ひこうせいゆうもんきょうさくしょう


● はじめに
● 幽門狭窄症とは…
● 治療法
● ウチの子の場合
● キズ跡
● この病気を疑い始めた理由
● 参考までに…
● 吐き戻しの経過について
● 診察と治療と入院
● 入院の時に必要だった物
● ちなみに…


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はじめに

自分の産後の体調も段々と回復に向かい、さて、いよいよ本格復帰かー
と思っていた矢先にやられました。ゲロまみれ……。
この病気が発症すると、とにかく汚いし精神的に参ります。
日記に顛末として書いていたのですが、ログが流れちゃうので
こちらに、も少しスマートに書いてみることにしました。




まずは、基本的な情報です…。

幽門狭窄症とは…

≪肥厚性幽門狭窄症≫または≪幽門狭窄症≫
男児に多く、出生から2.、3週〜4ヶ月までの間に発症することが多い。

胃から十二指腸に抜ける出口の弁の役割を果たす筋肉が、何らかの原因で
異常に厚くなって管を圧迫。ミルクが胃から腸へと流れにくくなり、胃に溜まった
ミルクが逆流して嘔吐を繰り返す病気。



治療法…

外科手術   : 肥大した筋に切れ目を入れて、管を広がりやすくすることにより
           胃から腸へミルクを流れやすくする。
内科的治療 :
 硫酸アトロピンという薬を内服あるいは注射することにより、筋の力を弱め
          ていく。長期間の入院が必要で、効果が不確実である場合もある。




そしてウチの子の場合…

治療法は
外科手術による方法を選択しました。
全身麻酔と聞いて、新生児にそんなことして大丈夫なんだろうか…と不安はかなりあった
のですが、内科的な方法による治療では、1ヶ月程度の時間がかかり、その間、成長著し
い子供の手を拘束(点滴等により、栄養や薬を体内に入れるのに、子供が暴れてはずさ
ないようにするため)するのは激しくマイナスだと思ったからです。
しかも、薬で完璧に治るかといえば、1ヶ月程度我慢して入院させていて、
「治りませんでしたので、外科手術します」
といわれることもあるそうな・・・。
入院している間の費用は当然かかりますし、なんと言っても新生児ですから、その間、毎
日面会に行って、面会時間中つきっきりで面倒を見なくてはいけない…という重労働、
とても私にはできそうになかったという本音もあります。(母親失格ですかね)。 



傷跡殆ど目立ちません、というか言われないとわかんないかも…という程度に
までなります。
おへその上部に丸い形にそって2センチ程度の切れ目を入れ、そこから内部に、タテにメス
が入っているそうです(おなかの上から触るとしばらくの間そこだけ固かった)
術後直ぐは、やはり若干傷口らしい感じがして痛々しかったのですが、傷口の上から透
明な保護シールが貼られ(日数が経つと自然と溶けてなくなっていくタイプのシール)
術後翌日からお風呂に入っても大丈夫というお墨付きを頂きました。

 
術後5ヶ月経過したキズの跡です。

画像の上にマウスのカーソルを合わせると、メスを入れた場所が表示されます。
(ピンク色は表から見える部分にメスを入れた場所を表しています。青色は皮下でメスを入れた部分を表しています) お臍のシワと重なって、ちょっと深いシワ??って感じですよね。






この病気の疑いを抱いた理由はありません(苦笑)…というか、病院に連れて
いってはじめて、「そんな病気だったなんて…」と分かりました。
所謂、育児書とかムック本とかに「自宅でわかる子供の病気」とかあるじゃないですか。
あーゆーの、持ってなかったので、判断しようがなかったんです。
遅ればせではあったけど、病院に面会に行く帰りがてら、似たような本を2冊も買い求めま
した (^^ゞ やはり一冊は持っていた方が良いですね。

