「文学横浜の会」
「掲示板」の内容
評論等の堅苦しい内容ではありません。2021年11月11日
トーニオ・クレーガー感想 投稿者:遠藤大志
今回初めてトーマス・マンの著書を読んだ。
主人公のトーニオはマンの自伝的な要素が多く盛り込まれていると言われている。
彼は愛情を封印し、孤独の世界で詩や小説に自らの存在意義を見出し、そこで活躍していこうという決意する。
そこでトーニオは14年という月日を経ても、その関係性や自分の立ち位置が何一つ変わっていないことを実感させられ、リザヴェータに手紙を書く。その中で、自分は何一つ変わることができないが、あくまで市民気質を保ちながらもっといい作品を書いていくつもりだと誓う。
本小説はトーニオの内面小説である。
逆の言い方をすれば、リザヴェータがいたおかげでトーニオは救われ、戒められ、発見し、作家として生きていこうという決心がついたのだと思うのである。
(テーマ)
難しいテーマだと思います。
自分が自分を見る目、他人が自分を見る目その重なり合う部分が自分そのものであり、重なり合わない部分はエゴであったり、自分自身を守ろうとする自己防衛本能ではないでしょうか?
そんな人間は他人と巧く共感し合えない。
トニオ・クレーゲル 投稿者:浅丘邦夫
トーマス・マンと聞くと、甦るものがある。昔、我が尊敬する新進作家たちが、こぞってトーマス・マンを推奨し、話題とした。当然私の書架にもトーマス・マンが並んだ。私は幾度も開き読みかけたが、終に読み通すことが出来なかった。思索的で高踏的と思えた。マンは、言うまでもなく近代ドイツ文学の巨峰だ。旧約聖書からの作品も多い。この度、再会の良い機会を頂いだ。案外、親しみ易さを感じた。この度は、読み通すことが出来るだろうか、
「トニオ・クレーガー」桜井晶子訳、感想 投稿者:金田清志
まずトーマス・マンの名前は知っていましたが、読んだのは初めてです。
読み終えた最初の印象は、まず出だしで戸惑いました。
翻訳物は作者の解釈を通して読みますから、原文はどうなのか、との疑念を抱きながら、次の章では少し成長した主人公が女(インゲボルク)を愛している、と内容で、どんな小説なのか判りませんでした。
読み進めていくうちに、作者はトニオと女友達リザヴェータとのやり取りを通して、作者の文学あるいは芸術についての考え、悩み、思いを述べている作なのかな、っと感じた。
例えば、主人公の父が亡くなり、母が再婚して実家が崩壊して主人公は作家の道を志して苦悶している場面では、
「良き作品は悪しき人生の重荷の下でしか生まれないことを。充実した生を生きる者には創造などできないことを。そして、全身全霊で創造者たらんとする者は、死者でなければならないことを。」
と述べている。
また、主人公は女友達(リザヴェータ)との会話で、
「〜僕の友達といったら、悪魔やコボルト(妖精)、地底の怪物や、見ているばかりで口を開かない幽霊どもばかりーーーつまり、文学者ばかりなんだよ。」
「僕たち芸術家がなによりも徹底的に軽蔑するのは、人生を謳歌していながら、機会があればときどきは芸術家になることもできるなんて信じている素人だよ、」ここで言う「素人」とは「一般人」と言いかえてもよかろう。
等と、主人公の芸術・芸術家あるいは文学・文学者に対する、思いが述べられている。
主人公は女友達に、
主人公は故郷を経由して父の血に繋がる北方への旅に出て、すっかり変わってしまった実家をみて過去を振り返り、ハンスやインゲボルクに似た人物にも出逢う。
「一般人は確かに愚かです。〜 平凡なものたちのもたらす喜びへの憧憬以上に甘く、価値のある憧憬などないーーそう感じてしまうほどに深い、運命によって否応なく定められた芸術家としてのあり方も存在するのだと言う事を。」
と述べている。主人公の芸術家としての思いや悩みは吹っ切れたのではないだろうか。
「マンが描く芸術と日常的現実の相克を、どう受け止めるか」
についてだが、難しいですね。
この作品のぼくなりの理解が正しいかはおいて、そうかも知れないな、と思う。
芸術とはなんぞや、との答えもそれぞれだろうが、平平凡凡と生活している人から優れた作品は生まれそうもない。
そういう小説読みもあるだろうが、楽しさ、面白さ、未体験への興味、等々も小説読みの楽しさだ、
トニオ・クレーゲル 投稿者:浅丘邦夫
トーマス・マンについて、以前からある一つの思いがある。芸術家は、1代にして成らずと言うこと。彼の持論と思う。マンの生い立ちでもある。マンは富裕な商家に生まれ育つた。祖父が創業し、父が受け継ぎ成功し、やがて解散する。3代目にならないと芸術家は育たない。その主張が強い。その記憶が強く残っている。
