「文学横浜の会」

 「掲示板」の内容

評論等の堅苦しい内容ではありません。
テーマになった作品について参加者がそれぞれの感想を書き込んだものです。
  

2022年02月9日


ヘミングウェイ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2022年 1月14日(金)14時52分3秒

 待っていましたヘミングウェイ。若い頃、特に短編を繰り返し、繰り返し、むさぼり読みました。野生的な、男の草原の匂い、少年から、老人まで、男らしい男が何時も、どこか寂しげに登場します。移動祝祭日、知りませんでした。パリのヘミングウェイ。全く違う側面に思います。折に触れ読んています。楽しみです。

移動祝祭日 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2022年 1月18日(火)00時49分56秒

 パリの有名カフェで多くの友人達とワインを楽しみ、裏町のバーでウイスキーを楽しみながら、文学修行の若きヘミングウェイは、成功を夢見ていた。都会を描き、戦場を経験し、海や、草原を、少年を、老人を多才に描き出し、そして成功した。その彼が、何故、猟銃自殺したのだろうか。移動祝祭日を読みながら、ずつと、その疑問を抱いている。これ程、人生を謳歌し、味わい、成功し楽しんだ者は、いないだらうに。

移動祝祭日 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2022年 1月19日(水)08時29分27秒

 ヘミングウェイは、何時も男を描いた、抜群に魅力的な男。冒険心に富む勇敢に戦う男、戦場で、海で、キリマンジャロの山で、動物や、カジカと戦う男。孤独に、戦う男、どこか寂しげな男、反面、女を描くのは、平凡に思える。印象に残らない。映画の黒澤監督も同じ、登場人物の男は、魅力的だが、女性を描くのは、イマイチに、私は、個人的に思える。主人公の男は、作者自身の投影だからか。

「移動祝祭日」を読んで 投稿者:遠藤大志
投稿日:2022年 1月20日(木)13時37分49秒

 ヘミングウェイがパリで過ごした日々を克明に記した本著「移動祝祭日」があった事を初めて知った。
 この「移動祝祭日」は実に人間ヘミングウェイが描かれており、興味深かった。
僕はエッセイをあまり読まないし、好まない。
しかしこのヘミングウェイのエッセイは例外だった。

 大作家の若き日の羨望や嫉妬、好き嫌いが文面を通じて生々しく伝わってくるし、ヘミングウェイも人の子なんだと思い、安堵した。
 この著者は、晩年30年前のパリ滞在時の友人との出会いや別れを一つ一つ詳細に想い出し、その当時の自分に立ち戻って書いている。

 そこには、最初の妻ハドリーへの愛情が溢れ出ているし、別れてしまった後悔の念が伝わってくる。
さまざまな著名人と出会い、人間ヘミングウェイが洞察し感化を受けたり、衝突したりする。
「好き」と「嫌い」がヘミングウェイの書き方で完全に二分される。

 貧乏、倹約生活をしている暮らしぶりもよくわかる。それでも、そんな生活を享受し、楽しんでいることが伝わってくる。
 また、彼のシニカルな性格が、会話の受け答えから伝わる。

 やはり一番興味深いのは、スコット・フィッツジェラルドとの交流である。先般まさにフィッツジェラルドのエッセイや「華麗なるギャツビー」を映画で観たばかりであるから、このヘミングウェイから見たフィッツ・ジェラルドの人間像は興味深かった。
 ここでのフィッツ・ジェラルドはダダをこね、どうしようもなく面倒くさい子供のような性格である。

 大作家同士の交流や友情関係というものは我々一般人には計り知れないし、特別な感情が生まれるのかもしれない。ヘミングウェイという人間もきっとよくわからない性格をしていたと推察される。
 友情を長続きさせる気持ちや人と迎合するということができない厄介な性格の持ち主だったような気がするのだ。

