「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

これまでの読書会

2018年04月09日


永井龍男

「青梅雨」「一個」

担当(佐藤ル)

4月の読書会は、13名の同人の参加で7日に行われた。

前日当日の2日間は、季節外れの台風並みの強風に執拗に見舞われたが、幸いにも会が始まる夕方からはその風も収まった。 例年なら梅雨入りは6月であるが、異常気象の昨今、今年はいかがであろうか。

今回の読書本は永井龍男の短編「青梅雨」(あおつゆ)と「一個」を選んだ。 今までの当番時には芥川賞作家を取り上げてきたのであるが、 今年はその芥川賞・直木賞の設立に常任理事として事務に携わった永井龍男を勉強することにした。

戦前、戦中は文芸春秋社の各誌編集長としても名高く、 戦後はGHQの公職追放により文筆生活一本になり、長らく芥川賞の選考委員でもあった。 氏は、1904年(明治37)に生まれ1990年(平成2)に86歳で亡くなった。 明治、大正、昭和、平成を生き、激動の20世紀を見てきた。

素人から大作家まで、どれほど多くの人と出会いその文学作品を読んできたのでであろうか。 戦後の短編小説の達人と言われてきたが、俳句の人でもあった。 文章の簡潔さと短編のまとめ具合は、確かに俳句と共通するものを強く感じた。 今回の2作品は1965〜66年(昭和40〜41)頃の作品である。

<作品紹介>

「青梅雨」
 老夫婦、妻の実姉、昔は妻の看護婦をしていたが養女に迎えられた心臓に持病を持つ中年女性、 この4人家族の一家心中の話である。77歳になる老主人は1年前の事業の失敗により50万円の借金の返済に追われる。 元金は減らず、律儀に返し続ける毎月の利子返済2万2500円は一家の生活を困窮させていた。 働き手のいない高齢者家族のエンドレスの借金地獄からの解放は、死しかなかったのである。 4人で何度も話し合い全員納得の上での心中決行当日の夜の物語である。 妙に明るいリアリズムに富む最後の団らん時の会話は、まさに梅雨時の青梅雨のようであった。

「一個」
 2か月後に定年退職=失業を控え、再就職もままならず不眠症でノイローゼの男の妄想ばかりの物語である。 青梅雨とは真逆の、脳内でぐるぐる回り実際には吐き出されない会話の場面が連続するシュールな物語なのである。 題名の「一個」の意味するものは、何であろう。 「いっこ」の時計なのか個人の「個」なのか、作者の意図を知りたいところである。

 <同人方の意見>

☆ 文章が新鮮で衰えがない。「青梅雨」は会話が多く、会話の妙がある。 暗い話であるはず なのだが、明るく過ごすところにジーンときた。「一個」はパラレルワールド。新しい作風の短編のバイブルになったのではないか。

☆ 名文というよりも、社会のとらえ方がこの時代にあっては斬新。 「青梅雨」は、最近とみに増えている一家心中をサラッととらえている。現実的にはあり得ない。 「一個」の電車の中の話は面白い。

☆ 短編の名手というよりはリアリズムの名手であろう。菊池寛の手法の影響も強いのかもしれない。 編集者として細部を見る目が備わっている。

☆ 古いというよりは、現代の礎になっている感がする。菊池寛の短編の凄さ上手さにまでは到達していない。 「一個」は斬新だった。

☆ 自分の創作には参考にならなかった。的に言葉が当たらなかった。                    

☆ 端正な文章であるが、違和感があった。「一個」では時計の掘り下げが足りない。 日本文学のあっさりしていて淡白な弱さ、暗さが目立ち文学としての豊かさがない。

☆ 暗い話だった。

☆ 簡潔な文章であった。近代小説の特質はリアリズムであり虚構を通して抉り出すのがその役割であるが、 三人称の客観的描写で書くのは難しい。ゆえに、多くの人は私小説の世界に逃げ込むが、 「一個」は三人称の一元描写、「青梅雨」は、多元視点であり最後は三人称の神視点(GOD)でまとめている。 この特徴的な技法を見出したのではないだろうか。

☆ 技術的に大したものである。目が肥えている。悲しい話を悲しいと書いてはいけないのがわかっている職人芸。

☆ 作品として成り立たせる奥の深さ。

☆ 「青梅雨」の題名に一家の切なさをみる。「一個」とは何なのだろう。

☆ 日本人だからわかる小説。余分な言葉はなく、読者に考えなさいと提示して答えを出させる。 俳句も短歌も同様である。O・ヘンリーの小説と似ている。「一個」は一個人としての「一個」。   

※以上が同人方の感想でした。

昨年後半にふとしたきっかけで永井龍男の短編集に触れ、短編の妙というものの奥深さに感動しました。 物語の面白さスケールの大きさに心ときめかせて読む長編とは違って、 短編は着眼、切り口、切れ味で読者に迫るものであることを、永井作品を通して実感しました。

良い短編は何度も読み直し、 ひとことに託された事柄を推測する楽しみがこれほど湧いてくるものであろうとは思いもよりませんでした。 戦後のまだ貧しい頃の話が多いのですが、人の心は普遍で不変。あの時代の懐かしさも手伝って、 今年は昭和文学の作家の短編を色々読んでいこうと思っています。


以上 佐藤ル 記

◆次回の予定;
  日 時;5月12日(土)17時半〜
  テーマ;「「妻と私」江藤 淳、

  場 所;601会議室

(文学横浜の会)


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