「文学横浜の会」

 「掲示板」の内容

評論等の堅苦しい内容ではありません。
テーマになった作品について参加者がそれぞれの感想を書き込んだものです。
  

2021年12月09日


錦繍 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年11月19日(金)21時52分20秒

 当代の人気作家、宮本輝、以前にもどなたか取り上げていましたね。蔵王のダリア園からドッコ沼へ、書き出しから、読者のハートをわしづかみです。離婚すべきでない夫婦が、偶発的な事件で離婚を余儀なくされる。長い歳月の末、偶然再会する。往復書簡形式で小説が展開します。その細やかな心理描写は、見事なものです。自己を見つめ、相手を見つめる、さらに相手を通して、再び自分を見つめ直す。心の細やかな襞を縦横に描き出す。男性作家には珍しい作風、女性フアンが多いのかな、と思いますね。

錦繍(宮本輝著)を読んで 投稿者:遠藤大志
投稿日:2021年11月22日(月)13時53分50秒

 宮本輝の作品は、代表作「川三部作」と呼ばれる『泥の河』『螢川』『道頓堀川』は読んだことがあり、好きな作家であるため、過去に読書会で自分が幹事の時に、芥川賞を受賞した『螢川』『泥の河』をテーマ本に上げさせてもらった過去がある。(2013.07)
その後同氏の「星々の悲しみ」(2019.02)も他の会員がテーマ本に挙げ、今回が読書会3回目の登場ということになる。
過去に3回選ばれた作家は無いと思う。
それだけ、文学通の間で読まれ、話題に事欠かない作品世界を持っている証であると感じる。
 さて、「錦繍」初めて読ませていただきました。

本作は書簡体文学(手紙のやり取りだけで構成される)であり、文学的に賛否が分かれる内容であると感じる。

 否定的な意見として、別れた夫婦が再会したことだけで、これだけの過去・現在について長い書簡を交わすものだろうかという素朴な疑問である。
また、これだけ書簡を交わす内に、実際に会うという何らかの進展が起きないものだろうかという点である。
こういった否定的な意見を想定した上で、筆者は最後まで書簡を交わすことにこだわり続け、過去現在そして未来に続く関係性を導いていく。
その一見破綻、中断してしまいそうな危ういストーリーを最後まで何とか読者を導いていくのはやはり作者の作家としても力のなせる業である。

 肯定的な意見としては、実際に会って、もしくは電話で話すと、相手の表情やリアクションがある為、本心を語れないという側面があるが、手紙だと恥ずかしいと思えることや、躊躇して言えないことを、伝え切ることができる。
作者は亜紀という内向的で耐え忍ぶ女性が書簡というツールを用いることにより、父親に別れさせられた有馬に対して、経緯やその当時の思いを単刀直入に問いただすことを可能にさせている。

 本小説はかつて夫婦であった亜紀と有馬が思いがけない場所で偶然の再会を果たしたことをきっかけに、亜紀から有馬に手紙をしたためるところから始まり、過去の夫の浮気、心中事件、借金、現在の生活ぶりなどを聞き出していき、それに呼応するように亜紀自身のプライベートを話していき、お互いの現在を確認し合い、感化され、新しいそれぞれの人生を歩んで行こうとする「意思」が描かれている。
そこに彼らの関係性に大きく影響を及ぼす、亜紀の父、障害者の息子、別に家庭を持つ再婚した夫、有馬が現在同棲している令子が、この元夫婦の書簡内の話題を埋め、互いの意見を聞き合う存在となっている。

 読後感は悪くない。二人がよりを戻さない結末もいい。
最後、亜紀の心の中に、現夫と別れて有馬を思い続ける未練みたいなものを感じてしまうのは、僕だけだろうか?

