「文学横浜の会」
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評論等の堅苦しい内容ではありません。2020年11月12日
「ワーニア伯父さん」チェーホフ
<「掲示板」に書かれた内容>
チェーホフ『ワーニャ伯父さん』の感想 投稿者:篠田泰蔵 投稿日:2020年11月12日(木)10時21分17秒
アントン・チェーホフ(1860〜1904)の作品は、人生を一日に譬えた際の午後3時を過ぎて以降に読むと一層味わい深く感じられる気がしてならない。筆者や文横会員であればまさしく今ではないだろうか……。
高校時代に四大戯曲の中の特に名作とされていた『三人姉妹』(1901)と『桜の園』(1904)を読んだのが出合いであった。しかしながらチェーホフの場合、他の世界の名作文学と比べて振れ幅のあるドラマ性に乏しく、しかも貴族、領主の没落していく様などは、未熟だった高校生の筆者には感動が得られるはずもなかった。因みに、太宰治(1909〜1948)が『桜の園』の影響を受けて作った、貴族没落を扱った小説『斜陽』(1947)も当時読んでいるが、こちらについても十分に理解、感動できたとは言い難い。もちろん、他の太宰作品は別だが。
そのことが口惜しかったこともあり、このチェーホフの二作品については再挑戦ではないが、その後若い頃に演劇でも鑑賞するなど、徐々に理解を深めていく経緯を辿った。その際、筆者20歳代にリバイバルで観た同じ貴族の没落がテーマのルキノ・ヴィスコンティ監督(1906〜1976)の名作映画『山猫』(1963)と『イノセント』(1976)がチェーホフ解読の手助けになったことを付しておきたい。
そして二十年前くらいに『かもめ』(1896)を演劇で観た際に、大きな衝撃を覚えたことが鮮明に残っている。全く予備知識ゼロで臨んでいたので、例によってドラマ性が少ない展開が続いていると思った矢先のラストの主人公のピストル自殺は、目を覚まさせるようなインパクトがあったからである。
また、当読書会の十年前、2010年6月の際に短編小説『イオーヌィチ』(1898)がテーマにされたことも、今回話題にされて然るべきであろう。従ってチェーホフがテーマになるのは二度目である。『イオーヌィチ』では、男女関係のアイロニーや儚さにスポットが当てられていて、短編らしく割とシンプルな展開を持ち、戯曲とはまた違った分かりやすい味わいがあった。
こうした経緯もあって、チェーホフ作品の鑑賞は、歳を取れば取るほど味わい深さが増す印象を持っていた上に、今回のテーマが四大戯曲の中で唯一筆者の未鑑賞だった『ワーニャ伯父さん』(1900)が選ばれたので、渡りに船であった。
さて『かもめ』は、大きな世間的評価を得て名声を確立させた作品であったにも関わらず、チェーホフの本意の作品とは言えなかったようだ。実際、『かもめ』、『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』、『桜の園』の順で発表されていく四大戯曲は、前作に磨きを掛ける形で次作が生み出されていくが、『かもめ』の四年後発表の『ワーニャ伯父さん』では、登場人物の誰もがどんなに苦悩しても自殺や殺人には至っていない。
もっと言えば、ネット上などで各種評伝を読むと、『ワーニャ伯父さん』は『森の精』(1889)の改作で、『森の精』ではワーニャが自殺しソーニャと医師は結ばれる展開であったのに、チェーホフはそれで満足できず、十一年後発表の『ワーニャ伯父さん』ではそのことを真逆の展開にさせるのである(このことについては、リアル&ウェブ読書会で複数の人も話題にしている通りである)。
つまり、チェーホフは『かもめ』で大成功したにも関わらず、『ワーニャ伯父さん』ではワーニャとソーニャの最も主要な登場人物の二人に大きな苦悩を与え、ラストで自殺とは逆の「それでも我慢して生きていかなければならい」という忍従させる選択をしたのであった。