 彼はこの感情をコントロールすることができないまま成長していき、結局妻を失い、友人を失っていったのではないだろうか。

 このような破滅型の人間こそ、面白い物が書けるのかもしれないとつくづく感じた。

ヘミングウェイの「詩と真実」 投稿者:中谷和義
投稿日:2022年 1月20日(木)21時17分1秒

 晩年のヘミングウェイがパリで過ごした修業時代をかなり正直に振り返り、創作のこつを惜しみなく披露している。文章を書く人間にはとても勉強になると思う。

ヘミングウェイは最初の妻ハドリーと結婚すると同時にアメリカからパリへ移り住み、新たな環境に身を置いた。カフェで北ミシガンのことを書きながら「場所を変えたほうがよく書けるものなのである。自分を移植するとはこういうことを指すんだな、と私は思った。それは成長する他の動植物同様、人間の場合にも必要なのだろう」と考える。また、きれいな娘をみかけると「いま書いている短編でも、どの作品でもいい、彼女を登場させたいと思った。(略)美しい娘よ。きみがだれを待っていようと、これっきりもう二度と会えなかろうと、いまのきみはぼくのものだ、きみはぼくのものだし、パリのすべてがぼくのものだ。そしてぼくを独り占めにしているのは、このノートと鉛筆だ」と心の中で宣言する。

行き詰まったときは「やるべきことは決まっている。ただ一つの真実の文章を書くこと、それだけでいい」「無駄な装飾は潔くカットして投げ捨て、最初に書き記した簡潔で平明な文章に立ち戻っていいのだ」と自らに言い聞かせる。また、「いったん書くのをやめたら翌日また書きはじめるときまでその作品のことは考えないほうがいい」と指摘する。

有名人たちとの思い出は遠慮がない。とりわけスコット・フィッツジェラルドについては脚が短いだのリヨンに行こうと誘ってきたのに約束の時間に来なかっただの、「サイズの問題」でくよくよしていただの、情けない姿をこれでもかと描いている。フィッツジェラルドにしてみるとたまったものではないが、読者はその人間くささに親しみを感じ、「読んでみようかな」と思わされる。友人に対する一種の応援にもなっている。

でも一番書きたかったのは、妻ハドリーとの幸せな日々だろう。ヘミングウェイはハドリーと幸せに陽気に暮らしていたのに、別の女性の誘惑に負けて不倫に走り、結婚は破綻する。この女性とは、後に結婚するポーリーンのことなのだが、ヘミングウェイは彼女のことを「老獪きわまる術策を駆使するもう一人のリッチな人間」と、非常に冷たい言い方で突き放している。もしポーリーンに惑わされることなくハドリーとの結婚生活が続いていれば、61歳で自殺することもなかったのではないか。そんなことを考えてしまう。

ヘミングウェイ 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2022年 1月21日(金)17時27分7秒

 我々の作品は、説明が多い。ヘミングウェイは、説明を一切省いて読者に想像を委ねる。以前ヘミングウェイの殺人者を取り上げた。殺し屋に付け狙わる名もなきボクサーの物語りだ。ハードボイルドだ。何故、殺し屋に付け狙わるか、一切説明は無い。ボクサーにはわかっている。そこで読者の私は想像する。たぶんギャングに八重長試合を仕組まれたのだろう。彼は何故か裏切ったのだ、裏切り者はうなるか、彼自身、よくわかっている、読者を舞台に、引きずり込む。

移動祝祭日 感想 投稿者:阿王 陽子
投稿日:2022年 1月23日(日)22時27分1秒

 映画の原作者としては知っていたものの、ヘミングウェイの小説を読んだことがなかったので、おそるおそる読みましたが、読み始めてすごく読みやすくて面白くて驚きました。誰がために鐘は鳴る、などを書いた作者ですが、この短編集は、まだ売れていない頃を回想するようで、印象に残ったのは次の三点。