(この小説の良さ)
 作者は亜紀の性格の変化(成長)を浮かび上がらせている。
最初の結婚ではワンマンで豪傑な父の一方的な決断で、靖明と離婚させられ、それに対して未練はあるものの、逆らえない、抗えないと勝手に決めつけて、何も言わずに別れたわけだが、再婚した夫との結婚生活では自らの意思で父に対して終止符を打つという強固な意志が現れている。

☆テーマ
@「生きていることと死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。」(勝沼亜紀)はどういうことと理解したり、感じたりしましたか?
(解釈)
 ここでの死んでいる存在とは誰か? 何か?
死んでいる存在は由加子である。そして亜紀の意志である。
亜紀の意志というのは、父に一方的に封印させられ、閉じ込められてしまった。
よって、
・由加子はとうに亡くなってはいるが、今も亜紀の中で生き続けている。
・亜紀は生きているが、そこに自分の意志は存在していない。
という両方の意味をこの表現から読み取った。

A手術台に横たわっている自分を見つめている「もうひとつの自分」とは?
それについて、有馬靖明は「命そのもの」と述べているが、「命そのもの」とは何なのだろうか?
有馬はそれは霊魂ではないと言っている。
(解釈)
 霊魂とは、完全に命が尽きた後に生まれる存在であり、生死を彷徨う場合、自分ともう一人の自分が分離し、互いの勢力を競い合う。
有馬の持っている運であったり、現世での善悪の行いなどが作用する。
この場合、悪が勝り、有馬に敢えて生を与え、その後の人生で懺悔と茨の道を歩ませる選択をさせたのである。

「錦繍」宮本輝、感想 投稿者:金田清志
投稿日:2021年11月26日(金)18時54分37秒

 まず、久しぶりに読みました。
若い時に感じたのは「上手だな」との印象だったと思います。
今回読んだ感想は書簡体で書かれているのでちょっと冗長な印象を受けたが、読者を引き付けるのは作者の筆力に違いない。

作品のテーマは人間の「業」を描いたものだと思う。
見方によれば個々の勝手な振る舞いのようにも思えるが、判っていながら止められない、と言う人間の行動・営み。
本当に人間とは厄介な生き物であり、それが生きている証、と言うようにも思える。 小説の永遠のテーマの一つでもあるだろう。

担当者からのテーマ、について

A手術台に横たわっている自分を見つめている「もうひとつの自分」とは?
それについて、有馬靖明は「命そのもの」と述べているが、「命そのもの」とは何なのだろうか?

古来、生死の間をさまよって生還した人の体験談が幾つもあり、同じような話もある。極端な場合は一度あの世に行ってきた、とかの体験談もある。

つまり肉体から離れた自分がいて自分を見つめている、と言う不思議な体験談。
このようなことから死後の霊魂、肉体から離れた霊(命、と言いかえてもいい)と言う考えが生まれたのかも。

うろ覚えだが立花隆の「脳死体験」(?)の中かで調査・推論が書かれていた。
科学的には証明できないが、肉体は死んでいても脳はうごいているのでは、との説が有力だったと思う。

また日本仏教において「千日回峰行」と言う死に近づくような修行があり、霊の世界に近づくための修行、と聞いたことがある。

@「生きていることと死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。」(勝沼亜紀)
はどういうことと理解したり、感じたりしましたか?

作品の中ではどういうことなのか言っていないので読み手が想像するしかないのだが、
死後も霊として相手の心の中にいる、と作者或いは主人公は考えているのではないか、と思う。

宮本輝「錦?」を読んで 投稿者:清水 伸子
投稿日:2021年11月26日(金)21時28分16秒

 宮本輝の初期の作品が好きで一時期彼の小説ばかりを読みふけっていましたが、いつの間にか熱が冷めて遠のいていました。

 この「錦?」という作品は初めて読みましたが、久しぶりに熱中して読みました。書き言葉は内省的で美しく、織り交ぜられる関西弁の話し言葉は心の世界から、現実に引き戻していく効果があるように思いました。往復書簡を交わし合う中で、二人がそれぞれのたどって来た道筋や思いにしっかり目を向け振り返った事が、今そして「みらい」に足を踏み出していけることにつながっていったのだと思いました。久しぶりに素敵な作品に出会えて感謝しています。

@の「生きていることと死んでいることはもしかしたら同じことかもしれへん」とはどういうことなのか…正直に言ってよくわかりません。

A手術台に横たわっている自分を見つめている「もうひとつの自分」とは?

