「文学横浜の会」

 「掲示板」の内容

評論等の堅苦しい内容ではありません。
テーマになった作品について参加者がそれぞれの感想を書き込んだものです。
  

2020年09月10日


「夜想曲」カズオ・イシグロ

担当(杉田)

夜想曲 投稿者:浅丘邦夫 投稿日:2020年 9月 8日(火)

 篠田さんが、この作品はプロットを殆ど考えずに書かれた。のではと書かれたが、私も同意見です。 例えば飛行機を製作するのに細部まで設計して、その通り造る。このやり方は三島由紀夫です。 反対に、人物と状況を設定するだけで、あとは人物が作者の手を離れて、かってに動き回る。考える。

これは、多分太宰でしょう。イシグロ氏は、後者と思います。場所は、ある超高級ホテルの秘密の階、人物はセレブの女と、 売れないサックス奏者。二人とも整形手術でぐるぐる巻きの白頭巾、2週間の缶詰状態。

隣の部屋。BGとして音楽、夜想曲、これだけで、あとは人物は勝手に、作者を離れて勝手に動き回る。話す。事件を起こす。 ということと思いました。それだけの話です。と思いました。

カズオイシグロ『夜想曲』感想 投稿者:遠藤 投稿日:2020年 9月 7日(月)

 読み終わった感想は、カズオ・イシグロってこういう作品も書くんだねというもの。
日の名残のイメージがあったので、叙情的な作品を書くイメージが強かった。
バタバタユーモア小説は、それなりに楽しめた。

 まず感じたのは美容整形手術を痛切に皮肉っているんだと思った。
それはなぜかというと、二人のその後がなんら変わらないだろうと思ったからである。
なぜなら主人公スティーブに顔を変える意思や希望が見られないためである。
妻の恋人?から金を出してもらって美容整形をして、高級ホテルに泊まる。

そこには自らの意思はなく、自らの費用もない。
やや仕方なく、投げやりに手術を行うのである。
ではリンディー・ガードナーの方はどうだろう?
明確な動機が伺い知れない。
トニーとの離婚? 再起?
分からない。

こんなところもカズオ・イシグロの美容整形への皮肉が込められているのかもしれない。 ひいては、スティーブは顔を変えても成功しないはずだと読者は感じるのではないだろうか?

 もう一つ感じたのは、顔の見えない者同士のコミュニケーションの取り方である。 時に大胆であり、心の内を見せてしまうものなんだなと感じた。 必ずしも、互いの顔や表情や反応、そして素性など知らないほうが言いたいことを言えるものである。

 最後に大歌手と売れないサックス奏者という関係とホテル内の冒険という点から、「ローマの休日」を少しだけだぶらせた。 わずかな期間、大歌手は普段接点のない無名のサックス奏者と友好、淡い恋心を抱く。 だがそれはその後に続いていくものではない一過的なものである。

総じて楽しく読めた。 ただ作者の設定を無理やり作る手法は何となく読者を置いてけぼりにしている気もした。

カズオイシグロ『夜想曲』感想 投稿者:篠田泰蔵 投稿日:2020年 9月 6日(日)

 まず、読後すぐに感じたことは、例えば包帯を取った整形後の主人公スティーブと有名スターのリンディの二人の顔がどうなったのかとか、スティーブのミュージシャンとしての評価がどうなっていくのかとか、スティーブとリンディや元妻ヘレンとの関係はどうなっていくのかとか、トロフィーの件やホテルでのジャズミュージシャンを表彰する授賞パーティはどうなったのか等々、これだけ様々な事柄について、その先どうなったかの興味をそそらせておきながら、突然終わり、後は読者の想像に委ねます式の小説となると、幾通りでもその後の展開が考えられることになってしまうことである。

 良くも悪くも一体作者は何を表現したいのか煙に巻かれてしまう。あたかも読者に思いきり想像に向かわせることこそが作者の何より重要な眼目のようにさえ思えてくる。これだと読者の感想は百人百通りにならざるを得ない。読者に楽をさせない文学とも言える。

