「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

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2017年10月08日


佐藤愛子

「戦いすんで日が暮れて」

担当(金田清志)

朝日新聞の記事「ー人生の贈りものー」で、 「本が売れて、何がめでたい」との副題を見て目が止まった。 佐藤愛子の生い立ちから現在まで、作家自身が語っている。

佐藤愛子の名前はそれとなく知っていたが、どんな作品を書いている作家なのか私は知らなかった。 そこで、この機会に何か読んでやろうと決め、直木賞作「戦いすんで日が暮れて」に決めた。

「戦いすんで日が暮れて」について

今回テーマとなった直木賞作「戦いすんで日が暮れて」は作者自身の同記事によれば、 「夫が事業に失敗して、会社が倒産しました。負債は2億円を超えていて、そのうちの数千万円を私が肩代わりしました。 夫が社長だからといってその負債を妻が負う必要は法律上ないのですが、それを知らないもので、 幾つかの債務を肩代わりするハンコを押しました。
<中略>
夫は、借金取りの攻勢から私を守るためだと言って「偽装離婚」を提案してきました。 いったん籍をぬいて倒産の始末がついたら、元に戻そうと。 そのうち、気がついたら、籍をぬいていたところに別の女の名前が妻として入っているじゃないですか。 しかし怒る暇がないくらい借金を返すために働いていましたからね。 その程度の男だったんだなぁと思ったのでした。これが二度目の離婚です。」

そのときの経験を書いたのが「戦いすんで日が暮れて」です。

「大変な出来事でしたから、これを小説の題材にすれば文豪バルザックのような大作ができるに違いない。 そう思って意気込んでいたのですが、出版社からは原稿用紙50枚という依頼でした。 しかし、お金がほしかった。50枚で書きました。」

作品についての感想;

 作品を読むにあたっては、多くの場合、いきなり作品に接して、作品世界にいざなわれる訳だ。 作者がどんな背景のもとに書いたものなのかは知らない。

そうして読まれた作品が読者を作品世界に導いてくれれば、第一歩は合格、といえるだろう。 直木賞を受賞した作品だから、まずそれは問題ないとして、評価が別れるとすれば、 その作品世界に対する好み、内容のテーマ性、深さ、等によるだろう。 尤も、賞を得た作品であってもどうしても感性の合わない作品はある。

 さて小説内容そのものが自分の借金をテーマとした判り易さもあってか、 出席者の発言の多くは、作家・佐藤愛子その人物について、或いは父・佐藤紅録、兄・サトーハチローを絡めた内容も多かった。

色々な言葉が飛び交った中から作品についての感想を以下の様に纏めた。

・読後感はズシリと心に響かない。
・亭主をメッタ切りにする、主人公の性格が爽快
・私小説として書いた方が良かったのではないか。 ・どこまでが真実なのか判らないが、主人公は何事にもめげない性格の強さを感じる。
・登場人物に醜さと滑稽さがでている。
・亭主が上山光枝に貸したお金を巡り、亭主と主人公との遣り取りが笑える。

・小説の内容と美人作家(?)・佐藤愛子のギャップに注目されたのではないか。
・直木賞作品だけに、読ませる力量がある。
・作家・佐藤愛子に対する興味を持った。

・借金に追われる主人公をユーモアを交えて描いている。
・男を見る目が、男から見れば甘いのでは、
・借金を背負った主人公に大阪のおばちゃんの「のり」を感じる。

・主人公の女の強さを感じるが、当時としては特異な事で、時代を先取りしていたのでは、
・多額の借金を背負う、お金にルーズな男と結婚したのは男を見る目がないと言う事。
・お金にまつわる人間のあからさまな姿を表し、つまりは人間の一面を描いた作品だ。

参考;

<佐藤愛子>

 朝日新聞の記事「ー人生の贈りものー」によれば《本人の弁とは相反して、エッセーの売れ行きはとまらない。「九十歳。何がめでたい」は今年上半期のベストセラー1位になった。昨夏の刊行以降、90万部をこえている。》

佐藤愛子の父は少年小説「あゝ玉杯に花うけて」で知られる小説家の佐藤紅録。兄は詩人の佐藤ハチロー。 本人の弁によれば「華やかに見える佐藤家だが、そのなかは嵐が吹き荒れていた」。

<佐藤愛子の小説に対する言>

 私は売れるために小説を書くということを考えたこともありません。 表現したいことを小説やエッセーに書きたい、ただそれだけなのです。 私の言いたいこと、考えたことをくみとってくれる読者に会えたらそれはうれしいですが、会えなくたって構わないのです。 本が売れて、何がめでたい。

 小説の基本は、人間について考える事です。そして、そのためには、さまざまな現象の下にあるものを見なければならない。

<父についての言>  父は女優だった私の母に一方的に恋をして、それまでの家庭を捨て、無理やり母と再婚しました。

 父の少年小説は決まって勧善懲悪でした。貧乏だけど志のある少年がいて、悪たれが登場して少年をいじめる。まじめな二枚目が現れて、少年を助ける。「いつも同じだ、つまんない」と私は言っていました。作りものめいて、私は批判的でした。

 読者からは山のようにはがきが届いていました。志を持ち、この世の苦難や不幸に負けずに生きよ、と読者に説いた父の情熱は本物だったと今は思います。

<母についての言>

 母(シナ 女優・三笠万里子)は、戯曲も書いていた人気作家の父のもとを訪ねて、見初められます。父は手あたり次第に女を口説くという男でしたが、母にはその気が無かった。むしろ母はそういう男を馬鹿にしていたのです。自分になびかない初めての女だったので、父は余計にのめり込んだのでしょう。

 母は、男も女も批判していました。「女が男より劣るのは客観性に欠ける点だ」と言っていました。いわゆる女の論客。外では無口、うちの中だけの論客ですね。

 私は、(中略)、母のものごとのとらえ方には大きな影響を受けました。作家になったのも、母の言葉のおかげです。

以上 金田清志 記

◆次回の予定;
  日 時;11月4日(土)17時半〜
  テーマ;「肉体の悪魔」、ラディゲ
      
  担当者;山下さん

  

(文学横浜の会)


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