「文学横浜の会」
文横だより
INDEX 2008年(平成20年)
2009年(平成21年)
<12月号> 平成21年12月7日
際限もなく枯れ葉が降り続いている。
★例会出席者:浅丘・金田・河野・益野・三浦・山口 / 上村・藤野・山下
★例会テーマ:
次回からの読書会については、担当者を輪番制とし、テーマの決定はその担当者にお任せすることとしました。
★40号の進捗状況:
★次回テーマ:テーマは追ってお知らせします。
(文責:八重波)
<11月号> 平成21年11月9日
「どうです、美人でしょう」…飴色の艶やかな髑髏を手に博士は言った。「下町のおきゃんな娘です」…
さて、「文横だより」11月号、お届けします。
★例会出席者:浅丘・金田・河野・清水・堀・益野・山口・山下・八重波 / 桑田・藤野
★例会テーマ:フランツ・カフカ「処刑の話(青空文庫)、原田義人訳では「流刑地で」、池内紀訳では「流刑地にて」
1914年、カフカ31歳のとき、「審判」と平行して書かれた短篇である。たまたま流刑地を訪れた旅人が、上官不敬罪で処刑される場に(それ自体おか
しなことだが)立ち会うはめになる。処刑の方法が変わっていて、銃殺や絞首刑ではない。「ベッド」と「まぐわ」と「製図屋」と名付けられた3つのパーツ
をもつ精巧な機械による、12時間をかけた処刑だ。この処刑機械をこよなく愛している将校は新任の司令官が今にもこの処刑法を中止させるのではないか、
と心配でならない。そこで旅人に存続のための協力を依頼する。旅人がきっぱりと断ると何を思ったか、彼はじわじわと執行されていた刑を中断させ、自らが
裸になって囚人と入れ替わる。ところが粛々と美しく作動するはずの処刑機械の歯車がガラガラと崩れ落ち、12時間後に予定されていたトドメの針がたちま
ち彼の全身を貫く…おおよそのプロットはこうだ。
なんとも奇妙にして不可解。非日常の空間にいきなり放り込まれて宙ぶらりんにされたような気分だ。機械の作動する様や、囚人や兵士の挙動など微に入り
細を穿った描写は実にリアリティがあり、否応なく読まされてしまう。しかし場面場面のそうしたリアリティをつなぎ合わせても全体像はなお厚い靄の中に
あって見えてこないのだ。人間存在の不条理…などとは言うまい。しかし分厚い靄に包まれたときのこの何とも奇妙な、何とも不安定な、不安な気分こそ、カ
フカ文学の本質的テイストかもしれない。
彼は安部公房、小島信夫、倉橋由美子、村上春樹など、日本人作家にも大きな影響を与えている。意外なことに中島敦も英訳本でカフカを知り、早くから注目
していたようだ。彼は自作「狼疾記」の中で登場人物にこう言わせている。「この作者(カフカ)は何時もこんな奇体な小説ばかり書く。読んで行くうちに、
夢の中で正体の分からないもののために脅されているような気持がどうしても付き纏ってくる」…
久々に読みごたえのある一篇であった。(八重波 記)
★40号の進捗状況:初稿が届き、各執筆者は校正次第返送して下さい。
★次回テーマ:追ってお知らせします。
(文責:八重波)
<10月号> 平成21年10月5日
彼女は運命論者だった。
今月の文横だよりをお届けします。
●例会出席者:
●テーマ:
有島武郎という作家は前々から知ってはいた。代表作が「或る女」や「カインの末裔」だと言う事も頭の中にはあった。
しかし読んだ記憶はなかった。ずっと昔に読んだが「忘れた」のかも知れないが…。
「かんかん虫」は作者32歳の時に「白樺」に発表した処女作である。そのせいだろうか、どうにも読みづらくて、
最初は何が書いてあるのかわからなかった。二度目に読んでなんとなく理解出来たが、どうやら同じような印象を持った
同人も多かったようだ。
内容は、船の胴腹(どてっぱら)にたかって、サビや付着物をかんかんと敲いて落とす下層労働者の仕事を背景にして、
「私」が、親方「ヤコフ・イリイッチ」を通して、親方の娘「カチヤ」と仕事の同僚「イフヒム」、そして雇い主の
「グリゴリー・ペトニコム」の、「カチヤ」を巡る男女の憎愛とも読めるが、作者の意図はもっと複雑なように思う。
この作者が後年情死した事実をみれば、イフヒムがカチヤを妾にしたグリゴリー・ペトニコムを殺す内容は、
女性に対する作者の何らかの意図があるのではないだろうか。
同人から出た主立った意見は、この作品はまさに「一寸の虫にも五分の魂」を書いたひとつのプロレタリア文学であり、
アナーキズムの影響さえ窺える…キリスト教、社会主義、ロシア文学、ニーチェなどの西洋哲学、人道主義など
さまざまな思想や宗教に触れた作者の、下層労働者への問題意識を色濃く反映した作品である…などなど。
以上(金田 記)
●40号執筆予定者:
●来月のテーマは追ってお知らせします。