したがってマンの小説は、チマチマしたテーマ小説ではない。人生そのものが小説なのだ。それも3代に亘っている。ブツテンブローグ家の人びと、だ。トニオ・クレーゲルは、青春小説だが、マンの前半生そのもの。人生そのものがテーマだから、そのつもりで味わえば良いのではないか。その時その時、トニオ・クレーゲルが、何を思い、行動したか、壮大な人生論だ。壮大な芸術論でもある。
トニオ・クレーゲル 投稿者:浅丘邦夫
トーマス・マンは、スケールの巨大な作家だ。人の一生のみならず、三代に亘って描く。ブツテンブローグ家の人びと、だ。マンの信奉者、北杜夫や佐藤愛子らは、影響受けた作品を次々発表した。楡家の人びと、血脈がそれだ。小説を、人生の切り取りとして描かない。民族の、或いは家系の、結果、一部と捉える。トニオ・クレーゲルは、青春小説だが、ブツテンブローグ家の、ヒトリの青春と思う。
トニオ・クレーゲル 投稿者:浅丘邦夫
ご存知と思いますが、因みに言いますと、北杜夫の、楡家の人びとは、斎藤茂吉を頂点とする斎藤家の家系についての三代記、三代目が杜夫。血脈は、佐藤紅緑を頂点とする佐藤家の三代記、愛子は三代目、彼らは、ある同人誌の仲間で、当時、トーマス・マンを盛んに論じた。発表時、二作は、共に世評が高かった。杜夫と愛子は、トニオ・クレーゲルの立場と、私は思っていますが。二作は、マンのブツテンブローグ家の人びと、の影響作品とは、周知のこと。
『トニオ・クレーゲル』を読んで 投稿者:藤本珠美
とてもおもしろい小説でした。
冒頭、トニオがハンスによいと思った本について語ろうとするとき、ハンスと標準の合った少年にその機会を奪われそうになるシーンがありましたが、微妙な心理描写が素晴らしいと思った。この部分は、この作品の中心になっている気もする。
トニオ・クレーガー(浅井昌子訳)を読んで 投稿者:山口愛理
トーマス・マンは初めて読んだが、なかなか引き込まれた。
少年時代のハンスとインゲボルクに思い焦がれる様子が、美=健全な精神=普通の人という、トニオの渇望や憧れとして描かれていて、それでも高みにある文学の世界に踏み出そうとしているトニオの葛藤が痛いほどわかる内容だった。感受性が豊かで傷つきやすいトニオの内面が痛々しいほど伝わる。
長じて小説家となり、理解者である友人リザヴェータとの会話を経て、ドイツの自分の生まれ故郷を経由して北欧に向かうトニオ。元通りではなく変わってしまった生家や故郷。
この小説を読んで、太宰治が小説『葉』に引用したポール・ヴェルレーヌの「選ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり」という言葉をふと思い出した。また小説『黄金風景』の内容にも少し通じるものを感じた。
わたくしも、また・・・ 投稿者:和田能卓
11月読書会担当者・中根さんの、
トーマス・マンは、「自分の心に最も近い作品」とする本作品で(但し、これには懐疑的な見方もある)、主人公のトニオ・クレーガーに自らを投影させて、「自分は市民的な幸せを得ることができない」と吐露し、芸術家と一般市民の二つの世界に揺れる心情を描出している。
この、マンが描く芸術と日常的現実の相克を、会員の方々はどう受け止めるかをお聞きしたいと思います。
について、具体的にお答えすることはいたしませんが、作品の終わりに置かれたトニオ・クレーゲルがリザヴェータ・イヴァーノヴナに書いた手紙の中ごろ、「私は二つの世界のあいだに立っています。そのどちらにも安住の地をえません。だから多少生活が面倒になるのです」(高橋義孝訳、新潮文庫『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』118頁)を我が身に引き寄せてみるとき、したたかな共感を抱かさせられざるを得なかったということだけ、記しておきたいと思います。
トニオ・クレエゲルを読んで 投稿者:石野夏実
トオマス・マン「トニオ・クレエゲル」(実吉捷郎訳)感想
今月の読書本を、昭和27年の岩波文庫が低本のkindle無料本で読んだので、訳が少し古臭く大げさなのは仕方がなかったが、ちゃんとした新しいものを買えば読み方も感想も違ったものになったのだろうか。
