「文学横浜の会」

 「掲示板」の内容

評論等の堅苦しい内容ではありません。
テーマになった作品について参加者がそれぞれの感想を書き込んだものです。
  

2021年06月08日


一月物語 投稿者:林 明子
投稿日:2021年 6月 7日(月)19時51分18秒

読み始めてすぐに、今までに見たことのない表現が次々に出てきて、初めて目にした言葉を辞書でひいたり、知らなかった漢字を漢和辞典でひいたりと驚きながら読み進めました。
いろいろ調べながら、この作者の頭の中はなんとたくさんの語彙であふれていて、表現の豊かさに満ちているのだろうと羨ましいと思いました。
そして、その一見難しいと思える言葉の数々によって物語の世界が構築されていて、独特の雰囲気…雅やかな匂いと少し不気味な予感がずっと放たれていて、いろいろ辞典で調べながら読み進めていく割には、かなり夢中で読み終わった本でした。
ラスト、高子は死んでしまいますが、真拆の姿はないという終わり方も、物語の終わり方として読者にいろいろ想像をさせる余韻をもたらしているという点で、良かったと思っています。
「月を象徴とする神話的な物語」とありますが、どちらかというと「月」よりも「揚羽蝶」のほうが印象に残りました。

一月物語 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 6月 5日(土)14時48分19秒

皆さんのご感想で、疑問、だいぶ理解してきました。この文体は、緊張感と、格調の高さを、ちゃんと計算しでのことと思います。それと、神秘性、幽幻さを演出するための、したたかな計算と思います。凄いと思います。ありがとうございます。

「一月物語」を読んで 投稿者:中根雅夫
投稿日:2021年 6月 5日(土)14時14分45秒

平野のことは擬古文で書かれた小説が発表当時20代前半の若さとの奇妙なギャップによって文壇に衝撃を与えたことは知っていたが、読んでいなかった。今回、「一月物語」を読んで、その晦渋な文体に辟易し、途中から英文を粗読するように不明な語彙を敢えてスキップして、ともかく読了した。
プロット自体は複雑ではないが、擬古文の表現がいわばそのことをカモフラージュしているようにも覚えた。プロット上で不整合な点も感じたが、それもこの作品のある種の幻惑性に効果的であるように思った。
擬古文の表現に対してペダンティックであることの批判もあるが、平野自身によれば、擬古文が「必要だと思うから使った」ということになる。ちなみに平野はまた、「超越的体験を可能にするのが芸術だ。格調の高さが必要だし、鑑賞する側にも努力がいる」と発言している(傍点、中根付す)。
いずれにせよ、才能溢れる作家であることに異論はない。

一月物語 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 6月 5日(土)01時48分51秒

そういえば北村透谷だ。ずっと、そう思っていた。青空文庫で、今読んだ。リズミカルな擬古文だ。たが何という美しい調べか。音楽だ。陶酔する。ひきこまれる。七五調という程ではないが流れるような文章。平野啓一郎は、天才的た。しかし、文章がゴツゴツしている。天才を妬んて、ちょっと、ケチをつける。

一月物語 投稿者:成合 武光
投稿日:2021年 6月 4日(金)11時43分54秒

『一月物語』の感想

 この作者には、天才という称も不思議ではない。世には、まさしく天才として生まれてくる人が居るのですね。愚鈍の者の私は驚嘆するばかりです。

 透谷や三島に心酔したという作者です。加えて無限の時間があると感じられる青春。習い覚えた知識に陶酔もしているでしょう。まさしく青春の走り(奔出)でしょうか。羨ましく思いました。

 十津川村とか、八つ墓村の地名は、ミステリー文学の地として名前だけは知っていました。500m級の山が折りなす秘境に近い地とのこと、この本の解説で知りました。静寂と空の陽のみの世界を想ったとき、古代の神話、口承文芸の発祥の所以が、私にはやっと理解できたような気がしました。ありがたいことでした。