(文責:八重波)
<9月号> 平成21年9月6日
イスラムの国ではいまラマダン(断食月)の真っ最中である。西スマトラにいた頃は毎朝「サフール!サフール!」の声に悩まされたことを思い出す。この時 期、午前3時前になると、夜回りが各戸の門扉をガンガン叩きながら、「朝飯の時間だぞ」と触れ回り、ご親切にも不信心な者まで起こしてくれるのだ。
さて、この頃アスファルトの上に果てた蝉の姿をよく目にするような気がします。
文横だより9月号、お届けします。
●例会出席者:
●40号について:
次回テーマ:追ってお知らせします。
(文責:八重波)
<7月号> 平成21年7月8日
例会に向かう京浜東北線の電車の中だった。
7月の文横だより、お届けします。
●例会出席者:
●例会テーマ:
7月4日の読書会は 「腕細り 筆衰えたる秋江は 閨の怨みを又も書きつる」と、吉井勇に詠ましめた執念の作家、
未練の作家、女好きなのに貧乏ゆえに二度も妻に逃げられるという醜態を演じた作家・近松秋江の「黒髪」でした。
私が彼の名を知り[黒髪三部作]と言われる「別れた妻に送る手紙」「疑惑」「黒髪」を読んだのは21歳の時でした。
男女問題専門で当時文壇の寵児だった吉行淳之介が好きなのは西鶴などではなく近松秋江だって言うじゃありませんか、
驚きましたよ。
などという文芸座談会を読んだのがきっかけでした。もてる吉行がなんで又、
もてない近松が好きなんだろうというギャップにこの発言者は驚いていたのかも知れませんが、
「ふーん、近松ねえ。わかるような、気もします」と対談者が言っていたのも覚えています。
しかしながら、4日の出席者は少なかったですが、近松先生の文学者然としたイケメンにもかかわらず「これじゃあ女に逃げられるワ」
とか「いちばんもてないタイプよ」など女性の評判はよくありませんでした。
「ここまで書くかあ」とか「さすがにうんざりする」というのが男性に多い感想だったと思います。
しかし女に逃げられて何度か窮地に陥った苦い体験のある私は、現実から逃げず、「甲斐性なしで貧乏とくれば、逃げられて当たり前サ」
などという批評には耳をかさず、執念深く、時には涙さえ浮かべて女の居所を探し当て、
その不実を追及しようという近松先生の気持ちもすごく理解できるので、今回で4回も読みました。
不参加だった方々にも一読をお勧めしたい、読んでおいて損のない作品だと思います。
●次回のテーマは追ってお知らせします
●次回の例会は9月5日です。
★同人の小島裕子さんが関西へ転居されるため、今月で退会されました。
(文責:八重波)
<6月号> 平成21年6月8日
遮るもののない大きな夜空には、無数の星たちが白濁した大河となって横たわっている。
「夜中に南西が吹くかもしんねえからよ、そんときゃ裏へ逃げろ」…
★
文横だより6月号をお届けします。
例会出席者:浅丘・上村・金田・河野・小島・清水・原・藤野・益野・八重波/堀
テーマ :坂口安吾「夜長姫と耳男」…(以下のレジメとまとめは今月の幹事、原 霖里さん)
《 安吾的覚え書き 》
原 りんり 2009/06/06
「晩年の芥川龍之介の話ですが、時々芥川の家へやってくる農民作家ーこの人は自身が本当の水呑百姓の生活をしている人なのですが、ある時原稿を持ってきました。
芥川が読んでみると、ある百姓が子どもをもうけましたが、貧乏で、もし育てれば、親子共倒れの状態になるばかりなので、むしろ育たないことが皆のためにも自分のためにも幸福であろうという考えで、生まれた子どもを殺して、石油缶だかに入れて埋めてしまうという話が書いてありました。
芥川は話があまり暗くて、やりきれない気持ちになったのですが、彼の現実の生活からは割り出してみようもない話ですし、いったい、こんな事が本当にあるのかね、と訊ねたのです。
芥川はその質問に返事をすることができませんでした。・・・
長い引用になってしまいましたが、これは安吾の「文学のふるさと」という、有名なエッセイの一節です。
安吾はこの中でシャルル・ペロウの童話「赤頭巾」を取りあげ、それに対しては、「氷りを抱きしめたような、せつない悲しさ、美しさ」と言い、さらに、狂言のひとつに対して、「重たい感じのする、のっぴきならぬもの」と言い、最後に「伊勢物語」を紹介して、この三つの物語の持つ“宝石のような冷たさ”は絶対の孤独ー生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独ではないか、と問うています。
そしてこれらに、自分は文学のふるさと、あるいは人間のふるさとをみると。
今回のテキスト、「夜長姫と耳男」を理解する上で、このエッセイは欠かすことのできないもののような気がして、ちょっと取り上げてみました。
