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最初の20年タイトル

レーシングな最初の20年



自動車レースを初観戦から4年後、私は18才になると同時に普通自動車免許を取得、以後現在まで10台以上の車を乗り継いで来ました。その間ノーマルのまま乗っているのは現在の足車、ラグレイトだけってゆうほどの改造車好き。
高校生の時にはまだ自分用の車は無かったですが、親父のルーチェREや知合いのパブリカ(車高短)を借りて通学したりしていました。

大学合格後すぐ親が車を買ってくれる事になりました。
この頃の私は4輪より単車の方が好きで(これは現在でもそうですが)、親はこいつを単車に乗せておくといつかは死ぬんじゃないかと心配し、4輪なら怪我をしても死ぬ事は無いやろって考えたそうです。

1200ccまでなら好きな車を選べってことになり、あれこれ考えました。車ってこの買う前のカタログを見て色んな事を考えるのがまた良いんですよね。
当時の車の中でスポーツタイプといえば1200以下ならシビックのRSかスターレットSR、カローラクーペ1200SR、ホントはTE37カローラの2TGが載ってるやつが欲しかったんですがこれは1600ccで却下。

最終的にFFは当時嫌いだったのでスターレットKP47に決定。この時シビックを選んでいれば人生ちょっとは変わっていたかも?

この最初の車スターレットKP47が現在の愛車、EP82これまたスターレットにどう繋がってゆくのか・・・。
写真を中心にお話ししていきましょう。でもでも、このKP47の写真が無い! トホホッ。



KP47スターレット ST ダートラ仕様
KP61スターレット ST ダートラ仕様
TE71 TE71スプリンター4Dr. ダートラA2仕様
AE86 AE86スプリンター2Dr. ダートラA2仕様
ミラターボ ミラターボTRXX 軽4ジムカーナ−仕様
PB210サニー PB210サニーエクセレント ダートラD仕様
MR2 AW11 MR-2 SC ジムカーナ−A2仕様
マーチスパーターボ マーチRスーパーターボ ラリー仕様
ミラターボTRX4 ダートラA仕様
EP82スターレット EP82スターレットS サーキット走行会仕様

KP47スターレット ST ダートトライアル仕様

KP47スターレットはパブリカのバリエーションの中の若者向けモデルとして1973年誕生、1.2L/3Kエンジン搭載でツインキャブ・ハイオク仕様のSRでは77ps、BOMのSTはレギュラー仕様で74psを発揮、今から思えば現在の軽4ターボ並みのパワーしか無いが免許を取ったばかりの初心者には十分速く感じられたものです。
タイヤのみオプションの165/70/13を装着、ノーマルで暫く乗ったが半年後当時大人気だった、ワタナベRSホイルに交換、トスコ(現在のTRD)のオイルショックも装着、近所の阪奈道路(大阪から生駒山を通り奈良へ抜ける国道、前半ヘヤピンの連続、後半高速コーナー)を毎日の様に走っていた。

20才の時、何故かしらダート車に憧れ気が付くとダート仕様車に変身。

今は、バリバリのラリー仕様車に出会うのは稀になったが、当時それも京都では松本誠選手以下有名ラリーストも多くラリー車に出会うのは日常茶飯でした。

大学のへの行帰り、遠回りをしては友人の住む現在の京田辺市(京都府の南部、奈良との県境付近)の林道、採石場、陸上自衛隊演習地にまで入り込んで練習していました。今から思うと恐いくらい何処でも全開、フルカウンター、ブラインドコーナーもドリフトしまくりで攻めまっくってました。

そしてこの車での5年間でBOMは車のイロハを学びました。



KP61スターレット ST ダートトライアル仕様

昭和54年、西暦1979年発売直後のKP61スターレットに買換え。
この年パブリカは生産終了、スターレットにネーミングが一本化。排出ガス規制により排気量は1.3Lになったもののパワーは72psにダウン、リヤサスがリーフリジットから4リンクコイルに進化した。

