「文学横浜の会」

 「掲示板」の内容

評論等の堅苦しい内容ではありません。
テーマになった作品について参加者がそれぞれの感想を書き込んだものです。
  

2021年05月12日


「スクラプ・エンド・ビルド」羽田圭介

<「掲示板」に書かれた内容>

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 5月 8日(土)13時23分55秒

皆様の感想を読ませていただき、ほぼ同じ思いです。私の身辺にも、早く天に召されたいが口癖の老人がいます。嘘はないと思っています。反面、その人は、毎日、マッサージ、理学療法、歩行練習、デイサービス、病院通いの日々です。これも真剣に実行しています。矛盾に思えますが、矛盾ではなく、それが人生と思っています。重度の介護ではありませんが、私は、介護する立場です。車椅子の乗せ降り、タクシーの乗せ降り、行く先々、大変ですね、と声がかります。しかし言える事は、私の場合、介護されるより、介護する立場の方が、どれ程、幸いなことか、実感です。私は、年齢的に、間もなく92才、明日は介護される立場かも知れませんか、今日は、介護する立場です。今日の介護する立場を感謝の日々です。介護されるより、介護出来る今日を感謝しています。どれ程、幸いなことか。

スクラップ・アンド・ビルド 投稿者:成合 武光
投稿日:2021年 5月 8日(土)09時34分41秒

『スクラップ・アンド・ビルド』の感想

提供者の質問に答えながら感想を述べたいと思います。まとまりが良いようですので。
質問1 について
 老人は生きたいとも思い、また死にたいとも思っている。どちらも正解。若者にも、老人にも現れる心の状態だと思う。それも人間だから。身体の衰えは気力をも削ぐ。それについて作者はあまり考えていないようだ。気付いていないのかもしれない。それが若さであろう。

質問2 について
 作者は、真から死んでほしいとは思っていない。風呂場で溺れかけて慌てたところに、リアリティがある。恐らくそのようなことがあったのだろう。しかし、疲れていると全てを拒絶したくなる。それも人間でしょう。若さが怒りをも激しくさせる。

質問3 について
 75歳就労を政府も今奨めているが、難しいと思う。しかし、知恵を出し合い、協力し、参加していく方向に持っていくのが正しいでしょう。幾人かでも救えるなら、若者や社会の負担も少しは軽くなると思える。

 全体を通して、介護の大変さ、解決方法について作者は考えを巡らした。闘ったことが分かる。だが作品では、押し付けられている、負担になる、厭だという面が強調されている。それが現実、事実であるからだが。字数と賞をねらっての小説では、仕方のないことかもしれない。介護・福祉についてのレポートではない。
 また、作品の発表された頃は、なんとかしてくれと、叫ぶしかなかった。多くの人々がまだ知らないことも多かったと思う。2021年の今日とでは、人々の意識も少し違ってきていると思える。だが介護者の大変さは一寸も変わっていない。
 主人公の孫は休職中とあるが、家計のことは書かれていないように思えた。心配なかったのだろうか。それも、介護をする多くの人達にとって大きな悩みではないのだろうか。
 私も紙オムツをするのを逃れない。どのようなことになるのか、考えると恐ろしいばかりです。
 現代の問題について取り組んだ作品で、考えさせられる作品だと思います。

スクラップ・アンド・ビルド 投稿者:佐藤直文
投稿日:2021年 5月 7日(金)16時35分39秒

健斗(28歳)は母(60歳)と多摩グランドハイツに住む。3年前から、母の父、祖父(87歳)が同居した。
新卒で入った車販売の会社ではあったが、クレーム対応業務が嫌になり、将来に希望もないので、会社を7か月前に辞めた。就職氷河期の就活は不安の日々、アルバイトの肉体労働で腰痛を起こし、花粉症を発症する。2度寝のせいか、頭痛もある。テレビも電子音の雑音としか聞こえない。そんな健斗に、廊下を歩く祖父の杖の音が耳障りだ。