言いかえれば、苦悩と忍従だけの、非常に重く地味な展開のまま幕は閉じられていくのである。ただ最後の最後で、ソーニャがワーニャに掛けた言葉「仕方がないのよ。生きていかなければ! ……」への高い評価は、読書会で多くの方が取り上げている通りで、これによって読者は僅かばかりでも溜飲を下げることとなる。筆者も、もしこれが無かったら『ワーニャ伯父さん』の評価は今日のようにはなっていなかったように思う。
チェーホフは、『かもめ』で好評だった世論を意に介さず、『ワーニャ伯父さん』では敢えて逆の地味な展開を提示し、それでも成功させ、その後も、その流れで『三人姉妹』、『桜の園』と、不朽の名作を生み出していった訳である。正に大文豪の為せる業である。
さて『ワーニャ伯父さん』を読んでいて、まずもって感心したのは、登場人物の全員がそれぞれ苦悩を抱いていることである。しかも、それほど高邁な悩みとは言えないところが心憎いところであり、その点こそが正にチェーホフの凄さである。よくよく読んでいると、皆、誰もが持つ市井の悩みを抱いているに過ぎない。また、決して酷く悪い人間が登場する訳でもない。善も悪も無く、皆健気に生きている。
例えばワーニャと医者のアーストロフは、若いエレーナに対して人妻であるにも関わらず愛する訳だが、決して激した行動には出ていない。ひたすら何年も報われることなき恋愛感情を抱いて苦悩し続けている。
ソーニャも同様で、不器用にも報われるはずもない相手のアーストロフに6年もの長きに渡って片思いで苦悩し続けるのだ。ソーニャは心が美しいけれど美貌が無い。そして終盤、アーストロフから冷淡な扱いを受ける。なぜ薄情な側面を持つアーストロフを愛するのか。ソーニャには、ありがちな若気の至りを感じさせる。なお、前述『森の精』ではソーニャが美人だったものを、わざわざ不器量に変えた作者の意図も十分納得できる。改作によって成功したことは前述の通りである。
それでは美貌の持主エレーナの方はそれに相応しい教養があるのかと言えばそうでない。思想性が無く通俗的であり軽はずみである。そんなエレーナは非常に年上の元教授セレブリャコフと結婚したのにまがい物の愛だったことに気付き、自分は脇役に過ぎなかったことで苦悩している。また、ある意味、自分に御執心の二人を弄んでいる節さえ窺える。言ってしまえばエレーナは外見だけで、トータルでの美的存在とは言い難いのである。
セレブリャコフも、その地位は名ばかりで、教授としての実績を積むことが無かった為、過去には期待されて送金までしてもらっていたワーニャから軽蔑され敵視されている。ワーニャからすれば、ただ女性にもてるだけで中身の薄い男であった。
しかし、そのセレブリャコフも最後の決断に関しては人としての温もりがあった。領地を売ることを言い出した当人であり、ワーニャに発砲を受けるほど激怒させたにも関わらず、最後は、一転して自分が身を引いてエレーナと共に移住することを決意したからである。ワーニャの発砲箇所と合わせて、この部分に関しては比較的ドラマチックである。
要は、どの人も良いところも悪いところも持ち合わせている。そして苦悩している。その他の登場人物においても、大なり小なり苦悩している人ばかり。そして、特に突出した美も醜も善も悪も無い。全員、弱さは丸出し。都合の良い奇跡も起こらない。だからこそ後は忍従するしかない。ある意味、ありきたりな人間模様が終始展開しているだけなのである。
だが、やがて読者(鑑賞者)は気付かされる。それこそが人生というものなのだと。
人間への観察眼がトルストイ(1828〜1910)の手法と近似しているが、トルストイの場合は、例えば『戦争と平和』(1869)において本当にありとあらゆる人物を登場させている。チェーホフの場合、場面を限定させ、とことん(地位は高くても)市井の平凡な心の持主ばかりに絞り込んで登場させていて、なおかつトルストイのエキスをさらに誇張させているように筆者には読めた。つまり平易なありきたりの弱さを持った人物達を終始平易のまま描いている。その点、チェーホフは唯一無二の独自の文学を生み出したと言える。
