「文学横浜の会」

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評論等の堅苦しい内容ではありません。
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2021年10月06日


『三四郎』 投稿者:成合 武光
投稿日:2021年10月 1日(金)21時45分25秒

 『三四郎』の感想    成合武光

熊本から上京する列車の中。髭を生やした先生らしき人物と同席になる。あんぐりと口を開けてものを食べている。・・風情と言い、話しぶりと言い、まさしく苦沙弥先生だと思われる。果たしてこの先生と何処で繋がるのだろうと、興味津々でした。学友の紹介で、先生の家を訪ねる。・・巧い筋立てだと感心しました。同時に時代がかっているな、やはり、明治は遠くなっていると思いましたが、それも却って面白く読みました。

 漱石・鴎外は余裕派、高等遊民などと、その時代の評があったことも思い出しました。文章からは確かに、余裕を感じます。このような書き方もあるのだなとは、文横の会員にならなかったら、思わなかっただろうなとも思いました。

「迷える羊」も女性の方が早く大人になる。男女共学などもなかった時代であれば、三四郎の惑いも自然かなと思います。それを見ている目が現代の人間、現代の若者を見ているように自然です。つくづく漱石は偉いと思いました。

若い時にも読んだことのある『三四郎』ですが、その時はなぜ「迷える羊」なのか、良く分かりませんでした。三四郎が恋をしているとは、全く思えませんでした。単純でした。この機会がなかったら、再び読むこともなかっただろうと思います。感謝します。

三四郎 投稿者:佐藤直文
投稿日:2021年10月 1日(金)18時07分39秒

画家のことを画工と書いたり、えかきと仮名をふったり、口語表現を創出している現場でありながら、新鮮な表現の連続だ。けっこう長い小説だった。三四郎の身長が半ばを過ぎて初めて出てくる。おおらかである。与次郎が舞台をかき回し、田舎出の三四郎を新宿生まれの作者は優しく見守り、からかいながら、描いている。各シーンにユーモアと余裕がある。広田先生を通して英語教師だった自分もからかっている。小泉八雲や外人教師もそれとなく揶揄している。団子坂の菊人形の見物の喧騒から逃れた美禰子との二人の会話、「ストレイシープ」。美禰子は二人が迷子だという。実にしゃれていると思った。

帝大生とそれを取り巻く女性たちの青春を描いた小説は新聞の拡販に大いに寄与したと思う。電車の窓から広田先生が桃の食べ柄を新聞紙に包んで捨てるシーンは何故か気持ちがいい。

夏目漱石作「三四郎」感想文
投稿者:石野夏実サトウルイコ 投稿日:2021年 9月28日(火)21時38分46秒

 夏目漱石作「三四郎」(1908年9月~12月朝日新聞連載)10月読書会 2021.9.27    石野夏実

50年(以上)ぶりに「三四郎」を読む機会を得ました。感謝です。

 「三四郎」を読むのは、高校2年生の時、新米大学生の時、そして今回で3度目である。高校の時は「ストレイシープ」の意味するところも解らず、難しそうな話は飛ばし読みをし、三四郎のはっきりものが言えない性格をじれったく思ったものだった。

大学時代は、初めて尽くしの上京時の心細い心情を三四郎と共有したが、煮え切らない青臭い三四郎を応援するものの、何でも知っている博学で落ち着きのある皆に尊敬されている広田先生の方に興味を持った。

今回は、やっとふたり(三四郎と美禰子)の立場を含めての状況の違いを、読み終わった後、あれこれ考えることが出来た。ただし漱石の小説は、読めば読むほど新しい発見があり、次から次へと考えも湧いてくるので、とりとめがつかなくなることもある。

 イプセンの名前が小説の中に出てきていたので、漱石は「人形の家」のテーマも知っていたはずであるため、美禰子の設定は、自分をしっかり持った知的でしかも美しい女性、英語にも詳しく、楽器も奏でるし絵も描く、教養豊かな先進的な女性とした。