 祖父は「早う迎えに来てほしか、毎日、それだけば願っている」と言っている。それだったら願いを叶えてやろう、安楽死させてやろうと、とんでもない稚気を健斗は抱える。そこから小説は始まる。4か月間、祖父と積極的に関わり合い、健斗は祖父の戦時体験「桜花」での急降下訓練と、自分の筋トレの「急降下」の言葉の一致に、祖父の戦争一色の「青春」と就活という戦場にある自分を比べる。健斗の不注意で祖父が風呂場で溺れたとき「死ぬとこだった、助けてくれてありがとう」と感謝され、実は祖父は生きていたいのだと知る。身体のあちこちが痛み、子供たちの間をたらい回しされる祖父に同情し、共感を覚える。
 健斗が再就職のため家を出ることになったとき、祖父は駅まで送ると譲らない。その別れは互いに相手を気遣い感動的である。
 最初の「耳障り」から相手を気遣う関係に至るまでの変化を小説にして成功している。

スクラップ・アンド・ビルドとはどういう意味なのか?
壊して造ること。だめな店はつぶし、はやる店を造るという冷酷さは日本語にはない。
事業は持って30年、新規事業を創れと教えられた。「万物は流転する」ともとれる。肉体も物質的には一年半後にはすべて置き換わる。筋トレの健斗には、筋肉はスクラップ・アンド・ビルドそのもの。健斗の稚気は始め祖父をスクラップとみなした。

特に良いと思ったところ;
・老婆は6人部屋の病室で健斗に叫ぶ「殺してけれ」。代わりに看護婦が猫なで声でいう「ちょっと待っててね」
・健斗はテレビをつけた。ほぼ無音だった空間に、・・・しゃべり声がたちあがった。電源をオンにし一分もたたぬうちに視覚や聴覚を滅茶苦茶にひっかきまわされる感じが・・・気付け薬となっていた。

気になったところ;
・祖父への共感の高まりにつれて、恋人は遠ざかる。筋トレに励む健斗は売り場に立ち疲れ切った女性にも多くを期待しすぎて優しくなれない。
・あいまいな戦争体験と筋トレでの急降下という言葉の一致が作者の「ゾーン」に入った自慢? 独り善がりかと思う。

さすが芥川賞;
・老害という世代間対立の困難なテーマに挑み、ユーモアもあって、気付かせることもあり、破綻なく無理なく仕上げている。         以上

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 5月 6日(木)20時11分57秒

タイトルは、古今東西、誰でも一目で分かる単純明快が良い、と、思うのですが、チト頭を捻らないかん、とは、これいかに。

スクラップ・アンド・ビルド 投稿者:清水 伸子
投稿日:2021年 5月 6日(木)16時56分0秒

 この作者の作品を読むのはこれが初めてです。介護や死というものをあまり深刻にならずに描こうと意図した結果なのか、実感をもって迫ってくるものは感じられませんでしたが、読後感は良かったです。最後のページ「あらゆることが不安だ。しかし今の自分には昼も夜もない白い地獄の中で闘い続ける力が備わっている。先人がそれを教えてくれた。どちらにふりきることもできない辛い状況の中でも闘い続けるしかないのだ」というところが作者の伝えたかったことなのかと思いました。

*祖父は本心で死にたいと思っているのか
難しいところです。嘘ではないと思うのですが、いざ本物の死に直面すると、何とかして生きようとするのは人間の本能ではないかと思います。

*健斗は祖父に死んでもらいたいと思っているのか?
祖父自身のために、本気で安楽死するのを手伝おうとしたのだと思います。

*スクラップ・アンド・ビルドの意味
いつ崩れてしまってもおかしくない大変な状況の中でも、そこから新たな明日に向かって生きていこうとする願いが込められているのではないかと思います。

