「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2019年05月08日
堺屋太一 「団塊の世代」
担当(成合)
課題本に提出した理由は、なにかと身辺に「団塊」のことばを耳にする。
煩わしくも思うこともありながら、自ら応える暇も気分にもなれなかった。
古希を過ぎるころより、振り返ってみれば「団塊」のことばも過去のもののような、ひびきもあり読んでみました。
読後まさしく台風の目の中に居たような、対岸に居たような自分だったと知り、提出をお願いしました。
本名は「池口小太郎」 1935年7月13日大阪生 2019年2月8日亡。
ペンネームは、豊臣時代に堺から大阪に移った先祖の名から付けた。
商家の血筋を引く家庭に育ち「自分で切った手形は、自分で落とせ」という教育をうけた。
経歴
東大卒業後1960年通商産業省(現経済産業省)に入省
作品
政治家として
人柄
・空気を破ることを何とも思っていなかった。
・大阪人ぽい人。話好き。物知り。 万博で若い芸術家が多く起用された。一斉に文化が花開くようだった。その文化に触れたことが、作家として大きかったと思う。・・・コシノ・ジュンコ談
以上 2019、02、読売新聞の記事から紹介させてもらいました。
『団塊の世代』 の概要
「与機待果」A電気工業で抜群の幸運に恵まれていた主人公であったが、A電気工業の夏″は終わって居た。1980年代に入ると社会の中年化とバブル時代に採用した社員の高齢化。給与と地位の問題など「抜本的立て直し」に窮していた。会社は大倉社長主導のコンビニエンス・ストアに活路を求めた。しかし新しい企画創業の苦難に大倉社長退陣。企画の中核に居た主人公も企業整理の流れの中に、コンビニエンス・ストアの一店舗を宛がわれる形で請け負わされる。
「機会(チャンス)を与え、果実の成るを待つ」大倉社長の理念ではあったが・・
「三日間の叛乱」1980年代 K自工の車の売れ行きも衰退を始めた。そのような時に高度経済成長時代に計画された新工場が落成、負担となって行く。自ずと会社の経営を巡っての社内対立。総務部長一人の頑張りであったが、総会を乱したという冤罪を被せられ辞職。「日本型の一揆だったな」といって去る。
「ミドル・バーゲンセール」1990年代多様された言葉「ミドル」。ミドル・ライフ。ミドル・スーツ。ミドル・保健薬。・・
N銀行本店の調査第三部副長の主人公。日本経済の体質改善が叫ばれ出す一九九〇年代。出向の形で派遣された百貨店が人員整理、の便法、人間(ミドル)バーゲンであった。
「民族の秋」1948年生まれ、52歳の主人公。老人対策事業の企画調整に当たって居る。
労働の価格と社会的評価の格差(収入と支出のアンバランス)。人生の最も苦しい時期(高年齢層)のこと。
石油に振り回されている日本経済。エネルギー問題よりも、原子力発電所や石炭公害の論評が盛んな・・。
福祉年金というものがいかに高くつくものか・・しかしこれは国民として、人間としての倫理である・・が・・。
所得税値上げの反対・賛成。「退職金倒産」の企業・・。
一旦出来てしまった生活水準は、所得水準が下がっても引き下げられない。・・・深刻さがある。
読書会で出された感想・意見
・自分たちが国・社会を作って来たという気慨があるでしょう。
・企業家から見ると、団塊の世代の中産階級ともいわれた人達、その人達には大変苦しめられた。
仕事と報酬(給料)に対する発想、そのギャップ。何ごとにも「平等」を欲する。それは無理だ。
アメリカの能力主義を採用、要求したが、難しいことが多かった。
役人を会社に引っぱった(天下り)のは、情報が欲しかったからだ。
世界の中でどう生きて行くか、肌で感じて来た。今は、世界を見通す官僚が少ない気がする。
年金は自分で稼いだお金ではないか、どうこう言うのは筋違いだ。弱者=老人ではない。
・時代の経緯をみると、漠然とした世代だ。それに対する定義が曖昧だ。
コンビニの発祥を述べているのが、面白かった。
小説か文学かというと異論もある。
その世代であったが、悲惨とは思わなかった。
押せ、押せ、で進んできた。テレビ、家電、車もひとつひとつが楽しみで目標だった。
・40代の会社の組織の改正は難しい。そのしわ寄せは、年代構成を見れば予測されるはずだ。
だが現実に面しなければ変えられない。外人雇用制度の変更も同じだ。
・ペンネームで大臣に成ったのには、驚いた。サラリーマン小説の方がドラマチックかも、これは盛り上がりに欠ける。
・高級官僚としての目線だ。見降ろす感じである。
組織などの分析は優れていると思う。燃えるようなものがない。小説としては足りない気がする。
・ベビーブームは日本だけではないのか。外国でもそれなりの問題が起きている。
男子がいない世代の女性の非劇も多かった。
・ビジョンはすばらしい。
事務局から閉室催促の電話が鳴っても終えられない状況でした。
仕方無くひと言、二言で終わらせられた会員の方には、とても残念だったことと思います。
また、提案者の難聴のため聞き落としもあり、十分な報告が出来なかった事をお詫び致します。
コンビニエンス・ストアが街に出来たはじめのころは、なにか珍奇なものに思えました。
既存の店の様子と違うことが多い。
しかも、店の構え(建物)もなにか貧弱で、頼りなく思っていると、ブラック企業そのもののような声も聞こえた。
ところが、今は日本経済をも揺るがしかねないものになっている。昨今のニュースはご存知と思います。
そのコンビニエンス・ストアの発祥について源を知り、むしろ親しみをもって見るようにもなりました。
『団塊の世代』の主人公はエリート中のエリートです。それでも、というべきか。それだけに、というべきか。
それでは一般大衆はどうだったんだ、との疑問も湧きます。
職に就くこと、企業の経営、個々の生活、などについても、どれも難しい問題です。これからも、
いろいろと教えていただきたいと思っています。
小説としてはどうか? 盛り上がりがない。と感想を述べられたのをお聞きして、さすがと思いました。
3つの短編を個々に読んだら、その様に思われるのも自然かと思います。
どこかで読んだ当世物のような、と。
だが、3つの短編を合わせて一つの物語として読むと、まさしく歴史物語になる。
主人公、所属の会社を単純に同じと仮定したら。私はそのことに気が付くと、とても驚きました。
いよいよ皆さんの感想がお聞きしたかったのです。ありがとうございました。
以上 成合 記
◆次回の予定;
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