「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

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2014年01月12日


「やまあいの煙」重兼芳子

 今月の読書会は、20年前(1993年)に66歳(昭和2年〜平成5年)で亡くなった重兼芳子の52歳の時の 芥川賞受賞作「やまあいの煙」を選んだ。地方の火葬場でひとり働く青年が主人公。
恋人である背丈の大きな老人介護施設で働くたくましい女性と、 精神を病み最後は病死した息子の遺体をリヤカーに乗せ焼き場までの坂道を引いてきた小さな老婆の2人の女性を登場さ物語は進む。

同人の感想として:

読ませどころは、焼き場という特殊な職業。主人公の父親も同じ職業であったが、父親の方が普通の姿であろう。 最後に老婆が思ったよりも若く香水のなまめかしさが漂うところは蘇生であろう。

男は「死」の案内人、女は 「生」の案内人。

善人ばかりが出てくる。陰のような存在を善なるものとして書きたい場合、悪を書かないと意味がない。

小説としての盛り上がりを考えると、母子相姦の老婆に子供が出来てしまうなどの想定はどうだろう。

昨年取り上げた村田喜代子とストーリーテラーとして似たところがある。構成的に見れば最後はおかしい。 老婆の生年設定は作者と同じである。したがって投影しているのではないか。後半を手厚くすればもっと面白くなったのではないか。

優しい文章である。男には書けない文章だ。母子相姦は文学独特のものであるが、この物語のそれは「業」はあるが優しい母子相姦。

作者は洗礼を受けているので、老婆にキリスト教の「マグダラのマリア」を重ねる。それは「全てを尽くしての自己犠牲的なもの」。 赤ちゃんを亡くした若夫婦の生きている時は出なかった乳の、赤子が骨になったあとの場面がとても良い。

人間のどこを表現したかったのだろうか。全てを許して受け入れることだろうか。

題名である「やまあいの煙」と内容が終始一貫していない。最後が俗的すぎる。 「王様になったような気分であった」この「王様」にがっかりした。

(担当より)
主人公の職業は「生」が終焉した肉体を「骨」に焼き上げ遺族に返す仕事である。 「焼き場」は彼の仕事場であり、彼自身も「焼き場」そのものとして存在していたのではないだろうか。 ところが老婆に出会い、彼は「肉体」を持つ青年として生き始めた。

彼の職業に少なからずショックを受け、結婚の返事もできてはいない恋人にも「肉体」を持つ恋人として存在するようになった。 彼は2人の女性によって「生」を生き始めた。これからは煩悩に向き合い生きることになろのだろうか。

    以上、佐藤(ル)記

◆次回の予定;2月1日(土)

 担当者;金田
 テーマは「忍ぶ川」三浦哲郎作 新潮文庫

(文学横浜の会)


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