「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2017年04月03日
文学横浜、48号 合評会
担当(金田)
恒例により発行された「文学横浜」48号についての合評会を行った。
48号は作品数、頁数共に最高となった。社会の高齢化に伴って第2の人生を歩み出した、
所謂、団塊世代の増加によって何かを表現したい、或いは書きとめておきたいと思う人達は確実に増えている。
しかし数が多ければよいと言う事でもなく、当会では散文であればなんでも載せると言う方針でもない。
同人誌発行と同時に関係法人、個人に進呈しているが、今回も幾つか感想文が送られてきた。
同人仲間が読むのは当然として、そうした外部からの感想を頂く事は書き手として、喜び・感謝に尽きる。
さて48号は、創作9作、随筆6作、評伝1作、童話1作の計17作だった。
合評会では出席者が銘々に感想を述べあう形式だが、時間内に終わらせる必要もあり、今回前半は急いでしまった。(反省)
感想は個々の感性、好みによって同じ作品でも評価が別れる事は当然として、読み方によっても感想は様々に別れる。
従って様々な意見が出た中で、それを全て書くのは不可能だが、私の視点で纏めてみた。
今回感じたのは創作(小説)を「書く視点」と言う事だ。
「何かを書く」に当って書き手は自分が見聞した事、調べた事、或いは作り出し・想像した詳細で内部を組み立て、
書き手の意図する内容に仕上げるのだと思う。
尤も、明確に意識しないで書き進める事もあるだろうが、支離滅裂であっては作品とはなり得ない。
単に「こういう事を聞いた」と言うだけでは不満であり、創作と言えるのかとも思う。
創作(小説)と言うからにはその中に「人」が描かれていなければならないし「生きた人」を書く事によって
作者の思いや考えを書かなければ作品とは言えないのではないか。
ただこう言う事があった、聞いたと言う内容だけでは、少なくとも私は満足できない。
そしてよりリアリティを持たせるためにも書く視点が大事だと思う。
合評会では全編多くの意見が出たが、以下の作品について簡単に纏めてみた。無論、作品の出来とは無関係である。
「ペルシア人の手紙」堀寛紀;滅びゆく国の官僚を通して愛・友情が語られており、
当時の宗教・宗派の寛容性の問題が現在にも繋がっているようにも感じられた。
なお、当時の状況説明が一部史実と異なっているとの指摘もあった。
「カラス」河野つとむ;神奈川のチベットと言われた津久井に生まれ育った4人姉弟の長女・菊江とその下の弟・春ちゃんの物語。
作者らしいサービス精神をちりばめて、菊江の息子・裕夫の目で書かれている。判りにくい表現があるとの指摘もあった。
神奈川のチベットと言われた津久井の昔の生活が描かれており、将来貴重な資料になるとの意見も寄せられた。
「「ナナ」ママの葬式」山下淳;登場人物のキャラクターで読ませる。
「ナナ」ママの葬式を介して、「ナナ」ママの人間像を浮かびだし、葬儀でのママの亭主の振る舞いに憮然とさせられ、
ラストの落ちでちょっぴりしんみりとさせられる。
「地上の星くず」藤野燐太郎;歌の力を信じた男の物語だろうか。時代の流れに翻弄されながら、
生きて行く上でのどんな苦難も歌の力で乗り越える、そんな仕事に生きがいを感じた夫婦の物語とも読める。
こんな小説があっていい。導入されている歌詞が長いとの指摘もあった。
「日本、忘れがたく」浅丘邦夫;徳川体制が確立する日本の国内状況と、日本に侵入しよと目論むキリスト教各宗派の競争を背景に、
日本上陸を目論むソテロを中心とした物語。映画「沈黙」を連想させたとの意見も多かった。
創作以外では「若き日の思い出「恋文書きます」」、「肥沼信次医師のこと」等が話題になった。
以上
以上 金田清志 記
◆次回の予定;
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