「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2017年09月02日
白石一文 「ほかならぬ人へ」
担当(藤村格)
文学とは、思想や感情を言語で表現した芸術作品。また芸術とは、表現者あるいは表現物と鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、
精神的・感覚的な変動を得ようとする活動、と定義される。
さて文学横浜の会。今年2月偶然書店で目にした「第142回直木賞受賞作‐愛の本質に挑む純粋な恋愛小説」なる謳い文句を参考として
今回の読書会の対象作品に設定した白石一文の小説「ほかならぬ人へ」は、読者に精神的・感覚的変動を与えることができたのだろうか。
文芸春秋の記者・編集者を経て専業作家の道を選択した作者は、2009年「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」で第22回山本周五郎賞を受賞し、翌2010年に「ほかならぬ人へ」で第142回直木賞を受賞した。
父親の白石一郎も第97回直木賞を受賞しており、初の親子二代での受賞となった。
第142回直木賞受賞時の各選考委員の選評を参照してみると、
五木寛之氏「人物の輪郭というか、キャラクターが鮮やかに描かれていて感心した。人物描写のエッジが立っている、という印象だ。」
渡辺淳一氏「さまざまな男女の、そして夫婦の関わりがあるが、もしかしてその各々が少しずつ食い違っていて、その相互の関わりを一斉にずらしたら、両者の溝が埋まっていくのではないか。そんな予感がリアリティーをもって迫ってくるところが、この作品の妙味であり、作者の着眼点の非凡なところでもある。」
阿刀田高氏「――確かに、現代の男女はこういうことなんだろうな――と読者を納得させてくれるところがすばらしい。登場人物のそれぞれにリアリティがあり、気負いのない筆致もこころよい。」
等のかなり好意的な評価がある一方で、
宮部みゆき氏「白石さんには大変申し訳ないのですが、私はこの中編二作の作品集に対して何とも勘違いなアプローチをしてしまい、最後までそこから抜け出すことができませんでした。後半の「かけがえのない人へ」では、主人公の〈みはる〉が前半の〈なずな〉であるとこれまた勝手に思い込み(引用者中略)それが読み違いだとわかると、情けなくもまた迷子になってしまいました。」
宮城谷昌光氏「自己を嫌悪するのであれば、もっと細部にあるいは恥部に精密な描写をほどこすべきだ。そこを徹底せずに切り上げたという感は否めない。」
浅田次郎氏「その完成度の高さからは受賞にふさわしい。ならばなおさらのことこの作品が、受賞作にはふさわしくとも作者の代表作としてよいものかどうかと迷った。直木賞作家の冠名はその受賞作とともに語られ、つまり一生祟るからである。」
等のかなり辛辣な評価も出されており、果たして直木賞に値する作品か否かについて、選考委員間でも相当議論があったものと推察される。
今回の読書会に出席した会員13名からも、はからずも直木賞に値する作品か否かに関する率直な感想が出され、
直木賞受賞作品にしては感動がない、つまらない、取りとめのない話でテーマがない、人間性の掘り下げがない等、
本作品に否定的な感想が大勢を占めた。
ただ、なかには、文章表現がはっきりしている、夏の暑い時期でもすぐに読破できる読み易い話だ等、
一つでも作品の良いところを抽出してはとの意見もあり、つまるところ会員各自の志向により感想もさまざまである。
≪会員の感想≫
■感動がない。ストーリーがありきたりで人物設定に納得がいかない。特に主人公の明生が名家出身である必然性がない。
■恋愛小説として成功しており面白いと感じる。文章は雑だが「ほかならぬ人へ」というタイトルが効いている。ただ明生と東海さん以外の男女の関係は須らく納得できない。
■取りとめのない話で感想を出しにくい。明治時代でもなかろうに、主人公が名家・良家出身などとは意味がない。テーマがなく筋が通っていない。冷めた味噌汁を飲まされている気がする。ただ最後の数ページは文章に切れ味を感じる。
■一言で言うとつまらない。直木賞選考委員の中には本作品を読まずに選評を出している人もいるのではとさえ感じてしまう。年2回2〜4名に直木賞を取らせることには無理がある。作品で選んでいない。
■読んでいて何故本作品が直木賞を受賞したのか理解できなかった。受賞時の平岩弓枝氏の選評が最も的確と思われる。
以上 藤村格 記
◆次回の予定;
(文学横浜の会)
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