「文学横浜の会」
「掲示板」の内容
評論等の堅苦しい内容ではありません。2021年01月12日
「捉まるまで」大岡昇平
<「掲示板」に書かれた内容>
「捉まるまで」感想 投稿者:川島照子
「大岡昇平の世界展」が、昨年10月31日−11月29日の期間で、神奈川近代文学館であった。
誘ってくれる友人がいて、会期も終わりの頃に見に行った。
大岡昇平展を見てその守備範囲の広さや奥行きに打たれ、また作品を読むにつけ、考えさせられることが多く、
様々な想念が湧いてきて考えがまとまらず、なかなか投稿できなかった。
感想として
・まず、議論の的になっている「米兵をなぜ撃たなかったのか」という命題であるが、私は偶然の賜物であると思う。
語りての“私”が米兵に遭遇する前に、敵と遭遇しても「自分は撃つまい」と決意している。
これはそれまでの成育過程で”私“が”育んできた価値観によるもので、こう思う人間はその当時、あまり多くはなかったであろうと思う。
しかし、“私”が軍隊に入ってから受けた兵士教育もあるわけで、それでは、やられる前にやれ、という論理である。
命の危険に遭ったときの、防衛本能というものもある。米兵を見た瞬間、“私”は安全装置を外している。
”敵“と遭遇したときにどれが優るかはその時次第、ケースバイケースだと思う。
“私”は米兵をうたなかったことを是とし、ほっとしていると思うが、それは、自分が善人だったからではないと、
なぜ自分は撃たなかったのかを自問自答するのである。
これは“私”大岡の自己も含めて疑問に思ったことはあくまで真実を追求するという厳しさだと思う。
この自問自答の中から大岡は「捉まるまで」の冒頭の歎異抄の言葉「わがこころのよくてころさぬにはあらず」を導きだすのである。
みごとな結論で心を打たれる。
・次に、戦争についてであるが、私は戦争はあってはならないものだと思う。“私”のように、戦争は馬鹿げたものと思い、軍部を憎んでいても、戦地に赴けば、その歯車の一部になって動かざるをえない。死の危険と常に隣り合わせである。“私”がミンドロ島で死なずにすんだのは、これも偶然にすぎないと思う。“私”は手榴弾と銃とで、二度自殺を試みるがいずれも失敗しているが、失敗したのは偶然である。マラリアが悪化して、あるいは米兵に殺されていたかもしれない。常に死を意識した毎日は、「捉まるまで」の最後の二行「いつも死を控えて生きて来たそれまでの毎日がいかに奇怪なものであったかに思い当たった」によく表わされていると思う。
最後に、いままで何回か大岡昇平の戦争作品にチャレンジしたが挫折してきていた。
今回、大岡の戦争作品に入門できたことを感謝します。
俘虜記 投稿者:佐藤直文
「俘虜記」はいつか読みたいと思っていました。昨年、横浜近代文学館で大岡昇平展があり、一度ではすまず、二度見学しました。
「事件」と「野火」を読んでいましたが、他の戦記は長いからと半分読むことができないと諦めていました。
今回読んで、さすがに名作でした。エゴのミクロの世界をこれほど微細に記録したものは見たことがありません。
人間には働き者と怠け者しかいないという分析には驚きました。
冷静に的確に事象を把握し粘り強く大胆に描写する眼は小林秀雄の影響を感じます。
山田太一の講演で聞いたところによると、なぜ撃たなかったかについて、当時、雑誌にて、高名な評論家が「一瞬の事を、
十頁にもわたり書くほど考えたはずがない」と批判したそうです。今ではそれが文学だと言うでしょう。
35歳の兵士は米兵の中に己の息子を見たのだと思います。それが逆転して米兵の父を想ったと表現したものと思います。