スクラップ・アンド・ビルド 投稿者:石野夏実サトウルイコ
投稿日:2021年 5月 6日(木)14時46分58秒

    2021.5.6      石野夏実

 2015年(平成27年)上半期の芥川賞受賞作。同時受賞は又吉直樹の「火花」であった。
 手元に当時の文藝春秋9月号があるので、今回は選考委員の選評も受賞者インタビューも読むことが出来たが、参考になったのはこの作品に限らず作者自身の小説を書く時に心がけるテーマ性(問題意識性)と客観性を求める姿勢であった。高校3年生で文藝賞を受賞。4度の芥川賞候補。芥川賞受賞時は29歳で、すでに12年のキャリアがある早熟な小説家であった。因みに、バラエティ番組をみないのでTVでの羽田圭介を私は知らない。

 5年前にこの小説を読んだ時は、祖父の介護に向き合っている失職中の若者の話として軽く読み流し、大して興味もわかなかった。ドラマチックな要素が少なかったのとサーッと読むだけでは心理の読みまでに至らなかったからだ。今回読書本になったことで再読したところ色々な発見があったし、考えさせられることも多かった。
 感心したのは、淡々とした描写の中にも、祖父の様子がとてもリアルに詳細に描かれていたことだ。この小説の28歳の健斗青年は、身近に介護を見ていたであろう同年齢の羽田自身と重なる。
 ただし、このレベルの介護は、それほど肉体的、精神的にきつい介護ではなく、被介護者(祖父)自身も身体機能や思考レベルの低下はあるものの、感情は少しも衰えてはいない。
痴呆症ではないからだ。

 健斗の母は、祖父の実の娘であるので、口は悪いが88歳の誕生日パーティーも開いてくれるし、食事も柔らかいものを用意したり暖かい洋服も買って用意してくれている。それを着るのを拒むのは祖父の方である。力関係は決まってしまっているので、祖父は口先だけのありがとう、ごめんなさい、すいません、を並べるばかりなのだ。
 尊厳は頑固さだけでは保たれず、卑屈さで台無しになる。些細な日常がとてもよく描けていた。
 再就職浪人中の健斗は、資格試験の勉強や英語学習、筋トレ、外出など計画的に日常をこなすことで、日中の祖父と暮らす居住空間の重苦しさを回避している。祖父に対する普段の言葉遣いも母親より悪くない。自由に使える時間を持つ失業中の健斗は「死にたい」と毎日のように口に出す祖父が、いかに苦しまないで死期を早めることが出来るかに考えを巡らす。
 本当に死んでほしいのか死んでほしくないのか、本当に死にたいのか死にたくないのか。

 後半で、ふたつの事件があった。急性心不全により引き起こされた急性肺水腫の祖父を祖父の部屋で発見したのは、健斗が外出から帰りシャワーを浴びたり雑用をこなしたりニュースをみたりした後だった。
 もう一つは、祖父を入浴させていた健斗が用足しに行っている間に、元々おぼれるのを恐がっていた湯舟で、祖父は本当におぼれていた。前者では、健斗は慌てふためき玄関のカギもかけずに祖父を車に乗せ病院に急いだ。
 お風呂場事件では、「生」にしがみつく祖父を見た。
 もし、健斗の祖父の命を閉じさせる決意が強かったならば、どちらの場面でも祖父を助けず見殺にしたかもしれない。ひとの心を持った人間だから健斗は祖父の命を救った。これでいいと思う。それが当たり前だと思う。

 健斗は、再就職先も決まり、茨城に行くことになった。彼が祖父と母と別れ新しい土地に旅立つ日、駅まで見送りに行くと言ってきかなかった祖父は、母に自動車を出させた。駅前ロータリーで降りた健斗と動き出しだ車内の祖父は、互いに顔が見えなくなるまで手を振り合った。

 それは、全ての過去を飲み込む別れだった。早まるか遅くなるかはわからないが、長崎の特養の順番が回って来たらもう会えなくなるかも知れない未来に向けての2人の別れだった。
 健斗は、京王相模原線の最後尾に乗り、慣れ親しんだ外の景色を見る。積乱雲が近づき自分がいなくなった二人暮らしを心配する。不安だらけであっても闘い続けるしかない。
 スクラップ・アンド・ビルド。新しい生活が始まる。