 そこまで徹底して読者の想像任せにすることが現代の世界レベルの小説というものなのだろうかと感嘆するばかりであった。

 次に、百人百通りを前提として、筆者の勝手なる感想を記したい。

 話の流れが、(特にリンディのホテル内の夜の散歩あたりから)漸次リアリティが乏しくなっていくことから、果たして登場人物の話す内容自体もどれだけ本当なのか「藪の中」的で不明瞭にも思えてくる。

 そうした中、互いに顔を包帯でぐるぐる巻きにした状態、即ち外見抜きの状態で、純粋にリンディがスティーブの音楽を聞いて大変感動して高い評価をする場面が出てくるのだが、リンディの言葉に嘘やお世辞がなく、仮にリンディを含めて登場人物が概ね本当の気持ちを語っている前提だとするならば、スティーブは元々リンディやリンディの夫(有名なミュージシャン)の音楽を全く評価していなかったのだから、パラドックスが生じる。評価していない人に評価されても単純には喜べない。

 何となれば、リンディが正しければスティーブの判断に誤りがあることになり兼ねず、スティーブが正しければリンディの判断に誤りがあることになり兼ねないからである。

 ここにおいて、一体音楽の評価とは何ぞや、才能だとか成功だとかは何ぞや、という滑稽とも皮肉とも取れる結果が待ち受けることとなる。ここら辺りは、この小説の肝であろうかと思う。

 さらに、以上とは別な観点になるが、短編小説を書く場合の手法として、不肖筆者なんぞは結末までのプロットをある程度作り上げ、それに肉付けしていく方法を取る場合が多いのだが、この度のカズオイシグロの『夜想曲』の場合、全く推測だが、ほとんどプロットを持たず、持ったとしても相当大雑把なままで書き始めていき、後は良い意味での出たとこ勝負的な、ひらめき、思い付き重視の小説作りをしているように思えてならなかった。

 この推測が当たっている前提で記すと、この手法だと極めてアイディア重視だったり、空想的であったりして、意外性が増し、強く読者を惹き付ける可能性が増すのだろうということを思わずにいられなかった。

 換言すると、プロットをかっちり決めてしまうとどうしても予定調和になりがちで、読者にすぐに先を読まれがちになってしまうが、『夜想曲』では、予め展開を決めず、次から次へとひらめきを積み上げていく手法を取ることによって、斬新なストーリー展開が作られ、読者に先を読ませない効果を生んでいるように思える。

 そうなると、読者は先への興味が強まっていくばかりである。そうして揚げ句の果てに、最後は読者の想像力に頼る形で丸投げという訳である。手強い作家だ。

 今回は優れた作家の小説作りの一端を垣間見た気がした。そんなカズオイシグロ『夜想曲』を読書会で取り上げて頂き、改めて感謝したい。

2020,9,6記  篠田泰蔵

「夜想曲」感想 投稿者:金田 投稿日:2020年 9月 5日(土)

  カズオ・イシグロ作品は2度目。  今回の作は音楽に疎い私には取っつき憎い作の部類だった。 音楽の曲名が出てくると言う意味では村上春樹の一部作品に似ているが、内容的には全く異なる作風だ。

「夜想曲」については、一読して、概要はつかめたものの、何が言いたいのか書きたいのか理解できなかった。 短編集に含まれている他の作は、例えば「老歌手」(この作が最も理解できた)のように、内容と表題が関係しているが、「夜想曲」についてはどうして表題が「夜想曲」なのか判らなかった。

 そうした感想とは別に一読して、この短編では
 「世に出たいとの願望は誰にでもあるが、成功するかどうかはは才能の有無、努力が必ずしも報われる、と言う事ではない。そして人の感情は、例え夫婦間であっても、本当の事は判っていない。」
 と言う事がテーマなのではと感じた。