『ワーニャ伯父さん』はチェーホフ40歳の時、『三人姉妹』は41歳の時、『桜の園』に至ってはチェーホフが亡くなる44歳の時にそれぞれ発表されたのであるが、いくら才能があったとしても、なぜこんなに若い年齢で、老成した名戯曲を生み出せたのだろうか。それは、評伝で分かる通り、結核の病の影響が大きかったものと思われる。37歳の時の喀血以来、衰えて死期が迫る中で、正に命を削りながら、人生にとっての普遍的なテーマを持った戯曲を紡ぎ出していったのであろう。
今回も非常にありがたい読書会テーマであった。引き続き、チェーホフには関心を持ち続けたいし、何より今、名優揃いの演劇で、『ワーニャ伯父さん』を是非鑑賞したいという気持ちが募っている。
2020,11,11記 篠田泰蔵
ワーニャ叔父 投稿者:佐藤直文 投稿日:2020年11月 9日(月)10時29分51秒
「森の精」から「ワーニャ叔父」への変化は興味を持っている。設定を美人のソーニャから、むしろ顔に劣等感をもつ女性にした。ラストを「医師との結婚」、ワーニャ叔父の「自殺」から、「ソーニャが絶望から少しの希望だけを示し終わる」こととした。設定とラストを劇的に変えて芝居は人気を集めたという。示唆に富む。
医師のアーストロフがいう「百年、2百年後たったあとで生まれてくる人達はみじめなわれわれをどう思うだろう……」は私たちである。私たちはあなたたちをただみじめだとは思わない、教えられることが多いし尊敬している。
「たとえ人間は忘れても神様は覚えている」という世界観は極めて美しい。
二つの戯曲はモスクワ芸術座の仲間たちの刺激を受けて、天才チェーホフの持っていた人生観、芸術観が豊かに花開いたものだと思う。
少々の改稿を。 投稿者:和田能卓 投稿日:2020年11月 8日(日)09時42分51秒
〇今朝になって舌足らずな点に目が留まり、細部に手を入れさせていただきました。
チェーホフ『ワーニャ伯父さん』『かもめ』を読んでのちに 投稿者:和田能卓 投稿日:2020年11月 7日(土)17時54分12秒
簡単ながら・・・
〇総合芸術として舞台で演ぜられるさい、戯曲に対する演出家と演者による解釈・理解・表現次第で喜劇にも悲劇にもなることに思い至るとき、それはなおさらである。
〇それゆえにこそ戯曲を読むのに、小説を読むのと同じ方法を取る訳にはゆかない、と実感せずにはいられなかった。
〇それは二作品が群像劇で、舞台化されて観るならば理解しやすいだろう、という感想に結びつく。が、その場合、演出家・演者の解釈・理解・表現次第によるか、と考えると心もとないものがある。
〇『ワーニャ伯父さん』に対して:末尾、『森の主』の絶望的な結末が、人の世の苦悩・懊悩・煩悩から「わたしたち」を救ってくれるのは神様なのだ、というソーニャの語りに改められたこと、これに強く心惹かれるものを感じずにはいられなかった。
※テクストは神西清訳の新潮文庫版によった。
ワーニャ伯父さん 投稿者:藤村格至 投稿日:2020年11月 7日(土)14時57分54秒
読み始めると直ぐに「ワーニャ伯父さん」というタイトルが気になり始めた。そして、最後のソーニャの独白(ワーニャを相手にした台詞ではあるが)に接して、誰が主人公の作品なのか、漸く理解できたような気がする。
チェーホフは、37歳で持病の結核から激しい喀血を起こしたが、退院後再びペンを執り「ワーニャ伯父さん」を完成させたとのこと。
ソーニャの独白は、健康に大きな不安を抱えた作者の、自分自身への悲愴な叫び、気丈な覚悟を表現しているようにも思われる。
時代は変わっても、ふと振り返ると、今もそこかしこに「ワーニャ伯父さん」、「ソーニャ」の気配が感じられる。
再びチェーホフ 投稿者:浅丘邦夫 投稿日:2020年11月 7日(土)13時12分23秒
ニコライ皇帝が農奴性禁止令を出したのは確か1862年.アメリカより1年早い。以来、地主、貴族階層の没落、斜陽がジリジリ始まった。桜の園や、チェーホフが好んて書く題材は、その時代背景ですね、さらに来たるべき新しい未知の時代の足音の不安、先祖から受けついだ、長く保有しついた農地を売らないと立ち行かない。悲哀と、伴って必然に生ずる葛藤。あくまで時代背景の上に成り立っているドラマ、と思います。
