「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

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2013年02月02日


深沢七郎「楢山節考」

 「楢山さんに謝るぞ!」

 物語の中で、夜明けの村に起こった奇妙な村人たちの叫び声は、盗人が現れた際の村の仕来たりによるもので、 この後、盗人の一家十二人もの生埋めの制裁へと話は進む。

 そもそも『楢山節考』は冒頭、向こう村からおととい後家になったばかりの玉やんが四十九日がすんだら辰平の嫁に来るというのを、 おりんが手柄話でも知らせるように倅の辰平に伝えることから始まる。以後、貧しく、食料が無いがゆえの村の棄老の風習を核に、 残酷でドライな、一見、徹底した反ヒューマニズムが、当たり前の日常のように物語は進んでいき、人間の根源性が描かれていく。

 しかし一方で、進んで「楢山まいり」を望むおりんは、結果として残される者への気配りのある行動を貫く形となる。

 そして圧巻は、辰平が「楢山まいり」でおりんと別れる際に雪が降ってきて、作法を破り、 戻って母親おりんに話し掛けてしまう場面である。最終盤にきて、とても大きな振り幅で表される、 この唯一人間味を帯びた振舞いこそが読者の心を打たざるを得ないものと思われる。  

参加者からの感想は、
「若い時よりも歳老いて読むと感じるものがある。おりんの生き様や自死が潔いし、まるで無理なく自然に映る」
「小説のレベルを超えている作品。食い扶ちを減らす為の棄老は有り得た話であろう」
「ほとんど作者の創作なのに、いかにも土着性、民族性を感じさせるところが凄い」
「ラストの、辰平が山から帰ってくるとおりんの身につけていたものを孫たちがもう身に着けていた、というのが印象的だった」
「おりんはまだまだ才覚もあって働けるのに、歳になったら山に行かなければならないのは不条理を感じるが、創作だからこそ成り立つのであろうし、上手に構成されている」
「村の掟を守らねばならないというのはありえない話に感じる。なんとなく不愉快」
等があった。

 また、作者深沢七郎がなぜこれだけの作品を生み出せたのかの謎について、棄老が本当にあったのかについて、映画の場合について、 現代社会への問いかけについて等々、とても活発に感想が交わされた。

 現代の日本社会においては、少子高齢化が進み、独居老人が増える中、急速に孤立死、無縁死などと呼ばれる死が増えている。 また、尊厳死や老人を介護施設に入れることなどを含めて、「楢山まいり」と比べてどうなのであろうか。 1956年発表の『楢山節考』は、生き様、死に様を考える上で、今日においても十分問いかけてくる力を持っているようだ。

    以上、篠田記

(文学横浜の会)


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