 音楽に疎い私は「夜想曲」の意味が解らず、辞書でを調べると
「ノクターン。 楽曲形式の一。静かな夜の気分をあらわす抒情的なピアノ曲」
 とあった。

 再度熟読しても「静かな夜の気分をあらわす抒情的」な読後感は味わえなかったが、主人公がリンディに言われた
「人生って、誰か一人を愛することよりずっと大きいんだと思う。」
 と言う言葉が最後にも出ていて、この小説で作者のいわんとしている事なのかも知れないと感じた。名言だとは思うが私の心には響かなかった。

 包帯でグルグル巻きにされた主人公は不安を抱きつつ、この整形手術で人生の転機は訪れるか、メジャーになれるのかと思いながら小説は終わっているが、読み手の私には何かすっきりしない。

 私の感性が作品に付いていけないのか ?

 多分。こういう機会がなければ読まなかった作品だったと思う。 読む機会を与えてもらい感謝!

修正 投稿者:和田能卓 投稿日:2020年 9月 5日(土)

 先の二文めを以下のように修正いたします。

〇スター(ステレオタイプ描写)のリンディ・ガードナーの口添えで、アーティストしての(実力主義で、コネに乗り気ではない)語り手に明るい未来が約束されたのかと思いきや、結末をハッピーエンドにせず、『夜想曲』という題名にふさわしく、静かなほの苦さを以て作品を終わらせた作者の巧さに心惹かれるものがあった。

「夜想曲集」感想 投稿者:川島照子 投稿日:2020年 9月 5日(土)

 昨日、深夜に書き込みをしましたが、なぜか書き込みが消えてしまい、力尽きて寝てしまいました。きょうの午前中も所用があって、書き込み遅くなりました。これも書き込みできるかどうか恐る恐る書いています。疲れてるのでできるだけ簡単に書こうと思います。

「夜想曲集」は読みやすいわりにあまり読後感は良いとは言えず、感想となると困ってしまいます。

「老歌手」と「夜想曲」について書きます。

「老歌手」では盛りを過ぎた60代の歌手トニー・ガードナーが、往年の栄光を取り戻すべく、若い女性と再出発を図ろうしています。ベネチアには、妻のリンディとの別れの旅行に来ている。

老歌手は妻のためにゴンドラに乗り、妻の窓辺の下で思いでの曲を歌う。

私には60代を過ぎての再出発というのは無謀に思える。60を過ぎたら、声もあまり出なくなってくるだろうし、マリオ・デル・モナコは67歳で、パヴァロッティは72歳で亡くなっている。

60代は、再出発ではなく、歌手としてどのようにフェードアウトしていくかを考えなくてはいけない年齢だと思う。

妻の窓辺で歌うのも悪趣味だ。妻に対して残酷なような気がする。別れると決めたら、旅行などもしないで、すっぱり別れた方がいい。

「夜想曲」は、整形手術がごく自然に行われているのに違和感を覚えました。欧米の芸能界では

当たり前のことなのでしょうか。整形手術でステップアップしていく人生は醜悪に思えました。

成合さんのおっしゃるようにこうした不自然なことを告発しているのかもしれません。

「老歌手」では、ギター弾きのヤンが、トニー・ガードナーを崇拝していた母親の思いでと共に語られて微笑ましく、救いになっています。

「夜想曲」でも、サックス奏者のスティーブが恵まれない中でも誇りを持って頑張っている姿が好感が持てます。ただ、スティーブが妻の愛人の援助で整形をするというくだりは、不自然です。

ただ、こうした多彩な人物を配置して作品を作り上げる手腕はさすがかもしれません。

カズオ・イシグロ『夜想曲』読後メモ 投稿者:和田能卓 投稿日:2020年 9月 5日(土)

〇初読中にずっと思い浮かんでいたのは、この作品をジャック・レモンとシャーリー・マクレーンを主役に映画化したら面白いだろうということ。真夜中の(薄暗いだろう)ホテル内をウロウロと徘徊する、顔を包帯でぐるぐる巻きにされた男女の姿に喜劇性と、同時にほんのりと手に汗握るものを感じた。これをジャック・レモンとシャーリー・マクレーンが演じたなら、たとえ顔か隠れていても、十分面白みを伝えられるだろうと思ったのだった。