ワーニャ伯父さん感想 投稿者:川島照子(代理、金田) 投稿日:2020年11月 7日(土)07時28分34秒
「外套」のまとめにも書いたように、チェーホフの作品を読んだのはゴーゴリの「外套」を読んだのと同じ頃で20年以上前である。「可愛い女」と「犬を連れた奥さん」で、しゃれた小説でおもしろいと思った。
今回の「ワーニャ伯父さん」は戯曲であるが、チェーホフは日本の新劇界で人気が高かったので、とても期待して読んだ。
結果は期待外れだった。登場人物を参照しながら読まないとわかりにくかったのと、金子さんのおっしゃるように、当時のロシアの生活がよくわからないからかもしれない。
中流の貴族で、地方の領地で、農園経営をするソーニャとその伯父のワーニャ。二人は規則正しい生活で、領地を切り回し節約を重ねて、元大学教授のソーニャの父親のセレブリャーコフに仕送りをしている。ソーニャの母親は亡くなっていて、領地はソーニャの物なのだが、そこに、セレブリャーコフが新しい妻エレーナを伴って、舞い戻ってくる。二人は自分たちのペースで暮らし、それまでの生活をかき乱すだけでなく、セレブリャーコフは領地の売却まで提案する、、、。
一読して、なぜこのようなことになるのか、わからなかった。いくら娘のソーニャがいるからと言え、なぜ、もう亡くなっている妻の実家にころがり込めるのか。その上、主人面して自分のものでもない領地を売ろうとするのか、、、。
ワーニャが怒りのあまりセレブリャーコフを撃ち殺そうとする気持ちはよくわかった。しかし、なぜソーニャとワーニャがここまでセレブリャーコフに尽くしてセレブリャーコフを盛り立てようとするのか、わからなかった。
セレブリャーコフたちが領地を去るにあたって、ワーニャは仕送りはいままで通りすると言い、ソーニャは以前の勤勉な生活に立ち戻って「辛抱強く生きていきましょう」と呼びかける。
最後は、ソーニャのこの長い独白で終わる。この独白は有名なようで、今回の書き込みでも、感動したという意見が多かったようだ。
しかし、私の心には響いてこなかった。いままで通りではいけないんじゃないかと思った。
全体の筋書きには疑問を持ったが、個々の人物は良く描けていると思った。特に、ソーニャとエレーナの二人の女性は生き生きとして魅力的だ。チェーホフは女性を描くのがうまいと思った。
戦前と戦争直後くらいに、チェーホフの戯曲の人気は、浅丘さんの指摘にあるように大変なものだったようだが、日本の社会とロシアの社会にかさなる部分があったのだろうか。戯曲では、地方の没落した貴族の生活を、小説では都会の新しい生活を描いているような気がする。読んでいくと、だんだんロシアの生活が見えてくるかもしれない。
「ワーニャ伯父さん」を読んで 投稿者:石野夏実サトウルイコ 投稿日:2020年11月 6日(金)21時04分11秒
先月に続き今回の読書本もロシア文学であるが、今月のジャンルは戯曲文学。日本の新劇人が大好きなチェーホフの4大戯曲のひとつ「ワーニャ伯父さん」であった。
チェーホフのこの劇は何十年も前に、叔母に誘われ観たことがあったが、文学として読んだのは初めてだった。話の筋も登場人物もある程度知っていたのであるが、改めて文字で読んでみると新鮮であった。しかし、舞台での俳優たちの熱演に感動しながら観る方が、私は好きなようである。
戦後、あれほどまでに新劇が流行り、各劇団から多くの俳優が生まれ、鍛えられた演技力でTVや映画にも出演しスターになっていった。
そんな時代を知らない世代が増えた今でも、チェーホフの劇は話題性を提供しながら上演されている。再演があれば、黒木華のソーニャと宮沢りえのエレーナが観てみたい。
以下エンタメ情報スパイス2017,8,28から引用
<上演台本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ>
