beginning

大阪で万国博覧会が開かれた1970年、私BOMは初めて自動車レースを観戦、エキサイティング極まりないツーリングカーの走りに一瞬にしてその虜となりました。

以来30年、未だ熱冷めやらずこの世界を漂い続けています。
このページではレーシングな最初の20年を中心に昔話しに花を咲かせてみましょう。まずはその初観戦の思い出から。



SKYLINE 2000 GT-R (69年5月当時)
初観戦の思い出
GT-R

私が中学校2年の時、今から30年前近所のお兄ちゃんに鈴鹿サーキットへ連れて行ってもらったのがこの世界にハマル第一歩でした。

 当時、このお兄ちゃんは高橋国光選手の大のファン、この日も鈴鹿サーキットで鈴鹿耐久500Kmが開催されているとのことでドライブがてら一緒に連れて行ってもらいました。

 お目当ての国光選手はエントリーされていなかったのですが、他に主だったところでは、優勝されたポルシェカレラ910の(故)風戸裕選手、ベレットR6の都々見、浅岡両選手、そしてニッサンワークスの黒沢元治選手(現在アメリカで活躍中の黒沢琢弥選手のお父さん)都平健二選手等々、当時の一流ドライバー総出演。

 レースはスタートから逃げる風戸選手をいすずワークスのベレットR6が追う展開、しかし、私はそんな浮き世離れしたスポーツカーなどまったく眼中に無く、街で見慣れた乗用車を改造したツーリングカークラスに圧倒されていました。

 鈴鹿サーキットは今ほど整備されておらず、当時はヘヤピンまで行くのも一苦労、スプーンなんてとんでもないって感じでした。
やっとの思いで辿り着いたヘヤピンカーブでMAATO少年が目にしたもは、あずき色をしたニッサンワークス・ブルーバード510が2台並んでドリフトしながら立ち上がって行く姿でした、この510を操っていたのが、黒沢元治選手と都平選手の二人でした。

 両車がリタイヤするまで順位を入れ替えながらも毎周同じラインで平行ドリフトしながらヘヤピンを通過して行く2台のワークス510、130Rを大袈裟すぎるほどのソーイングで走り去るGTーR、私の後の人生を決定付けたとも言えるぐらい鮮烈な光景でした。

「いつかはこの鈴鹿、この130Rをレーシングカーに乗って全開でっ」と決心した1日となりました。 

そしてこの夢が20数年の時を経て数万大観衆の前で叶うことになるとは・・・・。


全日本鈴鹿500キロ自動車レース:開催日/1970年4月4日〜4月5日[決勝・競技結果]


sunny
レーシングな最初の20年フォトギャラリー

home
contents


エフワンよりエヌワンが好き!