一点目。ラム酒、キルシュ、白ワイン、ビール、、、などなど、お酒がたくさん出てきます。おいしそうな、つらそうな、飲酒の様子が、印象に残りましたが、細かい食事描写などが多く、きっとヘミングウェイの作品も細かい食事描写、情感描写などがあるのだな、と思いました。

二点目。エズラ・パウンドとのかかわりについて。昔大学院で少しだけ勉学したとき、能や浮世絵関係とエズラ・パウンドが関わったことに少しふれました。ヘミングウェイがそのエズラ・パウンドと関わっていたことが意外でした。

三点目。ミス・スタイン、などレズビアン的女性について。ある意味、自由なフランスらしいですが、当時レズビアン的嗜好の女性が受け入れられていたのが、意外でした。

作品の全体を通しての感想ですが、当時の妻のハドリーへの愛情が感じられました。特に「鷹は与えない」「パリに終わりはない」のあたりで、スコット・フィッツジェラルドの妻ゼルダの奔放で堕落的な生活と、対比されて、妻・ハドリーの、明るい、優しい、家庭的な様子が描かれています。

自身の「もう一人の女とのこと」つまりのちの妻となる若い女性との不倫がそのハドリーとの結婚生活に終止符を打つものとなったわけですが、注釈の解説を読むと、「日はまた昇る」の印税をすべてハドリーに贈ったとあるように、愛情は深いものだったと感じました。

また、この作品の日本語訳は高見浩さんの翻訳で、大変読みやすかったです。作品中で、ヘミングウェイがロシア文学の訳についてを述べるところがありますが、この高見訳は読みやすく、この方のヘミングウェイ訳作品をまた他にも読んでみたいと思いました。

移動祝祭日 投稿者:浅丘邦夫
投稿日:2022年 1月24日(月)09時33分36秒

 移動祝祭日は、二十才前半のパリでの修行時代、若書きの思いつくままの、いわばメモのような雑文を、遺作として誰かが発表したものという。そういえば、タイトルも変だ。中身のなかから誰かさんが、取り出したもの。ヘミングウェイ本人の意図でない。彼なら、情緒あるタイトルを選ぶだろう。晩年になるに従い、情緒が色濃く漂うようになった、カリブ海で巨大なでカジカマグロと戦う男、老人の背中には、愛と悲しみのような情緒が、そこはかとなく漂う、移動祝祭日には、それがない、喜怒哀楽が、ストレートだ。

「移動祝祭日」ヘミングウェイ 感想 投稿者:金田清志
投稿日:2022年 1月25日(火)18時29分15秒

 高見浩(訳)で読みました。
 ヘミングウェイの作品はずっと前に「老人と海」を、そして以前読書会テーマとして取り上げられた短編を読んだだけです。

 一読してどうして「移動祝祭日」なのか疑問でしたが、浅丘さんの書き込みで、そうなのかと納得しました。

 内容そのものは皆さんが書き込んでいるようにヘミングウェイが作家として名を挙げる前からのパリを中心にした、芸術家達と妻・ハドリーを交えた交友関係が、昔を思い出す形で書かれていて、当時のパリの自由な空気が伝わってきます。
同じ頃、日本はまさに欧米文化を盛んに取り入れていた時代?

 この作には若き作者の様々な創作に対する考えや、同じ創作者達との付き合い、と言うか友人の作品に対する批評の仕方に対する思い、或いは短編と長編に対する考え方も垣間見えます。登場する人物はいずれも一応成功した人物ばかりなのは物足りないのですが、恐らくそれだけ心に残った人達なのでしょう。

 読後感としては「スコット・フィッツジェラルド」との関係が特に印象に残っていっます。

 読書会のテーマでなければ読まなかった作品。感謝!!

