「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

これまでの読書会

2019年06月03日


中村文則

「土の中の子供」

担当(石野)

6月の読書会は、12名の参加で1日に行われました。
夕方5時半開始の会を終え外に出た時刻は、ほぼ7時。空は、明るさをほんのわずかに残し、夏至までの日数はかなりあるのに、そして白夜なんてあるはずもない横浜で、妙な感覚を覚えました。
この日の読書本は「土の中の子供」。中村文則の世界は白夜のイメージがなくもないかなと。

心(感情)と頭(知識や理論)と身体(知覚)のバランスが、自覚を必要としないほどうまく保たれている時、日常(生活)は差し障りなくまわっていると思います。
無意識を意識した時から、意識が始まりますから、日常(生活)に過敏になります。

純文学とは、過敏の産物であるのではないか、と思うようになっています。
当日は、読書の楽しみや純文学についても色々な意見が出され同人の方々の作品と相まって、興味深かったです。

今月の読書本の作者の中村文則は、国内外で評価も高く注目の若手小説家ですが、他作品には、「土の中の子供」と同等かそれ以上に暴力や性の描写が多く、それらの描写はどれほど必要なものなのかと私は思いましたが、同人の方々も多くが感じられているようでした。

1977年生まれの氏は、大学卒業後フリーターを経て2002年「銃」でデビュー。この作品は新潮新人賞を受賞。2作目が03年「遮光」。これは野間文芸新人賞受賞。この2作は、いずれも芥川賞の候補作になりました。04年には短編「蜘蛛の声」(「土の中の子供」文庫版に収録)と「悪意の手記」を発表。05年に「土の中の子供」。この作品で芥川賞を受賞しました。※初出年で統一しています。

受賞後の第1作は、世間にもかなり注目されますから、氏の意気込みは相当なものであったと思われます。それが07年の「最後の命」。そして08年「何もかも憂鬱な夜に」を発表。09年の「掏摸」へと続きます。

この「掏摸」は10年に大江健三郎賞を受賞し英訳本はアメリカでもWSJ紙で12年のベストテン小説に選ばれ、13年には「悪と仮面のルール」でベストミステリー10作品に選ばれました。14年にはノアール小説(探偵ものではなく犯罪者が主人公)への貢献でアメリカのデイビッド・グーデイス賞を受賞。

おそらく氏が主人公の主語を「私」から「僕」へと変えたのが「何もかも憂鬱な夜に」であると自身で書かれていたので、この作品がそれまでの私小説(風)から創作小説へと変わっていった転換期の小説なのではないでしょうか。

<同人方の意見>

☆初めて読んだ。芥川賞受賞作品であるのを痛感した。登場人物は少ないが作り方が上手である。缶を投げることが自殺であるなどの暗喩が効いている。

☆読み辛かった。心情に共感できない。死にたいわけでなく破壊的な行動に共感できない。
☆昨今の児童虐待に繋がっている。変わりたいのに変わらない。希望を少し見せて引っ張って終わっている。

☆興味を持ったし、考えることが多かった。他の作品も読んでみた。連続殺傷事件などの暗部を小説化し、アウトロー的で暗い。共感は出来ないが、氏は無神論者ではないか。

☆生い立ちに他人からボコボコにされた経験があるのではないか。拡大自殺の精神性。
☆読むのがしんどかった。衝撃的な作品だった。

☆人間の暗部を抉り出すのが純文学作品としたら、世に出し救われるのは作者。作者は一筋縄ではいかない人。作者として注目していける。

☆すらすら読めた。面白かった。自分とは何者なのか、もがきながら書いたのであろう。想像力だけでは書けない。自分は土の中から生まれてきた。自分は何者であるか。それが作者にとっては大きなテーマ。

☆自分にとって読書は楽しみな時間。この作品はそうではなかった。色々な作品を何度も読み直すがこれはやはりしんどかった。純文学って何?人間の暗部を描くものなら純文学の定義には合う。が、しんどい。暗い部分を何とか描こうとするならばこれは純文学であろう。缶コーヒーを落とすのが好きということ。この何かを落とす衝動は自分も破滅していいという自虐性。だからしんどい。このようなものを書くことができるというのは、新しい発見だった。

☆初めて読んだがガツンとくる内容だった。主人公の心に受けたものから彼の人生観がよく伝わるように描けている。再読したら?の部分や、リアリティ?の部分があった。?と思ったのは最後の箇所。彼が抱えている「土の中で生まれた」が最後でいい。テーマの心に残った傷が痛点を感じさせない。親から受けたものが感覚をマヒさせる。

☆面白い表現も多々あったが、小説として不可解な表現もあった。結末がよくない。タイトル「土の中の子供」は独創性のないタイトルである。私小説作家の限界もあるが、年齢的にみて期待はできるのではないか。「砂の女」の砂の方が土よりもリアリティがある。

以上が同人の方々の読後感でした。

私としては、題名にも惹かれ読書本に選んだものの、何から手を付ければいいかの出発点から手探り状態で、それならば王道の書かれた順に読んでいくことにしました。タバコ、缶コーヒーの小道具。セックス、暴力、狂気の三点セット。それでも、これは、純文学であると痛感しながら読み進みました。必要以上の三点セットの描写場面に辟易もしました。「掏摸」以降の作品は、今回の「土の中の子供」との関連性がどれほどあるのかわかりませんが、読み終えるに至りませんでした。もっと読みたいかと聞かれれば、もう読むことはないでしょうと答えます。三点セットがなくても不条理は表現できるし純文学は十分に成立すると思うからです。もちろん見えない狂気も内なる破滅もどこかに願望があるとしても。


以上 石野 記

◆次回の予定;
  日 時; 7月 6日(土)17時半〜
  テーマ;「坊ちゃん」夏目漱石
  担当者;江頭さん
  

(文学横浜の会)


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