2005OKAYAMAチャレンジカップレース開幕戦/05.02.20

昨年末からいろいろ思うところもあり、今年度のレース活動をどうするかなかなか決めかねていたが、時期が来るとやっぱり走りたくなるわけで半ば見切り発車的にエントリーしてしまった。実際今年は岡山はほどほどにして、リニューアルされた富士T1400に力を入れる予定で体制を整えようとしていました。が、諸般の事情でやむなく断念、自分としてはなんとしても富士へ行きたかったんですが、まっそんな気持ちの整理もつかないままの中途半端な気持ちでサーキット入りしました。

よって、サポート先との打ち合わせや支給品の段取り等も同じく見切り発車となりました。
まずブレーキパッドを昨年までお世話になったラムズさんからウィンマックスさんへスイッチ。とりあえずは開幕戦のみのスポットサポートと言う事で2セットパッドを提供していただきました。タイヤは、これもダンロップ社から新しいディレッツアが発売されると言うのでぎりぎりまで悩みましたが、開幕戦はとりあえず実績のある横浜048を使う事に決めMコンパウンドを4本発注。ただ夏以降はダンロップにスイッチする予定ですが。
メンテは例年の通りベクトルさんに依頼、エンジンは富士に行くなら新調しようと思っていましたが岡山ならこのまま行けると踏んで昨年のものを使用。

前日の練習日は終日雨、翌決勝日の天気予報は雨のち曇り。これは昨年の最終戦とまったく同じ状況です。練習日は無理をせず様子見程度に走行、夜はサロンで昨年度のランキング表賞のパーティーへ出席。やっぱチャンピオンにならなきゃとこの場でつくずくそう思いました。
この日は土曜日なので「ごくせん」の放送日、なので主催者さんもその放時間にあわせてパーティーを終えると言うイキな計らい。じぶんは「ごくせん」なんて一度くらいしか見た事なかったのでどうでも良かったのですが回りがうるさくて・・・
そのまま午後9時過ぎにはロッジに入り、あっという間に夢の中、ただ余りの早寝に翌日4時には目が覚めてしまいました(あかんがな)。

朝コースを見渡すとフルウェット、これも最終戦とまったく同じ状況、ただ最終戦のような霧はなく空気は乾燥ぎみ、うまくすると予選開始時にはラインがでているかもしれません。
なんせ開幕戦からシリーズを戦うのは今年が初めて、タイムがでる冬のレースは出た事がなかった。この時期出るからには狙うはコースレコードのみ、現EP82のレコードは当方の#78で一昨年の開幕戦に達人さんがたたき出した1分54秒051、53秒台に入れれば文句無しですが、スターレットのN1で53秒を出すと言うのはいくら路面が変わったと言っても並み大抵の事では無いのです。練習でいくら53秒台出していても、この日この時レース開催日に一発イカ無ければ公式レコードとは認められません。この緊張感がたまらなく自分は好きです。

練習日にびっくりタイムを出したとしても、それはその時の状況次第「すごいね」と表向きみんな言ってますが内心では「練習は練習でしょ」「予選で出してよ」ってけっこう冷めてます、だから私も公式タイムにとことんこだわる。モータースポーツ、スポーツと呼ぶからにはなんでもありじゃやっぱりイヤ「限定競争じゃないと意味が無い」これ私が言うのでは無く、ノバの森脇さんのお言葉、激しく同意(笑。話がちょっとズレました。

ここからがやっと本題。路面状況は昨年の最終戦とほぼ同じですが、午後の決勝はドライになるのが確実、よってタイヤは048Mでタイヤマーキング。今回は最終戦の失敗は絶対にしないと心に決め、予選後半路面回復を待つなんて消極作戦は無し。ライバル#21(昨年のシリーズチャンプ)をマークし、毎周ストレートに帰って来るとリーダーボードを確認する。計測1周目濡れた路面ながら気を抜かず踏みまくりコントロールタワーを通過、翌周リーダーボードを確認すると#21が前。「この路面でこんだけ踏んでもまだそれ以上に#21は踏んでるんかっ」ってちょっとショックを感じたがその瞬間闘争心に火が着いた。その周以降濡れた路面も忘れたかのように全開、ベストはやっぱり路面が良くなって来た最終の8ラップ目。タイムは1分58秒577、総合1位決定、セカンドローに#21、タイム1分59秒284。3番手のタイムが2分3秒191(トップ差4秒)と言うのを見るといかにこの2台が速かったがわかってもらえると思う。てかこの2台がむちゃくちゃ命知らずなだけ・・・

ただ心残りは完全ドライではなくレコードを狙いに行け無かった事、午後の決勝はほぼドライが確実なのでチャンスは有ると言うものの可能性は低い。またまた天は見方をしてくれなかった(;;)。