〇スター(ステレオタイプ描写)のリンディ・ガードナーの口添えで、アーティストしての(実力主義で、コネに乗り気ではない)語り手に明るい未来が約束されたのかと思いきや、結末をハッピーエンドにせず、『夜想曲』という題名にふさわしい、静かなほの苦いどんでん返しに終わらせた作者の巧さを感じさせられた。

夜想曲 投稿者:成合 武光 投稿日:2020年 9月 5日(土)

 しみじみとした読後感を持ったのは「老歌手」でした。しかし、カムバックのために長く親しみあった女性とも別れる。分かれなければならないというのに、想像を超える世界、社会があるということに只々驚きました。

 「夜想曲」の手術を受けるというストリーは、現代の美容整形の世相を考えると、或いは考えられる手段かと思った。しかし、そこまでやらなければならないということには、その世界を知らないものには、現実と思えない。漫画の世界かなと思わないではない。整形の包帯のままのスティブとリンディの奇行は、まさしく喜劇。しかし半分はそれなりのモデル(事実)があるからだろうと考えると、何かがおかしく思える。イシグロはそれも告発しているのかもしれない。ただのドタバタではないと。

 そのことが伝わるのは、「努力しても叶わない」者の嘆きだ。それには真実がある。それゆえのカタルシスも沸いてくる。尋常ではかなわない故の夢想、狂想、夜想となるのだろう。この作品を名も知られていない素人が出版社に持ち込んだら、奇想、と瞬時に却下されるのではないか、と想像した。そんなこともやってみたいと、夢想、ひとり夜想した。

 血の滴たるばかり、芸能界の一端を知ることができたことを感謝します。  

夜想曲について 投稿者:山口愛理 投稿日:2020年 9月 4日(金)

 カズオ・イシグロがノーベル文学賞を取った時に、私はこの本を読んだ。だから三年くらい前になる。彼がブッカー賞を取ったという『日の名残り』は十年くらい前に映画を先に観て感銘してから本を読み、どちらも印象に残った。この『夜想曲集』は音楽と才能と男女の感情の機微がそれぞれベースになっていて、特色ある短編集となっている。だが、三年ぶりに読んで、私は物語の中盤になるまで『夜想曲』の内容をよく覚えていなかった。他の四編に関してもほぼ同じで、辛うじて覚えていたのは『老歌手』だった。

つまり私にとって、あまり心に残る物語ではなかった。一つには文体。彼は英語で小説を書くのだろう。ずいぶんと翻訳っぽい文章だなと思ったら、訳者が書いてあったので、なるほどと思った。それと、『夜想曲』はハリウッドのドタバタ喜劇映画のテイストで、それはそれで面白く個性的なのだが、深みを十分に感じるまでには至らず、ラストも少し中途半端かなと感じる。

とはいえ、音楽という彼の好きな領域での短編集なので楽しんで書いているのが伝わる。ヨーロッパやハリウッドなどの様々な土地を舞台としているのも良い。副題にある「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」の夕暮れとは、『日の名残り』に通じる人生の夕暮れを指しているのだろう。そこには男女関係の機微も含まれるのだろうが、それよりも、各作品の根底に流れる「才能との葛藤」のようなものに一番興味を持った。

カズオ・イシグロ「夜想曲」 投稿者:藤本 投稿日:2020年 9月 4日(金)

 お世話になります。

カズオ・イシグロ氏の「夜想曲」および、この作家の作品を読むのははじめてでしたが、素直に読めるようで、中心になっていることがわかりづらくもありました。

カズオ・イシグロ氏は、ミュージシャンをめざしていたとのことですが、作品によってはバンドのオーディション風景が描かれていて、おもしろかったです。

彼は6才から英国で生活するようになったとのことですが、「夜想曲集」には、日本語訳をされている方もいらっしゃるので、英語で考え、作品を書いているのでしょうか。

また日本人として生まれ、英国人であることが影響しているのか、この作品集は登場する人々の国籍がさまざまで、その違うものが混じりあっているシーンが多く見られる気がしました。