金田

移動祝祭日 投稿者:森山里望
投稿日:2022年 2月 1日(火)15時28分43秒

 掲示板は初めまして。リアル読書会には2021.10から参加しております森山です。
よろしくお願いします。

 フランス パリの熱く濃密な時代、そこに引き寄せられた才能、登場人物のゴージャスさに溜息をつきながら読みました。10年ぐらい前の映画ミッドナイトインパリの場面にかさなります。とはいえ、出てくる芸術家たちの半分も知りません。

 フィッツジェラルドのところは、俄然興味深く読みました。以前文横で取り上げられた「マイ・ロスト・シティ」を読んでいたので、ヘミングウェイと、フィッツジェラルドそれぞれの心情の内側に触れた気になって読んでいました。痛みを内在しながら互いを思いやり尊敬しあっている二人を感じた章です。

 作品中何度か出てくる「ただ一つ真実の文章を書くこと…嘘のない文章を書く…」はヘミングウェイの作家としての一貫した信条、テーマだったのではないかと思いました。

移動祝祭日 投稿者:森山里望
投稿日:2022年 2月 1日(火)16時09分48秒

 パリだからなのか、ヘミングウェイが食いしん坊なのか、食べ物の描写、食べているシーンが多く出てきます。そしておいしそう。これが全体にヘミングウェイの若さを謳い、偽りない生活感を与え、彩を添えているように思います。

「移動祝祭日」を読んで 投稿者:山口愛理
投稿日:2022年 2月 1日(火)16時48分40秒

「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」

この有名なエピグラフと『移動祝祭日』というタイトルに、ずいぶん前から私は魅了されていた。このタイトルは秀逸だと思う。ヘミングウェイの言葉を記録しておいた「ある友」の功績だろう。

にもかかわらずヘミングウェイにそれほどの造詣が無かったため、私は本文を読むことは今までしていなかった。いつか読みたいと思っていて、今回がその良いきっかけとなった。

狂騒と芸術の1920年代のパリに身を置いたヘミングウェイの希望に満ちた自叙伝的な内容だろうと思っていた。だが読んでみて、楽しいばかりではなく意外なほど創作や人生に苦しんだ時代だったのだとわかった。

特にヘミングウェイの一種病的なまでの人物観察眼と、好き嫌いの激しさ、そして創作への努力。それらを包み込んで癒していた年上の妻ハードリーと突如現れたポーリーンとの三角関係による確執。美しいパリを舞台にして夢が夢のままでは終わらない現実がありのままに描かれていて興味深かった。

それにしてもこれほどの小説家や画家がパリと言う小さな街に集まるとは、何という贅沢な時代だったのだろう!

ちなみにウディ・アレンの映画『ミッドナイト・イン・パリ』は1920年代のパリに現代の小説家志望の青年がタイムスリップする物語。あの頃のヘミングウェイやフィッツジェラルド夫妻やピカソやダリに会える。ちょっと軽いけど、とてもお洒落な映画だ。

私自身は3回パリに滞在したことがある。残念なことに初めて行ったのは40歳を超えた時だった。もう若くはなかったが、それでも十分、パリは今でもついてきている―と感じる。

『移動祝祭日』を読んで 投稿者:藤本珠美
投稿日:2022年 2月 1日(火)23時07分45秒

 とてもおもしろい本だと思った。

『スコット・フィッツジェラルド』および関連する二作品は、相当おかしかった。けれどもヘミングウェイの場合、ラストの数行に含みがあるような気がした。

困ったフィッツジェラルドに右往左往させられるヘミングウェイの姿に、なぜか太宰治の『親友交歓』を思い出させられた。

ヘミングウェイの作品を書くポイントが紹介されているのも興味深かった。

20年代のパリを彩る英語圏の人たち、シルヴィア・ビーチ、ジェイムス・ジョイスなど・・・との交流もおもしろかった。

妻ハドリーの「スーツケース紛失事件」も、これまではヘミングウェイの絶望だったのかと解釈していたが、同じ高見浩氏訳で、あたらしい描き方を模索する結果になったという解釈に、ヘミングウェイの書くことへのエネルギーを感じた。