全体に底流にあるのは残した家族への思いと懸命に戦い戦場に散った兵士への鎮魂の祈り、
それに軍指導者への怒りだったと思います。
再び再び捉まるまで 投稿者:浅丘邦夫
なぜ撃たなかったか、多くの人が心に残ったようですね、私もです。答えはありません。ただ、戦時中、
逃げて伏せている少年の私の側を、敵機から銃弾が走りました。別の日、グラマン戦闘機がまい降り、逃げている市民を追いかけ、
撃つのを目撃しました。なぜ、これも、今もわかりません。人間の心理は、不可解てす。状況次第で、鬼にもなるのかな。わかりません。
捉まるまで 投稿者:成合 武光
1月9日読売新聞の朝刊、寺島実郎と元総理大臣の細川の対談が載っている。
寺島曰く「要するに人間は計算や打算だけでは動かないのです。『愛のため』などある種の美意識が行動を駆り立てるのです」とある。
『捉まるまで』の作品にも包含するものがあるように思いました。
『捉まるまで』の作品もなんどか読んだように思っています。作品、文章の流れに乗ってか、乗せられてか一気に読んでしまいます。
読んでいるときは、そうか、そうかと読み終えてしまいますが、読み終えた後で細部は思い出せないものの、
「なぜ打たなかったのか」という疑問がいつまでも消えませんでした。今回再び読み返し、やっと大岡の事情を納得しました。
だが、その是非については読者個々の考えがあることだろうとおもいます。長年の疑問が一つ解けたことに感謝します。
自分だけでは、やはりぼんやりと読んでしまうものかもしれません。
誰にも経験があると思いますが、年長者や先輩、熟練者などが「大人になったら、その場になったら分かるよ」などと言われる。
その時は何となく面白くもないが、そんなものかと思われて遠慮したこともあるのではないでしょうか。
「打たなかった」事情を納得したのもそれでした。私にとっては、まさしく2020年12月がその時の満つるときだったと思えます。
「打たなかった」のは、子供だ、母親がいる。と思ったということです。「神の手」かとも述べています。
極限の状況。絶体絶命の状況。召集兵です。戦争に対する気持ちもいろいろあるでしょう。
ですから「打たなかった」状況になったのも、或いは「神の手」と言えるかもしれない。
大岡は、人間愛や人類愛ではないと述べています。しかしそれが、大岡が人間だったということではないでしょうか。
人間愛や人類愛という美しい言葉を使いたくなかったということでしょう。
戦地から帰ってきた人たちの多くの人の言葉に「戦死した仲間に申し訳ない」というのがあります。
或いはそれらのことにも通じるものを大岡も捨てきれなかったのではないでしょうか。受勲を辞退したというのもわかる気がします。
以上長くなりましたが、担当者に感謝します。皆さんコロナに気をつけて、無事を願っています。。
捉まるまで 投稿者:藤村格至
COVID-19の収束が見通せず、得体の知れない不安感に苛まれている人々にとって、
生死の狭間で弄ばれる「俘虜記」主人公の自分自身及び周囲に対する冷徹な観察・分析力は、
今後を生き抜く術として大きな参考になるかと思われる。
作者は、戦争をあくまで個人の視点で捉え、極限状態の中で銃を射つか射たないか(射てるか射てないか)という重い決断に対して、
個人のどのような心理的要因が左右するのか、一つの解釈を示してはいる。
ただ「捉まるまで」の最後まで、主人公の生と死は、個人の意思・努力を超越した「何者」かによって弄ばれ続けている。
この点に関しては、作者自身を反映した「俘虜記」主人公の冷徹な分析力をもってしても、
何らかの解釈を提示することは困難であったように思えるが、さて「何者」とは?
