地球ゴルフ倶楽部 パー4
ヘローコース 18番


ゴルフへの恋文


 1909年4月6日、アメリカの探検家ロバート・ピアリーは、挑戦すること25年目にしてついに北極点に到達した。
 この日の朝、彼ら6人は不眠不休で犬ゾリを走らせ、北緯89度57分の地点まで来ていた。極点まで残すところあと5キロ、人も犬も疲労困憊(こんぱい)だった。数時間仮眠して檄を飛ばし合い、よろめくようにして5キロの雪原をつき進んだ。彼は日記に次のように書いた。

「夢に見続け、憧れの的だった極点に、私はついに到達した。しかし、どうしても信じることが出来ない。これほどたやすく到達できようとは・・・」
 それから数時間後、入念に太陽観測を重ねて北極点に間違いないことを確認した彼は、その場所に星条旗を掲げて男泣きに泣いた。しかし、涙は瞬時に凍って視界を塞(ふさ)いだに過ぎなかった。

 それから数週間後、ロンドン郊外のチェルムスフォードにある閑静な住宅の一室では、元陸軍第6師団参謀長ジェームス・ネルソン大佐が「極点到達」の記事に見入っていた。とりわけ四半世紀もの長い歳月、挫折するたび夢をふくらませていったピアリーのすさまじい執念が、この元軍人の魂を激しく揺さぶるのだった。夢はのんびり待って叶えられるものではない。血みどろになって掴みとるのだと記者団に語った探検家の言葉が、彼の決心を促していた。

 「たしかに夢は、生きている内にしか叶えられない」
 旅立ちの一ヶ月前、大佐は日記にこう記している。ピアリーの生き方が参考になったとも。
 妻とは以前に別れ、3人の娘たちも各地に散って人並みに暮らしている。多くの場合、人は考えていた人生と異なる生き方をするものだが、大佐もまた同じだった。寂寞(せきばく)とした晩年は予想もしない事態だが、自らフィナーレを演奏する時間だけはまだ残されている。彼は数ヶ月かかって家財を処分し、娘たちに信託預金として与えたあと、次のように伝えた。

 「週に一度、必ず連絡するよ。そしていつか歩くのが難儀になった日、お前たちの近くに戻って小さな部屋を借りるとしよう。スコットランドのコースをくまなく巡礼するのは、わしの若い頃からの夢だった。どうぞ身勝手を許して欲しい。お前たちを心から愛しているよ」

 ジェームズ・ネルソンがチェルムスフォードを出立したのは、ピアリーの快挙の約6ヶ月後、即ち1909年10月16日のことだった。孫の作家、クリストファー・レイモンドが書いた「Flying Golfer」によると、<まるで近くのコースに出掛けるように、彼は寛(くつろ)いだ雰囲気で家をあとにした。教会前の広場まで来たとき、彼は車から降りて咲き乱れる花に顔を寄せた。微風に揺れるコスモスと菊は、彼が愛してやまない花だった。町の者が背筋のすっきりした洒脱な男を見たのは、その日が最後だった>

 週に一度、ときに二度、スコットランドから娘たちの家に手紙が届けられた。偉大なるゲームの懐(ふところ)に抱かれて、私は少し哲学者になったと書き、ピーターラビットの一家と親戚づきあい、お茶の時間に呼んだり呼ばれたりするともあった。北端のウイックから、35日も経過した手紙が舞い込んだのが1912年12月6日のこと。寒さのためか、それとも発熱が原因か、うまくクラブが握れないと震えた字で訴えている。最後の手紙にこうあった。

 「壮大な落日、神秘的な夜明け。私は身近に神がいる実感に浸りながら、満ち足りた旅を重ねている。これこそ私の描いていた夢であり、いまでは自分がスコットランドの自然の一部だと思えるまでになった」
 そして、読みにくい文字で綴られた結びの一行は、まさに遺言だった。
 「探してくれるな。私はスコットランドで眠りたい」

 家族は大いに狼狽したが、やがて日が経つにつれ、遺志を叶えてあげることがせめてもの供養だと思うようになった。僻地の旅は苦労の連続だったと想像されるが、好きなことに血道をあげる人には喜びのほうが大きいものである。

 彼の生き方は、ゴルフにおける芭蕉の姿を彷彿させる。まさしく「旅に病んで夢は枯れ野をかけ巡る」の図である。芭蕉が「奥の細道」に出発したのが45歳、私はさらにトウが立っているので、もし真似をするなら「孫の細道」と名乗るべきだろう。しかしネルソン大佐のように求道的な単独行は暗すぎて性分に合わない。私の場合、ルージュも鮮やかな従者「曾良(そら)」と一緒に、瀟洒(しょうしゃ)なペンションなど泊まり歩いての道行きならば、あるいはいつの日か草原の奥に消える晩年も悪くないと思っている。

 さて、先ごろ日経新聞の文化面にスコットランドの戯れ歌を紹介したところ、これが予想外の反響、ゴルフの備忘録として身近に置きたい、機会があったら再度紹介して欲しいという希望が多く舞い込んだ。そこでご愛読感謝のしるし、ここに収録申し上げよう。リズミカルな六小節の中に、ゴルファーとしての理想的な生きざまが簡潔に語られ、まことに申し分ない歌である。
「ゴルフへの恋文」あとがきより

飛距離が自慢の幼稚園、
スコアにこだわる小学生、
景色が見えて中学生、
マナーに厳しい高校生、
歴史が分って大学生、
友、群れ集う卒業式

「ゴルフへの恋文」
夏坂 健著
1997年6月25日発行
新潮社より


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・私はゴルフの大学生である。・・・3
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