「一月物語」感想追加です 投稿者:石野夏実サトウルイコ
投稿日:2021年 6月 3日(木)11時07分26秒

「一月物語」感想追加    2021.6.3     石野夏実

 「一月物語」しか今の時点で読み終えていないので、他作品を参考にすることもできない。しかし、この作品を読んでの読書会であるから、これのみからの読後感を少々付け加えます。
 昨夜に投稿し終えて、果たして平野の文章は、正確に言えば何というものなのだろうと思いました。今朝、鴎外の擬古文小説「舞姫」「うたかたの記」を少し読み返しました。明らかに違います。
 平野の文章は、漢字の使用が鼻につくほど衒学的であるが、文章自体も会話も現代文である。そのギャップに違和感を覚えるか、平気で読み進むことができるかで好き嫌いが別れるのであろう。
 私は、話の内容が目新しいものではなく、女将の狂言回しもありきたりで、蛇と美しい娘との間に生まれた薄幸の娘と夢か現か狂気の恋に落ちた若者の死、これは手あかのついた物語であると思ったので、NOだったのです。
 しかし、氏の才能も膨大な知識も読書量も自信も完璧主義も、どれも否定するものではありません。彼が自分で命名した「ロマンチック3部作」の残りの2作品の方が、彼らしい小説なのかもしれませんので、読んでみたいと思います。

一月物語 投稿者:清水 伸子
投稿日:2021年 6月 3日(木)10時35分44秒

 読み方が分からない、意味も分からない漢字の多い事にまず驚いた。分からないなりに耽美的な世界に惹かれて最後まで読んだが、終盤になるとストーリーへの違和感が強くなった。高子の比類なき美しさに惹かれるのはわかるが、それを愛と呼べるのだろうか?この物語の不可思議な世界、そこに表出する感情を愛という言葉に限定したとたん、かえって何か薄っぺらいものに変化してしまった感じを受けた。
 でも、確かに傑出した作家だと感じたし、この読書会のおかげでこの作家に出会えたことに感謝している。

一月物語 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 6月 3日(木)05時13分14秒

平野啓一郎は、なぜ擬古文を使うのか。本人に聞けば良いが、正直に答えてくれるか、どうか。少年時代、鴎外の擬古文、舞姫を抵抗なく読んだ。格調高い初恋?物語だ。明治の作家は、よく擬古文を用いた。こちらも慣れていて、普通に読むことができた。平野啓一郎の擬古文は、抵抗があった。私の老いたせいか。慣れなくなったせいか。鴎外が、舞姫に限って、なぜ擬古文なのか。私のゲスの勘繰り、初恋の照れ隠し。さすが鴎外さんも人間。

「一月物語」感想 投稿者:石野夏実サトウルイコ
投稿日:2021年 6月 2日(水)20時00分47秒

「一月(いちげつ)物語」感想     2021.6.2  石野夏実

 この6月の読書本を手にした時、平野啓一郎が「日蝕」で芥川賞を受賞した1999年の頃の記憶が蘇った。彼は現役大学生、しかも文学部ではなく法学部の学生。世間(=マスコミ)は、私小説ではないその作風とスケールの大きさに注目をして、もてはやした。
 類まれな京大生大型新人の登場は、文学世界で別格の扱いだったような気がする。そのおかげで、どれほどの人が完読したのかわからないが、「日蝕」はベストセラーになり40万部を売り上げた。

 今回の読書本は「一月物語」であるが、文庫には「日蝕」も入っているので嫌でも目に入る。「一月物語」の読みにくさに辟易していたので、ちらちら脇見をする。
 両方とも、同じような手法でどこから探してきたのかと思われるような難解な語句、ルビが無ければ部首や画数で調べながら読み進むしかない漢字ばかり。それでも探せば必ず存在しているので、大したものだと褒めるべきなのだろうけれど、この手法は私は好きではない。平仮名で書けば、緩やかで見た目ももっと美しい表現になりそうな気がした。
 おどろおどろしい内容と共に漢字の悪趣味は、選考委員だった三浦哲郎や石原慎太郎のいうように「衒学的」だとも思った。
 彼は結構インタビュー好きなようで、いくつもの記事を読むと氏の骨格が浮かび上がった。意志の強さと完璧主義者で自信家、すこぶる頭の良い秀才。気に入った小説家を完璧なまでに読破し、全て読みましたと言い切れる自信。努力を努力と思わずに物事を極めるまで突き進める様は無限努力の天才なのだろう。
 本人のインタビューに書いてあったが、ワープロで打っても漢字変換できないものは、すごく苦労して、作字機能を活用して作字したとのこと。
 一月物語は、別に目を見張るような目新しい創作物とは感じられなかった。使用している漢字が、普段我々が目にするものを意図して避け、これでどうだ!参ったか的な文字で埋め尽くされ、例えば「霧」と書けばいいものを「細小波」、「彼」とは書かずに「渠」。「渠」は、ルビが振ってあったりなかったり統一されてなく、ずさんなところも。また「スッと隠す」など「スッと」は今風の表現でしょと突っ込みたくなる。「見毒」これは作者の造語かと思ったけれど、どうなんでしょう。「いちげつものがたり」なので、「ひとつき」の間の出来事なのでしょうか。