 三四郎と美禰子は同じ23歳(数えで)ではあるが、大学生になったばかりの九州出身の三四郎は、最初の汽車で知り合った女性の件からしても、初心(うぶ)である。

 一方、美禰子は、適齢期をすでに迎えている。しかし、表面的には全く焦ってはいない。周りの男性は皆、美人で知的な自分に気があることも、よく知っている。結婚相手に誰を選ぶか(誰に選ばれるかではなく主体は自分)十分に考えているのではないだろうか。

資産はあるが両親はすでに亡く、家族は兄がひとりいるだけなので、かなり自由に行動してきた。結婚してもその延長で何不自由のない生活ができる相手を探して、野々宮の妹のよし子の縁談相手を頂いてしまったのではないだろうかとも、思った。

それとも、野々宮の気持ちを確かめるために最後の賭けに出たのかもしれない。あるいは、男たちを翻弄するのは罪深いことだから、気ままな独身生活を卒業しようと決めたのかもしれない。色々想像すると妄想が広がる。この小説は深読みすると切りがなくなり、テーマからそれていくので、しない方が良いのかもしれない。

 三四郎以外の登場人物の心理は、表面に書かれている事柄からでしか推察できない。

 美禰子は三四郎の気持ちを知ってはいたし彼を嫌いではないが、友だち以上で恋人未満というところに敢えて抑えておいたのだと思う。野々宮にも過去同じように接していたのではないだろうかとも推察されるが、結局、結婚相手にはならなかった。

野々宮は美禰子に贈るためのリボンを買っていたし、美禰子もそれをつけていた。研究や学問しか知らない初心な男たちは、相手も自分に気があると思ってしまうのは無理もないことだと思う。美禰子は、男たちに好かれる自分を意識しているし、男心を弄ぶところがあるような態度を取ることもあるからだ。

 しかし、この小説で漱石は、野々宮と三四郎を恋敵にしての敵対するストーリーは、微塵もみせていない。三四郎が気にする場面も作ってはいるが、そして、野々宮の心情も少し伝わるようにはなってもいるが、漱石は、あくまでもこの小説を「坊ちゃん」を系譜とした物語、三四郎と彼を取り巻く人々との青春小説に徹したかったのだと思う。

 与次郎のようなお調子者の明るくて軽いノリの若者の登場により、この物語を本来ひとりひとりが持つ暗さを前面に出さないようにして青春物語として成功させた。この後から漱石が次々に発表していく作品とは一線を画していると感じた。

 上京、青春、恋心、友情、尊敬する先生や周りの人々、着物の柄から菊人形見物、レストラン、演芸場などの東京の様子、物理から文学哲学、肖像画の描き方まで、専門的な話をも新聞連載の小説に散りばめて、読者をひきつけながら三四郎の恋心の変遷を見せていく。

 ヒロイン美禰子の気持ちが誰にあったのかは、出会った時から三四郎にあったのだろう。

 美禰子の独身最後の恋は「森の女」の肖像画を記念に残した様に三四郎であったと思う。

 よし子の自然なふるまいに比べ、時々わざとらしさが出る美禰子は、時間の経過と共に洞察力のある男たちに結局は去られる運命であったのかもしれない。それとも、そんな美禰子を丸ごと可愛いと思うほどの大人でなければ美禰子を大きな愛情で包むことはできなかったのかもしれない。少なくとも、彼らの中にはいなかったようだ。

三四郎 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年 9月28日(火)15時00分5秒

 江戸時代後半、式亭三馬という戯作者あり、浮世風呂という滑稽本を出し、大人気となった。教科書にもあり、皆様ご存知と思います。町の銭湯に入れ替わり人が来て、他愛ない世間話するだけてすが、ユーモアあり、風刺が効いていて面白い。漱石先生は、英文学者ですが同時に、江戸戯作者の伝統の後継者です。吾輩は猫、では、くしゃみ先生の家に入れ替わり人が来て、世間話するだけですが、ユーモアあり、風刺が効いていて面白い。ユーモアは知性です。三四郎は田舎の青年が東京に来て、大都会の女や、いろんな人と出逢って、いろいろ他愛ない世間話する。多少の事件はありですが、しかし、ユーモアあり、風刺あり、興味尽きない。漱石先生は話術の名人です。ユーモアは、知性です。漱石先生は、大知性です。

