「文学横浜の会」
「掲示板」の内容
評論等の堅苦しい内容ではありません。2021年12月09日
錦繍 投稿者:浅丘邦夫
当代の人気作家、宮本輝、以前にもどなたか取り上げていましたね。蔵王のダリア園からドッコ沼へ、書き出しから、読者のハートをわしづかみです。離婚すべきでない夫婦が、偶発的な事件で離婚を余儀なくされる。長い歳月の末、偶然再会する。往復書簡形式で小説が展開します。その細やかな心理描写は、見事なものです。自己を見つめ、相手を見つめる、さらに相手を通して、再び自分を見つめ直す。心の細やかな襞を縦横に描き出す。男性作家には珍しい作風、女性フアンが多いのかな、と思いますね。
錦繍(宮本輝著)を読んで 投稿者:遠藤大志
宮本輝の作品は、代表作「川三部作」と呼ばれる『泥の河』『螢川』『道頓堀川』は読んだことがあり、好きな作家であるため、過去に読書会で自分が幹事の時に、芥川賞を受賞した『螢川』『泥の河』をテーマ本に上げさせてもらった過去がある。(2013.07)
本作は書簡体文学(手紙のやり取りだけで構成される)であり、文学的に賛否が分かれる内容であると感じる。
否定的な意見として、別れた夫婦が再会したことだけで、これだけの過去・現在について長い書簡を交わすものだろうかという素朴な疑問である。
肯定的な意見としては、実際に会って、もしくは電話で話すと、相手の表情やリアクションがある為、本心を語れないという側面があるが、手紙だと恥ずかしいと思えることや、躊躇して言えないことを、伝え切ることができる。
本小説はかつて夫婦であった亜紀と有馬が思いがけない場所で偶然の再会を果たしたことをきっかけに、亜紀から有馬に手紙をしたためるところから始まり、過去の夫の浮気、心中事件、借金、現在の生活ぶりなどを聞き出していき、それに呼応するように亜紀自身のプライベートを話していき、お互いの現在を確認し合い、感化され、新しいそれぞれの人生を歩んで行こうとする「意思」が描かれている。
読後感は悪くない。二人がよりを戻さない結末もいい。
(この小説の良さ)
☆テーマ
A手術台に横たわっている自分を見つめている「もうひとつの自分」とは?
「錦繍」宮本輝、感想 投稿者:金田清志
まず、久しぶりに読みました。
作品のテーマは人間の「業」を描いたものだと思う。
担当者からのテーマ、について
A手術台に横たわっている自分を見つめている「もうひとつの自分」とは?
古来、生死の間をさまよって生還した人の体験談が幾つもあり、同じような話もある。極端な場合は一度あの世に行ってきた、とかの体験談もある。
つまり肉体から離れた自分がいて自分を見つめている、と言う不思議な体験談。
うろ覚えだが立花隆の「脳死体験」(?)の中かで調査・推論が書かれていた。
また日本仏教において「千日回峰行」と言う死に近づくような修行があり、霊の世界に近づくための修行、と聞いたことがある。
@「生きていることと死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。」(勝沼亜紀)
作品の中ではどういうことなのか言っていないので読み手が想像するしかないのだが、
宮本輝「錦?」を読んで 投稿者:清水 伸子
宮本輝の初期の作品が好きで一時期彼の小説ばかりを読みふけっていましたが、いつの間にか熱が冷めて遠のいていました。
この「錦?」という作品は初めて読みましたが、久しぶりに熱中して読みました。書き言葉は内省的で美しく、織り交ぜられる関西弁の話し言葉は心の世界から、現実に引き戻していく効果があるように思いました。往復書簡を交わし合う中で、二人がそれぞれのたどって来た道筋や思いにしっかり目を向け振り返った事が、今そして「みらい」に足を踏み出していけることにつながっていったのだと思いました。久しぶりに素敵な作品に出会えて感謝しています。
@の「生きていることと死んでいることはもしかしたら同じことかもしれへん」とはどういうことなのか…正直に言ってよくわかりません。
A手術台に横たわっている自分を見つめている「もうひとつの自分」とは?