出産後、退院する時に「こういう症状が現れたらすぐ病院にきてください」という説明を受
けていたのですが、その中で
「ミルクを噴水のように吐く」という項目があったんですね
。実はこれが「幽門…」の判断基準だったようなのですが、実際は噴水のようにミルクを吐
くまでに、
溢乳 ⇒ 「ゴボゴバッ」と吐く という時期を経てるんですよ。
だもんで、噴水のようにぴゅーっと吐く…というのを目安にしてると、ちょっとタイミングが遅
いような気がします。 まあその子により…かもしれませんが…。
あきらかに吐く回数が増えてきたという場合(ちゃんと背中をトントンしてるにも関わらず)は
「噴水…」を待たずに、手術ができる大病院に連れて行って、念のためでも良いから診ても
らった方が良いかもしれません。


参考までに…ウチの子が吐き始めた時に記入していた授乳表をUPします。
授乳表のページにあるやつなんですけど (^^ゞ こんな吐き戻しの傾向が見られたら、
「もしや…」と疑ってみて良いと思いますヨ。



この図では小さすぎて見難いと思います。
図をクリックすると、大きな画面になりますので、それで見てみてください。



吐き戻しの経過について
7日の日、それまで溢乳はあったけど、はじめて「吐き戻し」と言えるだけの量、ゲロった訳
です。たった一回だったので「ああ、吐き戻しだね」とそれだけで流していました。

翌日になると、もう飲んでは吐き…という状態が現れ始めています。
もちろん、ちゃんとミルクを飲んだ後、背中トントンをしていましたし、しばらくたて抱っこのま
まにしてみたり…といろいろ工夫はしています。
それでも夜中の授乳時に吐き戻しがなかったので、「自分のゲップのさせ方が悪いみたい
だね」と殊勝なことを考えたりしてました。

9日は、自分の一ヶ月検診だったので、自宅で母親に子供を見てもらっていました。本当は
同じ病室のママ友達と会えるチャンスだったので、子供を連れて行けたら良かったのです
が、この吐き戻し状態で連れ出そうなんて爆弾抱えてるようなもんです。
実は私も赤ちゃんの頃は吐き戻しの多い子だったようで、母がそのゲロ臭のせいで、ヨーグ
ルトがダメになったと、いまだに言われる位なんですが。その母が、ウチの子の吐き戻しの
あまりの多さに「怖くて横に寝かせらんなかったよ」と、私が検診で外出している間中、子供
を抱っこしたまま固まってました。
その日の夜になり、吐き戻しはますます激しく…とうとう吐いたものが鼻からも噴き出すように
なってきました。そんな状態になっても、吐いた後はケロっとして「ミルク〜」と欲しがってくるん
ですね…。だもんで、まだ確信は持てなかったのですが、翌日の朝一番に病院に行くことを決
心し、ドキドキしながら夜の授乳をやり過ごしました。
なぜだか夜中にはゲロんぱが無いんですねぇ…。この病気はこういうパターンなんでしょか。
それともウチの子の場合が単純にこうだったのかな。

翌日に病院に行って診断を受け、入院、祝日だった翌日に即手術となりました。
入院した日を含め、自宅に戻るまで5日かかってることになりますが、薬を使っての治療に比
べて、かなりあっさり帰れたのが分かると思います。
この記事を書いている今、ウチの子の月齢は3ヶ月強ですが、元気にぶくぶく太っています。
吐き戻しも、溢乳以外はゼロ。 あのゲロまみれの日々が今となっては遠い日のことのように
感じる位です。
子供が1ヶ月になる頃というのは、母親の体も心もまだまだ回復していない状態。
そんな中でゲロまみれになるということは、さらに追い討ちかけられたみたいで、心身ともにズ
タボロになりました。
ですので、「そんなこと心配することじゃありませんよ」と言われても良いから、という心積もり
で、まずは先生の診断を受けることが、自分のためにも、子供のためにも大事だと思います。