遠藤さんからの質問:
<祖父は本心で死にたいと思っているのか?>  そう思う時もあれば生きたいと思う時もあるのでしょう。過去に睡眠薬自殺に失敗 している。不本意な死に方と事故死(風呂場とか転倒)は望んでいなさそう。自分の置 かれている立場もしっかり把握している。だから苦しい。死はすぐ隣にあることも 承知。頭では死にたいと思うことがあっても、本当は死にたがっていない。溺れた 時の自分の慌てぶりから悟ったと思う。

<健斗は祖父に死んでもらいたいと思っているのか>
 苦痛や恐怖心がない穏やかな死、自発的尊厳死の手助けをしようと暇なので本気で 色々考え実行もした。部屋で苦しんでいる祖父を見つけ、慌てて病院に連れていく 様から、健斗は祖父の死を望んではいない。必死で助けようとしている。お風呂で 溺れそうになった時も、突然の死は望まず助けた。沈黙のあと、祖父に礼を言われ、 この人は「生」にしがみついていると思った。もう「死にたい」と言われても、手 を貸す方法を考えることはないだろう。

 <スクラップ・アンド・ビルドの意味>
 羽田氏は、自分で題名は最後に考えるタイプだという。出来上がってから色々考え たあげくポジティブな「ビルド」が浮かんで、そのあと結局「スクラップ・アンド・ ビルド」にしたらしい。
破壊と構築の繰り返し。色々なものを壊しては組み立て直し歩んでいくのも人生かな。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 5月 6日(木)07時51分7秒

タイトルの意味は、産業廃棄物の祖父とボディビルする孫の物語り、と単純に思いましたが、違うのかな、もっと深淵な意味があるのかな、以上、断片的に思いつくままに、失礼しました。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 5月 5日(水)01時35分17秒

健斗は、あまり利口でない孫という設定なのか?それで、祖父の死にたいという言葉を100パーセント信じてしまい、親切心で正直に、死なせてあげようと、心から務めるのか。それで、全体が深刻にならず、ユーモラスに仕上っているのか。

羽田圭介『スクラップ・アンド:ビルド』を読んで。 投稿者:和田能卓
投稿日:2021年 5月 4日(火)14時20分28秒

テレビのバス乗り継ぎエセ旅行番組で見慣れた芥川賞作家、羽田圭介氏の作品を初めて読みました。以下、遠藤さんが挙げられた【皆さんから聞きたい内容】3点についての私感を記します。

・祖父は本心で死にたいと思っているのか?

 お題目のように繰り返される祖父の「死にたい」という趣旨の言葉からは、病者特有の鬱病的な深刻さは感じられませんでした。が、置かれた病状・状況から出た言葉に、漠然と死を願っていた、あるいは夢見ていたのだろうとは読み取れました。しかし、実際の死に直面した瞬間、つまり風呂場で溺れそこなうという事態が起きた瞬間、憑き物が落ちたように「死にたい」などと口外する気は無くなったのでしょう。特攻隊の生き残りのようなフリをして孫に格好をつけて(死に遅れた者として)話してもいたのですが、それも雲散霧消。本当には死にたくないという姿をさらした祖父の姿に思わず笑いがこぼれました。「あ〜死ななくて良かった、死ぬかと思った、良かったよ〜生きてて」というのが本心でしょう。

・孫の健斗は祖父に死んでもらいたいと思っているのか?

 露骨に死んでもらいたいというのではなく、祖父の魂の叫びとして「死にたい」を聞き取り、ならば死なせてやりたいと考えたんだろうな、と可笑しささえ感じました。積極的な人殺し・殺人すなわち尊属殺人ではない、尊厳死=それも罪に問われなさそうな形での自然な死に方に導いてやろうと考えたのでしょう。いろいろ手を尽くして、日常的な油断から負傷してあわよくば死ねるように足元の障害物を片付けてやったり。しかし、風呂場での出来事によってこの思いは雲散霧消。未必の故意とはいえ、とんでもないことをしそうになったと気づき、震えが来たはずです。人殺し、祖父殺しをするところだったと。

・スクラップ・アンド・ビルドとはどういう意味なのか?