宮本輝「錦?」感想2 投稿者:清水 伸子
昨日感想を投稿した後、全部を書ききっていなかったと思い、続けて投稿することにしました。それは、亜紀の息子……障碍を持って生まれた清高に関する部分です。有馬と離婚したせいで、別の男性と結婚し、結果障害を持った子を産んだという理屈で、一時にしろ有馬を恨むというあたり、また清高を「人並みに育てる」という決意をするあたりにも、強い違和感を感じました。障碍を持つ子とその母親というのはそれひとつで重みのあるテーマです。それを扱うならもっと深い洞察が必要ではないかと感じました。
宮本輝「錦繍」を読んで 投稿者:中谷和義
富山市に住んでいた頃、富山が舞台の「螢川」を読んだ。いわばご当地本としてガイドブックのように読んだので感動はなかった。映画も観たが、最後にホタルが群舞する場面で劇場内から「気持ち悪い」という声が上がり、制作者の意図は完全に裏切られていた。
錦繍 投稿者:浅丘邦夫
他の作品を通じて、常に感じることは、作中の中心軸に、独特の死生感を漂わせていることだ。蛍川では、蛍の生の乱舞が見事に描かれた。錦繍でも男女の愛慾とは別に独特の死生感が常に中心軸にある。死に行く自分と、それを見つめる、もう一人の自分。超常現象であり、臨死体験だろう。信じるか信じないかは別。心霊現象であり、他の作品でも、独特の死生感が底流にある。宮本輝の魅力だろう。
錦繍 投稿者:浅丘邦夫
訂正、死生観。
『錦繍』を読んで 投稿者:藤本珠美
美しい言葉の連なり、冒頭から読者が惹きつけられる文章(この男女には過去に何かのいきさつがあり、謎めいている)で、すうっと入っていけた小説でした。手紙という伝達方法で、それ以外の文章が出てくるのかと思いながら、バランスよく、手紙の文面だけで、このお互いに送りあう十四通の手紙のなかに、おそらく口に出して話をするよりも多くの、そして知らなかった真実や、微細な感情が表現されているように思いました。「過去」との関連は続いてゆくけれども、愛したり憎んだり誤解しあったりという、亜紀と靖明の関係に、令子という女性が存在することで、明るさがつくられ、ストーリーが流れているのだなと思いました。
美しい日本語(また関西の言葉や町の風景、習慣など)が、読んでいて気持ちよかったです。
「錦繍」を読んで 投稿者:石野夏実
12月読書会 宮本輝作「錦繍」 感想
2021.11.30 石野夏実
宮本輝は1947年3月生まれの団塊世代である。因みに私より2歳年上、学年では3学年上であるので、多感な時期を過ごした戦後の時代背景はあるていど共有できるのである。この小説には、舞鶴の町のさびれた様子や回想場面はあるものの「泥の河」や「蛍川」とは明らかに設定が違う。
氏は77年に筑摩書房の「文芸展望」に相次いで掲載された2作品=「泥の河」は77年の太宰治賞、「蛍川」は78年芥川賞=の連続受賞により、注目の新人小説家として当時のマスコミに興味深く取り上げられた。文学賞を獲ってプロの小説家になろうと、獲る前に家族もいるのに会社を辞めてしまった無謀な人として、面白おかしく紹介していた記事さえもあった。
さて、「錦繍」であるが、書き出し3行でこの小説の世界へ誘われる名文である。夫が女性に刺され生き残り、相手の女性は亡くなった。無理心中事件のために別れた夫婦の、当時では語り合えなかった過去と現在とこれからを伝え合う書簡形式の恋愛小説である。
私の書棚にある昭和60年(1985年)初版の新潮文庫「錦繍」は、読了されることなく最初の30ページほどのところにしおり紐が置かれていた。
宮本輝氏といえば、創価学会なので、宗教観(仏教)がかなり小説の中にも出てきていると思う。創価大学などでも講演をしているが、父親が亡くなった後、母親が、女手一つで氏を育てるなか、入信したとのこと。
感想を書きながら、16歳で「夢も現実も目を閉じればおなじ♪」と歌った宇多田ヒカルのフレーズが浮かんだ。宇多田ヒカルは天才少女であった。
錦繍 投稿者:佐藤直文
初めて読みました。八十一刷となっています。
以前、『猟銃』を読みましたが、書簡体で、「白い河床」という言葉が印象的でしたが、古典悲劇の雰囲気で、文章も格調高い表現です。