それについて、有馬靖明は「命そのもの」と述べているが、「命そのもの」とは何なのだろうか?有馬はそれは霊魂ではないと言っている。
…これは、死ぬか生きるかの命の瀬戸際に、生きてきた自分というものの本体を見つめる瞬間があるのではないかという気がします。それを命そのものと表現しているのではないでしょうか。

宮本輝「錦?」感想2 投稿者:清水 伸子
投稿日:2021年11月27日(土)09時05分41秒

 昨日感想を投稿した後、全部を書ききっていなかったと思い、続けて投稿することにしました。それは、亜紀の息子……障碍を持って生まれた清高に関する部分です。有馬と離婚したせいで、別の男性と結婚し、結果障害を持った子を産んだという理屈で、一時にしろ有馬を恨むというあたり、また清高を「人並みに育てる」という決意をするあたりにも、強い違和感を感じました。障碍を持つ子とその母親というのはそれひとつで重みのあるテーマです。それを扱うならもっと深い洞察が必要ではないかと感じました。

宮本輝「錦繍」を読んで 投稿者:中谷和義
投稿日:2021年11月27日(土)17時31分19秒

 富山市に住んでいた頃、富山が舞台の「螢川」を読んだ。いわばご当地本としてガイドブックのように読んだので感動はなかった。映画も観たが、最後にホタルが群舞する場面で劇場内から「気持ち悪い」という声が上がり、制作者の意図は完全に裏切られていた。

 というわけで宮本輝との出会いは決して幸福なものではなく、今回の「錦繍」もやや警戒していた。だが、杞憂だった。

 関西在住のふたりが東北の観光地のリフトでばったり再会する場面こそ「偶然が過ぎるだろ」と言いたくなったが、蔵王の自然美や舞鶴のわびしさ、大阪のたくましさなど、物語と舞台がうまくシンクロして映像が目の前に浮かぶのはさすがだ。亜紀が有馬との離婚を余儀なくされた場面も「一頭の競走馬が前脚を折るシーンと一個の壺がばらばらに砕け散るシーンとがぼんやり映像となって浮かんでまいりました」と表現し、衝撃の大きさを映像的に伝えている。

 物語は、男女が様々な苦難を経て成長していく過程を描いている。有馬は亜紀という理想的な妻を得ながら、ふとした浮気心をきっかけに無理心中事件に巻き込まれ、すべてを失うが、令子という純朴ながら生命力の強い女に救われる。亜紀は離婚や大好きな喫茶店の焼失で「大事なものをすべて失ってしまう運命」を嘆きながらも、障害を抱える子どもとの生活の中で母性に目覚め、自立していく。

 有馬の手紙で父の浮気を知った亜紀が「なんと男という動物は幾つになっても、美しい女性に目を眩まされてしまうものかと呆れてしまいました。けれども読みながら、何だか楽しくてくすくす笑っておりました。そしてあなたに感謝いたしました。なぜなら私は、きっとあなたは父を恨んでいることだろうと思っていたのですもの」と書くシーンは、女性のたくましさを感じさせる。ただ、こんなに達観できる女性はどのくらいいるのだろうか。宮本輝をはじめとする男性の願望のような気もした。

錦繍 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年11月28日(日)12時58分52秒

 他の作品を通じて、常に感じることは、作中の中心軸に、独特の死生感を漂わせていることだ。蛍川では、蛍の生の乱舞が見事に描かれた。錦繍でも男女の愛慾とは別に独特の死生感が常に中心軸にある。死に行く自分と、それを見つめる、もう一人の自分。超常現象であり、臨死体験だろう。信じるか信じないかは別。心霊現象であり、他の作品でも、独特の死生感が底流にある。宮本輝の魅力だろう。