 風呂場事件以降、祖父と健斗の言動にここまでとは違う前向きさが感じられることから、スクラップ・アンド・ビルドには、「再生・立ち直りの方向へと歩みはじめる」という意味が込められているものと考えます。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 5月 4日(火)13時32分28秒

小川洋子の選評を読んた。祖父と孫の間に立ちのぼる不気味な闇の小説になる可能性があったが書ききれていない。なるほど、さすが。

『スクラップ・アンド・ビルド』を読んで 投稿者:藤本珠美
投稿日:2021年 5月 4日(火)06時46分56秒

祖父は「死にたい」と言っていて、ベクトルが死へと向かっているように思えるが、意志とは関係なく、肉体的、精神的にはベクトルは生へ向かっている。
最初それに気づかなかった健斗は、祖父の「尊厳死」の思いを叶えるために、祖父に過剰な介護をしようとする。そして自分の肉体を鍛え、そのエネルギーは精神的なものにもなってくる。
けれども祖父のことば、行動の矛盾、特にp98,99 の「すばしっこく走る珍獣の姿が明滅した」という部分などから、p100,p101 の、「素人は引っこんでろ!〜赤児が泣き出した」といういきさつを経て、p143「自分は、大きな思い違いをしていたのではないか」という、祖父は本当は生きようとするベクトルのなかにあるし、肉体的、精神的にも生きるエネルギーを備えていることを健斗は理解する。茨城へと向かうラストシーン近くは、積みあげてきた日々がゆるやかな展開になっている気がするが、この部分が、『スクラップ・アンド・ビルド」の「ビルド」のことなのでは・・・?

スクラップ・アンド・ビルド、雑感 投稿者:金田清志
投稿日:2021年 5月 3日(月)18時37分39秒

読み始めてまず、若者からみた老人問題を扱った作だな、と感じた。

読み終えて、最近亡くなった橋田寿賀子の「安楽死」、それに上野千鶴子「在宅ひとり死のススメ」をちらっと思った。

この小説は若者の視点で書かれた老人問題の一部には違いない。 子供の間でたらいまわしにされ、書き手である健斗の母親でもある娘にも邪険に扱われている祖父が描かれているが、そう扱われる要因については触れていない。

私は老人問題と年金問題は類似している、或いはリンクしていると思う。
どちらも若い頃はそんな事は遠い先の事で考える事すら出来ないが、いずれも必ず誰にもやってくることなのに、多くの若者には考えられない、考えたくない事なのだ。 30年先、40年先の事は、いや若者にとっては10年先の事さえ考えられないのが若者かも知れない。

この作の中の老人は同居している娘(日常の生活に追われている)になんら生活の援助もできないのだろうか。
小説中ではそれには触れていない。
作中で「死にたい」と呟くのは老人の本心とはとても思えない。
小説とは離れるが、私の友人の母親がそのような事を呟き「参った」と友人がこぼしていたのを思い出した。 96歳になる友人の母親は介護施設に入居したが、目も衰え、耳も満足に聞こえず、体も満足に動かせず、ベッドで1日中過ごしていたそうだ。生きていても楽しみがないから「早く死にたい」と。 それから食も満足に取れなくなり(取らなくなり)、結局、友人の母親は97歳で亡くなったそうだ。

元来、仏教には「自死」の思想があると思う。修行の一つ「断食」の考えだが、食を断つと言う事は「死」を意味する事ではなかろうか。過酷な修行と言われる千日回峰行に、断食の行があり、一度死の世界に近づく行だと言われる。
つまり「死にたい」と呟くにはそれなりの事があり、橋田寿賀子が「安楽死」と言うのもそれに繋がると思うのだが、この作品世界では生きたいの裏返し、或いは単なる戯言のようにしかお思えない。それに死とはもともと孤独なものなのだ。 思いつくままの読後感だが、この作は若者から見た老人問題を扱った作には違いない。