この車は最初からダート仕様として改造、KP47からはバケットシート(トスコ製)のみ移植、ホイルもKP61から114.3になり流用できず。
足回りは当時飛ぶ鳥を落とす勢いであった名古屋のLUCK製、ショックはTRDガスタイプを装着。4点式ロールバー、FRPアンダーガード等フル装備でした。

すでに就職しており出張がちであったため47時代の様には走り込む事が出来なかったのが心残り。

ある日交差点で停車中追突され後部破損、フレームまで歪む結果になり売却を決意、この時代のトップマシンTE71スプリンター4Dr.後期型を発注。



TE71スプリンター4Dr. GT ダートトライアルA2仕様
TE71スプリンター


契約直前にマーナーチェンジされたTE71スプリンター4Dr.後期型を購入。
速攻でダートラA車両に仕立てた、この車でJAFダートトライアル近畿地区戦にエントリー。バネは現ジムカーナーで連戦連勝中の山野選手のマシンをメンテしているチャレンジャー特製、ショックは当時ポツポツ入荷しだしたビルシュタイン倒立ダンパー、現在では認められていないアルミ製4点式ロールバー等を装備。

マイナ−後の2TGはからっきしパワーが無く、大阪で最初に設置されたボッシュ製シャーシダイナモに架けてみたらなんと、たったの80ps!!!

写真はお遊びで良く走った中山サーキットパドックでの一コマ、ラリータイヤのまま全コーナードリフトで走り回っていた、BOMが走り出すとコーナーに人だかリができたりした、これマジな話し。



AE86スプリンター2Dr.  ダートトライアルA2仕様
AE86スプリンター


次にBOMが乗り換えたのが当時テンロクNAで最速を誇ったAE86スプリンター、
ここまで読み進めてもらった方はお気付きの通りトヨタオート店取り扱いの車種ばかり、とっ言ってもBOMはオート店の社員でも無くましてサポートを受けた事は無く、ただ単にオート店のセールスマンさんが良くしてくれただけ。

この86ももちろんダ−トラ仕様 JAF地区戦にエントリーするもレベルは非常に高く入賞すら難しい状態、2戦連続でコースアウトをし才能の無さを痛感。
ランサーターボ、ファミリア4WDターボの台頭と不利な条件も重なり、一時JAF戦から撤退。

当時大学時代の友人が同じJAF戦にTE27の改造車DクラスにエントリーしていたのでBOMも改造範囲が広いD車両を作る事を決意。解体寸前のPB210サニーを1万円で購入こつこつ作りはじめた。

この友人のTE27乗りは後に近畿地区ダートラAクラスシリーズチャンプとなり、全日本ラリーのAクラスシリーズチャンプも獲得ついにはWRCニュ−ジ−ランドラリーにエントリーするまでに出世。それに比べてBOMは・・・・・・。




ミラターボTRXX  軽4ジムカーナ−仕様
ミラターボ


このミラターボは厳密にはBOMの車ではなく奥さんの嫁入り道具。
写真は1987年4月12日に開催された「オールミニ・タイムトライアル」の一コマ、場所は名阪スポーツランド。

嫁入り道具をぶんどりブーストUP、車高調サス、ロールバー、レカロ、その他諸々で武装、当時盛り上がりつつあった軽4ジムカーナーにエントリー。2戦たたかって連続4位の成績(ロールバーが付いているだけでフルチュ−ンクラスにさせられた?)。

この年発刊のK-CARスペシャル、カーロード、オプション誌等の取材を受けた覚えがある。そのオプション誌の取材絡みで日本海間瀬サーキットの軽4耐久レースにも出た事もあった。その時の成績は記憶にも無いので、たぶん屁の様なものだったと思う。当時北陸自動車道は全線開通しておらず、新潟県の手前で一般道に降りて行った覚えがある。

最終的には奥さんが妊娠、こんな車じゃ流産してしまうと友人に売却、それ以後奥さんの車には手を出さない事にしている。




[レーシングな20年フォトギャラリー2]

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