「ワーニャ伯父さん」感想 投稿者:金田清志 投稿日:2020年11月 6日(金)18時04分5秒
戯曲を読むのは久しぶり、チェーホフの作品を読むのは、多分、初めてだと思う。
「ワーニャ伯父さん」を一読して、最後のソーニャの叫びに似た悲痛な言葉が心に残った。
舞台で演じられる際の、恐らく山場で、観客を感動させる場面、と感じた。観客をどれほど感動させるかは演出家、役者の技量ではある。
と言う事で「ワーニャ伯父さん」における主要なテーマは人間の定め、或いは不条理、…と感じた。
作中の人物設定では、書かれた時代や国柄の違いから、今読むと不自然でおかしと思う部分もあるが、現在もなお読まれているのは、作者がこの作品に込めた問題が人間が生きて行くうえでの不変なテーマであるからに違いない。
人間社会で生きて行くうえで、個々を見るとどうしても、例えて言えば「明」と「暗」のようなことがある。
「ワーニャ伯父さん」の作中では「明」の側にセレブリャコーフ、エレーナ、「暗」の側がソーニャとワーニャだと思う。
無論、人生は「明」と「暗」だけではなく、その間もあり、むしろそちらの方が多いだろう。又「明」と言っても必ずしも幸せ者と言うわけではなく、「暗」をエネルギーにそれを乗り越えるて生き者もいる。
戯曲「ワーニャ伯父さん」ではソーニャとワーニャが、人生の辛さ儚さを感じながら、それでも生きる、と言う人間の強さを表現した作品、と読んだ。
「カモメ」についても同様のテーマだと感じた。ただラストで自殺してしまう事で、これは人間の弱さ?
再びチェーホフ 投稿者:浅丘邦夫 投稿日:2020年11月 5日(木)06時23分3秒
チェーホフはモスクワ芸術座の座付き脚本家の立場だった。座付き脚本家は、役者の顔ぶれを見て脚本を書く。脚本ありきではない。役者ありきだった。シェクスピアも近松門左衛門もそうだ。職人だった。優れた演出家のスタニスラフスキーとタッグを組んた。優しい座員達に囲まれチェーホフは、主演女優のクニッペルと結婚した。そのころ最高に幸せだったと思う。芝居は、人気を呼びいつも大成功だった。
ワーニャ伯父さん(アントン・チェーホフ著)感想 投稿者:遠藤大志 投稿日:2020年11月 4日(水)08時43分48秒
初めてチェーホフの戯曲に触れました。
すると、全容が理解できているせいか、するすると頭の中に入ってきました。
『森の精』においては人生をかけて経営に従事してきた領地を売りに出すことを提案されて激昂したワーニャが自殺を遂げる一方で、美しい娘であるソーニャは医師との恋を実らせていた。
それが本作においては絶望したワーニャは残された人生を耐えて生きていかなければならず、それを不器量な娘に書き換えられたソーニャが自身の失恋の痛手をこらえつつ優しく慰めるという筋書きに改められている。ワーニャの自殺を除いては幸福な結末に至る旧作から、絶望に耐えて生きていかなければならない人たちの姿を描き出す劇へと変貌を遂げたところに、チェーホフの劇作家としての進境を窺うことができる。(ウイキペディアより)
これを知り、『森の精』verと『ワーニャ伯父さん』verとを頭の中で比較してみると、どちらもあると感じました。
今回もまた新しい発見ができたことに感謝します。
チェーホフ『ワーニャ伯父さん』の読後感 投稿者:金子えい子 投稿日:2020年11月 4日(水)08時22分54秒
チェーホフの4大名戯曲の一つとして、「桜の園」と一緒に日本でも随分と公演化され、文学座の杉村春子が演じたのも、若いころみました。
しかし、ロシア文学というのは、チェーホフに限らず、ドストエフスキーもそうですが、背景の社会環境が日本人には今一つ、感覚的にピンと来ないので、わかりにくいと考えます。
貧富の差があまりにも大き過ぎ、その背景にある社会構造があまりにも日本社会とかけ離れているため、すべて思考するというより、空想するしかないところが、難しさの一因とおもいます。
このワーニャ伯父さんも描かれている登場人物は日本人のイメージの中からは、かけ離れすぎていて、想定するのも厳しいです。
