「文学横浜の会」

 「掲示板」の内容

評論等の堅苦しい内容ではありません。
テーマになった作品について参加者がそれぞれの感想を書き込んだものです。
  

2021年03月08日


「接木の台」和田芳恵

<「掲示板」に書かれた内容>

接木の台 投稿者:藤村格至
投稿日:2021年 3月 6日(土)10時39分17秒

 評論によると和田芳恵は三つの顔を持っている。入社間もない新潮社において祖父が編輯を主幹した「日本文学大辞典」を担当した編集者の顔、「一葉の日記」で第15回日本芸術院賞を受けた樋口一葉研究家の顔、そして直木賞、日本文学大賞他を受賞した作家としての顔である。

昭和50年に第26回読売文学賞を受賞した「接木の台」にも上記三つの顔が程よく映し出されているように思える。人生の盛りを過ぎつつある男の中に燻ぶり続けるうら若き異性への憧憬。一つ間違えれば単なる通俗小説となりそうな話を、全体を通した簡潔な文体と「接木に咲く幻の花」という風景を設定することで余韻を感じさせる物語に仕上げている。

どれだけ虚勢を張ろうとも、大なり小なり、誰しも先人の趣を台にした「接木の人生」を生きていることは間違いなさそうだが。

「接木の台」感想 投稿者:林 明子
投稿日:2021年 3月 6日(土)00時25分22秒

 男女の情愛や欲望、未練、情念・・・といったものがしっとりと描かれ、それらの様々な感情に呆れてみたり、共感したりしながら読みました。

年を重ねても欲はつきないものなのだな、と微笑ましく思ったり、切ない気持ちになったりしました。

「私」は老いてしまったが、「悠子」は働きざかりで生活も楽になっている、ということであれば、結果的に「悠子」は「私」を接木の台としてしっかり成長したようにも捉えられます。

「私は罪な行いをして悠子の生きがいになっているらしかった。きれい事で、私も救われたことはなかった。」

この部分がクスッと笑えて、恋愛の醍醐味というか、恋情は他では得難い生きている実感をもたらす貴重な感情であるなと改めて思いました。

欲望であったり、恋であったり、救いであったり・・・理由はそれぞれでも、出会いや別れを繰り返す人の一生において、二人の人間がお互いに惹かれ合った時間は特別なものであると思います。

年齢を重ねたときに自分に湧き出る欲望や未練、回顧する内容は何になるのか、怖いなと思う反面、この作者の晩年の心の内は老いを痛感しつつも彩り豊かであったように感じられ、あやかりたいなと思った次第です。

「接木の台 」和田芳恵 投稿者:佐藤直文
投稿日:2021年 3月 5日(金)17時01分6秒

 私の祖父母の年代の方ですが、ずいぶん苦労もされたことが文章に表れていました。15篇を読みましたが「接木の台」が気品があり一番好きです。他の14篇も30枚と短いのに読みごたえがありました。行あけせず、いきなり過去が来ることに驚きました。読者を深く信じているのでしょうか。飛躍しているのにわからせます。「接木の台」はロダンとカミーユ、先生と教え子の恋愛を描いた名作と思います。悠子は二十歳の速記者でありましたが、三十歳の今、座談を企画し編集する技術をものにする事ができるようになりました。私は死を目前にしています。つらい別れです。

初めて和田芳恵と言う方を知りました。ありがとうございました。

「接木の台」感想 投稿者:成合 武光
投稿日:2021年 3月 4日(木)15時18分4秒

 話はあっけないほど簡略。物足りなく思いました。一般的に男性は自分の子孫を残すために、性が生きる力として長くあるのでしょうか。私も夢想します。しょっちゅうです。しかし過去にも未来にも、私には縁のない話とあきらめています。でも世の中にはたくさんある話なのでしょう。物語ですね。

 作者はいろいろな仕事をされたとある。驚いています。 

「接木の台」感想 投稿者:中根雅夫
投稿日:2021年 3月 4日(木)11時17分47秒

 和田芳恵という名前も初めて知りました。冒頭箇所で長原という地名があり、むかし一時的に仮住まいしたことがあり、懐かしい思いに駆られました。さて、『接木の台』を読んで何よりも感じたことは、作品全体に漂うある種の陰鬱さでした。かつて不倫した「私」の語りで展開するストーリーで、その不倫相手との偶然の再会によって過去を回想することになり、その後の老いた自身の、持病を抱えた衰えを慨嘆します。不倫相手だった女性の自立した成長の姿を対照化することで、それを際立たせています。作者のプロファイルをみると、自身が病苦に苛まれており、それがこの作品にも反映されているようです。昨年死去した古井由吉の長編小説『槿』と比較しても、短編小説ではありながら同様に濃密な味わい深い読後感を得ました。