関西を舞台にした、不倫の話で共通しますが、まったく書き方が違います。『星々の悲しみ』では文章を徹底的に削除し、読者に想像させる書き方でしたが、今回は冗舌ぎみで、はっきりしすぎていると思いました。しかし、40年前の昭和の実在感が色濃く漂い、そのころ、芦屋に住んだこともあり、懐かしい思いで読みました。中でも、踏切で思わず誰かの自転車の荷台をつかんでいたという部分が良いと思いました。
「生きていることも死んでいることも同じ」ということは、そうかもしれません。この世は幻、池に移る月のようなものだと思います。同時に、先に逝った者は、しょっちゅう生きている者の肩に乗り、美味しいものを食べるときは一緒に味わっているのだと思います。自分の中に監視している自分と監視されている自分がいることは自明だと思います。
宮本輝著 「錦繍」読後感想 投稿者:金子えい子
宮本輝は好きな作家であり著述は数多読んでいるが、「錦繍」については、従来の彼の作品と随分変わっていると感じた。
また宮本輝の他の著書に見られる、物語性も希薄と思える。
錦繍 投稿者:浅丘邦夫
香櫨園とか、個人的に親近感のある地名がふんだんに出て懐かしい。想像カが膨らむ。書簡体小説と言う極めて制約ある古典的手法で、現代が書ききれるのか、作者には実験的な、意図があったのではないかと思った。逆に書簡体小説ならばこそと思わせる、率直な告白、或いは虚飾、思わせぶり、相手に対する、燃え残る思慕の念など、見事にかき分けている。さすがと思います。
錦繍 投稿者:浅丘邦夫
眠れない夜、加賀乙彦の高山右近と言う、長編小説を取り出し読んでいる。書簡体小説だ。禁教令の時代背景として書簡体小説の必然性があった。距離、交通、通信手段もない。現代でも監獄の外と中は、書簡の必然性がある。錦繍の場合は、作者の趣向だろうか、必然性が感じられないのだ。巧みな作品だが、何故かの疑問がつきまとう。作者の技巧だろうか。
宮本輝『錦繍』メモ 投稿者:和田能卓
書簡によって過去の事件の経緯が明かされる小説と言えば、夏目漱石の『こころ』が第一に思い浮かぶ。
が、それは先生の単一な視点による、謎めいた人生の謎解きであり、回想=告白だった。
対して本作品は二人の視点によるそれであり、趣向として手が込んでいる。
作中、令子さんが靖明の手元にある亜紀からの手紙を読んだと言っても、それは一方が書いた内容を知るにとどまり、
往復書簡の全体像は見えない。知ることができるのは読者だけであり、
視線の交錯によって読者のうちに作品世界が形作られることに惹かれるものがあった。
作者・作品・読者の三位一体による作品の成立の一バリエーションを、ここに見出だしたのである。
錦? 投稿者:成合 武光
『錦繍』の感想 成合武光
初めは静謐な詩の世界、秋の山の叙情的な精神の物語かと,思いながら読んでいました。しかし、少しずつ話がそれて行く感じです。それでも最後は困難を乗り越え、相思相愛のめでたきに終わるかとも想いました。ところが令子の無償の愛のような状況になると、令子への同情も湧いてくる。どうなるのか心配していると、成長の遅いわが子を育てるという強い母親の決心が語られ、心身ともに腐ちかけた男が働きはじめる。
@ 「生きていることと死んでいることとは同じかもしれへん」というのには、深く考えさせられます。・・大きくは宇宙を初めてとして、さまざまな状況が考えられる。小さくは人間、個人。自己の鏡に映る主観的景色。故にどう反応するか、いろいろあるかと思います。
追記
錦繍 投稿者:浅丘邦夫
宮本輝の死生観、生きることと、死ぬ事は同じ、とあります。最初は、奇異に思いましたが、霊魂不滅と考えると頷けます。仏教は輪廻転生の円軌道、キリスト教は、天国へ直線軌道と思いがちですが、キリストは、霊は風のようなものだ、何処からか来て何処かに去ると説きます。西欧の哲学者は、死ぬとは、生まれる前に戻ることと言います。死生観は、百人百ようにみえて、実は同じかな。宮本武蔵の五輪の書、生きることは、死ぬことと見つけたり。
錦繍 投稿者:浅丘邦夫
葉隠れだったか。
見つけたり 投稿者:成合 武光
あれは、武蔵ではなく、葉隠れだと思います。武蔵は、巌の精神です。
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