スクラップ・アンド・ビルドを読んで 投稿者:山口愛理
投稿日:2021年 5月 2日(日)17時49分57秒

羽田圭介は初めて読んだが、テレビで見る茫洋とした人物像そのもののような作品で意外と面白かった。介護や医療・社会問題、安楽死、死生観など重たい題材のわりに何かとぼけた味わいが漂う。重く深刻になりすぎず、軽すぎでもないのが良い所。

「死にたい」が口癖の87歳の祖父と、平凡で仕事も無く、さほど美人でもない彼女がいる主人公の健斗。資格試験の勉強と就活のかたわら祖父の面倒をみている。祖父に対する口ぶりは母ほど辛辣ではないが、祖父の希望を叶えるためにわざと過剰な介護をし、祖父の体を弱らせて死に近づけようとする。体の機能は使わなければ衰える一方なのだ。

健斗は毎日筋トレに励む。まるで筋肉をいじめて一度壊し、再構築して更に強くしていくように。その過程は人生と同じなのか。一方、「死にたい」と言っていた祖父は実際には生きたがっていた。風呂で溺れそうになった祖父を助けた健斗はそのことに気づく。

やがて健斗は彼女と疎遠になり、就職が決まって一人で家を離れる。自分より弱いと思っていた祖父はもうそばにいない。少しの希望と大きな心細さを携えて彼は旅立つ。ラスト近くのこの辺の心情の描き方は秀逸。

長崎弁の祖父の言い回しが可愛くて、ちょっと狡猾なところもあるのに憎めなかった。「じいちゃんのことは気にせんで、頑張れ」は本音だろう。主人公を柄本佑、祖父を山谷初男が演じたNHKドラマが過去にあったと知って、ああ、それはピッタリのキャスティング、観てみたいと思った。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 5月 2日(日)07時43分26秒

健斗が風呂場に戻るのが、もう少し遅ければ祖父は、溺れ死んでいたでしよう。裁きはどうなるのか。 かつて、私は高名な社会学者と果敢に論争しました。彼は神の裁きは、行為にありと講演しました。私は反対です。 神の裁きは行為の前の思い、心にある、と主張しました。今もかわりません。それぞれの主張には、 それぞれの論拠がありましたが、ここでは関係ないことです。 私の主張は今も変わりません。祖父が溺れ死んだ場合、事故死とされるでしよう。しかし神が許したもうか、どうかは、別です。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 4月30日(金)19時07分41秒

高瀬舟、打ち損じ、

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 4月30日(金)00時01分59秒

身体の不自由な祖父を風呂に入れて離れたら、溺れることは、健斗に分かっている。溺れを半ば期待して、離れた。 戻ると、祖父は、溺れかけてもがいている。手を引っ張って死にたい祖父を助けてしまう。人間味のあるところ。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 4月29日(木)17時36分6秒

すこし角度を変えます。祖父は死にたい、が口ぐせだ。健斗は、祖父を風呂に入れ、意図的ではないが風呂場から離れた。 戻ると溺れかけて藻?いている。慌てて助けた。このとき溺れて死んでいれば、どう裁かれるのか。 安楽死や、潜在意識による殺人や、自殺幇助は、古今東西、文学者の好んで取り組んたテーマです。 鴎外の高須舟、直哉のハンの犯罪、ホーゾーンのスカーレットレター、などなど、人間社会の裁きは行為の結果だが、 神の裁きは、行為の前の思いであり、意識とすれば。

スクラップ・アンド・ビルド」羽田 圭介著の感想 投稿者:金子えい子
投稿日:2021年 4月29日(木)13時49分11秒

今度のテーマのスクラップ・アンド・ビルドは、まさに現代の高齢社会を書いたもので、題材は面白いですね。
 英語ではSCRAP and BUILD  すなわち、「ぶっ壊して建て替える」の意味ですが、広範囲な意味で、「だめでもともと」という差別的表現にも使われています。
 すなわち、老化した人間は、或る段階でダメになり、それはもはや作りな
おすことはできないという意味で、人間の現代の生きざまを表現しています。