錦繍 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年11月28日(日)20時49分14秒

 訂正、死生観。

『錦繍』を読んで 投稿者:藤本珠美
投稿日:2021年11月30日(火)20時14分40秒

 美しい言葉の連なり、冒頭から読者が惹きつけられる文章(この男女には過去に何かのいきさつがあり、謎めいている)で、すうっと入っていけた小説でした。手紙という伝達方法で、それ以外の文章が出てくるのかと思いながら、バランスよく、手紙の文面だけで、このお互いに送りあう十四通の手紙のなかに、おそらく口に出して話をするよりも多くの、そして知らなかった真実や、微細な感情が表現されているように思いました。「過去」との関連は続いてゆくけれども、愛したり憎んだり誤解しあったりという、亜紀と靖明の関係に、令子という女性が存在することで、明るさがつくられ、ストーリーが流れているのだなと思いました。

 美しい日本語(また関西の言葉や町の風景、習慣など)が、読んでいて気持ちよかったです。

「錦繍」を読んで 投稿者:石野夏実
投稿日:2021年11月30日(火)20時21分16秒

 12月読書会  宮本輝作「錦繍」  感想  2021.11.30  石野夏実

 宮本輝は1947年3月生まれの団塊世代である。因みに私より2歳年上、学年では3学年上であるので、多感な時期を過ごした戦後の時代背景はあるていど共有できるのである。この小説には、舞鶴の町のさびれた様子や回想場面はあるものの「泥の河」や「蛍川」とは明らかに設定が違う。
 すでに高度成長(1970年)が終わり安定成長期(1980年頃〜)と呼ばれた時代の話である。
 建設会社を経営する羽振りの良い父を持ち母は亡く、神戸のお屋敷町に暮らすひとり娘(といっても娘ではなくすでに30代半ばの女性)亜紀が主人公。大学時代に知り合った2歳年上の有馬と恋愛結婚をし、有馬は亜紀の父親に会社の後継者と期待されていた。しかし事件が起き、ふたりは離婚し〜という話である。

 氏は77年に筑摩書房の「文芸展望」に相次いで掲載された2作品=「泥の河」は77年の太宰治賞、「蛍川」は78年芥川賞=の連続受賞により、注目の新人小説家として当時のマスコミに興味深く取り上げられた。文学賞を獲ってプロの小説家になろうと、獲る前に家族もいるのに会社を辞めてしまった無謀な人として、面白おかしく紹介していた記事さえもあった。
 私は上記の作品を含め、初期の作品(年代順に82年の「錦繍」「青が散る」、初期のエッセイ集「二十歳の火影」「命の器」くらいまで)しか読んでいないので、その後の氏の活躍は、芥川賞の選考委員評を読むことと大作「流転の海」の題名くらいしか知らなかった。
今回、wikiを読んでみて、氏が小説家として発表してきた小説の数の多さに驚嘆した。

 さて、「錦繍」であるが、書き出し3行でこの小説の世界へ誘われる名文である。夫が女性に刺され生き残り、相手の女性は亡くなった。無理心中事件のために別れた夫婦の、当時では語り合えなかった過去と現在とこれからを伝え合う書簡形式の恋愛小説である。
 往復書簡だけで成り立っているため、文体は美しさを意識し、内容はかなり微細である。読者が、従来の第三者としての小説の読み手としてではなく、手紙の受け取人でもあるかのように文字を追うことになれば、この小説の書簡形式の試みは成功である。

 私の書棚にある昭和60年(1985年)初版の新潮文庫「錦繍」は、読了されることなく最初の30ページほどのところにしおり紐が置かれていた。
 36年ぶりに再会した「錦繍」であったが、主人公亜紀と有馬、双方の文体が似ているので、読み始めると平板さを感じ、途中で何回か読む手が止まった。
 しかし、11月も半ばを過ぎてしまい、思い直して何日かかけて少しずつ読み進み、有馬が一緒に暮らしている令子という生活感のある逞しい女性の登場と、美容院相手のPR誌の企画まで読み進んだところで、俄然、面白くなった。
 このPR誌の話は、氏が会社を辞めてプロの小説家になる前の数年間の一時期、師である池上義一氏の仕事を手伝った時の実際の経験であったそうである。