再び捉われるまで 投稿者:浅丘邦夫
戦中派の私が、その頃読んだ日本の戦記文学は、気分の高揚した、感情過多の戦記が多かった。
アチラさんの戦記、例えばガリア戦記は、感情ゼロの客観的事実だけだ。
尤も、あれはシーザーの元老院への報告書だ。しかし最高の戦記文学として評価される。ホフマンスタールの戦記文学もそうだ。
私はしびれる想いで読んた。戦後、すぐ現れた大岡文学は、理性的であり、客観的であり、感情を抑えた文学だ。
心理的な文学で、当時、画期的に新鮮に迎えられた。
「捉まるまで」感想 投稿者:石野夏実サトウルイコ
大岡昇平著「捉まるまで」(俘虜記)読書会 2021.1.9 石野夏実
私は、小説の中に、歴史的背景としてだけ戦争がある場合は、それほどリアル感がないので読み進むことができるけれど、
実録戦争ものは、痛々しくて出来れば読むのを敬遠したい方である。
戦争の悲惨さを手記風のもので知るのは、もう十分なのだ。
極限状況下での「生」や「死」との対峙は、戦争場面がなくても語れると思っているからである。
しかし、「捉まるまで」(俘虜記)が年初の読書本ということで、今回は再読なしで一気読みをした。
以下、心に残った個所があったので少し感想を書かせていただくことにする。
主人公の「私」はマラリアに罹り、高熱で思うように動けない中、米軍の上陸作戦により山中に退避するが、
ついていけなくなりとうとう一人になった。ここからの心情と情景を冷静に正確に書いている。
何度でも襲ってくる喉の渇き、何が何でも水が飲みたい、
飲んでから死にたい(文中では自分を殺せばこの渇きも殺すことができるが渇きを治めてから存在を止めることを欲したと書いている)
それしか考えられない、この一点、渇きこそには、かなりの力が入っているが、
その事実の書き方が解説で村上龍が述べているところのインテリジェンスなのである=正確な表現と言葉の厳密な組み合わせによって、
私達は何よりも強い喉の渇きを追体験するのである=確かにそうであった。
それと35歳になっての家族もいる身での徴兵。前年に生まれた長男と、
目の前に現れた撃とうと思えば撃って殺すことが出来るとても若い米兵を重ね彼を撃ち殺さなかった。
しかし、結果として殺されなかった米兵は陣地正面の戦闘に加わり「私」の僚友を脅かす。というようなことを、細かく正確に、
しかし淡々と書いている。遅かれ早かれ待っているのは死であるとの諦観。「私」は傍観者のように冷静である。
説明描写の語り口は、翻訳物を読んでいるようにも感じることが多い。
大岡は翻訳者でもある。より細かな正確さを求めてあえてストレートな表現は避けたのであろうか。
いや、それよりも、事象をどんどん掘り下げていくと、このような表現になっていくのであろう。読み難くはなかった。
小林秀雄が、大岡昇平が旧制の成城高校在学中にフランス語の家庭教師をしていたという話をどこかで聞いたことがあり、
今回少し調べてみた。その小林を介して中原中也と大岡昇平は親友になったそうであるが、
小林との出会いは大岡にとっていかに多くのものを与えてくれる存在であったか50年間に及ぶ交流は、大変興味深い。
この「捉まるまで」に関してのエピソードは、以下のようである。
小林が復員した大岡に 捕虜経験を小説に書くようにアドバイスした。「魂のことをかけ」と。
ところが大岡は「事実を書く」と反発したそうである。したがって、この「捉まるまで」は、
村上龍いうところのインテリジェンスなのである。
村上が言うには、簡単には言えない情報を正確に伝えるために、作家は小説を書くのだそうである。
その情報とは、単なるインフォメーションではなく正確な表現と言葉の厳密な組み合わせのインテリジェンスであると。
この「捉まえる」は、インテリジェンスが生きて呼吸している永遠の古典であると解説で締めくくっているが、
これには説得力があり、一気読みができた理由はここにあったのだと納得した。
「捉まるまで」感想 投稿者:林 明子
いつ死んでもおかしくないという、常に死と隣合わせの状況で、自分の状況、心情を細かに綴り、
それに対する客観的な分析を行っていることに驚きがあった。
いつ死んでもおかしくない状況に置かれると、人はどのような心理状態になるのか?
