「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2020年02月03日
「伊豆の踊子」川端康成
担当(金田)
「伊豆の踊子」を初めて読んだのは中学生の頃だった。特に書物を読むような子供ではなかったが、
名作だと言われ、川端康成の代表作だと聞いていたからだ。
それに映画化されたホスターに影響された事も大きい。
その時の読後感は、「東京の学生が伊豆に旅に出て、
そこで旅芸人と出会った物語」との印象だけしかなかった。何が好いのかもよく判らず、
こういう小説が好い小説なのかと漠然と思っただけで、別段なんの感動もなく、
映画の宣伝で目にした踊子の入浴シーンもそれ程興味をそそるものではなかった。
それが何年か経って再読し、これは確かに名作で、川端康成の代表作に違いない、と思うようになった。
再読したのは社会人になって数年経った頃で、20代の中頃だった。
今回、何度目か読み返してみても「伊豆の踊子」は名作であり、私の中では日本の青春文学の代表作だとも思う。
凡そ我々は文学作品、いや芸術作品に接するに当たり、まずは作品そのものだけに接する。
つまりその作品が生まれた背景や作者の事などに一切関係なく、作品そのものに接するものだ。
経歴や生い立ちが様々である作者と、文学作品にあっては読み手が、作品と言う媒介物を通して対話する。
それが芸術作品だと思う。
そしてより多くの読み手を夢中にさせ、感動させる作こそ良い作である、と思う。
読み手の感性、経験等によっても作品への感じ方も変わるだろう。
さて「伊豆の踊子」だが、 作中の私は旅芸人一行に追いついて、共に下田へ向かうのだが、
下田に近づいて休んでいる最中に、踊子と千代子とが、私の事を噂しているのを耳にする場面、
この部分を読んで、ぼくの中にビビビッと何かに打たれたような感覚が走った。
初めて読んだ時はなんとも感じなかったのに、そんな場面があったのかも覚えていなかった。
「参ったな」と思った。なんとも言えない感性なのだ。無論、良い意味での感覚だ。
その時からぼくの中では「伊豆の踊子」は名作となった。
恐らく、「伊豆の踊子」を映画化するに当たって、ここの部分の作中の私が感じ、
読み手が感じたように演ずるのはどんな名優でも難しだろう。文学だけでしか出しえないのでは、と思う。
この後、作者はこう続けている。
この部分は私の内面を赤裸々にさらけ出し、多かれ少なかれ、
どんな人間でも抱えているだろう心の奥底の悩みを率直に語らせている。それも物語を通して違和感なく。
この部分がなければこの小説は、踊子に興味をそそられた二十歳の学生が、旅芸人一行と伊豆の山中を旅する、
単なる青春小説で終え、川端康成の代表作とは言われなかったのではないか。
川端康成の代表作の中で「伊豆の踊子」は唯一さわやかな味わいがあり、暗い感じはしないのもいい。
「伊豆の踊子」はそれ以外でも(詳細は省くが)、
読書会にて
読書会では様々な意見が飛び交う。川端康成の他の小説の話、作家自身の生い立ち、と話題は分散する。
はっきり聞き取れない場合も多々あり、聞き返したいが、人数が多く限られた時間ではままならない。
まぁ、気楽な読書会だし、聞き逃しや意味の取り違えもあるかも知れないが、まとめは担当者に一任されているから、
えいやー、と発言された内容を以下に纏めた。
・作者が旅した情景をそのまま書いている。
・主人公が踊子の純情性に魅かれるのは、本性からなのでは…。
・主人公は女性にいやしを求めているのでは…。
・この小説に対する三島由紀夫の解説を引き合いに、この小説における感性は日本古来のものとは異質である。
・川端康成の多くの小説では、如何なるテーマであろうと作者の求める女性像があり、それは処女性ではないか。
・小説の背景は大正から昭和初期の日本で、16歳で天涯孤独の身になった作者の孤独感、寂寥感、憂鬱感が感じられ、
癒しとしての女性像が垣間見れる。
<資料>
川端康成 1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)
大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、
横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。
西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目された。
代表作は、『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など。
初期の小説や自伝的作品は、川端本人が登場人物や事物などについて、随想でやや饒舌に記述している。
川端は新人発掘の名人としても知られ、ハンセン病の青年・北條民雄の作品を世に送り出し、
佐左木俊郎、武田麟太郎、藤沢桓夫、少年少女の文章、山川彌千枝、豊田正子、岡本かの子、
中里恒子、三島由紀夫などを後援し、数多くの新しい才能を育て自立に導いたことも特記できる。
多くの名誉ある文学賞を受賞し、日本ペンクラブや国際ペンクラブ大会で尽力したが、
多忙の中、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺した。なお、遺書はなかった。
生い立ち――両親との死別
1899年に、医師の父・川端栄吉(当時30歳)と、母・ゲン(当時32歳)の長男として誕生。
4歳上には姉・芳子がいた。栄吉は、1901年(明治34年)1月に結核で死去した(32歳没)。
母・ゲンは翌年1902年(明治35年)1月に結核で死去。
祖父・三八郎夫婦は息子・栄吉の嫁・ゲンの死を聞き、3歳の孫・康成を引き取った。7歳の芳子は、ゲンの妹・タニの婚家である秋岡家に預けられる。芳子は明治42年7月に亡くなった。
祖母・カネは明治39年9月(川端7歳)、祖父・三八郎は大正3年5月(川端16歳)にそれぞれ死去。
伊豆の踊子
『伊豆の踊子』は、川端康成の短編小説。川端の初期の代表作で、伊豆を旅した19歳の時の実体験を元にしている。
孤独や憂鬱な気分から逃れるため伊豆へ一人旅に出た青年が、修善寺、湯ヶ島、天城峠を越え湯ヶ野、
下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。
孤児根性に歪んでいた青年の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過程と、
彼女との悲しい別れまでが描かれている。
映画化
映画においては、一部の版で、おきみなどの原作にない登場人物が設定されるなど、原作との違いがある。
@ 『恋の花咲く 伊豆の踊子』(松竹) 1933年(昭和8年)2月2日公開。白黒・サイレント映画
以上、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、等
以上 金田 記
◆次回の予定;
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