この短編集全体の冒頭の部分、「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」は、名言であると思う。

「移動祝祭日」を読んで 投稿者:石野夏実
投稿日:2022年 2月 2日(水)00時48分43秒

 2022年2月「文学横浜」定例読書会
    ヘミングウェイ「移動祝祭日」  高見浩訳 新潮文庫
2022.2.1  石野夏実

 ヘミングウェイ(1899〜961)といえば、高校の英語の副読本「老人と海」の作者であるという印象が強く、他の作品は読む機会もなかった。

予備知識としては20世紀の古き良き時代のアメリカで一番有名な小説家ということくらいしか知らなかったが、2度の飛行機事故や4度の結婚と銃(猟銃?)で自殺したのを知り、複雑な心境になった。

 彼の代表作「誰がために鐘は鳴る」「日はまた昇る」などを原作にした有名な映画もあるので、アマゾンプライムで観ることにしたが「誰がために鐘は鳴る」はフィルムが古すぎて観ずらかった。貴重な映像だとは思うものの、残念ながら少し観ただけでパスした。

 昨年、フィッツジェラルドの「マイ・ロスト・シティ」が読書会で取り上げられた時、ふたりに20年代のパリでの出会いと深い交流があったことを知り、今回のこのヘミングウエイのメモワールは、彼自身の人物像を知る上で、タイミングの良い読書会テーマ本であった。

「移動祝祭日」の翻訳は色々あるが、私は新潮文庫版の高見浩訳で読んだ。当時のフィッツジェラルドとの出会いや彼との突然のリヨン旅行、その妻ゼルダのことなど、またほかの友人たちの話など興味深かった。

ヘミングウエイは好き嫌いが激しく、嫌いな人には徹底して批判的で辛辣、容姿などもコテンパンに貶す攻撃的な人物であることを知って、これまた驚いた。売られた喧嘩を買っている場合があるとしてもだ。

 フィッツジェラルドとの間には往復書簡集が出版されていて、1925〜40年の間に交わされた47通の書簡の中で文学論、恋愛論、人生論などが語られているとのこと。2度の行き違いを経ながらも40年にフィッツジェラルドが急死するまで続いた友情の深さとロスト・ジェネレーションの真実の姿を伝える貴重な資料だそうである。(2007年ダイナミックセラーズ出版の説明より)

 ※書簡集を読むのが私はけっこう好きなので、この本がとても欲しいのであるが絶版であり、古本はとても高いので諦めたが、ヤフー経由で2018年新刊のものを見つけ注文した。

※※往復書簡は、高見氏の解説によれば実際にはヘミングウエイから29通+フィッツジェラルドから28通のようであり、アポロン社「友情の綱渡り」を紹介しながら微妙に変わってゆく友情と、最晩年に書かれたこのメモワールでのヘミングウエイのフィッツジェラルドに対する3つの章での心理を冷静に分析している。

 ヘミングウエイには驚くことばかりであったが、もともと小説家というのは凡人ではなく、ある意味変人しかなれないものと思っているので、ヘミングウエイも例外にあらずと妙に納得をした。  彼は22歳の若さで結婚し、最初の妻で8歳年上の優しく従順で穏やかなハドリーとパリに渡った。

ふたりの新婚時代のパリでの前半、息子バンビが生まれてからの離婚までのパリでの後半、パリで暮らした時代(1921〜1927)の年月がそのままこの本の中にすっぽり収まっている。そしていくつかの短編がこの時期に書かれた。

 ハドリーは読書家であるし、ピアノも弾きスキーも上手な最高の結婚相手。ヘミングウエイは、異常に人物観察が大好きで、あんなに用心深そうなのに、なんで不倫して離婚までしたのよ、と思ってしまった。相手の女性の方が一枚も二枚も、うわてだったのだろう。