そして人々が交錯する、広場やホテルの印象も深いです。

また登場する女性たちが、本当に音楽を愛していて、音楽に詳しいということも印象に残りました。

「夜想曲」に出てくる女性は、大歌手トニー・ガードナーと別れたあとのリンディですが、「老歌手」の女性と同じ人物であり、同一人物を二度描くというのはおもしろいと思いました。

また「夜想曲」の、スティーブとリンディは共に、手術後の包帯で、お互いの顔を知らないけれども、・・・写真では知っているが・・・不可思議な関係はつづいていく。

このような、相手の顔だったり、名前を知らずにある関係がつづくという表現は、小説でも映画でも増えてきているように感じました。逆に、相手の顔も名前も、内面もよく知っているはずなのに、気づいたら何も知らなかった、というような作品もあるような気がします。

またリンディの、「人生は一人の誰かを愛するより大きい」ということばは、彼女の人生観なのか、少し考え込んでいるところです。

「夜想曲集」のなかでは、「チェリスト」がいちばん心に残りました。

今まで読む機会のなかった作品であり、紹介していただいて、どうもありがとうございました。

藤本珠美

夜想曲おまけです 投稿者:石野夏実サトウルイコ 投稿日:2020年 9月 3日(木)

 人生って、目に見えるもの(物質的)目に見えないもの(精神的)色々なもので成り立っていると思うのですが、例えば、地位、名誉、財産、職業なども物質的な目に見えるものでは。。

精神的なものは、思想、信条、感情。。 人生って、それらのミックスジュースかな。。。

夜想曲集C夜想曲感想 投稿者:石野夏実サトウルイコ 投稿日:2020年 9月 3日(木)

セレブ御用達の整形医の手術を同じ頃受けた二人、プロのサックス奏者スティーブと人気スターのリンディのコミカルなホテル内冒険の話が中心。

二人は術後用意された超高級ホテルの隣室同士で、リンディに誘われスティーブは彼女の部屋に遊びに行くようになった。

かれのCDを彼女に聴かせたら、たまたま明日このホテルで授賞式のある「年間最優秀ジャズミュージシャン賞」の最優秀賞トロフィーを盗んできてしまった。

彼女は真夜中の散歩と称して、広大なホテル内を隅々まで歩き回っていた。

大騒ぎになる前に返しに行く二人のドタバタがコミカルで面白く、たぶん書いているイシグロ自身も大笑いしながら書き進んだのではないだろうか。

リンディはとても愛想が良かったけれど気分にむらがあるので本心がつかみにくい。

彼女自身が言うように、歌にも踊りにも秀でた才能はなく人気はあるものの、努力しても賞を取ったりすることができないコンプレックスがあった。

スティーブのCDを聴き、彼の才能には敏感に反応したが努力しないでも報われるであろう人々には憎悪感を抱く。

スティーブは、才能も実力もあるが、毎日のように手作りの防音室=狭いクローゼットの中で練習していたのだ。

彼に人気が出ないのは、魅力が全くない顔の醜男だからだとマネージャーも妻も考えていた。妻の企てでこの整形手術を受けることになったのだった。

人は無い方のものを欲しがる。

リンディは「人生は誰か一人を愛するよりずっと大きいと思う」という。

スティーブは、別れた妻ヘレンにまだ未練があり「人生はほんとうに一人の人間を愛することより大きいのだろうか。整形手術は人生の転機なのだろうか。俺はメジャーになれるのか。果たしてリンディは正しいのだろうか」と自問し、この短編は終わっている。

誰かを愛するということは人生の一部ではあるけれど、それが無ければ人生は味気ない。豪邸に住んで美食三昧、ぜいたくな暮らしをしてもいつまでも物質的な幸せだけに満足し続ける人はいないであろう。

出来れば両方持ちたいけれど、それは欲張りかもしれない。欲張ると無理が生じる。

ならば、愛する人が傍らにいる方の人生を私は選びたい。

我が人生も夜想曲を聴く時間帯に入ってきていることを痛感した。

「夜想曲」感想 投稿者:清水 伸子 投稿日:2020年 9月 3日(木)