 宮本輝氏といえば、創価学会なので、宗教観(仏教)がかなり小説の中にも出てきていると思う。創価大学などでも講演をしているが、父親が亡くなった後、母親が、女手一つで氏を育てるなか、入信したとのこと。
 最初は、反対した氏であったそうであるが心身共に病を患った時、氏も入信したそうである。それゆえ臨死なども十分に研究していると思う。
 私は宗教を持たないし、死後の世界はないと思っている。

感想を書きながら、16歳で「夢も現実も目を閉じればおなじ♪」と歌った宇多田ヒカルのフレーズが浮かんだ。宇多田ヒカルは天才少女であった。
 私
自身、小説から影響を受けることはほとんどないけれど、衝撃はたびたび受ける。
生き方や考え方において影響を受けるのは、政治や経済の本からである。(大した本は読んでいません。新書レベル)

錦繍 投稿者:佐藤直文
投稿日:2021年12月 3日(金)12時00分37秒

 初めて読みました。八十一刷となっています。
「本をつんだ小舟」宮本輝に、「この『貧しき人々』ドストエフスキーという小説への深い感動は、それから20年後、私に「錦繍」という書簡体の小説を書かせることになる」と記載しています。また、同じ本に『あすなろ物語』井上靖が初の読書体験で、中2の時、母の自殺未遂時のことだったといいます。

以前、『猟銃』を読みましたが、書簡体で、「白い河床」という言葉が印象的でしたが、古典悲劇の雰囲気で、文章も格調高い表現です。

関西を舞台にした、不倫の話で共通しますが、まったく書き方が違います。『星々の悲しみ』では文章を徹底的に削除し、読者に想像させる書き方でしたが、今回は冗舌ぎみで、はっきりしすぎていると思いました。しかし、40年前の昭和の実在感が色濃く漂い、そのころ、芦屋に住んだこともあり、懐かしい思いで読みました。中でも、踏切で思わず誰かの自転車の荷台をつかんでいたという部分が良いと思いました。

「生きていることも死んでいることも同じ」ということは、そうかもしれません。この世は幻、池に移る月のようなものだと思います。同時に、先に逝った者は、しょっちゅう生きている者の肩に乗り、美味しいものを食べるときは一緒に味わっているのだと思います。自分の中に監視している自分と監視されている自分がいることは自明だと思います。

宮本輝著 「錦繍」読後感想 投稿者:金子えい子
投稿日:2021年12月 3日(金)10時39分53秒

 宮本輝は好きな作家であり著述は数多読んでいるが、「錦繍」については、従来の彼の作品と随分変わっていると感じた。
 その理由は不明であるが、文章の運びの形態が、二人の男女の恋愛歴を、互いの手紙で記した形態であるからと思われる。
 過去に愛し、愛され、結婚した二人が、深い理由もなく、別れ、しかも、その後、思いを吹っ切れずに、連綿と手紙のやり取りをして、その思いを相手に訴え続けるという愛情表現の形は、宮本輝の常である、清涼感に欠けている気がしてならない。

 また宮本輝の他の著書に見られる、物語性も希薄と思える。
 今回の読書会のテーマに選者がなぜこの一作を選ばれたのか是非存念を伺いたいと感じた。
 数ある宮本輝の著作の中からこの本を選ばれたには大層深い理由があったろうと推察したからである。

錦繍 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年11月30日(火)20時59分40秒

 香櫨園とか、個人的に親近感のある地名がふんだんに出て懐かしい。想像カが膨らむ。書簡体小説と言う極めて制約ある古典的手法で、現代が書ききれるのか、作者には実験的な、意図があったのではないかと思った。逆に書簡体小説ならばこそと思わせる、率直な告白、或いは虚飾、思わせぶり、相手に対する、燃え残る思慕の念など、見事にかき分けている。さすがと思います。

