2009.08.02
「死装束ですか、まあ予想はしておりましたが…」
梵天丸の姿を一瞥するなり、大きなため息をついての出迎えであった。
起床をしてから、着替えの侍女をそのままの姿で待っていた梵天丸であったが、今日からはご自分でなされますようにと言われ、試行錯誤をした上での結果がこれだった。
始めの七日は何事もなく過ぎた。
傅役というから何をするのかと思っていれば、これでは全く今までと変わらない。居ても居なくても変わらないのであれば侍女らと同じ扱いで構うまい。視界に入っても気にしなければ良い。そう思った。だから油断をしていたというのもある。
いや、件の傅役のことは心の片隅には残っていたが、さりとて普段の生活のどの部分に彼が入り込むのか、そんな暇はないのに、とも思ってはいた。
それが、八日目。
朝一番からやられた。
夜具の前にきちんと揃えて置かれた衣類。
いつものように黙って待つが着替えを行う女の姿はなく、仕方なく呼ばわればこのように…。
「まさかこのようなお年になられて、お一人で着替えもできぬとは仰せられませぬでしょうと傅役殿が」
抑揚のない冷たい声で言われてしまい。下がれとは言ったものの、いざ、畳まれた着物を広げて袖を通し、さて…とそこで止まってしまったのだ。
合わせが逆だという着物。
その上更にしっかり入っていないために左右で違う裾の長さ。
団子が6つ連なったかと思われるような紐のぐちゃぐちゃむすび。
すべては試行錯誤の末なのである。
これだって、今までで一番良い出来なのだー歩いても服が脱げないー。 たかが着替えにこれ以上時間を裂くわけにはいかないと、そうして部屋へと赴いた途端の言葉がこれだった。
仁王立ちしている子供は、いつもの通りのことを普通に成すことができない事実に、少し動揺を受けているようだった。
若干の苛立ちの色も伺える。
朝餉の時間はとうに過ぎ、午前の書物を読む時間も過ぎ、あと少しで昼の時間になろうともしている。たかが着物ひとつを着るだけのことで。
ぎゅっと横一文字になった子供の口元を見て、小十郎はふと唇を緩めた。
「たかが着替えひとつ。されど自ら行わぬ者にはそれら一々が煩わしく、己が手で成さぬ限りこれに気づくことすらありません。着替えのみならず全てに於いて然り」
失礼を、そういってにじり寄ると、捩れこじれた帯を解き、丁寧に着物を着せ掛けていく、ひとつひとつの動作をゆっくりと、子供の目にも分かりやすいよう、時にその手を伴いながら。
一心にその流れるような動作を瞳に収めると、今度は一度すべてを始めに戻し、最初から行う子供。
単純な動作を何度も確認するかのように繰り返す姿は、昨日までの無表情なそれとはまるで違う。
こんなことで、これほど夢中になれるものか。
それ程この屋敷での毎日はこの子供にとって無意味であり、その生気を凍らせるに十分なものであったのだろう。
大人にも難解な書を傍らにしながら、その実際は赤子のように無垢でまっさらなもの。
見るもの触れるものすべてが新しく、ひとたび興味を持てば底を知らぬ好奇心の塊が動き出す。
尽きぬ貪欲さをもって小十郎に求め、ありとあらゆることに対して「なぜ」を発しはじめるのにさほどの時間はかからなかった。
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