そもそも、過剰な自意識からくる(偽りの)自信喪失、自身が持ち得ていないものへの異常な憧憬、見えているだけの表面的な「美しさ」に対する偏愛。これが14歳の頃のハンスに夢中になっていたトニオ。美少女インゲボルグは、トニオが16歳の時に好きになった異性の女の子だ。インゲへの思いも描写も恋する少年の立場からきちんと書かれているのでバイセクシャルだったのだろう。(作者自身も結婚し6人の子供がいたそうなので、トニオと同じと思われる)
中ほどは、リザベタという女性画家の家での問答。リザベタは聡明で、単刀直入にトニオの評価を下す。「あなたは横道にそれた俗人。踏み迷っている俗人」
秋になりトニオは「風を入れに逃げ出し逐電しにデンマークへ旅行に出ます。13年ぶりに故郷(訳では発足点)にも立ち寄ります」とリザベタに告げる。
最後は、旅に出てからの話。リザベタが、必ずくださいねと約束した彼女宛の手紙で終わる悟りの境地の独白。
自己の精神の多面性の容認は、北方的な父の気質(几帳面で憂鬱)と母の外国的な血(情熱的で官能的で衝動的なだらしなさ)の混合のものとの自覚が生じてからのものであるが、その認識により偏執から解放されて、もっと大きな「愛」にたどり着いた。
旅での収穫は、すべてを許容する、それでいいのだと思うことでとても生きやすくなったトニオ・クレエゲルであったのではないだろうか。
※そんなにグタグタ理屈っぽく悩まなくったって、どんな人もそれぞれに感情があり感受性は研ぎ澄まされていて、他者が思うよりずっとデリケートなんだよってトニオに言いたいわ、と思いました。他者を一面で評価するのは傲慢だよとも言いたい。それに、生きて生活していること自体、誰もが俗人だよ。揺れ動く心を書くことで文学は生まれるんでしょうけど。
最後に、マン原作の「ベニスに死す」(ルキノ・ヴィスコンティ)が大のお気に入りの女友達がいますが、私には公開された当時も今も、あの狂気を理解容認することはあっても、好みからいえば好きな映画とはいえませんでした。偏執だと思い「美」って何なの?と思ってしまうのですが、マンもビスコンティも、描かずにはいられなかったのでしょう。それが性(サガ)と呼ぶものなんでしょうか。
理屈っぽいドイツ人気質は、哲学も文学も音楽も最高級のものを生み出した。マンは1875年に生まれ1955年に亡くなるまで80年の生涯、まさにドイツ人らしく己の「生」と対峙し生き切ったと思う。
提出が遅くなりました〜。マンを調べていたらワイマール時代に行きつき、ヒトラーとマンの関係が興味深くて、ハマってしまいました。それとトニオ時代辺りまでのワグナー、ベニス時代のマーラーも聴いたりなんかして、横道にそれ過ぎましたが、読書の機会がなかったら、それらもなかったでしょう。有難うございました。
トーニオ・クレーガー 投稿者:成合 武光
『トーニオ・クレーガー』の感想 成合武光
『トーニオ・クレーガー』の紹介ありがとうございます。また、提案された理由「マンが描く芸術と日常的現実の相克をどう受け止めるか」を知り、嬉しく思いました。と同時に『眼差し』が、以前より少しわかったような気がしました。
質問への回答と同時に感想です。
この一文に、この読書会で以前取り上げられた本の一節を思い出しました。本の題名、作者は忘れました。その本の提案者にお願いします。思い出されたら教えて下さい。これは、私の感想ですから、「呪いです」と同じではないかもしれません。同じように思った一文です。それは、「・・生まれた(受身形)復讐だ」です。
「・・同じように成長し、君のように・・そんなことをしても意味がないだろう‥」「知ることを宿命づけられた・・ハムレット・・」とも。
トーマス・マンを知りませんでした。しかし、よく耳にした名前だと、よくよく考えたら思い出しました。「機関車トーマス・・」でした。生きましょう、トーマスのごとく?
ホテルのベランダからの描写、ハラハラドキドキしました。
「あなたをそんなに悩ませている問題の回答というのは、あなたは、芸術家でもなんでもなく、市民ということです」
トニオ・クレーゲル 投稿者:浅丘邦夫
芸術家は三代目にして立つ。マンの持論です。家系は大河で、芸術家は、大河の中に生ずる一粒の真珠。大河は日常であり、芸術家は非日常、相克は当然。と言う、ドイツ人らしい頑固な思想、と思います。
浅丘様〜ヘルマン・ヘッセ 投稿者:石野夏実
いつも貴重なご意見を有難うございます。マンとヘッセは同時代のドイツを代表する作家だと思うのですが、高校で習った「車輪の下」のヘッセの方が身近です。ヘッセへのお考えがあればお教えくださいm(_ _)m
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