夏目漱石『三四郎』――10月読書会に。 投稿者:和田能卓
投稿日:2021年 9月27日(月)19時33分59秒

 夏目漱石は「田舎 の 高等学校 を 卒業 し て 東京 の 大学 に 這入 つ た 三四郎 が 新しい 空気 に 触れる、 さ うし て 同輩 だの 先輩 だの 若い 女 だ のに 接触 し て 色々 に 動い て 来る、 手間 は 此 空気 の うち に 是等 の 人間 を 放す 丈 で ある、 あと は 人間 が 勝手 に 泳い で、 自ら 波瀾 が 出来る だら う と 思ふ、 さ うか う し て ゐる うち に 読者 も 作者 も 此 空気 に かぶれ て 是等 の 人間 を 知る 様 に なる 事 と 信ずる、 もしか ぶれ 甲斐 の し ない 空気 で、 知り 栄 の し ない 人間 で あつ たら 御 互に 不運 と 諦める より 仕方 が ない、 た ゞ 尋常 で ある、 摩訶不思議は書けない。」という『三四郎』の予告を『東京 朝日新聞』『 大阪 朝日新聞』1908( 明治 41) 年 8 月 19 日に発表しました。

 三四郎をはじめとする登場人物たちが行き遭う「静かなる波乱万丈」の物語を読んで、いつかこういう作品を書けたら、と憧憬の念を抱かずにはいられない自分がいます。

 みなで菊人形を観に行く場面に心惹かれるものがありますが、理由は判然としません。おそらくは幼時の記憶に共鳴するものがここには描き出されているのだろう、という気がしています。

 ※予告文は青空文庫より引用しました。

三四郎(夏目漱石著)を読んで 投稿者:遠藤大志
投稿日:2021年 9月27日(月)12時48分48秒

 神楽坂から徒歩で10分ほどの所に「新宿区立漱石山房記念館」がある。
数年前に藤野さん立案の文学散歩「夏目漱石の足取りを見学する」で立ち寄ったことがある。その頃は向学のつもりで見学しただけで、それほどの感慨は持たなかった。

 今回、金田さんが三四郎を課題図書に選んでくれたお陰で、再び記念館を訪れてみた。
特に、今回の作品は漱石の弟子が三四郎や美禰子のモデルになっていることを知り、漱石の人脈の広さと人望を思い知ることができた。

 三四郎は、漱石の弟子である小宮豊隆がモデルである。
与次郎も、同じく漱石の弟子の鈴木三重吉がモデルである。
美禰子は、漱石の弟子である森田草平と心中未遂事件を起こした、婦人運動家平塚雷鳥がモデルである。
野々宮のモデルは、同じく弟子である、物理学者の寺田寅彦である。
広田のモデルは、一高教授の岩元禎、若しくは二高教授の粟野健次郎だと言われている。

 このように強烈なキャラクターがおり、その一人一人が明治末期の青年三四郎の成長を促して行くのである。
三四郎は美禰子や野々宮らと知り合い、郷里、学問、恋愛の三つの世界を見出す。

 話は若干逸れるが、僕は五木寛之の青春の門を重ねた。
青春の門は、九州の炭鉱町筑豊から東京の早稲田大学に上京してきて、恋愛や思想に看過を受けて成長していく話である。
青春の門を書いた五木寛之は、この漱石の三四郎の影響を多大に受けているのだと思った。  この三四郎が発表されたのが1908年の事であるから、およそ110年前のことである。
今再び読み直してみて、全く明治の終わりであるという古めかしさを全く感じさせないし、鮮やかな光彩を放っている。

 まさに、そこに、三四郎や美禰子、与次郎、野々宮がいても違和感がない。

 美禰子は知的で美しい女性であり、魅力的であり、三四郎が憧れるのも無理はない。高嶺の花的な存在である。恋愛初心者であり奥手な三四郎を見ていると、微笑ましい。

 特に美禰子がいいのは、思った事をそのまま言葉にしない所作である。また、三四郎が最後に言葉にする迷羊、迷羊(ストレイ・シープ)と繰り返す単語は美禰子が発した印象的なセリフである。三四郎は正に迷牛である。