 遠藤さんが映画の方で、氏の2016年作品「マチネの終わりに」(2019年公開)を鑑賞され感想を書かれていたのに触発され私も早速観ましたが、なかなか良かったので原作をアマゾンで注文しました。まだ手元に届いていないのですが、初期のロマンティック3部作「日蝕」「一月物語」「葬送」とは文体が違い最近のものは読みやすそうです。
 色々書きましたが、おそらく創作作品のスケールの大きさ、歴史観世界観、ちまちました日本独自の私小説ではない独自性、いろいろな観点から慮れば、ノーベル文学賞に最も近い日本が誇る小説家であることは確かだと思いました。
 ※twitterでの彼は、フォロワーが14,2万人。発信はリベラルで毎日のようにtweetが流れてきます。lineもしていて友だち登録2,5万人ほどです。

一月物語 投稿者:杉田尚文
投稿日:2021年 6月 2日(水)08時30分27秒

著者の小説は初めて読みました。頭ひとつ抜けている作家と思いました。知ることができ、読書会に参加して良かったと思います。

吉野の山に魅かれ、ついには、さ迷って帰らなかった会社の先輩を想いました。杉木立の古道、山桜が繁茂する谷を一度は歩いてみたいと思います。

鬱病の青年詩人が蝶に誘われ、山中をさ迷う。蝶は蛇の化身? 蛇は青年を噛む。

女将の語りの芸は流暢、蛇は大蛇に襲われた娘の子、高子だった。噛まれた青年は毒に浸され、高子の幻から逃れることが出来ず、山中に戻り高子と心中する。廃仏毀釈は十津川では苛烈なものだったのだろう、大蛇の隠喩は僧を山に追った廃仏毀釈か? 

引きこもりの青年が旅に出て、激しい恋の嵐を制御出来ず死に至るまでを華麗に描写した。

「日蝕」も悩める西洋の僧のさすらいの旅の物語、対だろうと思います。「一月物語」の題名は「月蝕」の方がよい。高子の赤い目の色は月蝕が似合いそうです。

100分で名著、「金閣寺」三島由紀夫の解説者として先月登場していました。中学生で読んで感激したとのこと。そこから、ランボーなどの仏文学を読み、文学に夢中になったという。語彙の豊かさは当時の日本語訳者、小林秀雄等の影響らしい。?外の全作品も読了したらしい。著者は最近の小説家には珍しく、政治に口をだす。政府答弁で菅首相が原稿に頼ることを批判した。普通は手元に原稿が必要で最初は読むことになるでしょう。著者は才能があるから原稿を必要としない。普通の人が馬鹿に見える。そのことはしっぺ返しを受ける、注意した方がいいよ。

著者は文人ならぬ「分人主義」を唱えていて、個人を分けて、例えばテニス、読書会、会社、家族、地域、それぞれの仲間と分人としてかかわっていると説く。私には、大阪ナオミ選手もこの「分人主義」を知ってほしいと思う。説得力があり、やさしい主義もある。