しかし、文章最後のほうで、「こんなところにはとても住めない、くらせないと教授夫妻が去っていった後で、ソ〜ニャがワーニャに言う言葉、「でも生きていくしかないのよ、来る日も来る日も、やがて、今も、年をとっても、、じっと生きて、人の為に働きましょうね、そして、その時がきたら、素直に死んで、そしてあの世で、私たちがどんなにつらかったか、残らずもうしあげましょうね」という表現は当時のロシア社会の貧しい底辺に生きる人たちの代弁であり、その社会を彷彿とさせる言葉であり、それこそが、作者のいる社会への心底からの抗弁とかんじられます。
戯曲は、小説と違い、劇中のセリフから、読み取ることが大切ですが、日本、欧米のそれと違いロシア人の戯曲はこの技を行使するのは極めて難しいとかんがえます。以上
チェーホフ『ワーニャ伯父さん』の感想 投稿者:上条満(山下) 投稿日:2020年11月 3日(火)16時41分43秒
久しぶりに読み返してみて、改めて話劇の神髄を見せられた感じを受けた。話劇というのは、中国語で日本語の新劇を意味する言葉であるが、劇が対話によって成り立っているということを際立たせた表現であり、チェーホフの戯曲にはこの話劇という言葉を使いたくなる。チェーホフの戯曲は、チェーホフの小説と同じで、劇ではあるにもかかわらず、いわゆる劇的なことは起こらない。
しかし、小さな出来事、大きな波乱を前にした小さなさざ波のような事件というべきやり取りは起こる。この戯曲も四幕仕立になっており、戯曲の構造としては、各幕が起承転結にうまく対応している。転の第三幕と結の第四幕にはそれぞれ小さな出来事が起こり、劇は展開して収束する。第三幕ではセレビリャコーフとワーニャの仲違いが決定的なものになるのと、ワーニャとソーニャのそれぞれの失恋が顕在化する。第四幕ではワーニャとソーニャのそれぞれの失恋相手は屋敷を去って行く。そして、最後に絶望しているワーニャを姪のソーニャが慰めて、長い独白が語られる。
「でも、仕方がないわ、生きていかなければ! ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて生きましょうね。今のうちも、やがて歳をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてその時が来たら、素直に死んで行きましょうね。……」
私はこの劇の最後のソーニャの台詞を読む度に、深い共感を覚えて胸が熱くなる。これは、自分のような平凡な人間にとっては、この世では、めげずたゆまず慎ましく生きていくしかないということを自覚しているからこその、共感なのだと思う。これはもう完全にチェーホフの手の内にはまり込んでしまっていると言えるだろう。
(追伸)チェーホフ『かもめ』の感想
『かもめ』は『ワーニャ伯父さん』に比べて、いわゆる劇的な要素が多い戯曲と言えるかも知れない。しかし、そのせいか、『ワーニャ伯父さん』の最後のソーニャの台詞のように共感を覚えることはない。おそらく、これは主人公のトレープレフが自殺してしまうことから来るのだろう。自分のような凡百の人間にとっては、いわゆる劇的な展開は肌に合わないのかも知れないと、『ワーニャ伯父さん』と合わせて読んだことから考えさせられた。
チエホフ 投稿者:浅丘邦夫 投稿日:2020年11月 3日(火)08時15分51秒
昔、誘われてアマチュア劇団に所属した。そこは、一に、チエホフ、二に、チエホフ、三にチエホフだった。モスクワ芸術座のスタニスラフスキー演出の、ありがままの人生が、手本だった。チエホフも又、ありがママの人生を描いている。ように思います。時代背景が欠かせない。没落しつつある地主階級、来たるべき新しい時代の足音を聴きながらの不安な、静かな田園風景の生活者、そして破局。新しい時代も又、幻滅だが、知りよしもない。演劇は、脚本、演出、演技の総合芸術です。脚本だけだと、時間をたっぷりかけて想像を巡らせないと、味わえない。そのころ民芸座の、イプセンの民衆の敵を観た。名優の演技に圧倒された、チエホフと別の世界、ありがママでなく、あるべき人生が描かれていた、と思えた。