「どうせ・・・しても死ぬのだから」となるのか、「死ぬからにはせめて・・・」と思うのか、
「何とか生き延びて帰るのだ」と自分を鼓舞していくのか、それとも死ぬ恐怖ばかりを思い巡らせるのか、
すべて想像することしかできない。
主人公が死を覚悟したとき、『これまで愛した人の顔を思い浮かべようとしたが、
すべて「思い浮かべる」というほどはっきりとは目の前に現れてこなかった。』とある。
戦時下での死に際は、決して穏やかではなく、何かを思い出す余裕もないほどに悲痛な最期であったのだろう。
そんな状況下で、メモに記したわけでもないのに、果たして「捉まるまで」に表現されているように事細かに細部まで記憶し、
状況・心情を判断できるのか、疑問が残った。
また、実際には終戦後に執筆を行ったのであろうから、当時の本当の状況や心情は必ずしも正確ではないかもしれないと考える。
その中で、ただ一つ、「水を棄てた」ために、水を求めて彷徨った挙句、
捕虜となり日本に帰国することができたという事実は間違いのないものなのであろう。
『戦争とは集団をもってする暴力行為であり、各人の行為は集団の意識によって制約乃至鼓舞される。』
この一文が印象に残った。
一人対一人の争いであれば喧嘩で済むことも、周りの人々を巻き込めば争いとなり、
国と国の対立まで発展してしまえば正しいのかどうかよりも利益が重んじられ、正しいと考えるその中身でさえ変容させていく。
人が集団となったときの、人数以上のすさまじい力の素晴らしさと恐ろしさを心に留め、正しいか正しくないのかよりも、
困っていたり弱っていたりする人たちのためにその力を常に行使できるよう、日々子どもたちに伝え続けていきたいと改めて感じた。
「捉まるまで」感想 投稿者:金田清志
「俘虜記」を読んだのは学生時代だからもうだいぶ前だ。
先の戦争体験記は数多く書かれており、幾つか読んだ。
それらを若い時に読んだ感想は、
小説に限らず、芸術作品に対する関心の度合いは内在する問題意識が触れ合うことで作品が評価され、
触れ合うことがなければつまらない、面白くない、と思うのではないか。
今回、「捉まるまで」を読んで次の一文が心に残った。
その時代に生きてはいない自分に、戦争に駆り出される前にそんな事態にならないように何故しなかったのか、とは言えないが、
歴史は繰り返すとも言うから、肝に銘じなければならない。
世相、或いは国の風向きが変わるのは意外に早い。
「捉まるまで」では米兵と対峙し、結局撃たなかった心境・葛藤などが書かれている。
でも今、全面戦争が起これば、人間の心など入る隙間もなく、容赦なく無人機が飛び交い、ロボット殺人兵器が…。
『捉まるまで』を読んで 投稿者:藤本珠美
『捉まるまで』を読んで
この作品を読み始める前に、映画『野火』を観て、緊迫感の大きい作品だなと思いました。
複雑に心理が描かれており、特に若い米兵と向き合った時の文章は深いなと思いました。歎異抄の引用との関係は、
より考えてみたいと思います
「捉まるまで」感想 投稿者:中根雅夫
大岡昇平については、学生時代に比較的多くの著作を読んだ井上靖の作品の一つである『蒼き狼』に史実に反するとして
批判した小説家で、今月の読書会で取り上げられた『俘虜記』や『野火』、『レイテ戦記』といった戦争ものを書いている作家として
認識していただけで、彼の著作を読んだことはありませんでした。
今回、『捉まるまで』を読んで最初に感じたことは、単なる思弁的な描出を超えて、著者自身の、
生死の境にあった戦争体験に裏づけられたリアリティとそれに対する執拗なまでの稠密な心理的現象の描出の「凄み」でした。
米兵と遭遇したときに、なぜ彼を殺さなかったのかということが注目されているようですが、
「戦争を知らない」世代である私にとっても、知識人としての著者が一兵卒として実体験した戦争の狂気をいささかでも「共有」
できた思いをしました。
大岡昌平「捉まるまで」感想 投稿者:遠藤大志
本文横読書会で大岡昌平は「武蔵野夫人」に次ぎ2作品目である。
飲み水を求めて一人彷徨う「私」が中盤34ページに於いて若い米兵に遭遇する。
僕の俘虜記(捉まるまで)の感想は、
35歳という兵士としては高齢で高学歴な「私」は「行動」よりも「思考」が先行していると感じる。