錦繍 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年12月 4日(土)02時53分19秒

 眠れない夜、加賀乙彦の高山右近と言う、長編小説を取り出し読んでいる。書簡体小説だ。禁教令の時代背景として書簡体小説の必然性があった。距離、交通、通信手段もない。現代でも監獄の外と中は、書簡の必然性がある。錦繍の場合は、作者の趣向だろうか、必然性が感じられないのだ。巧みな作品だが、何故かの疑問がつきまとう。作者の技巧だろうか。

宮本輝『錦繍』メモ 投稿者:和田能卓
投稿日:2021年12月 4日(土)20時14分21秒

 書簡によって過去の事件の経緯が明かされる小説と言えば、夏目漱石の『こころ』が第一に思い浮かぶ。 が、それは先生の単一な視点による、謎めいた人生の謎解きであり、回想=告白だった。 対して本作品は二人の視点によるそれであり、趣向として手が込んでいる。

作中、令子さんが靖明の手元にある亜紀からの手紙を読んだと言っても、それは一方が書いた内容を知るにとどまり、 往復書簡の全体像は見えない。知ることができるのは読者だけであり、 視線の交錯によって読者のうちに作品世界が形作られることに惹かれるものがあった。 作者・作品・読者の三位一体による作品の成立の一バリエーションを、ここに見出だしたのである。

錦? 投稿者:成合 武光
投稿日:2021年12月 4日(土)20時43分24秒

 『錦繍』の感想 成合武光

初めは静謐な詩の世界、秋の山の叙情的な精神の物語かと,思いながら読んでいました。しかし、少しずつ話がそれて行く感じです。それでも最後は困難を乗り越え、相思相愛のめでたきに終わるかとも想いました。ところが令子の無償の愛のような状況になると、令子への同情も湧いてくる。どうなるのか心配していると、成長の遅いわが子を育てるという強い母親の決心が語られ、心身ともに腐ちかけた男が働きはじめる。
素晴らしい物語です。

@ 「生きていることと死んでいることとは同じかもしれへん」というのには、深く考えさせられます。・・大きくは宇宙を初めてとして、さまざまな状況が考えられる。小さくは人間、個人。自己の鏡に映る主観的景色。故にどう反応するか、いろいろあるかと思います。
A 「死んだ後の「命」が宇宙に」というのには深入りをせず、楽節の一節として聞くのが良い。はかない人間の夢としてと思います。
B 「この世界に厳と存在する理不尽な…」について、宮本輝の真剣な心情が伝わってくる。
C 「<いま>の現状があり、<みらい>につながる。その<いま>を一歩一歩あなたも歩いてほしい」と。…感動しました。
沢山のことを考えさせられました。ありがとうございました。                              2021.12/04

追記
浅丘さんへ
トーニオ・クレイガの感想に「それは真珠だ」とありました。強く同感しました。
母体となる真珠貝について考え、現れた真珠を想うとき、至言だと思いました。
さすがと思いました。これは他のことにも引用されますが、それはそれでよいと思います。
石野さんへ
 宮本輝が創価学会員だということ、教えて頂きありがとうございます。全く知りませんでした。霊魂の発想もうなづけます。

錦繍 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年12月 5日(日)07時47分20秒

 宮本輝の死生観、生きることと、死ぬ事は同じ、とあります。最初は、奇異に思いましたが、霊魂不滅と考えると頷けます。仏教は輪廻転生の円軌道、キリスト教は、天国へ直線軌道と思いがちですが、キリストは、霊は風のようなものだ、何処からか来て何処かに去ると説きます。西欧の哲学者は、死ぬとは、生まれる前に戻ることと言います。死生観は、百人百ようにみえて、実は同じかな。宮本武蔵の五輪の書、生きることは、死ぬことと見つけたり。

錦繍 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2021年12月 5日(日)17時26分54秒

 葉隠れだったか。

見つけたり 投稿者:成合 武光
投稿日:2021年12月 5日(日)20時12分15秒

 あれは、武蔵ではなく、葉隠れだと思います。武蔵は、巌の精神です。

(文学横浜の会)


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