診察と治療と入院ですが、朝一番に予約外(当然)診療で小児科に駆け込みました。
まずは小児科の先生に今までの経緯を話し、自分で使っていた授乳表を見せながら診察を
してもらいました。 
お腹のあたりをさすりながら、「この状態だと、まず間違いなく幽門…ですね」と、この段階で判
明。念のために…とエコー検査をすることになりました。
エコーから帰って小児科で画像を確認し、この病気が確定。その段階で小児科から小児外科
に移ることになり、小児外科では問診の後レントゲン検査を受けることに…。吐き戻しのせいで、
すきっ腹になっていたのに、「今飲んでも、後で胃から強引に抜かなくてはいけなくなってしまう
から、何も飲ませないでくださいね」といわれ、ぎゃん泣きする子供を抱えてレントゲン検査部へ
その後、再び小児外科、小児科とまわって、即、入院します…ということになりました。
入院の手続きをする際、担当する小児外科の先生から、これがどういった病気なのか、というこ
とを改めて説明を受け、治療法については2種類(外科と内科)から選ぶようにといわれました。
外科治療を選んだので、翌日(祝日でした)には、即手術の予定が入り、その日は面会時間終
了の7時まで、点滴を受けた子供のベッドの脇に座っておりました。

翌日は朝病院が開く前から病棟に。親は待合室で待つようにと言われ、新生児用ストレッチャ
ーで手術室まで搬送される子供を見送りました。
3時間位で手術は終わり、まだ麻酔で眠っている子供が病棟に戻ったところで、担当の先生から
手術の経過の話を受けます。その後退院までの間、毎日面会時間の3時から7時までの間、
オムツ替えとミルク、お風呂の入れないので体をタオルで拭く…等といったお世話をすることにな
りました。
術後すぐは、心電図のコードが体に点滴は腕に、胃に溜まる唾液を吸い取るための管が鼻に
通されており、管だらけの状態でした。その管を、暴れた時に抜いてしまわないよう、左右の手
が包帯とテープでグルグル巻きにされてベッドの柵にくくりつけられてもいました。
また、胃に溜まる唾液を少しでも腸に流すよう、ベッドは45度程度に起こされており、強制的に体
が右に向くよう(胃の出口が右側に向いているので、流れやすいように…という配慮)バスタオル
が股の間を通って両脇の柵につながり、まるでブランコに跨っているような状態で寝ていました。
また、先日病院に来た時よりミルクも何も一滴も飲むことが許されていないので、なにかの刺激
があるとすぐに、火がついたように泣き出してしまいます。病院支給のおしゃぶりを咥えて、真っ
赤になって泣いている様は、親としてちょっと見ていられなくて、かわいそうでした。
ですが、ミルクは翌日の夜中から許可が出ていたようで、最初は20程度から、最終的には病院
では80まで回復し、自宅では飲みたいだけ飲ませることができるようになりました。

この病院では、感染防止(と多分子供の誘拐を防ぐ為)病室の中には、両親か、あるいは事情が
あって両親から一任された人しか入ることができませんでした。他の病院でもそういう所、あるか
もですね。ウチの場合ジジババは廊下側に設置されている窓から子供を眺めたのですが、
まあ、管だらけのかわいそうな様子を見せるのは、あんまりお勧めしませんね。



入院の時に必要なだった物は、紙おむつにお尻拭き、ベッドの柵に取り付けることの
できるマグネットのオモチャくらいでした。パジャマ等病院にある長肌着と短肌着ですませ(どう
せゲロンパで汚くなるし、吐き戻しした量を調べるといって、重さが測ってあるものしか使うことが
できなかったので…)ていましたので、洗い物が発生することもなく、です。また、手術後の子供
ということで、できる限り母乳を与えてくださいといわれたので、搾乳機と母乳冷凍パックを購入し
なんとか絞りだしては、翌日の面会に持っていく、あるいは、病院で面会時間中に絞って渡す、と
いったことをしていました。搾乳機、今では全然使ってません、6千円もしたのに勿体無い(苦笑)



ちなみに…
感情的にまとまった内容の過去日記については、
こちら⇒過去日記【幽門狭窄症顛末】より
を参照ください^_^;








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