著者は中高の私立校、東筑高校の出身で高倉健と同窓とのこと。

三島、大阪、高倉と並べると、その孤独感が際立ってきます。著者のノーベル文学賞の受賞を期待します。読んだことは私にとってコロナ下の貴重な収穫でした。

『一月物語』を読んで 投稿者:遠藤大志
投稿日:2021年 5月31日(月)09時59分29秒

 まず初めに和田さんが初めて読書会テーマに選んだのが本作「一月物語」だったことに納得しました。和田さんの勝手な印象は、行為伝承(民俗行事や芸能など、その行為が伝承されていくこと)と口頭伝承(神話や叙事詩、伝説、民俗語彙など口頭で伝承されるもの)の両方に興味があり、それを作品に反映しているイメージがあったからです。間違っていたらごめんなさい。和田さんの作品には「ファンタジー」と「言い伝え」が融合しております。
 さて今回初めて平野啓一郎の作品を読みました。難解です。ストーリーはそんなに複雑ではありません。
 書き方です。一にも二にも文語表現が難しい。大体の意味は何となく理解できるが、詳細なニュアンスが伝わってこない。それが作者の「狙い」であるならば成功していると思いますが、ここまで首尾一貫していると、自己満足にしか感じられない。俺は天才だと言っているようにも感じてしまう。
 高子(妖艶な鴉揚葉)に誘われる様に奈良県十津川村往仙岳を目指す24歳の井原真拆。
旅の途中、真拆は山中で蛇に噛まれ気を失い、目が覚めたときには、山奥の寺で円祐という和尚に看病されていた。和尚からは寺の奥の小屋には、病を患った老婆がいるため、近づかないようにと釘を差される。
怪我が良くなるまで、真拆は寺で過ごすことになるが、毎夜のように裸の女の夢を見る。
 やがて円祐から傷も癒えたので、山を下りるよう諭される。下山の途中で旅館の女将から蛇との間に生まれた見毒(その姿を見たら死ぬ)を持つ高子の話を聞く。
真拆は再び山を登り始める。蛇に噛まれた傷跡は再び悪化し、満身創痍になりながら高子にその姿を一目見せて欲しいと懇願する。話はここで真実の純粋な愛に帰結し、高子は死に、真拆の姿は無く、一匹の胡蝶が舞い上がる。
伝承であり、ファンタジーである。23歳という若さで芥川賞を取った天才である。若さゆえに究極の物に挑戦しすぎている感じがする。
 話は変わるが平野啓一郎という作家を初めて知り、2年前(2019.11)に公開された「マチネの終わりに」という彼原作の映画を観た。本作品はファンタジーでもなく伝承的要素は全くなく、クラシックギタリストと海外を飛び回る女記者との大人のラブストーリーである。彼も今40代半ばという年齢になり、ようやく角が取れて世俗的文学作品で秀作を書くに至った。本作品を観て平野の実力の高さを改めて実感するに至った。

『一月物語』を読んで 投稿者:藤本珠美
投稿日:2021年 5月27日(木)03時01分19秒

『一月物語』を読んで
美しい作品だと思った。
自然という、人間には支配しきれない、ものすごい力。
主人公が詩人であるという設定が、良いと思う。
詩はことばを用いる表現だが、かぎりなく音楽にちかいような気がしていて、ことばになる以前のエネルギーを持っているとしたら、この小説の自然と一体化してゆく描写の力強さは素晴らしいと思う。特に256ページ「自然の風物に〜」から258ページの「己とは何であろうか」までの文章が印象に残る。
後半、主人公は高子に会いにいこうとするが、そこに立ちはだかる自然、そこを貫いて成就する二人の恋と死とを、情念がたかまったり、静かに描かれるラストシーンなど、リズムがあり、夢中になって読んだ。

平野啓一郎著「一月物語」読後感想 投稿者:金子えいこ
投稿日:2021年 5月25日(火)06時26分2秒

平野啓一郎著「一月物語」

大変苦労してよみました。 新しい古文文体でしかも使用されている漢字などが、正しいのかどうか迄考えると、時間を取られ、文章の内容、作者の言わんとするところまで、到達するのに、大変時間がかかります。  このような文体、漢字の使用法などに興味をもっている読者なら、面白がるかもしれません。

内容的には、全国各地方でよく耳にするその地に関する妖怪じみた物語であり、蛇や女性、老婆、老僧、そして辺たりの風景の描写なども、使用されている、古語漢字を除けば、あまり変わりなく、作者が何を言いたいのか、暗示したいのか全く不明です。当節、このような文体、古語単語、を使用する作家が希少なので、賞をうけたのか?とさえおもいました。  能や短歌の世界ではこのような古語、漢字などは当て字などにもよく使用されていますし、私自身、戦記物、歴史物など、古文書が好きですが、やはりかなりつかれました。

文章内容はともかく、文体読破で読者がつかれることを計算に入れたような物と思考します。

前の部分の日蝕も同じようなものですね。 太陽と月から、まつわる怪奇を描こうとしたのかもしれませんが、21世紀の評価には疑問大ありです。

他がやってないことにチャレンジする作家の意図が透けて見える気がしたのは、こちらのあやまりでしょうか?