以下、思いついたことを、箇条書きで。
● 「夜長・・」は、究極の恋愛小説といえるのではないだろうか。
高楼から人が苦しみ死んでいくのを見て驚喜する姫の残酷な美しさは、「桜の森・・」と共通するところがあるけれども、桜の方では男がたじろぐのに対して、夜長は殺すという形で相手を所有するところまでいっている。
特に、夜長の胸を突き刺すシーンには、思いを閉じこめながらじっと仏像を彫り続けた、耳男のある種のエクスタシーが感じられる。
● 薬物中毒でよく太宰と比較される安吾だが、生に対する考え方はまるで違う。
「あちらこちらいのちがけ」という言葉が、安吾の著作にはよく出てきている。朝5時には起きて仕事をし、日中はよく散歩をして体を鍛えていたという。
現実逃避で薬物に依存した太宰と違って、安吾は単純に睡眠や休息を求めていたように思える。
● 矢田津世子との恋愛が有名だが、私的には奥さんの三千代夫人に興味あり。
「青鬼の褌を洗う女」のモデルがこの三千代夫人だったといわれている。料亭の娘で、知り合った時には既に離婚歴があり、しかも娘がいたのを、安吾に親にはなれないと言われて、さほど悩みもせずに捨ててきている人。
安吾の死後に「クラクラ」というバーを経営して、結構文豪を集めて派手な暮らしをしたらしい。
● 安吾が提唱したファルス(笑劇または道化)について。
シャエイクスピアの“悲劇”、バルザックの“喜劇”などに対して、“笑劇”とは何なのか。
「肝臓先生」も、今村昌平監督で映画化された「カンゾー先生」の方がずっとおもしろかった。
● 安吾の魅力
モラルから解放されているぶんだけ、虚飾をはぎ取ったむき出しの人間像を描くことに、成功しているのではないか。
今村昌平もそうだが、多くの演劇人に多大な影響を与えていると思う。人間存在の根元への問いかけ。
【6月例会まとめ】
安吾の「文学のふるさと」は、私にとってはバイブル的なエッセイで、何度読み返しても深いなあと思ってしまいます。
たとえば、狂言で主人公が屋根の鬼瓦をふと見上げて、それが亡き女房にそっくりなので大泣きするというシーンを紹介しているのですが、ブサイクで大きくて怒ったようにごっつい鬼瓦に、大の男が大泣きしてしまうという滑稽さに、人生の悲哀を感じさせられてしまいます。
人間とはそういうものだよ、と安吾が遠い過去からささやいてくれている気がするのです。
(安吾の人間観察はとても鋭くて深いと思います。それが、長い歴史に耐えられる彼の価値のように思えます)
例会では、芸術論的に読まれた方は概ねおもしろかったという意見でした。
特に田村隆一の現代詩「四千の日と夜」に通じるという指摘は、私にとって新鮮でした。そうか、なるほどという感じで。
「サロメ」やギリシャ神話を連想された方もいらして、ネーミングが効果的であるとか、蛇や血のイメージが強烈であるにもかかわらず、読後感がきれいとか、カタカナ使いがうまいなどの意見がでました。
一方で、作品の良さが理解できないとか、小説としてはいまいち、どちらかというとジャーナリスティックで安吾はルポもの方がいいという意見も。
耳男のセリフがそぐわない、ラストに不満が残るなどの他、どろどろしていて本質的に嫌いという意見もありました。
ひとつの作品を集団で読むのは、角度や温度の違いがわかって、いつもとてもおもしろいです。
★
●次回のテーマ:近松秋江「黒髪」…青空文庫に収録されています。(幹事は河野さん)
●「文学横浜」40号の原稿締め切りは9月末です。
(文責:八重波)
<5月号> 平成21年5月11日
スマトラ島の或る河口に全長15メートル、舷側に張り出した大きなアウトリガーで
なんとかバランスを保ちながら、夕闇の中をいつも吃水いっぱいに帰ってくる古い木造船があった。
さて、5月の文横だよりです。
●例会出席者:
●例会テーマ:
結果として、作品論というより作家論に議論のウエイトがあったように思う。
まず文学横浜学校のメンバーが作成した「太宰治とコミュニズム」に関する調査資料が提示され、
太宰治とコミュニズムに関して“拘わり方”及び“挫折”が“太宰文学に与えた影響”について、
その他の議論として、
また、太宰作品の中の西洋物(多くはキリスト教から題材をえた作品)について、
「走れメロス」は面白かったが、ほかの作品についてはよく判らない、との意見もあった。
今回のテーマ「東京八景」については、
(以上、金田記)
★昨日、本屋へ行ったら太宰治の多くの作品が新しい文庫本となって店頭に平積みされていました。
●すでに何度かお知らせしましたが、
●会費&掲載料について:
●来月の例会:
●来月のテーマ:
以上、文責:八重波
<4月号> 平成21年4月9日
哲学の道…円山公園…平安神宮…醍醐寺…宇治川…もういちど円山公園… |