 この小説ではすでに死期が迫った老人がそれでも、孫の勢いある生命力で、命を保ちつつ、その余命の中で、本来の性欲などの欲望にも手を掛けつつ、それでも「ダメでもともと」なのが、如実に書かれていて、大変面白い題名の広いものだとこの本を読んだ時に感心しました。
 わたしも86歳の今になって、10年前には夢想だにしなかった日々が私の現実となってきている昨今、この小説の中身にはいささか恐れ、弱音を吐きたい気分になっています。

 多分70歳以上で、現在暇な時間を持て余している男性には、胸に響くものがあるでしょう。
 孫や娘の存在は,構成を面白く現実化していく為の飾りでしょうが、このような家族は巷にごまんといます。個々に少しずつ、実態はちがうでしょうが、似たようなところでしょう。
 高齢化する人間社会、その中で生きている人と、周囲との抗い、日本のみならず、これからも続く世界的な人間社会の宿命でしょうね。

 以上が私の読後感です。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 4月29日(木)11時20分14秒

老人を産業廃棄物と考えたとき、その社会は崩壊する、自滅する。老人には王冠を与えよ。ボーボワールのことばです。 至言と思います。枯木も山の賑わいといます。枯木はやがて倒れて腐り、土となり堆肥となり、新しい木、新しい芽となり再生します。 もし目障りとして、伐採続ければ、その森、その山は、やがて荒廃するでしよう。自滅するでしよう。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 4月29日(木)09時21分28秒

人間の行為の結果は、ニ者択一です。祖父にとっては生きるか、死ぬべきか。健斗にとっては、介護を続けるべきか、 祖父の死への願望を叶える手助けするか、どうか。しかし人間の心の動きは、ファジィです。さまざまに揺れ動きます。 一概にとらえられません。人間の行為の結果を裁くのは、人間の作った法律であり、心の動きを裁くのは、神様の役割りどす。 と、思っています。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 4月29日(木)08時21分51秒

本は、ざっと目を通しただけですが、すみません。祖父は、死にたいと、口ぐせのようにいう、健斗は熱心に介護しながら、 ときに、祖父の望みを叶えてやりたいと、チラッと心をかすめる。 どこにでもある話です。普通の話です。死にたいと思いながら、必死に生きる、治療にはげむ。時に望み通り死なせてあげたい、 と、チラッと、心からをかすめるが、熱心に心から介護する。これは、矛盾でもなく普通の行為てあり、 普通の健康的な心理でしよう。続く、

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 4月29日(木)07時41分2秒

ある有名な、社会学者、神学者の講演会で私は、疑問を投げました。 その学者は、神様は、要するに人間の行為の結果で、罪かどうかを決められるのだ、と講演しました。 私は反対と思います、と、主張しました。続く、

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 4月29日(木)07時20分29秒

かつて、読書会で、志賀直哉のハンの犯罪を取り上げました。皆様ご存知と思います。何を罪とするか、 というテーマです。これも皆様よくご存知と思います。ハンという、シナの手裏剣投げの曲芸師がいました。 妻を標的に投げていました。妻をこよなく愛していましたが、妻の姦通を知り、それから激しく憎む心と愛する心の間で苦しみます。 妻を殺したいと思うときと、反対のときと。ある日、妻に当てないように投げたのに、妻に当たり死にます。 罪かどうかというテーマです。続く。

スクラップ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 4月27日(火)12時17分2秒

本は、ざっと目を通しただけですが。昔、私が20才台の頃、ボーボワールの言葉か、至言として、 今も心に残っています。曰く、老人を産業廃棄物と考えたとき、その社会は、自ら崩壊するだろう。老人には、王冠を与えよ。 その事をある場所で、私が語ったとき、すかさず反論がたあった。すると、世の中、王冠だらけになる。王冠が足りない。

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