「接木の台」追補 投稿者:石野夏実サトウルイコ
投稿日:2021年 3月 4日(木)09時27分55秒

 「接木の台」 発意     3月4日  石野夏実

 浅丘さんが、これほどまでに一葉を評価し大好きだったことを知りませんでした。心情あふれる投稿を読むことができ、とても嬉しく賛同しました。※検索のおまけですが、漱石がなぜ出てこないかと思い調べましたら、実兄に一葉=夏子との縁談話があったとの話も。

 さて、本題です。私は昨夜の自分の感想がイマイチだったのを寝起きから悔やみ、朝イチで送信したい追補の文章を、朝食の準備や後片付けをしながら頭の中でまとめていました。

 今回は、集英社の文庫本「接木の台」で読んだのですが、他の短編は14作品もあり、題名を見ただけですが、それらの題名は、味気ないほどシンプルでストレートであると思いました。

「接木の台」もぶっきらぼうな題名ですが、植物にとって「接木」自体が面白い作業で奥深いと聞いています。この作品の中では何を意味するのか、自分なりの感じたことをもう少し具体的にまとめるべきでしたと思い直し、PCに向かっている次第です。

 接木の土台になるのは「私」で、小枝で継がれて花を咲かせるのは悠子。いちから仕事も教え、恋も教え、彼女が今あるのは自分がいたから。

 そうではあるものの「私」を前にして、うっすらと浮かぶ悠子の涙は、経てきた年月の感傷だけでしょうか。かって愛した男の10年という歳月を経ての変わりようを目の前にしての複雑な心境もあるのかもしれません。

 妻との修羅場の回想も、今は亡くなっている妻の代わりに若い後妻をもらい、眺めるだけの男になっている老人の「私」。

 「色っぽく死にたいものだ」と最後で結んでいる「私」は、作者の分身だと思いました。せめて書くという手段で最後まで「色っぽく」生きようと。「穂木」を生かしても「台」は死んではいませんから。

接ぎ木の台 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 3月 3日(水)23時30分54秒

 一葉の話題が出たので、眠れぬままに、辛抱たまらず脱線お許し下さい。まさに千年に一度の女流作家。最近、一葉を想うことしきりなり。にごりえ、おおつもごり、十三夜、色恋沙汰でも、あのつややかさ、あの凛とした気品は、どこからやってくるのだろう。涙が出そうだ。

「接木の台」感想など 投稿者:石野夏実サトウルイコ
投稿日:2021年 3月 3日(水)22時11分55秒

 この読書本の選択は、河野さんらしいな〜と思いました。老いてお爺さんになってからの色恋沙汰の思い出話や心境を小説にしたものは、あまり好みではないのですが、短編でしたので一気に読みました。駅まで歩いて2.3分のところが倍以上の時間がかかるほど坂道がしんどくなってしまった老人の現実味のある場面から始まります。

 その老人が、試写会に行くために電車に乗り、景色を見ながらつり革につかまっていると、誰かがやんわり体を押し付けてきました。その感触で10年前に別れた仕事絡みの愛人(当時彼女は小娘)だった女性とわかり、結局、二人は銀座の喫茶店に入ります。終わった関係の二人、老人と今は働き盛りの女性の間に、もはや共通する弾む話があるわけでもなく、「私」による二人の関係の回想がほとんどでした。

 若い悠子という彼女を生かすため接木の台になる「私」。果たして傷ついたのはどちらなんでしょう。未練があるのは、未練が起きてしまったのは、どちらなのでしょう。

 この掲示板で、河野さんが書かれていますように、永井龍男と和田芳恵の比較を、この「接木の台」を読み終えて、私もしていました。3年ほど前の読書当番の時に取り上げたのが永井龍男の「青梅雨」だったからです。

