"Glastonbury"!?
幸せなことに、Bowieは非常にリラックスしていた。楽しそうに冗談飛ばしてやってくれた。Glasto往復の話をし、わざと横を向いて咳き込む振りをすると、観客席からは一斉に「あーん・・・」。ただでさえはらはらしている観客に、意地悪なBowie。心配する様子を見て、嬉しそうにくすくす笑う。
「Glastonburyから帰ってきて、医者にメールを出したんだ。2日後に届いた薬の中にスマイルマークが描かれた黄色い丸い錠剤があって"これはステージ前に飲むこと"ってメッセージが付いてたんだよ。」・・・冗談!その上、気管支用の吸入器を口にあてたまま歌ってみせるだなんて!

この時、非常に個人的には、"Glastonbury"という語を、なにか不思議なもののように聞いた。初めてその名を知ってから、地図やインターネットや鉄道路線図で色々調べた場所。綴りはすっかり頭に入ったが、耳からはほとんど聞いてなかった語。それを「グラーストンベリ」って言うあの声。
とても当たり前の、自分とは違う言葉を喋る人なんだ、英語を喋る人なんだ、っていうのが耳から脳に伝わった。今までそんなこと、考えてみたことなかった。それはそうだ、日本では”洋楽”の売り場でCDを買っていたんだから。辞書引かないと分からない語が詞にいっぱいあるんだから。でも、イギリス、この地でDavid Bowieが自然に話すのを聞いて、なにか改めてしみじみと実感。今夜は特別とはいえ、そういえば日本のステージではどうしても余り話さず曲間が短いし・・・。(tin machineの漫才モードっていうのはあったけど・・・やっぱりあれは別物。)

軽くかがんでギターをとり、Seven!ひょいとストラップを肩に掛けると、上着の裾が引っ掛かる。そんなことが気に掛かる馬鹿な私。結局ギターを抱えてる間中、そのままだった。
'hours...'は大好きなアルバム。当然だけど、これまでの彼の蓄積が詰まっている、今の(昨年の)彼自身を映すアルバム。ライブで過去の曲を聴くのも嬉しいが、”今”の曲を私は特に聴きたい。だって”過去”には聴けるはずの無かったものだもの。
Glastoでは戦略的に'hours...'からの曲は歌わなかったようだが、それってずるくない?こんなにメロディアスで宝物のような優しい響きの曲・・・。Glastoで打ちのめされた連中は、今ごろ'hours...'を買って、悔しがっているかもしれない。

「長い間演奏していなかった曲なんだけど」という言葉とともにThis is not America。繊細かつ力強いBowieの歌声は、シャララララ・・・というコーラスに包まれて昇天するような清々しさ。映画"The Falcon and Snowman"のサントラのレコードジャケット、"Snowmanの真似"といって雪の中でポーズをとっていたBowieの写真など、当時の記憶が呼び覚まされる。

いくらBowie本人に座っているように言われたからといって、それはとても難しい。仕方なく曲の間は着席したまま聴くのだが、皆一曲終わる毎に立ちあがって歓声を上げずにはおれない。そしてその度に必ず、「Sit down, please.」と再び座らせるBowieとそれに従う我々。素直なファンに、Bowieはいきなり「Stand up!」勿論一人残らず瞬時に立つ!そして歓声!そしてまた「Sit down.」の命令が。遊ばれてしまう私達。
ほんの時々、前の方でぴょこんと立ったままの人がいるのもご愛嬌。困ったような笑顔で「Take your seat.」「Sit down, please.」ってお願いするBowieっていうのも面白い。

「じゃあ次は80年代のラブソング。」「・・・だけど、自分ではほんとに気に入ってる曲なんだよ。」って、なにやらもぞもぞ言い訳をして始めたAbsolute Beginners。
Julian Temple監督の、ぎらぎらしたエネルギーの塊のような時代を映した映画。気軽にノリに身を任せて観るのがいい、音楽山盛り、ギャグ山盛り、とっても楽しい映画。「ばっばっぱ、うー」、声を揃えて楽しむ。

Always Crashing In The Same Carの前には、痛い、でも救いのあるエピソードを。Berlin時代、CocoとIggyのプレゼントだった67年型メルセデス。死ぬつもりで、ホテルのガレージでガンガン飛ばしてぐるぐる走り回って、そのままタイヤが外れてしまえばいいと。でも、結局なくなったのはタイヤや命じゃなくて、ガソリン。自殺の失敗談。思えばそれから事態は少しずつ好転しだしたのだそう。
そのメルセデスがガス欠まで丈夫に走ってくれて、今の私たちはどれほど感謝することか。それを今ここで語るBowieがいることを。それに、もしもそれで死んでたら、CocoやIggyに悪すぎるよ!