「一月物語」余談 投稿者:金田清志
投稿日:2021年 5月24日(月)10時31分44秒

<余談ですが>

先に「老爺は天誅組の亡霊」と書きましたが、主人公を吉野へといざなう老爺が、天誅組の生き残り、と作者が設定したのはどのような意図なのでしょうか?

日本には、特有の恨みを抱いて亡くなった者の怨霊伝説が各地にあり、そのイメージで読んだのですが、どうなのだろう。

またこの部分は能の世界を思わせもします。怨霊の化身が出てきて幽玄の世界へと導く。
作者の意図は果たしてそのようなイメージなのだろうか。

<続・余談ですが>

P351 後2行目 「 …。世界には、愛したいと云う情熱しかない。愛されたいと云う願いは、断じて情熱ではない筈だ! それこそがあのラッブというものなのだ! 俺は、その情熱の渾てを以って、今、女の許へ行こうとしている。そのヒトミを見ようとしている。…俺の情熱はどこまでも俺のものだ。…」

 とあるが、これも意味深い。これでは愛される方(恐らく、多くの男に愛されるものだから)美しい女にしてはたまったものではない。
こんな情熱で多くの男に迫られては、まともな人間ならたまらないだろう、と推測する。
美しい女がしばしば不幸になるのはこの小説の世界ばかりではない。これも作者の書きたいことなのだろうか?

<おわりに> 他にもこの小説には色々な要素がつぎ込まれていて、当方にはどう解釈していいのか判らない面もあるが、久々に重厚な作品を読んだ感覚が残り、これ以上書くのはしんどい!

平野啓一郎は三島と同様な教養と才覚を兼ね備え、2作を読む限り作風も細部まで計算されてた作風だと思う。
でも当方のような凡人には、こういう作品はとても疲れる。

「一月物語」平野啓一郎、感想 投稿者:金田清志
投稿日:2021年 5月24日(月)10時26分40秒

今回のテーマとなった「一月物語」はなんとも奇妙な物語だ。
<以下、私のPCで作品中の漢字を表示できるか不明(或いは時間が掛かる)ので、省略又は現代風に表示>

………
作品の内容をかいつまんで述べると、

時代は明治30年初夏、
主人公は25才の青年であり、詩人でもある井原[マサキ]
主人公がかつて旅した東北の松島に旅に出る事から物語が始まる。

因縁1、
 主人公は新橋駅で不思議な魅力のある令嬢に出逢い、旅先を吉野に変える。
 吉野へ之けば、どこかで女と再会できるかもしれぬと曖昧に、半ば本気に信じて。

因縁2、
 途中、薄気味悪い老爺と出会い熊野へといざなわれる

 老爺は天誅組の亡霊、狂疾の亡霊のようで主人公は不気味に思う
 鴉揚葉(胡蝶)が登場し老爺に変わって主人公をいざなう
 胡蝶は女のまぼろしのようでもある。

最後の因縁、
 胡蝶にいざなわれて主人公は高野詣の街道から外れていつしか森の深奥をさまよう
 主人公は森をさまよっている最中に不吉な想いに憑かれる
 いざなう胡蝶が先日、新橋で出逢った女ではないかと。

主人公は山中をさまよっている際に毒蛇に噛まれ生死をさまよい、気づくと往仙岳の山中、寺と思しき床にいる。
老僧(円祐)に助けられたのだ。

傷もだいぶ癒えたある日、円祐から禅堂の向うにある小屋には近づかないようにと言われる。
ライ病の老婆が人目を避けていると言う。

それならばと納得するが、主人公は若い女の妄想に取り憑かれる。

円祐は病が癒えたのだからと、主人公のためにも山を下りた方がいいと促すが、若い女の妄想に取り憑かれた主人公はもう少し留まりたいと思うが、円祐の忠告もその通りだと、山を下りる。