路面は完全ドライ、ポール位置にクルマをつけ、寒そうに震えるレースクイーンを気づかいながらスタートを待つ。何も無ければ#78と#21のマッチレースになるはず。
いよいよ2005年開幕戦決勝スタート、1コーナーからバックストレート先ヘアピンまで先頭で通過、この先インフィールドに入ってしまえば負けるはずが無い。同じ事をピットで待つメンテのはっきねんさんも思ったらしい、ヘアピン通過後先頭でリボルバーにアプローチをかける#78をモニターで確認「よし 貰ろた」とモニター前を離れプラットホームへ向かいかけた瞬間実況アナの大絶叫!!!「おーっと#78パイパーでスピン!」「タイヤバリヤに激突!」「後続にどんどん抜かれる!」

この時コクピットで何が起こっていたかと言うと、ヘヤピンをインベタぎみに後方を押さえそのままリボルバーアウトへ、通常スタート直後1周目は2速で引っ張りながらリボルバーを確実に下るんですが、今から思うとなんでこうしたか解りませんがレコードラインにクルマを乗せ、ギヤも3速にシフトアップしてしまいました。さすがに2月のレース、タイヤの暖まりも悪く一瞬リヤがブレイク、なんとかカウンターでここは切り抜けたがふらふらと落ち着かないままリヤを退避路手前のダートに落としてしまう。そのまま強引にパイパーに飛び込んだところ砂利を拾ったリヤタイヤがまたまたたえ切れず再度ブレイク。こんどは角度がきつくフルカウンターを当てるが間に合わず巻き込みながらコースを横切り、イン側タイヤバリヤに一直線。後続のクルマはさすがにJAF戦のつわもの揃い、インからアウトからなんとか当方を交わしてくれました。(御迷惑をお掛けしました ホンマ)

当方はと言うと、ダートに飛び出た瞬間激突を覚悟、両腕で体を支えその時に備えた。どっしゃーんとにぶい音がして右前をタイヤバリヤにぶち当てながらなおスピン、リヤがタイヤバリヤに当ったところでやっと停止。えーっとここからはほぼ意識が飛びました、頭を打ったとかじゃなく、頭がブチ切れました。すぐにスターターを回すとエンジンが始動、リヤの痛み具合が確認出来ないためこの場でリタイヤも考えたが走れるところまで走ろうと、ほぼ最下位に落ちながらもコースに復帰。バイブレーションもなくマイクナイトも全開で抜けれたしイケルかも、ただ先頭集団はるか先を走ってるようで視界にすら入らない。まぁ走れるならと予選アタック並みに全開走行、トップのクルマが56秒前後で走っているところを当方は全周回54秒台で走行、8周のスプリントゆえ逆転は無理なのは解っていたがそれでも右足に力がこもる。

程なくマーチ勢に追い付く、当方の殺気を感じたのかマーチ勢は皆バトル中なのに道を譲ってくれる。その前はと見ると、ちょっと先に黒#78の元オーナーさんが1台単独走行中、ただ先頭集団はまだ見えない。ヘヤピンからリボルバー、パイパーと差を詰め、便所裏ショートストレートで並びかけてWヘアピン飛び込みでインからパス。さて前が開けた、落着いて前方を確認すると#22ピン吉号と格上のシティーがバトル中。差は3秒程度、残り2周トップ#21はそのはるか前方で一人旅。ここまでのタイムは54秒半ばから燃料が減るにつれてどんどん上がり54秒前半、あと2周あれば53秒レコードが確実と思った瞬間#22に追い付いてしまった。この#22号車は当方のサポート先の一つでもあるウィルの社長ミカホンさんの乗るクルマ「もうこのままでゴールしてもエエか」とも一瞬頭を過った。ところがところが当方とのタイム差は大きく、そんな事考えてるうちにアトウッド立ち上りで#22の抵抗も無く普通に抜き去ってしまった「ミカホン社長ゴメンなさいね」。単独走行から一転半周とは言え頭を押さえられた為タイムダウン、もう一台まえのクルマは格上のシティー、予選では負けた事は無かったがレースと成れば話は別で前に出るのはもう無理。ラスト1周はテールツーノーズまで追い込んであわよくば敵のミスを誘う作戦にでたが、相手の方が冷静で押さえられたままゴール。

結果総合第3位、EP82クラス2位。レース中のベストラップ(1分54秒079)も獲得してなんとか体裁を保つ事が出来ました。ただレコードにはコンマ03及ばず、あと1周クリアがあれば(以下略 

たら れば は言っても詮無いからね。さて4月の耐久はお休みしてもう一度体制を立て直してなんて思ってると、あれよあれよと耐久にもエントリーする事に、はぁ耐久はエエ事あった事無いのにねぇ。この耐久レースのてん末はまた気が向いたらアップしますね、でもしないかも「悔し過ぎるし」(謎

実は表彰式までは気が張っていて気づかなかったんですが、クラッシュの衝撃で両肩と左手首を捻挫。2カ月経った今でも左手首は痛くて重い物が持てません、骨にヒビくらい入ってるかも。




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