「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2016年04月11日
合評会を行いました。 「文学横浜」47号
「文学横浜」47号目次
4月10日(日)12時〜
「文学横浜」47号合評会は通年より約1月遅れの開催となった。
作品をどう読むかは出席者それぞれで、感性や思考の違いによって同じ作品を読んでいるのに受け止め方は様々。 書く方にとっては参考になる事もあるが、それは譲れないと内心思いつつ、作者は只じっと聞く。
昔は個性のぶつかり合いで不穏な空気になった事もあったが、そうした血気盛んだった者も人生経験を積んで、 意見を言う者も聞く者も穏やかになった、と思いたい。
無論、それは変に妥協したと言う訳ではない。
最後に作者の言葉を聞いて自分が間違った読み方をしていたと思う事もあるが、それは合評会だけで味わえる。
とりまとめの立場として、掲載順は余り考えない。いや考えると中々決められないので、単純に「えい、や!」と決める。 とは言っても先頭とラストに何を置くかは毎回迷う。特に最初に置く作品は、想いとして、推奨作としたい。 が、今回は直前まで迷った。「なかま」としたのは、近未来、老人の多い町の片隅を思わせたからだ。
もう1つの想いとして、明確なメッセージの込められた作なら、例えそれが成功していなくとも、大事に扱いたいと思っている。 失敗は成功への道なのだから。
さて今回の合評会で多くの意見がでたのは「囀(さえず)る仏 遊ぶ神」だった。読ませ方や内容には不満な意見も出たが、 文学横浜には今までにない作風だった。
一方、引きこもりをテーマとした「寝顔」については内容が暗すぎる、引きこもっている本人が一番苦しんでいる、 内容が形式化している、との意見があった。
創作以外の、随筆、紀行文については総じて好評だった。童話は大人の読める童話なのかとの意見があったように思う。
毎号校正ミスがあるが、今号は特に目立ったのが何より痛恨の至りだ。
文書管理のパソコン化による変換ミス、それに視力の劣化も手伝って、これからは今以上の注意が必要になる。
「文学横浜」では作品の内容について、自己責任のスタンスは当然だが、 こういうミスを少なくするために、印刷に廻す前に原稿チェックを厳重にする必要はある。
と言う事で編集担当として、遠藤さんが加わる事になりました。
以上、金田記
◆次回の予定;
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(文学横浜の会)
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