「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2011年02月08日
辻仁成「海峡の光」
あらすじ
青森・函館間の連絡船・羊蹄丸の客室係だった〈私〉は、
青函トンネル開通と共に廃航になる羊蹄丸から函館少年刑務所の刑務官に転職し、2年が経過する。
夜間勤務を終え、今年の春から船舶教室の副担当官に就く所から、物語は始まる。
そこに、18年前の小学5年生の時に同級になり、〈私〉をいじめていた花井修が、
傷害罪で逮捕されて東京の刑務所に入っていた所を、〈私〉の勤める函館少年刑務所に移送されてくる。
かつていじめられっ子であった〈私〉は戸惑い、かつての記憶を思い出す。
元々不良達にいじめられていた〈私〉は、花井の偽善に満ちた隠微ないじめを受け、
悪童達に教室の隅に追い詰められ、何カ月間もの間、女性徒の見ている前で殴られ、鞄を窓から投げ捨てられ、
髪の毛をライターで焼かれた。
花井はしかし1学期の夏休み前に転校することが決まり、クラスの人達と別れる際、〈私〉と和解し、
「君は君らしさを見つけて強くならなければ駄目だ」と言い残して船に乗って去った。
刑務官に転職した〈私〉は、船員バーで羊蹄丸時代の仲間と会うが、
ほとんどの者達はいち早く船から離れた〈私〉を快く思わなかった。〈私〉は姑・舅の反対を押し切って結婚した妻の懐妊や、
かつて高校時代のラグビー部のマネージャーで〈私〉に告白した溝口君子の自殺に船上で立ち会ったことが理由で、
転職を早めたかったことを思い、複雑な心境になる。
船員バーで機関士と喧嘩した〈私〉は夜の歓楽街を歩き、かつて覚醒剤取締法違反で逮捕された男の呼び込みでナイトパブに入り、
静(しず)というホステスと話す。静は左手首を切って自殺未遂をした過去を〈私〉に話した。
その後、静とは密かにホテルで一夜を明かした。
花井は刑務所では至って大人しく、政治・宗教の本ばかり読んでいるが、老いさらばえた母が面会に来ると、雰囲気を一変させ、
ここに来ないようにとまくしたてる。花井は母に「世の中の外側にいられることの自由が分かるかい?」と言う。
花井は航海実習には真面目に参加し、船舶教室の授業にもよく取り組んだが、2月の6級海技士の試験には落第してしまう。
〈私〉は3月13日に最終航海をする羊蹄丸に乗り、かつての船員仲間と出会い、
カーデッキの中程で静に会う。静は青森に帰ることにしたと私に告げる。
花井の仮釈放が8年の刑期満了まで1年半を残して決まる。〈私〉はそのことを口惜しさを隠しながら花井に告げるが、
その2日後の昼食の時間に、突然花井は小柄な若い受刑者を滅茶苦茶に殴打する。
グラウンドへ逃走する花井を〈私〉と仲間の刑務官で取り押さえると、戒具で拘束し、独房へと入れる。仮釈放の話は無くなる。
翌年1月、年号が平成に変わり、新天皇による恩赦によって花井は仮出獄することになった。
私は小学生の花井を口惜しい思いで見送った時のことを思い出し、雪の降る中、
反射的に門の向こうへ行こうとする花井の肩を捕まえ、「お前はお前らしさを見つけて、強くならなければ駄目だ」と口走った。
〈私〉は勝ち誇った気持ちになったが、次の瞬間、「斎藤、偉そうにするな」の大声と共に、腹部に強烈な拳を喰らい、倒れる。
意識の遠のく最中、「俺はここにずっといたいのだ」と叫ぶ花井の声を〈私〉は耳にする。
初夏が訪れたある日、受刑者の行進する傍ら、〈私〉は塀のたもとにしゃがんで、花畑の手入れをする花井修の姿を目にする。
渡り廊下を出る間際、〈私〉は一瞬、花井を見返った。そこだけがぽっかりと、時間から取り残された、のろまな枯れた日溜りであった。
主な登場人物
・〈私〉(斎藤)
・花井修
・静
【時代背景】
1月2日 - 昭和天皇、皇居で手術後初めての一般参賀へお出まし。陛下にとり最後の新年一般参賀となる。
ちょうど年号が、「昭和」から「平成」に切り替わった年であった。
※ ひとつの時代が終わり、新しく生まれ変わる元年でもある。
【ふたりの人間像】
主人公斉藤は小学校5年生(11歳)から18年ぶりに(29歳〜30歳)花井に再会する。
・人物
・過去の立場
・学生〜社会人
・現在の立場
・環境
・感情
【印象に残ったフレーズ】
■1頁
■58頁、158頁
■72頁
■92頁
■127〜128頁
■129頁
■159頁
■160頁
全体を通して
一番のテーマは、花井修の二面性であろう。優秀であり、信望も厚い表の顔と、心の内に潜む残忍性を抑えきれない裏の顔、
それぞれが巧妙に主人公斉藤の前で見え隠れする。その巧妙さが、実にうまく表現されている。
読み手は、花井修の不気味さを主人公斉藤と同じように感じずにはいられない。
一方、斉藤は「逃げる」人生を送ってきているように思える。
小学校ではいじめっ子の花井から逃げ、高校では溝口君子から逃げ、社会人になってからはホステスの静から逃げ、
そして看守としては、再度受刑者の花井から逃げている。
また、花井修も別の意味で逃げる生活を送っているとも言える。
花井は、自らの内に潜む残忍性に気づき、それをひたかくしにしようとしていたが、社会人になった時に、
それが抑えきれなくなる。家族に見せていた「良い子」の仮面を付けている事が、耐えられなくなる。
そして傷害事件を起こしてしまう。残忍性、凶暴性の衝動から逃げようとするが、こちらもその呪縛から逃げる事はできない。
そういった意味で、逃げおおせない二人が、この先どのような方向に進んでいくのか?それに興味が湧く。
きっと運命が導いた二人の関係は、生涯を通じて続いていくものと思われる。
以上、遠藤記
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