 短編集では「殺し屋」を読んだだけであるが、ストーリーはまだ続くと思ったら次のページは白紙で、ストーンと終わってしまった。内容は、非情な殺し屋と、腹をくくっている狙われている側の男の様子を、常連だったレストランの様子や従業員を絡めながら淡々と描写。確かにハードボイルドであった。そしてこの作品は、ハードボイルドの元祖といわれているとのことである。この「殺し屋」は、タルコフスキーが映画大学の3年生の時、アメリカかぶれで撮った最初の映画ということでもあった。(観てみたい)

 翻訳者の高見氏は、ヘミングウエイを大変詳しく研究されているので、このメモワールの脚注と解説は具体的でわかりやすく人間関係や状況を知る上で、とても助かった。 また、ヘミングウエイその人を多角的に浮き彫りにし、礼賛伝記物とは違う分析で理解を深めることができた。

 友人のエズラの章で、ヘミングウエイは日本の画家たちと会ったこともあり、その絵はなんの感興も与えず好きになれなかったと書いている。ヘミングウエイの性格からすると、おそらくセザンヌが好きだろうと思った。(調べたら、そうでした)

 ここでの日本の画家とは久米民十郎(1893〜1923年の人でイギリスから一時帰国中に関東大震災に遭遇し30歳で亡くなった)と推測されると高見氏は書いているが、この久米民十郎の絵画をネットで「富者の悲」と「支那の踊り」の2作を鑑賞したが、とてもモダンで垢抜けしていて興味深く、私には好きな画風であった。

いつものように、あまりこの本と関係のない話に脱線してしまう性分で申し訳ないが、書かれている一字一句を選び取り成り立つ文章作品は、その人の責任ある一部であると思うのでご容赦を。  ヘミングウエイを語るうえで、文章の明瞭簡潔さは多くの人が賞賛するところだ。

「老人と海」「殺し屋」以外の小説を読んでいないので断言してはいけないが、新聞記者や特派員が若き日の職業であったと知り、作家になってからも余分な装飾のない的確な表現を信条としていたのではないかと思った。

 この遺作「移動祝祭日」に登場する100年前のパリのカフェで、鉛筆を走らせながら原稿を書いている若きヘミングウエイの背中を、少し後ろの席に座って温かいカフェオレを飲みながら20分ほど眺めてみたい。

「移動祝祭日」を読んで 投稿者:中根雅夫
投稿日:2022年 2月 3日(木)13時11分7秒

 ヘミングウェイの作品は若い時分に多少とも読んだことはありましたが、『移動祝祭日』はその存在自体を知りませんでした。学生時代に丸山健二が注目され、その文体がヘミングウェイ並みの簡潔なものだという論評に触れて読んでみたのでした。

本書の出版は1964 年で、ヘミングウェイが自殺してわずか3年後のことのようです。1920年代の最初の妻ハドリーとの結婚生活を軸として、とにもかくにも人生の喜びを味わったパリでの生活を堪能していることばに溢れています。

一方で、翻訳者の高見氏も解説で触れていますが、他の研究者も、1964年に出版された『移動祝祭日』は4番目の妻メアリーと編集者による極めて恣意的な編集が施され、いくつかの章が削除されたと指摘しています。

ヘミングウェイの孫のショーンも、「『移動祝祭日』に付されたヘミングウェイ自身による「前書き」は、実はメアリーが原稿の断片からでっち上げたものだった」と述べて、『移動祝祭日』自体の資料的な価値を疑問視しており、その後、「修復版」を出版しているようです。

また、2015年11月の同時多発テロ後に『移動祝祭日』がベストセラーになり、パリに暮らしたヘミングウェイが、日々、この街の様々な場所で起こる出来事を、移りゆく祝祭として書き留めたことから、1920年代の浮かれ騒ぐ人々の姿こそパリのアイデンティティであることが強調されているといった論評がなされています。

ちなみに、フランス語版の出版部数が年間8000部だったのがテロ事件を受けて一気に増加し、出版社は2万部の増刷を決めたとされています。『移動祝祭日』を読み返すことで、市民はパリがパリであり続けることを確認し、同時に何が起ころうとそうあってほしいと祈ったのだと受け止められています。