ワーニャ伯父さん 感想 投稿者:清水 伸子 投稿日:2020年11月 2日(月)15時55分6秒
戯曲がテーマに選ばれるのは珍しいのですが、個人的にはとても嬉しく感じました。昔劇団民芸の「かもめ」を観て、感動したのを今も覚えています。
ただ、小説と戯曲とでは読み方・味わい方が異なるのではないかと思います。小説の中にも読んでいるうちに映像が浮かんでくるものもあり、映画化されるものも多くありますが、基本的には読者がひとり静かに味わい読み取り感じとったことがすべてなのではないでしょうか?」戯曲は生の人間の肉体を通して演じられる事が前提で書かれています。そして演出者によって様々な解釈がなされ表現され、そこがまた魅力でもあると思います。
この戯曲の面白さは、様々な個性を持った人物が描かれていることだと思います。エレーナとソーニャの対比…都会から来た美人のエレーナと不器量な田舎娘のソーニャ。しかし最後に心に残るのはソーニャの心から発せられる美しい言葉の数々です。
田舎で黙々と日々働き続けて都会に暮らすセレブリャーコフとエレーナの生活を支えてきたワーニャとソーニャ。医者として休む暇なく働きながらも、森の大切さを思って植林を続けているアーストロフ。顔にあばたがありワッフルと呼ばれているテレーギンは、婚礼の翌日に女房に駆け落ちされるが、その後も彼女を想い、彼女の娘まで生活の援助をして財産を投げ出してしまうが気位だけはなくさずにいる。
それに対して、都会のインテリを代表するようなセレブリャコーフは、ワーニャたちの暮らす地所を売って有価証券に換えようとする。彼が夜遅くまで取り組み続ける学問は果たして何の役にたっているのか?彼をいまだに崇拝し続けているワーニャの母親ヴィニーツカヤ婦人と乳母のマリーナ…その誰もが個性を持ちこの作品に彩を与えていると思います。
そして最後のあたりP.238からのソーニャのセリフ…
閉塞感に満ちた今の状況の中で、ワーニャのこの言葉がとても強く響きました。
11月読書会『ワーニャ伯父さん』レジメ 投稿者:成合(代理;金田) 投稿日:2020年10月31日(土)17時42分7秒
10月の読書会の当番になり、普段に本を読んでいないので困りました。「チェーホフ祭」などの言葉もよく聞きます。
辛うじて一角に文庫本があり、『チェーホフ・ユモレスカ』を見つけました。
『かもめ』はジョナサンを思いましたが、酒場の源氏名かミーハーの囃子言葉のようにもある。
慌てて『ワーニャ伯父さん』を読むと、現代日本の非社員・派遣社員解雇も想像される。これなら沢山の感想が聞かれるかと思いました。
課題提出の理由は以上です。見当違いもしているかと思いますが、よろしく教えてください。
チェーホフの略歴を書いておきます。
1860年 南ロシアのタガンローグという港町で生まれた。父は小商人。祖父は元農奴。中学時代の後半から傾いた家計を助けて学費や一家の生活費を稼ぐため、家庭教師をしたり、ユーモア小説を投稿したりし始めた。
1884年 モスクワ大学医学部を卒業。自治会病院で働き、開業医となる。最初の作品『メルボメネ物語』を出版。この年に 喀血。次第に進行する。
1890年 流刑地として名高い「サハリン島(樺太)への大旅行をする。自己を鍛え直すためとも、失恋のためともいわれる。トルストイズムから脱却する。
1892年 『赤い花』・『六号室』を出版。
1898年 南方のヤルタに療養のため転居。モスクワ座にて『かもめ』を上演
1901年 モスクワ芸術座にて『三人姉妹』を上演。女優のオリガ・クニッペと結婚。
1903年 『桜の園』を脱稿。
1904年 モスクワ芸術座にて初演。7月療養先のドイツの鉱泉地パーデンブアフィにて死去。44歳。
以上。(成合)
(文学横浜の会)
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