「夜想曲集」という短編集の中で、まず最初にこの作品だけを読み、その後で「老歌手」から順を追って最後まで読んでいった。

最初読んだ時の感想は、ドタバタ喜劇という印象が強くて、この作品の良さが感じられなかった。けれども「老歌手」を読んだ後、もう一度読み返してみると印象が変わった。

互いに愛し合い長年連れ添ってきたのに、夫トニー・ガードナーの再デビューしたいという願いをかなえるため離婚し、自らはその後恋愛沙汰・結婚・離婚で世間を騒がせることで芸能雑誌の表紙を飾り、トークショーに出演し、レギュラー番組まで持ってセレブの位置を保っているリンディ・ガードナーの背景を知ったうえで、この物語の主人公スティーブと対比させて読んでみると、物語にぐっと奥行きが出てくる。

芸能関係の世界で生き残っていくために整形手術を受けたリンディは次第に親しくなったスティーブの才能を認め、今年の最優秀ジャズミュージシャンに贈られるトロフィーを盗み出して渡そうとしてドタバタ喜劇を繰り広げ、その後セレブ仲間に紹介すると申し出るが、彼の一番の望みは妻を取り戻すことだというのを知る。彼女は「…人生って、誰か一人を愛することよりずっと大きいんだと思う。あなたはその人生に出ていくべき人よ。…わたしをごらんなさい。この包帯がとれたって、はたして二十年前に戻れるかどうかわかりゃしない。…でも、私は出て行ってやってみる」と言う。(P.254)

しかし、その後リンディから連絡はなく、トニー・ガードナーの大音量で鳴るレコードが何曲も何曲も聞こえてくるのだ。

リンディの退院後、妻のヘレンから電話があり、スティーブが最後に「愛しているよ」と言うと、ヘレンも数秒間の沈黙ののち同じ調子で同じ言葉を言い電話を切るが、「いったいどういう意味だったのだろう」と彼は考える。

「…人生は、本当にひとりの人間を愛するより大きいのだろうか。これは人生の転機なのか。おれはメジャーになれるのか。はたして、リンディは正しいのだろうか。」という最後の問い掛けは読者に向けられていると感じた。

リンディとスティーブ、それぞれの人生、心情に思いをはせると、もの悲しいような味わい深い読後感が残った。

カズオ・イシグロ 「夜想曲」 投稿者:佐藤直文 投稿日:2020年 9月 2日(水)

 カズオ・イシグロ 1954年11月 長崎生まれ
 1960年 5歳に父親の転勤で英国に渡る。15歳までには日本へ帰国する予定だった。
 文学を始めたのは5歳までの曖昧な記憶の日本を忘れないように記録しておくためであったという。
 2017年ノーベル文学賞受賞

 2018年2月 文学横浜読書会 テーマ 「日の名残り」

 難解な実験小説。普通の小説では主人公の視点は信頼できるものであるが、信頼できない主人公の視点から始まり、ついには、正直に自分の人生が間違っていたことを悟る黄昏小説。

 作者はテーマごとに、ふさわしい時代、場所、人物、ジャンルを設定するのだという。

「夜想曲」 そんな、著者は短篇をどのようにかくのであろうか。

「時代は1989年以降、場所ハリウッド、妻を起業家にとられた不細工なサクスフォン奏者ステイーブはやむなく整形手術をうける。  高級ホテルの特別階に術後の2週間、入院する。隣室にセレブのリンデイがいて知り合いになる。そこに、事件が?」

 この設定はただものではない。著者の才能はかくれもない。最初はとほほな主人公の記憶による語りにより始まり、  セレブ登場で掛け合い漫才が展開する。ところで、漫才は面白いだけで何も残らないが、小説では、ハリウッドに行けば  あえるような存在感、感情移入があって共感する。

(文学横浜の会)


[「文学横浜の会」]

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2007 文学横浜