「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

これまでの読書会

2017年02月06日


町田 康

「くっすん大黒」

担当(サトウルイコ)

2月の読書会は、節分明け立春の4日に、同人13名+見学の方1名の参加で行われた。 このところの当番時、私は、未読で未知の作家に挑戦することにしている。

自分が読んでみたいと思う芥川賞作家の、それは受賞作品でなくてもよいが、なるべく作家の初期の作品であること、強烈な処女作であれば尚良し、を選択基準にしている。前々回の西村賢太、今回の町田康が、そうである。

今月は、高校生の早い時期からロック(パンクロック)バンドを組み、詩人でもあり映画にも出演した町田康の若き日の面構えが興味深かったので、彼を取り上げることにした。

氏は「きれぎれ」という作品で芥川賞を受賞したのであるが、この「くっすん大黒」という小説は、それ以前に芥川賞候補になった処女作である。題名が気に入ったのと、「きれぎれ」よりも読みやすかったので読書本とした。 尚、「くっすん大黒」が1996年下半期芥川賞最終候補になりながらも落選した時の受賞者と作品は柳美里「家族シネマ」と辻仁成「海峡の光」であった。

選考委員の黒井千次氏のコメント「前半と後半に分断が見られ、意図の達成の阻まれた感があるが、このエネルギーとスタイルは見守っていきたいものである」は、町田氏にとって大きな励みとなったであろう。

氏は、2000年に「きれぎれ」で芥川賞受賞後は、毎年のように数々の文学賞を受賞した。彼の文学を評価する、しないに関わらず、実績として文学賞史に彼の名は残る。

亡くなってから初めて真の評価が定まるならば、氏の評価は、いかなるものになろうか、興味深いものである。

今回、同人方の読後感は以下の通り。

☆文学の多様性を感じた。この作品はシニシズムと傍観主義であると感じた。
☆「きれぎれ」を読んだことがある。面白かった。
☆話し言葉で書いてある。若者の感性についていかれない所があるとわかり難い。

☆破壊性。形式の破壊性。詩人なのでリズムがある。文学の多様性を感じた。
☆賞を多くとっているが、読んだことがなかった。辻仁成の受賞作の方が主人公に入り込めるが、氏の作品は主人公に入っていけない。感性がサラリーマンには理解ができない。
☆河内音頭で、頭の中に浮かんだものをリズム感よく並べていくが感動を呼ばなかった。

☆20年前に読んだことがある。大黒以外中味は忘れていた。関西文学の伝統を受けているが一気に読ませる割には、残るものが少ない。
☆ギブアップで読めなかった。これが関西文学なのか。
☆魅力の半分は文体である。自分を笑える人。落ち込んだ時、悲しい時に読みたい。

☆驚愕した。リズミカルではあるがリリカルなものが欲しい。最後の文章、なぜ豆屋なのか。
☆不条理、詩的、流れを持たせているが意味がない。 最終的に残るものは、大きな優しさか。

以上、同人の方々の感想でした。ストーリーよりも文体のリズム感が勝る。電車の中で読んでいても声に出して笑ってしまう可笑しさ。その「笑かす」(わらかす=大阪弁。笑わせるの意味)手法。それ以上のものが残らない一時の笑いの連打。ところが、立たない大黒は、主人公そのものであり、あなたであり、私でもある。最後の「豆屋でござい、わたしは豆屋ですよ」は、とても謎めいた大声での叫びなのだった。「まめ」には、忠実、健康、実直、勤勉、誠実など、いい加減な主人公「くっすん」とは正反対の意味がある言葉であった。

以上

以上 サトウルイコ 記

◆次回の予定;
  日 時;3月4日(土)17時半〜
  テーマ;「あだ桜」向田邦子、短編集『父のわび状』(文春文庫)より、
  担当者;成合さん

  

(文学横浜の会)


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