「移動祝祭日」を読んで 投稿者:荒井 幹人
投稿日:2022年 2月 4日(金)00時18分19秒

 新入会員の荒井です。初めて書き込みをいたします。よろしくお願いいたします。

 「フォード・マドックス・フォードと悪魔の使徒」が面白かったです。

 特に、注文を間違えたウェイターと、自分が注文したものを間違えるフォード氏と、その場をなんとか収めようとするヘミングウェイのやりとりの場面(新潮文庫121頁)には、吹き出しそうになりました。

 ヒレア・べロックが人違いだったのがわかって、ヘミングウェイが「そうか、悪かった」と言って話が終わるのですが、「そうか、悪かった」から、ヘミングウェイが、図らずも苦手な先輩作家とカフェで同席することになって、疲労困憊してしまった様子が感じとれました

ヘミングウェイ『移動祝祭日』メモ 投稿者:和田能
投稿日:2022年 2月 4日(金)10時18分15秒

 もう一度じっくり読み返したい作品です。私も亦、山口愛理さんが紹介された『ミッドナイト・イン・パリ』の世界に魅了された一人です。『移動祝祭日』から、今後に作品を書くヒントが得られました。この作品を自伝小説として読むか、モデル小説として捉えるか・・・。自己の青春時代に巡り合った人びとの姿を思い起こしました。

 ウェブ上に『移動祝祭日「サン・ミッシェル広場の気持ちのいいカフェ」のヘミングウェイを辿る』http://demoisellesdeparis.com/2016/06/05/%E7%A7%BB%E5%8B%95%E7%A5%9D%E7%A5%AD%E6%97%A5%E3%80%8C%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%BA%83%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%B0%97%E6%8C%81%E3%81%A1%E3%81%AE%E3%81%84/という記事を見つけました。面白いお話です。筆者の北川菜々子さんについては、https://no-vice.jp/article/author/novice20201105/をご覧ください。

 また、楢川えりか『移動祝祭日の日々: パリ留学日記 (えりか書房) Kindle版』https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%BB%E5%8B%95%E7%A5%9D%E7%A5%AD%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%80%85-%E3%83%91%E3%83%AA%E7%95%99%E5%AD%A6%E6%97%A5%E8%A8%98-%E3%81%88%E3%82%8A%E3%81%8B%E6%9B%B8%E6%88%BF-%E6%A5%A2%E5%B7%9D%E3%81%88%E3%82%8A%E3%81%8B-ebook/dp/B08MCHPXNQにも興味深いものがあります。

 ※ヘミングウェイ『移動祝祭日』は、福田陸太郎訳、土曜文庫、2016で読みました。

移動祝祭日 投稿者:成合 武光
投稿日:2022年 2月 5日(土)20時14分50秒

 『移動祝祭日』の感想

ヘミングウェイの作品を読まれた人たちには、ヘミングウェイに直に触れる感じの本であろうと思います。貴重な本だと思います。掲示板でもたくさんのことを教えてもらいました。ありがとうございます。私は『老人と海』しか読んでいませんので、私には全く未知の人です。簡単な感想しかありません。

まず『移動祝祭日』とは、誠に良い言葉だと思います。誰にとっても、特に青春の日々は、毎日が祭りであったかのように思い出されるでしょう。まさしく移動祝祭日だったのではないでしょうか。

日本の若者の多くが、東京に憧れているとも聞きます。同じように西洋人にとって、パリは花の都、憧れの聖地なのでしょう。日本からも大勢の人が行っているようです。

長く歩いた道のりを思い返すとき、ヘミングウェイもまた人生不可解の思いにとらわれたのではないでしょうか。一見、芸能界のスターである人たちの世界のようにも思いました。

確かに、紹介がなかったら出会えなかった本だと思います。ありがとうございました。

(文学横浜の会)


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