 三四郎と対照的なキャラクターとして与次郎がこの青春小説に花を添えている。

三四郎を読んで、当時の人々がどのような感想を持ったのかが知りたいと思った。

 ちなみに夏目漱石を師と仰いだ弟子には、
芥川龍之介
岩波茂雄 岩波書店創業者。
内田百
菊池寛 文藝春秋社創設者、小説家
久米正雄 小説家、劇作家。
寺田寅彦 物理学者、随筆家。
などがいる。
 夏目漱石は人間的にも人望を集めていたことが伺い知れる。

「三四郎」夏目漱石、感想 投稿者:金田清志
投稿日:2021年 9月18日(土)18時47分11秒

 今回読み直して、この小説は三四郎の恋物語として読んだ。

 読み出してすぐ、三四郎が上京する際に同席した女との同宿の件で、初めて読んだ時のことをまざまざと思い出した。
多分高校生か、その時分に読んだから、えらく刺激的であった。今思えば新聞小説だから読者を引き付けるプロセスかな、とも思うが…。

 確かに新聞記事に出ていた「亡びるね」と言う件はあるが、作者が登場人物に言わせた社会に対する危惧であろう。
同様に作者は三四郎を介して「明治の思想は西洋の歴史にあらわれた300年の活動を40年で繰返している。」とも言っている。
これらは日露戦争で勝利し、一等国になりたいとする浮かれた世相への作者の危惧に違いない。

 そうした内容を含んではいるが、この小説は三四郎が美禰子と出会って互いに意識していたのだが、結局、美禰子が兄の友人と結婚するまでの、一種の恋愛小説だと思う。

漱石は美禰子を「無意識の偽善者」と言ういいかたをしているそうだが、それは、揺れ動く心を「ストレイシープ(迷羊)」と表現している事に表れている。
生きている上で誰しも無意識の愛情、もしくは好意を表出し、受け止める側、すなわち異性を動かす事もある。
そして互いに意識するようにもなり、その後どうなるかは<神>のみぞしる。

そうした二人は三四郎においては「おおいなる矛盾」と言う事にもなる。

「無意識の偽善」とは罪深いものだ。

キリスト教は不案内だが、作中に出てくる
「われは我が咎(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」
と言う認識と重なるのではないか。

いづれにしてもこの小説では登場人物の与次郎や広田先生が味のある人物として描かれて、読み手を退屈させない。

9月読書会テーマ、「三四郎」夏目漱石 投稿者:金田清志
投稿日:2021年 9月18日(土)15時35分27秒

 今回、と言うか毎回だが、何をテーマにするか大いに迷う。
今回はたまたま読んだ新聞記事で「夏目漱石は将来の日本を予想していたのではないか」との記事に心が動いた。将来の日本とは敗戦に走った日本であり、小説「三四郎」の中で、三四郎が上京途上の電車で同乗した男の言った「亡びるね」に表れている。
というような内容だった。

「三四郎」は若い時に読んだのだが、内容はすっかり忘れている。
「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」とかは一度ならず読んでいて、なんとなく覚えているのに…。
それで「三四郎」を再読しようと思い、決めた。

決めたはいいが、9月になって購入し、「三四郎」が思ったより長編で、「しまった!」と思った。53号の締め切りまじかで、皆には「負担になるかな」と後悔したが、もう遅い。

でも、それ程読みにくくもないので、勘弁してほしい。

夏目漱石(1867年(慶応3年)1月5日生)については皆さんご存知と思うので省略し、「三四郎」の書かれた時期についてインターネットで調べた。

1900年(明治33年)5月 - イギリスに留学
1905年(明治38年)1月 - 『吾輩は猫である』を『ホトトギス』に発表(翌年8月まで断続連載)。
1906年(明治39年)4月 - 『坊っちゃん』を『ホトトギス』に発表。
1908年(明治41年)9月1日から12月29日にかけて「三四郎」は『朝日新聞』に連載
         『それから』『門』へと続く前期三部作の一つ。

(文学横浜の会)


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