往仙岳を下りる前夜、主人公は小屋にいるのはライの老婆ではなく、若い美しい女だと知り、夢にまで出てきた恋する女だと思う。
が、女・高子は寄せ付けない。

主人公は往仙岳の近くの小谷の旅籠に留まらざるを得なくなる。
そこの旅籠の女将から高子に関する奇妙な話を聞き、主人公は高子こそ、自分が愛する女だと、再び山へ向かう。

以上が大雑把なあらすじです。 ………

当方が特に注目したのは下記の一説です。 P306 9行目 「何様、不思議と云うものは、事実と比せられればこそ不思議である。これは、桜の木には桜の花が咲くと云う事実があるからである。例えば、桜の木に梅の花が咲けば、不思議である。これは、桜の木には桜の花が咲くと云う事実があるからである。…。 しかしそれらの個々の事実を、固より無意味にしてしまうような、一なる大きい不思議があるならばどうであろうか。その時人は、個々の不思議を最早不思議とは想わぬであろう。何故と云うに、そこでは比せられるべき事実そのものが成り立たぬからである。」

 つまりこの小説では「一なる大きい不思議」が因縁1の新橋で出逢った女に一目惚れしたことではなかろうか。
そしてこの大きな不思議がある事によって、恋する男にとって、恋した女に対するうつつと幻想或いは妄想との違いは無くなり、女にまつわる如何なる変事の何事も不思議ではなくなる。

そして新橋で出逢った名も知らぬ女が、いつしか主人公の中で高子へと昇華していった。

この小説は主人公に起こった、所謂、一目惚れから破局に至る、一月の間の恋物語、として読みました。

平野啓一郎、感想 投稿者:金田清志
投稿日:2021年 5月24日(月)10時18分10秒

平野啓一郎の作品を初めて読みました。

まず「日蝕」を読み今回のテーマの「一月物語」を読み、三島由紀夫の再来と謂われる所以も納得し、且つ、和漢和洋に亙るその知性は、正に三島の再来とも言われる所以でもありましょう。

今回読書会担当者の提示した新潮文庫本で読みましたが、当方にはルビも多く読み易かったですが、作者が意識して作品の内容に沿った時代の語彙を用いているのか、とっつきにくい面もありました。
しかし作者の語彙の豊富なことには脱帽!

今回のテーマではないですが「日蝕」では、今日コロナで揺れている現代と、千四百年代のヨーロッパとが重ねて思われた。
聖職者の堕落や感染症や天候不順による不作で社会不安に陥り、それは魔女狩りに至り、社会での異形の者がその犠牲者になる。

小説中では両性具有者や錬金術に熱中する偏屈者が犠牲になる。魔女狩りで処刑の最中に「日蝕」現象が現れ、民衆は益々魔女の仕業と不安におののく。
両性具有者とは現代風に言えばLGBTに該当する存在なのではないか、とも思った。

「日蝕」「一月物語」ともに25歳前後の青年が書いたとは驚きです。

一月物語 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 5月21日(金)00時35分16秒

平野啓一郎は三島由紀夫の金閣寺に衝撃を受け、文学の道に入ったという。三島文学の影響は強い。神経衰弱の、つまり鬱病の青年が山深い十津川郷に旅し、毒蛇に噛まれ、意識を失い、うなされ、夢うつつながら、さまざまな人物や女と出合い、さまざまな怪奇な事象に遭遇する。が、それらは、すべて、現実の出来か、夢幻の中の出来事か。精神性を凝固した。神秘の世界。能の世界を思わせる。しかし、三島由紀夫のあの華麗な官能美は、ない。

浅丘邦夫さんへ 投稿者:和田能卓
投稿日:2021年 5月18日(火)10時16分2秒

わたくしも昨日着の単行本で再読いたします。読みづらさは途中から軽減されるように思います。ご感想の書き込み、よろしくお願い申し上げます。

一月物語 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 5月17日(月)07時51分1秒

平野啓一郎、23才という若さで、この作品群、天才的というか、鬼才というか。驚嘆します。個性的な故に、好き嫌いは、大いにある。一月物語、読み始めたが、難しい擬古文体と、ルビ、遅々と進みません。かつて日蝕の時も、ギブアップした。内容が、神秘主義的傾向があり、大きく構えた作風が、この文体と似つかわしいのだろうか。かんぱって、読み進みます。

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