その次の曲が、仮にもタイトルSurvive・・・っていうのか、彼一流のジョーク?曲やタイトルが彼自身を映そうと映すまいと、Surviveしてきた彼、Surviveしなきゃいけない我々、すべての人。昨年の暖かく優しいアルバム、'hours...'。その延長線上にある今の彼。
The London Boys、BBC向けにちょっぴり意地悪
しかし残念ながら、多分この後、Bowieは喉と鼻を整えなければならなかった。やはり調子は悪いに違いない。でも、そんなことさえ、今日のBowieはおどけてやる。ステージから奥へ引っ込むでもなく、わざと腰を90度に折り曲げ、顔だけをEmmの背後につっこむようにこれ見よがしに隠すBowie。EmmとGailは、どうしたものかって感じで戸惑ってるよ?

The London Boysでは、今度はBBC向けにちょっぴり意地悪。これは最初にBBCにデモテープを送った曲なのに、しっかり落とされちゃっただなんて、わざわざBBC向けのショウで言う。あの時、選考をした人はまだ生きてるのかな、だなんて、生きてたらどうするの?当時はBBCも、その時に落とした若者がどうなるかなんて分からないもの。歴史って面白い。そして後戻りもやり直しもない。

I Dig Everything。The London Boysとともに、NYに戻ったら作るアルバムに収める予定の60年代ラインナップ。でも、60年代?知ってる、けど、え?これって今のBowieの曲よ?!こんなに凄い?こんなに良い!新たな生命を与えられて、他との違和感も無く、ぴったりと今のライブにはまっている。アレンジでこんなに雰囲気が変わるのかってこともあるだろう。でも、それは元の曲が使い物になって初めてなのだから、凄い。
30年以上も昔に作った曲を今誇りを持って歌える。改めて、彼の仕事のクオリティの高さと、それを常に維持していることに、感嘆せずにはおれない。どうしてこんな人がいるんだろう!

突然、ステージ背後の照明が蛍光灯の真っ白な光になり、まぶしく点滅する。outsideからLittle Wonder。
ここまでずっと忠実に、立ったり座ったりを一曲毎に繰り返していた観客も、もう抑えきなかった。力強いドラムが弾ける。Bowieもやっと'Sit down'を諦めてくれた。(振り返ってみると、私達は9曲もの間、Sit down/Stand upをやっていたんだろうか?なんて従順なファンに、しつこい・・・おっと、根気のあるBowie!)
皆が立つと前は見づらくなるけど、動こうとする体を抑えて座った状態をキープしているのが辛かった私も、思いっきり踊れる。そういえばoutside3部作?そんな前言に縛られないBowieの身軽さを私は愛する。何に重きを置くべきかは間違えるべきではない。
"Little wonder, you!"で腕を伸ばしステージ上のBowieをまっすぐ指差す観客達。この後は、もう誰も座ることを思い出さなかった。

「次は僕のsignature song、The Man Who Sold The World。」
アルバムジャケットの、ロングヘア・"男物のドレス"姿のBowieが頭をよぎる。今、Glastonburyに前回出演した1971年に近い髪型になっていることを、「偶然だよ」なんて言っているけど、本当のところはどうなんだか。今の彼は、あのまま20年間をそのままの姿で通り過ぎて来たといっても信じられそうな雰囲気をかもし出している。でも現実には、その間、その時々のDavid Bowieは、どれもが別人といっても通りそうな程バラエティに富んでいる。そして今、再びあの頃にダブる姿をして現れるなんてジョーク。でもそれが喜劇にならないのは、きっとBowieだけ、否、“今の”Bowieだけ。
ハインラインの小説”異星の客”を思い出す。誤解を恐れずに言えば、ロックも宗教も人を動かす力という点では共通。興奮の渦は時に渦中の本人を時に置き去りにして、どんどん勢いを増し、中心さえも飲み込み溺死させる。Ziggy以降Berlinまでの彼は、そういう危機に陥っては抜けようともがいていた。Serious Moonlight以降でも、方向は違うものの少し危うさがあったかもしれない。Jumpを聴くとそういう記憶が蘇った。
でも今は。もう、渦にも流れにも飲みこまれる恐れはない。鉛のヒールを履いているかのようにしっかり地に足をつけ、周りがどう向こうと惑わされない。そして自分が向かう先へは羽をもって軽がると飛翔する。
この53歳の男はなんという現実を生きているのだろう。どこまで行くんだろう。

次のページへ