 和田芳恵は、大学の先輩になりますが著書を読んだことはなく、名前だけ知っていました。今回、初めて氏の作品を読み、いろいろ検索をして人となりなど(リアル読書会があったなら、河野さんから様々な面白いお話が聞けたのにと、残念に思いました)読みましたが、永井が村上龍や池田満寿夫の芥川賞受賞を拒んで選考委員を辞任したこと等を鑑みますと、永井と和田芳恵は対極にあるのではと思えるほどでした。 永井の「鋼」に対して、和田の「柔」でしょうか。

 最後に、和田芳恵のライフワーク「一葉研究」について。

こちらの方に興味がわき「樋口一葉伝〜一葉の日記」をさっそく読み始めました。紹介をありがとうございました。勉強になりました。
 かねてから、一葉さんは藤村志保さん似の美人だと思っていたのですが、鴎外、露伴、藤村などなどとの逸話も目からウロコで、やっぱり文豪達も若くて美人には甘くて弱いのかな、と思いました。以前、清水さんが読書会で一葉の「たけくらべ」を取り上げられていらしたのを思い出しました。

「接木の台」を読んで 投稿者:藤本珠美
投稿日:2021年 3月 2日(火)20時14分47秒

 「接木の台」を読んで

名前を知らない作家だったのですが、文体やリズムがなじみやすく、読み進めることができました。
登場する女性像が興味深かったことと、故郷北海道を舞台にストーリーを描くとき、作者の筆が微細になり、文章が練り上げられているように感じました。
この作家の場合、何気ない表現も、とても練り上げた一文なのでしょうか。

「接木の台」は、悠子と再会して、かつての彼女とのことを思い出しながら、大阪の女性のことも想起される部分が、静かで翳りがあって、心に残りました。

全体的に、作家本人の経てきたことが、描かれているような気がしましたが、独特なラストシーンが怖かったりもして、とても魅かれる本のひとつになりました。
「私は万年筆に〜多く書いた」という一節に、この作家の凄みを感じます。

とても印象的な作品でした。ご紹介いただき、どうもありがとうございました。

「接木の台」感想 投稿者:金田清志
投稿日:2021年 3月 2日(火)10時36分33秒

 「接木の台」感想

図書館から借りた「自選 和田芳恵短編小説全集」河出書房新社、で読みました。

若い頃、和田芳恵と言う作家がいたな、という感覚で思い出しましたが、読んだ記憶はありません。今ではも忘れられた作家なのでしょう。

この作を読んで、昭和前期の懐かしい一部が感じられました。
短編集に収められた何作かを読みましたが、価値観と言うか考え方・モラルと言うか、時代の流れなのでしょう現在とはかけ離れています。

「接木の台」について、テーマで言えば、性(或いは性愛)とか言うものでしょう。これは「愛」と共に何時の時代にあっても共通したテーマでもあります。つまりは人間が生き、生を繋ぐためには避けて通れないからです。

このテーマは書き方によってはともすればエログロそのものにもなり得ますが、書き手によってはほろりとした情感、笑いを齎し、読む者の心を動かしそそりもしましょう。テーマに限らず多くの人の心を動かすせるのが芸術の一部だと思います。

「接木の台」に限らずこうした作は私小説風ですが、私には作者の妄想のようにも思えます。若い再婚相手があり、尚且つ若い不倫相手の設定など、まさに妄想のなせる業です。それを妄想と思わせない書き手の巧みさも必要ですが、年を経てもそのような妄想を持つこと自体が人間の嵯峨なのでしょう。

「接木の台」については、遠藤さんが指摘したように最後の題名になった件が印象に残りました。

接木の台 和田芳恵 を読んで 投稿者:遠藤大志
投稿日:2021年 3月 1日(月)08時42分49秒

 和田芳恵という作家を初めて知った。
どうやら僕の大学の先輩であるらしい。
 本作、接木の台は、男盛りを過ぎた老いた男が若い女に現を抜かし、妻と愛人の間を彷徨い歩く話である。

 題名の接木の台の意味が、最後に書かれてある。
”私が、すぱっと根本から斬りたおされ、その樹脂へ悠子の小さな枝を接木して、幻の花を咲かせるつもりだった。”
 男のエゴがそのまま書かれている。実に虫のいい話である。
女からすれば都合が良すぎると非難轟々であろう。
僕も実にそう思う。

 だが、気持ちも分からなくない。このような不倫の話はただ倫理的に解釈するのは容易で、無意味であろう。  年老いていく、体が朽ちていく様を実感した時思う事、思い出されることはきっとかつての脂がのっていた若き樹木の時代であろう。

