「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2016年12月03日
大岡昇平 「武蔵野夫人」
担当(篠田泰蔵)
・大岡昇平作品を選んだ経緯
大岡昇平文学には大変思い入れがある。かつて終戦五十周年の際、盛んに放送されていた太平洋戦争関連の特集テレビ番組の一つの中で、ナレーターの『レイテ戦記』を差して「戦記文学の金字塔」と述べていたフレーズがとても気になり、読んだのが大岡文学との出合いであった。
その後すぐに『俘虜記』、『野火』、『武蔵野夫人』を読み、当時ちょうど筑摩書房から発刊し始めていた大岡昇平文学全集を買い揃え、貪り読むこととなった。そればかりか、大岡と同時代の作家達にまで触手は及び、そこからさらに拡大していった、大岡文学は筆者壮年期に再び文学熱を帯びさせる端緒ともなった。
そうなった全ての発端は『レイテ戦記』を読んでの感動に尽きた。以下、凝縮してその理由二つを記しておきたい。
一つは、高度成長期に生まれ、戦争と無縁な筆者が、それまで観てきたどんな戦争映画のリアルな描写にも勝って臨場感を持っていたことである。苛酷な戦地から帰還した大岡の、戦場描写に対する凄まじい執念と筆力のなせる業なのであろう、行間からきめ細かな画像が浮かび上がってきて、見たこともないのに、タクロバンやリモン峠やカンギポット山等々の戦場に本当に身を投じられたような感覚を覚えたのである。
もう一つは、反戦とか慰霊とかの声高な主張などは一切出てこないのに、全三巻を通して、通奏低音ように、作者の深い鎮魂の思いがずっと伝わっていたことである。『レイテ戦記』は、散っていった仲間の為に「自分にできることはこれしかない」と、日米の膨大な資料、証言を集めて徹底的に真実を探って記録した文学なのである。
応召してフィリピンの戦地に赴いたのが、大岡の三十五歳の時である。俘虜になり、やがて帰国したのが三十六歳。『野火』や『武蔵野夫人』などの初期の作品には、こうした壮年期に苛酷な戦場に身を置いた経験が大なり小なり反映されているし、六十歳を過ぎて成し遂げた大作『レイテ戦記』はその集大成とも呼ぶべきものである。
そうしたことに鑑みると、大岡文学は、ある程度は人生経験を経た壮年期以降に読むのが適しているように思えてくる。そうでなければ、たとえば『野火』のような究極に追い込まれた戦場での人間を描いた世界を理解するのは、現代の日本では相当困難な気がしてならない。
戦争を知らない後世へ、戦争が何であるかを、鎮魂とはどういうことなのかを、知らしめる意図が『レイテ戦記』にもしあるとするならば、戦争を知らない筆者は正にその意図に適ったものであろうし、同時に、大岡の業績がいかに偉大であるかを示すものと思えるのである。
今回は、敬愛して止まない大岡文学の中の『武蔵野夫人』をテーマに取り上げた。
・『武蔵野夫人』について
1950年に発表された小説『武蔵野夫人』は瞬く間にベストセラーになり、なんと翌年には映画化されている。しかも監督が溝口健二で、脚本依田義賢、主演田中絹代。このトリオによる映画が、翌1952年から『西鶴一代女』、『雨月物語』、『山椒大夫』と、3年連続してベネチア映画祭で大きな受賞をしており、映画『武蔵野夫人』は溝口の黄金期の序幕に位置付けられる作品と言ってよい。
換言すれば、小説『武蔵野夫人』は、人間追究の厳しさで定評があり、芸術性を評価された映画監督溝口が惚れ込むほどの作品であり、ベストセラーでありながらも、当初から大衆迎合的娯楽作品とは明らかに一線を画した存在であったと思われる。
主要な登場人物が二組の夫婦と戦地から帰還したばかりの勉に絞られ、ストーリー展開自体が追いやすく読みやすい。しかも、その登場人物が、例えば道子と富子、勉と忠雄のように、性格が対照的に描かれており、ドラマ性を予見させ、終始一貫して読者を惹き付けて止まない。
また、武蔵野の自然や「はけ」の描写が登場人物と絡まって情景が浮かんでくる効果を生んでいる。その他、禁断の恋愛、中産階級の没落、戦場からの帰還者のニヒリスティックな複雑な心理、そして何より大岡が戦前から研究を深めていたスタンダールやラディゲ等のフランス文学の影響等々、『武蔵野夫人』には多くの魅力的特徴が挙げられる。
ここで『武蔵野夫人』についての筆者なりの視点を掲げておきたい。それは、「物語全てを通じて俯瞰的である」ということである。
まず、前掲の「はけ」など武蔵野の自然描写である。細部を説明的に描写し続けるだけのことならば珍しいものではない。実は、のべつ幕無しに、ただ細かいだけの描写は、地理的な描写の場合、却って分かりづらくなって読んでいて迷子になった気がしてしまうものである。「木を見て森を見ず」の諺の通り、細部に気を捉われると本質を見失ってしまう。
しかし、逆に「森を見て木を見ず」であって、概念的、総論的なことばかり気を捉われていても個別具体的なことがお座なりになって本質からは遠ざかる。要はバランスである。その点、大岡の場合は俯瞰的な視点が絶えず備わっている為、たとえ細かな描写が始まったとしても、どこをどう描写しているか分かり易いのである。そればかりか、俯瞰と細部描写を繰り返している上に粗密を与えている為、情景に彫り、深み、遠近感のようなものがもたらされて、とても立体的な地理空間が浮かび上がってくるのである。これは美術におけるアカデミックなデッサンや絵画の技法とも近似していて、大岡は、まるで絵を描くようにして風景を記述していると言ってよいのである。
次に、風景だけでなく登場人物についても俯瞰的な視点が見られることを指摘したい。前掲したように、どの作品でもそうだが、大岡は意図して登場人物を簡潔にしている。しかし、登場人数が決して少ない訳ではないのである。
特徴的なのは、各人物の描写に明瞭な粗密の差を付けていることである。例えば勉には大学で遊び相手的な女がいたが、その女についての描写はほとんど少ない。他にも英治の同僚たちなど脇役は所々点在するが、名前さえも付けずに上手に背景に溶け込ませている場合が多い。
俯瞰的な見方が常に働いている為、変に脇役を一人歩きさせることはせず、その重要度に応じて上手に描写に差を付けていることが分かるのである。そのお蔭で、遠近法の働いている風景と同じで、メインの人物、サブの人物、点景の人物という具合に、群像にとても深度、遠近感が生まれているのである。小説の技法の一つとして解ってはいても、ここまで具現化できている作家は少ないと思う。
思えば後年の集大成『レイテ戦記』は極め付きに俯瞰的な視点の含まれた文学である。読者は、レイテ島の密林の中に放り込まれ、大事な場面では細かな描写によってどんどん引き込まれていくが、同時に、常に俯瞰的な視点が提供され、島全体を見通せるように導かれもする。
見知らぬジャングルにおいて俯瞰的な見方ができないことは兵士にとって当然命に係わる。皮肉にも苛酷な戦場に行ったからこそ大岡は、大岡文学に通底するこの大きな特徴をより強固なものにしたと言えるのではないだろうか。
以上 篠田泰蔵 記
◆次回の予定;
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