大岡昇平『捉まるまで』を読んで。 投稿者:和田能卓
面白かったです、「意識の流れ小説」として。読みながら、
福永武彦の『忘却の河』第一章「忘却の河」における主人公・藤代某の密林での「戦友の死に顔」を見つめる場面――戦友が
最後に見たのは何だったのか。密林の木漏れ日か。戦友が見たかった、思い浮かべたのは何だったのか。
内地に置いてきた嫁さんの顔か、水を探しに傍を離れた自分の顔かと思い巡らせる場面――を連想しました。
『捉まるまで』も『忘却の河』も同じく内的独白で書かれた作品であり、
回想を描写する方法を学ぶのに与って力あるものだと感じました。
※又吉直樹『火花』の回はコメントをしなかったのですが、何故かいまだに「太鼓の太鼓のお兄さん!」が耳に付いています。
太宰のトカトントンの如しです。
捉まるまで 投稿者:浅丘邦夫
大岡昇平といえば、フランス文学との濃厚な影響をいつも連想する。ラデイゲや、フローベルの伝統的な、
心理小説、硬質の、象牙の将棋の駒を、盤上で、カタカタうち進めるような、心理の動き、一定の距離を置き、
冷ややかだが私は大好きだ。タイトルもひとひねりだ。あくまで受け身だ。作者のプライドかな。
大岡昇平著 俘虜記中 「捉まるまで」 投稿者:金子えい子
長らく文学横浜読書会にお歴々の出席あっての白熱した討論、ご意見もうかがえず寂しい限りです。
読書した物の感想発表は、読んだ人のそれぞれの思いがあって、語られ、胸に響き己の心の糧になると思っていただけに、皆さんの肉声を聞けず、寄せられた文章で感慨、情感を知るのは大変難しく感じます。
そんなわけで、今月も欠席してしまいますが、言い訳はあくまで言い訳ですから、この「捉まるまで」を読んでの私なりの感想を述べます。
思えば、あの第2次大戦終結の日から76年目です。飛び来る弾丸、火炎に焼かれはしないけれど、得体のしれない微生物『コロナ菌』に全世界がやられて、なす術もなく、あれよあれよという間に1年たちました。
死者の数はこの第2次大戦どころではありません。失われた人命、消えかかっている未来、どんなワクチンが作られ、人類を救ってくれるのか、そして、それで終わりになるのか??? 疑問とその果ての失望しか見えて来ません。確かに人類は戦っています。 でも正体不明の物に対してです。
「負けた」と言って投げ出しはしないでしょう、できないでしょう、75年前の戦争とは訳がちがうのですから!!
この「捉まるまで」を読んで、つくづくかんじました。人間は生きて、考えて、その考えを共有する同志が沢山いて、実行出来、生きて行けるのだ」と この捉まるまでに描かれて時代は今のコロナ禍の中の人類よりよほどましで、望があり、明日がまだまだあるようにおもえます。
戦争で敗残の兵となり、捕虜となり、明日の命もしれずとも、それは全人類の中のごく一部です、そして勝者は敗者を遅かれ、はやかれ、許します。
でも、コロナ菌は人類を容易に許してくれそうもないと私自身は考えます。
この俘虜記、捉まるまで、を読んでわたくしが感じたことは、この文章や中身でなく、その表現や、描かれている兵隊たちの在りようでもなく、いつか必ず、人間は、得体のしれない微生物に負ける時が来る、どの国のどんな人達などという差別もできず、人類が負けてしまうだろうという怖れです。その恐怖を乗り越えることができるのか? 考え過ぎでしょう、多分!!
でも、誰かが、現在そのような難問に対峙している僅かな人達だけで無く、もっと、大勢の味方を生み出すべきように努力しなければ間に合わないとおびえてしまいます。
この著、「捉まるまで」を読んでこのような荒唐無稽な考えに至るのはおかしいとおもわれるでしよう。しかし、人間は己が命の終局に向き合うとき、一体何を思い、或は、思えないのか?という疑問に突き当たっていますのでお許しください。
1月9日の読書会がご成功に終わられますよう祈念し、また、文学横浜の全会員の皆様にとって、2021年が良い年になりますよう祈ります。
2020年12月28日 金子瑛子
(文学横浜の会)
|
[「文学横浜の会」]
禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2007 文学横浜