「グラススパイダー・ツアー」を展開. |
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1989 | 04月 | バンド「TIN MACHINE」結成. | |
05月 | バンドとしての1STアルバム“TIN MACHINE ”発表. バンドとしてクラブツアーを展開. |
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RCA時代の作品のCD化の権利を,RYKO.EMIが取得. | |||
20世紀の終わりに | |||
1990 | 03月 | ワールドツアー「サウンド+ヴィジョン・ツアー」開始. 過去の作品を演奏するのはこのツアーで最後であると発表. |
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05月 | 来日公演.東京ドームで2回公演 | ||
1991 | 09月 | バンド「TIN MACHINE」の2ND“TIN MACHINE ii ”発表 | |
イギリス映画「the linguini incident」に主演 邦題はNY恋泥棒 | |||
1992 | 01月 | 「TIN MACHINE」として,来日公演 | |
04月 | 前年亡くなった.故フレディ・マーキュリーの追悼コンサートに出演 ミック・ロンソンのギターで“HEROES”を歌う |
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05月 | モデルのイマンとフィレンツェで挙式 | ||
06月 | 鋤田正義によるBOWIE写真集「氣」発表. | ||
1993 | 4月 | 5年ぶりのアルバム“BLACK TIE WHITE NOISE ”で,ソロ活動を再開 BMG VICTORに移籍 |
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1994 | マッキントッシュ用インタラクティブCDROM“JUMP”を発表. インターネットの公式ホームページ開設が話題になる |
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1995 | プロモビデオを集めた,ビデオコレクションが発売される | ||
アルバム“OUTSIDE ”発表.近未来の索漠とした猟奇犯罪を描いた問題作 | |||
ロンドンのギャラリーでコンピュータグラフィックなどの個展を開く | |||
1996 | ジュリアン・シュナーベル監督の画家バスキアの伝記映画「バスキア」に, 故アンディ・ウオーホル役で助演 |
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6月 | 「アウトサイド・ツアー」日本公演 | ||
1997 | 1月9日 |
マジソンスクエアガーデンで,50才のバースデイライブ フランク・ブラック,フーファイターズ,ソニックユースなどと共演. ルー・リードをメインゲストに迎えWHITE LIGHT WHITE HEAT等を共演 |
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02月 | アルバム“EARTHLING ”発表.ドラムンベースを採用, |
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精力的にクラブツアーを展開 CDジャケットでBOWIEが着ているユニオンジャックのコートは デザイナー,アレクサンダー・マックイーンのデザインのもの GQ誌でポールスミスとのフォトセッションを行う. また,21という出版社を創設.モダンペインターズでアーティストに インタビューし記事を書くなど,活動は多岐に渡る. |
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1998 | 01月 | インターネットでBOWIEのARTを購入できるサービスを開始. | |
9月1日 | 公式サイトbowienetを,リニューアル.メンバー制の有料サイトと, 誰もがアクセスできるフリーサイトがある. (フリーサイトは3番のOfficialをクリック) |
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アンドリュー・ゴス監督の映画「エブリバディ・ラブズ・サンシャイン」に出演 | |||
1999 | 2月17日 | ブリットアワードの授賞式でプラシーボと共演. | |
09月 |
アルバム「hours…」発表 アルバムは新旧のファンに歓待される。 またアルバムからカットされたシングルCDは、ENHANCED技術を駆使した 映像が添付されるなどコンピューター時代に即応した、内容になった |
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年末にインターネットによる大規模な飢餓救済キャンペーンNETAIDに出演。 新作とともに伝説的なナンバーを歌い聴衆の熱狂的な支持を受ける |
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98年に封切られた映画(ジギー時代のBOWIEをモデルにした)ベルベット ゴールドマインの影響で雑誌などがジギーを頻繁に取り上げ、99年の春には 「ziggy stardust motion picture」が単館上映された |
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2000 | 06月 |
英国の大規模ロックフェス、グラストンベリーフェスティバルに出演、 その力強いパフォーマンスで聴衆を圧倒する。 その直後BBCで収録用のライブを行う。 このライブの模様は、2000年9月に発表されるBOWIEのBBCライブを 収録したアルバムのリミテッド盤に3枚目として、収められる。 |
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08月 | イマン夫人との間に女の子の赤ちゃんが誕生。 | ||
09月 |
BOWIEのBBCでのライブパフォーマンスを収録したライブアルバム AT the BEEP発表 初回に、ミスプレスがあり、話題になる。 NME誌出、アーティストが選ぶアーティストの1位に輝く。 |
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21世紀は幻滅の時代なのか いや我々はDAVID BOWIEを知っている | |||
2001年 | グラミー賞Best Male Rock Vocal Performance 部門にノミネート。惜しくも受賞を逃がす。受賞者はTom Jones |
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2月 |
ミック・ロックの写真集「Blood and Glitter」発表。グラムを象徴するような写真集 |
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3月 |
チベッタンハウスベネフィットコンサートに参加 |
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4月 |
母マーガレット没 |
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5月 | ミック・ロックの写真集「Moonage Daydream」の企画発表 |
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7月 |
器楽曲のみを収録したアルバム「All Saints」発表 |
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9月 |
IMANの写真集I am Iman出版 映画「トレーニングデイ」「ムーランルージュ」「オールモストフェイマス」等に 楽曲を提供 ドラマ「Mr. Rices secret」映画「Zoolander」に出演 |
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9月11日 | 全米同時多発テロ発生 |
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9月12日 | NYSeptember11の直後自サイトのnewsにコメントを出す | ||
10月 |
Concert For N.Y. CityでheroesとS&GのAmerica を歌う このコンサートの模様はCD及びDVD(2002/1月)として発表された |
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12月 |
david bowieはVirginRecordを離れ、独自のレーベルISOを設立 |
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2002年 |
2月 |
チベッタンハウスベネフィットコンサートに参加 |
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3月 |
日本-スカイパーフェクト及びケーブルTVなどでBowieのナレーション (第1話は主演)によるTVドラマシリーズHunger2がオンエアされた。 |
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27日発表 | BowieのレーベルISO、米コロンビアレコード(日本ではSONYMUSIC)と契約 新盤「heathen」リリースを発表 |
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4月 |
UKでのメルトダウンフェスティバルのディレクションに就任 US、及びローズランドでのBowieNetのメンバーのためのコンサートを発表 |
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6月 |
アルバム「heathen(異教徒の意)」発表 日本版特別盤(ボーナスCD付) 通常盤の2種類が発売された。 また、BBCの Top Of The Popsに出演。 日本ではアルバム発売に合わせて雑誌ラッシュ鋤田正義氏がN.Y.で撮り下ろした 写真が各誌で発表されファンを喜ばせた。 |
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6月18日 |
若干28才の訳者古川貴之訳・解説による画期的訳詩集 スピードオブライフがシンコーミュージック社から発売される。 |
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7月 |
ミック・ロックの豪華写真集「Moonage Daydream」予約開始 「heathen」からのマキシシングル「Slow Burn」発表 EMIからZiggy Stardust 30Anniversaryアルバム発売2枚組CDブックレット付 (日本版に不備があり8月に再発) |
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8月 | 「heathen」からの第2弾シングル「Everyone Says Hi]3種類で発売 |
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10月 |
7/1から始まったheathenの欧州全米ツアーが終了 ボウイスタイル日本版の予約開始発刊は2003年2月の予定 |
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11月 |
EMIからCD「best of bowie」世界23バージョンがリリースされた 同企画の隠しトラックを含む54曲収録のDVDも発売。 公式DVD頁 |
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