 最後に河野さんが本書を課題図書にしたということで、実に河野さんらしいな思いました。
河野さんの作品に少なからず和田芳恵の影響を受けている気がした次第です。

「接木の台」感想 投稿者:清水 伸子
投稿日:2021年 2月28日(日)11時04分9秒

 私はこの作家の作品を読むのはこれが初めてで、女流作家だと思って読み始めました。すると違和感がぬぐえず、Google検索で男性だと知り納得しました。

 年老いてからの若い愛人との出会いと別れが描かれていますが、P.207の…私がずばっと根元から斬り倒されてその樹皮へ悠子の小さな枝を接木して幻の花を咲かせるつもりだった。…とあるのは、一旦は妻と離婚して新たな人生を始めようと夢見たのでしょうか?現実には妻への愛情もあり、本気にはなれなかったから幻の花だったのでしょうか?

結局別れて、その後十年の時が流れ老いはさらに深くなっていきます。

最後の部分…「息苦しくて、低い坂をあがるのもやっとの思いさ。こうなっては、生きていても、味気ないなあ」色っぽく死にたいものだと、私は、そのくせ、心の隅で思いあせっていた。…これがテーマなのでしょうか。作者の実感が伝わってくるようです。

接ぎ木の台、補足 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 2月23日(火)09時29分58秒

 補足します。まず、私小説という前提で読みました。それから、悠子が、男のズボンからベルトを抜き取り、くるくる蛇のように巻いて、枕元におくあたり、不気味ながら情感たっぷりでした。

接ぎ木の台 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 2月23日(火)08時49分50秒

 舞台の長原の地は、私の自宅から数駅にあり、親近感がありました。かつての愛人悠子との再会を枯れた筆致で淡々と書いています。さすが、編集者というブロ中のブロ作家。私小説は日本の小説の本流ですが、自分をむき出しにするだけに勇気がいり、難しい。そこはうまく書いているなと思いました。過去の三角関係でどろどろしたであろうが、さらりと切り抜けている。老練です。女の色気は灰までらしいが、男とて同じ、それが読後感です。

和田芳恵「接ぎ木の台」を選んだワケ 投稿者:河野つとむ
投稿日:2021年 2月22日(月)11時52分7秒

 和田芳恵『接木の台』を選んだ理由  河野つとむ

和田芳恵は新潮社の編集者、樋口一葉研究者を経て57歳の時に『塵の中』で直木賞を受賞しました。昭和38年のことです。しかし、置屋から逃げ出す遊女と子持ちの中年男の話という、ふた昔くらい前までに書き古されたようなテーマで、荷風が読んだら苦笑しそうな作品でした。時の芥川賞は田辺聖子の「感傷旅行」でした。

『接木の台』は二十五歳の時に読みました。「読売文学賞受賞」でもありましたし、老人文学とか、何かと話題になっていたからだと思います。

暗いな、と思いました。しかし、私はなぜか、その暗さに惹かれ、単行本購入作家としていつか和田芳恵は三本の指に入っていました。蛇足ながら、以前選ばせて頂いた「黒髪」の著者・近松秋江を歌人・吉井勇は「腕細り 筆衰えたる秋江は 閨の怨みを又も書きつる」と詠みました。その神髄に通じるものがあったからかもしれません。

『接木の台』は作者68歳の作品ですが、老齢という重荷を背負わされつつも涸れきれずに、鎌首を持ち上げてくる情欲が、生きるバネになっているのだナ、などとその頃は思いました。しかし、今自分がその年になってみると、何とも言えません。

同じ編集者出身でも、文芸春秋社の永井龍男(二歳年上)は芥川賞・直木賞の事務を仕切り、自分でも小説を書く傍ら、選考委員まで勤めました。さすがに、芥川・直木賞は受賞しませんでしたが、文化勲章を授章しました。新潮社はやや日当たりがわるいようで、和田芳恵は出版屋を立ち上げたものの、借金地獄に見舞われ、所在を晦ます始末でした。

しかし、陽の目を見ることのない情欲も、持ち味の暗さも、懐かしい作家であることに変わりはありません。就中、女性には人気のない作家ですが、一葉研究の情熱に鑑み、このたびセレクションさせて頂きました。

(文学横浜の会)


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