Wild is the Wind。 今回の一連のNYライブやGlastonburyでのオープニング曲。「これまでライブではやっていなかったからやりたかったんだ」とBowieはインタビューで語っていたが、なんと"David Bowie"の威力を示す曲だろう。コンサートという一種お祭りのような”ハレ”の場において、浮つかずしっとりとBowieの重さと渋さを空間に敷き広げる。 "Lonely, lonely, lonely・・・"会場は弾かれたように総立ち!Bowieは黒のシックなスーツに身を包んで現れた。中の白いシャツの裾はズボンの外に出した着こなし。シンプルかつノーマル。 小さなステージ、照明以外の演出は何もない中、モノトーンの出で立ちが映える。適度にウェーブのある髪が似合って、本人のカッコ良さが際立つ。 TV向け戦略?うまいぜ、ちくしょう!
ただこの時、ひとつの不安があった。BowieはNYで咽頭炎のため声が出なくなったことに続き、Glastonburyの往復に使ったCoachのエアコンのフィルターに問題があり、今度は気管支炎を患っていたのだ。Glastoのステージは大丈夫だったものの・・・。その上今日はただのライブではない、収録用なのだ。 だから彼が歌い出すまで、声をのばすところを聞くまで、どうしても耳は味わう以前に声の調子を聞き取ろうとする。でもその心配はあっさりと吹き飛ばされた。心地よくのびる力強い歌声!ああ! ・・・そして気づいた。現実感が伴わないことには、まっすぐステージを見た、同じ高さでそこにBowieがいるのだ。あそこに、すぐ近くに、同じサイズの人がいる。でもそれは、ずっと見てきたミュージシャンDavid Bowie本人、というよりも、その存在をこれまで生きてきた中身と皮、まるで初めて見るもののようだった。皮から透けて見える中身は、喜びと幸せと力に充ちて神聖に輝いていた。形ではなく、その存在の余りの美しさに、私は崩れて椅子に座り込んでしまった。
実はこれ以降については、大まかな印象と断片的な記憶としてしか残っていない。これまでの他のコンサートのときには、ステージ上の動きや表情、演奏、照明やセットが多少は映像と音として目や耳に残り、後でもう一度記憶を再生することができた。でも今回はそれとは全然違っていた。 多分、私が目と耳を使っていたのは、どうやらこの時点までだったらしい。あとは直に脳に打ち込まれたかのように、衝撃だけが大きく、具体的な記憶は細かい欠片のようだ。
しかし打ちのめされている場合ではない。Bowieの声は程よく小さいホールで美しく響く。バンドの音は濁らずに空間を満たし、自分の声も周りの声も聞こえる。ステージが近いにも関わらず、ライブハウスや通常のホールの前席にいるようにスピーカーの大音量に耳がやられることもない。Bowieにも皆の声が十分に届いているだろう。 "Don't you know your life, itself?"でいきなり観客席にマイクを向けるBowie。それに応えて、一層力をこめて歌う我々。ああ、彼は微笑んでいる。
曲が終わるとBowieは観客を席につかせた。立ってる必要ないから、座って聴いて、というようなことを、諭すように言う彼。 続く2曲目はAshes to Ashes。 Major Tomをジャンキーだと歌う彼。
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