「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2016年03月09日
カミュ 『転落・追放と王国』から「唖者」及び「客」
担当(久留島)
1957年刊行、フランス領アルジェリア作家であるカミュの晩年の短編小説『転落・追放と王国』から
「唖者」及び「客」を今月の読書会のテーマとさせて頂いた。
カミュの作品はその当時の時代背景からも思想家としての側面も強く、
晩年の短編小説からの抜粋ではなかなか作品の魅力等が伝わりづらかったと思う。
事実、概ねの感想の一言目には“よくわからなかった”という言葉が散見された。
「唖者」、「客」ともに約20ページであり、それらからカミュの思想を読もうとすることは、やはり難しさがあったのだと思った。
カミュの作品を求めるならば、彼の初期作品である有名な「異邦人」から入るのが最も入りやすいのかもしれない。
今月の担当である私自身もそうであった。
『唖者』及び『客』のあらすじ
「唖者」は、20世紀前半頃のアルジェリアを舞台にした樽製造工場の労働者と工場主とのあいだでの賃金上げのストライキ後の話で
ある。主人公イヴァールを起点とした労働者たちの要求の通らなさ、しかし彼らは生活のために働かなければならない。
一方、工場主ラサールにも工場主としての立場があり、現場は膠着状態、無言の空気がひたすら流れていく。樽を削る音、
金属を打ち付ける音が黙々と続けられるなかで、突然工場主の娘が倒れたとの報告が労働者たちに伝わる―――――。
「客」は、雪に閉ざされた北アフリカの高原に、小学校の教師が一人住む。老憲兵がアラビア人の殺人犯を連れてくる。
憲兵はアラビア人を隣村の役所へ連れていけと言うが、教師は断る。憲兵はアラビア人を残して去る。翌朝、
教師はアラビア人に弁当と金を与え、二つの道を示す―――――。
同人の方々の感想
・表現が独特であるが訳文はつっかかる箇所がある
読書会での大半の感想はやはり“よくわからない”に尽きるだろう。
カミュ自身、読者に分かりやすく描こうなどとは微塵も思っていないはずである。
では、なぜカミュがここまで人気を得て、ノーベル文学賞まで受賞し、いまだにフランスの若者に人気があるのだろうか。
同人の感想でもあった、解らないからこそ流行る、ということもあると思うが、
作品に何かしらの魅力がなければ半世紀前のカミュの作品など、とっくに書店から消え去ってしまっているはずだ。
海外文学、日本文学を問わず、半世紀以上の年月を経てもなお、私たちの身近で手に届く文学作品が多々ある。
時代が変わっても読まれる文学には必ず普遍的な魅力というものを宿していると思う。
村上春樹の言葉を借りれば、”時の洗礼“を受けた作品、その魅力はいくら言葉を並べ立てても表現できない。
現在、書店に山積まれている本の中に、一体いくつ時代を超えても読まれ続ける本があるだろうか。
以上 久留島 記
◆次回の予定; 次回は「文学横浜」47号の合評会です。
5月の読書会テーマは決まり次第連絡します。
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