「文学横浜の会」
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評論等の堅苦しい内容ではありません。2022年04月07日
G『さ迷う命日』 河野つとむ
<書き込まれた感想>
遠藤さん 2022/2/28 08:54 投稿
ウシ爺と年の離れた姉たちとの会話が自然な感じで表現されており、兄弟の有様が伺えた。
清水 伸子さん 2022/3/18 14:39 投稿
おかしみがあって味わい深い作品だと思いました。
中谷和義さん 2022/3/21 13:10 投稿
第53号の中でもっとも創作らしい作品で、文章に無駄がない。
阿王 陽子さん 2022/3/21 17:14 投稿
生きている人にとっては、いまの目の前の生活が大事で、たとえ大切な母親の命日であっても、さあっと記憶から忘れてしまう。まだ私は両親が生存しているが、いつかそんな日も来るのだろう。
森山里望さん 2022/3/26 21:40 投稿
老婆たちの暮らしの垢がこびりついたような会話がいい。おかしいのに重量感がある。本当の命日がいつかなんて問題ではない、それぞれが老いて暮らしていく中で母を思い忍ぶ日があればそれでいいのだ、という気になる。
石野夏実さん 2022/3/27 12:19 投稿
早朝からお墓参りの準備をして、8歳の孫(男の子)を自転車の後ろに乗せたウシ爺は、母親代わりに自分を育ててくれた三人の姉を順番に訪ねた。今日はウシ爺が2歳の時に亡くなった母親の命日だったからだ。
成合武光さん 2022/3/28 10:58 投稿
母を知らないウシ爺だけが、母の命日を気にして飛び回っている。老いた姉たちは老いた身体に不自由な毎日、母親の命日どころではないようだ。老いるという現実の姿から無惨さが良く書かれていると思います。
林 明子さん 2022/3/28 23:52 投稿
落ちが秀逸です。
金田清志さん 2022/3/29 06:27 投稿
母の命日について、ウシ爺さんと、その姉妹のボケた老人達のやり取りをユーモラスに描いています。
浅丘邦夫さん 2022/3/29 10:34 投稿
ウシ爺さんと。その姉妹、母の命日を誰も正確にしらない。ボケた老人達のユーモラスなやり取り。
和田能卓さん 2022/4/1 13:41 投稿
末尾の言葉に、なるほど命日がさまよっているな、と感心しました。と同時に、何とも言えない不気味さを感じました。他人を呆けた呆けた、と言っている人が存外呆けているのかもしれない、という。「少年」・・・何だか不思議な存在ですね。本当に存在しているのかどうか、希薄に思えます。
山口愛理さん 2022/4/1 14:08 投稿
短いけれど味わい深い作品。方言も含め会話が面白いし、地方の風土の感じも良く出ている。歳を取ることの切なさと「おかしみ」を感じる。
佐藤直文さん 2022/4/2 19:34 投稿
ウシ爺とその姉3人のボケ4人の存在感が抜群。やれやれ、うんざりです。この先の日本をご心配されておられるのでしょう。これ位の長さで丁度よいとおもいました。
太田龍子さん 2022/4/3 12:04 投稿
老いに向かって身につまされると同時に、なんとなく開き直った気分にもなりました。タイトルが秀逸だと思います。
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