「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

これまでの読書会

2016年02月10日


山田太一

「空也上人がいた」

担当(杉田)

 大震災直後、週刊ブックレビュー(NHKBS)の特集で「空也上人がいた」山田太一が紹介された。
「老人が老人のことを書いても見てくれない。若い人にも見て欲しいから仕掛けをしてみた」と著者は言っていた。
 クリアー、シンプルでリズムがあり、ユーモアも散りばめられ、お見事。ということで文学横浜読書会の課題として提出した。

 あらすじは、27歳のヘルパーの草介が介護の施設で車椅子の老女蓮見さんを投げ出す。数日後に蓮見さんは死亡。施設の人は事故だとかばってくれる。悩む草介は施設を辞める。ケアマネの46歳の重光さんが、草介に仕事を紹介する。それは81歳の癖のある男、吉崎老人の介護であった。
 草介の殺人、吉崎による事故死、自殺と三回の不幸があり、それが人を苦しめ、その痛みの中で、三人は絆をもつ。ゆるしはある?

 私が受け取った同人の感想

・テンポがあわない。
・TVドラマ「ふぞろいの林檎たち」は楽しみだった。
40代の女性が肝心なところで嘘をつくがピンとこない。
・荒唐無稽、唐突、砂をかむよう。テーマは「ゆるし」。

・読みやすい。じっくりと読書というより、通勤の電車の中でよむ本。
・超一流のシナリオ作家とあらためて思う。多くのTVドラマを見てきた。
 小説はもっとドロドロしていい。これはフォークソング調であった。
・面白いが食い足りない。

・小説は活字の一刀彫でありたい。やわらかい御飯で、すぐお腹がすく。
 シナリオは俳優を想定して描くが、小説は全てを描写する作業。「ちがう」。
・TVは見ない。文章は短くリズムがある。12回の連続ドラマになるような作り方。
・「ふぞろいの林檎たち」は面白く見た。この小説は不満。空也上人が描かれていない。

・わかりやすい。会話がうまい。テンポが好い。ユーモアがある。

 結果は一言でいえば、「大いなる不評」であろう。
 読書会の良いところは十人十色で違った感想があるところであるが、それにしても・・・・・・。

 山田太一はエッセイで言っている。
「各年代が輝いているのであってその年代しか持っていないものがある。十代が素晴らしくて後はおとろえる一方だなんて現実感では情けない。それぞれの年齢の輝きが社会を潤わせている」

 そういう事も考えて書いたと思う。しかし、この小説では、施設で蓮見さんは投げ飛ばされ死亡、 吉崎老人は自殺としてあっけなく作者に殺される。高齢者の輝きは空也上人の目にのり移った蓮見さんの目だけである。
 中年の女性が若い罪人に恋をする。その中年の女性に恋をする高齢者の破綻の物語とも言える。

 自殺での終わりは唐突である。肝心な部分での重光さんの嘘は余計だ。ていねいでない。
 そもそも、この短い小説で「若い人にも見て欲しいから仕掛けをしてみた」という最初の意図に小説とは遠いものがあったかも。
 いわば、若い人受けを狙うこと自体、小説とは無縁で、「TVの世界だよ」という事かも。

 それに、大震災から、ほぼ五年を経た。年は取ったが元気な人が多くなっている。それは健康寿命の延長に表れている。社会は変化しており、この小説は拒絶されるに至ったらしい。仕掛けがはずれると、殺人や自殺はいよいよグロテスクなものでしかない。絆も、ゆるしもない。
 若い人受けを当然のように目指すシナリオと、それぞれに「ありきたりではない何か」を追及する小説は違う。

 山田太一は相手の目をしっかり見て、その話を最後まで黙って聞く。話しだす時、間があって、ていねいに話す。その目は少し海の色に青味がかっていて、鋭い光がある。見返すと吸い込まれそうだ。ここに山田太一がいたらどう言うだろう。

「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」(寺山修司)

 さあ、ありきたりでない何かをさがしにいこう。

以上 杉田 記

◆次回の予定; 担当は久留島さん。
  日時;3月5日(土)17時30分〜
  テーマは「転落 追放と王国」カミュ(新潮文庫)
  より「唖者」と「客」

  AMAZON,「日本の古本屋」、書店又は図書館等で…。

(文学横浜の会)


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